004 運命

 ボックスに入ってきたのは、銀髪を肩上のボブカットにした綺麗な男性だった。黒い無地のシャツを着ていて、線は細い。大城さんが彼に叫んだ。


すみちゃーん! 新入生確保した!」

「……そうですか」

「いや僕はまだ入ると決めたわけじゃ……」


 澄と呼ばれた男性は、背負っていた黒いケースを床に置いた。


「……松岡澄まつおかすみ。経済学部二回生。澄でいいよ」

「あっ、はい。西川瑠偉です」


 反射的に自己紹介してしまった。大城さんはテーブルの上をガサゴソあさり、一枚の紙を取り出した。


「これ、入会届な! 学籍番号と名前書いて!」

「ええ、けど……名前だけですよ?」


 大城さんは俺が書くのをニコニコと見守り。澄さんは床に座ってスマホをいじりはじめた。大城さんが言った。


「へぇ、瑠偉くんって名前の漢字もカッコええなぁ」

「名前負けしてますけどね……」

「そんなことあらへんよ」


 俺は入会届を大城さんに渡した。


「これでええですか?」

「うん、ありがとうなぁ! よっしゃ、首の皮一枚繋がった!」


 澄さんがスマホに目を落としたまま言った。


「大城さん……その子音楽するんですか?」

「いや? 喫煙所あるでって言って連れてきた」

「ぼくはちゃんと活動する人連れてきて欲しかったんですけど」

「しゃあないやん、ボックスなくなるよりええやろ?」

「まあ、そうですけど……」


 そして、澄さんは電子タバコを取り出して吸い始めた。


「瑠偉くん……だっけ……」

「は、はい」

「楽器触ったことは……」

「音楽の授業くらいしか」

「歌は……」

「家族でカラオケはよう行ってましたけど」

「ふぅん……」


 澄さんは全くこちらに目を向けてくれないので、興味を持たれているのかそうでもないのかまるでわからなかった。


「大城さん……この子ボーカルにしちゃえば……」

「あっ、そうやね! 軽音サークルにしては珍しいねんけど、うちってボーカルがおらんのよ」

「そうなんですか?」


 大城さんはドラム。澄さんは、何でもできるがメインはベース。ここに来ていない、あと一人がギターとのことだった。大城さんが言った。


「あたしもギターの先輩も、弾きながら歌うん無理ってなって、澄ちゃんはできるくせに目立ちたくないから嫌や言うて。瑠偉くんがボーカルやってくれたら助かるなぁ」

「僕、家族以外の前で歌ったことなんてないですよ?」

「ええねん、ええねん! とりあえずこの後カラオケ行く? お金ならあたしが出したる!」


 財布を出さなくて済むのならアリかもしれない。受験勉強でカラオケには行けていなかったし。


「いいですよ。行きますか」

「よっしゃ! 全員おった方がええな。連絡するわ」


 大城さんは電話をかけ始めた。


「あ、櫻井さん? 新入部員入りましてん。それで、これからカラオケ行こいう話になって。はい。はい。ほな、とりあえずボックス来てください」


 僕は耳を疑った。櫻井というのはそんなに珍しい姓ではないが。


「あの……大城さん。その、櫻井さんって人は」

「ああ、男の人やで! この大学何年おるんやったかな?」

「……六年?」

「そうそう!」

「金髪長髪で?」

「うん!」

「ピアス大量にあいてて派手な服の?」

「その通り! って……何で瑠偉くん櫻井さんのこと知っとうの?」


 僕は今すぐこの場を立ち去りたくなった。


「……何? 瑠偉くん櫻井さんの知り合い?」


 澄さんがようやく僕に顔を向けた。


「その、何と言うか、ははっ……」


 何でもいいから言い訳をつけて、入会届も破り捨てて、ここから逃げるか。しかし、非情にも勢いよくボックスの扉が開いた。


「大城ちゃーん! 新入部員やてー?」


 シャツの色と柄は変わっていたが、どこからどう見ても「童貞を売ってくれ」と頼んできたその人だった。


「……あれ? 瑠偉くん?」

「あ、どうも……」

「わっ、ほんまに知り合いやったんや! 運命やな!」


 大城さんが、だだだだーん、とベートーヴェンを口ずさんだ。櫻井さんは僕に近寄ってきてバンバン肩を叩いてきた。


「瑠偉くん、俺ここのサークル入ってるなんて言うてへんよなぁ!」

「はい、知りませんでした。大城さんに喫煙所で声をかけられまして」

「うんうん、引き寄せっちゅーやつ?

縁があるんやわ縁が!」


 早々に寺でも行って切りたい縁なのだが。大城さんが尋ねてきた。


「二人はいつ知り合ったんですか?」


 それには櫻井さんが答えた。


「入学式の時に喫煙所で声かけてん。童貞売ってもらおうと思ってんけどその日は断られたわ」


 澄さんがスマホをいじりながら言った。


「ああ……いかにも櫻井さんの好みですもんね……こういう可愛い系の顔の子……」


 どうやらこの人、常習犯らしい。大城さんが声を張り上げた。


「ほな、四人揃ったし! 行こかー!」


 もういい、流れだ。カラオケで僕の実力が大したことがないことがわかれば、彼らも諦めてくれるだろう。そう願いながら、ボックスを出た。

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