003 ボックス
入学してすぐに講義があるわけではない。オリエンテーションや図書館の利用案内があった。図書館前は相変わらずサークルの勧誘でにぎやかであり、僕はなるべく関わらないよう視線を落として通り過ぎた。そういうのには別に興味がないのだ。
昼食を学食でとった後、喫煙所に向かった。もう私服なので絡まれる事はないだろう。……と思ったら、後からやってきた女性に声をかけられた。
「なぁ君、新入生やろ?」
「はぁ……まぁ……」
その人は真っ赤な髪をポニーテールにしていた。身長は低く、かなり見下げる形だ。白いパーカーと細身のデニムというラフな格好。そんなゆるい服装なのにも関わらず、豊かな胸がその存在を主張していた。
「この喫煙所なぁ、屋根ないやろ。雨の日びしょ濡れやねん。屋根ある喫煙所あるん知っとうけど、教えたろか?」
「あっ……それはありがたいですね」
赤髪の女性は僕の手を取った。
「ほな、行こ行こ!」
「えっ、今からですか?」
慌ててタバコを灰皿に放り込み、ぐいぐいと引かれるままついていった。芝生広場から離れ、学食のある大きな建物を通り過ぎ、体育館の近くまで。薄汚れた茶色い建物の中に僕たちは入っていった。
「え……こんなとこですか」
「ええから、ええから」
いくつかの部屋を通り過ぎ、やってきたのは突き当りだった。
「じゃーん! ここやでー!」
その部屋には「ユービック」という札がかかっていた。
「えっと……喫煙所なんですよね?」
「正確にはボックス! 我が公認軽音サークル、ユービックの部室みたいなもんやね!」
「サークル?」
ここまで来てしまって、ようやく騙されたことに気付いた。
「勧誘やないですか! マルチや宗教よりタチ悪いですね!」
「あはっ、バレたか。でも中で吸えるんはほんまやで。とにかくまぁ一服しようや!」
「僕、サークルに入る気は……」
「お菓子も飲み物もあるで! さぁさぁ一本吸って考えたらええから!」
「ほな、まあ……」
本当に一本だけ吸って出よう、と固く決めた。
ボックス、と赤髪の女性が呼んだその部屋には、テーブルが一つとパイプ椅子がいくつかあった。テーブルの上は雑然としており、雑誌なのか何なのか、冊子のようなものの間に灰皿が置かれており、お菓子が並べられているという状況だった。
それなりの大きさの冷蔵庫があり、赤髪の女性はそれを開けた。
「飲み物何がええ? コーラ、コーヒー、オレンジ」
「えっと……じゃあコーヒーで」
「はいよ」
僕は赤髪の女性と向かい合わせに座った。確か軽音サークルだと彼女は言ったっけな。キーボードやらギターっぽいのやら、その他に何に使うのかよくわからない機材やら。そういったもので部屋はゴチャゴチャだった。
「新入生のために頑張って掃除してんでぇ」
「えっ、これでですか?」
「……君、素直やね」
ここへは喫煙しにきたのだ。僕はタバコに火をつけた。
「あたし、
「西川瑠偉です。文学部です」
大城さんもタバコを取り出した。ふしゅう、と気持ちよく煙を吐き出した後、彼女は言った。
「実はなぁ、今年一人も新入生入らんかったら、公認やなくなって、このボックス没収されるんよ。音楽やらんでもええよ。名前だけでもええから登録してくれたらめっちゃ助かるねん! お願い!」
「はぁ……そういうことでしたら」
いや待て。櫻井さんの時もノコノコ着いていって酷い目に遭ったじゃないか。簡単に承諾するわけにはいかない。まあ、もう部屋には入ってしまっているんだけど。
「でも、それで僕に何かメリットあります?」
「ここが自由に使える! タバコ吸い放題、お菓子食べ放題、飲み物飲み放題!」
「裏ありません? サークル費徴収されるとか」
「ないない! ぜーんぶあたしが持つ」
「うーん……」
確かにそういう場を確保しておけば、何かと便利かもしれない。しかし、もう少し情報を引き出してからだ。
「今は何人所属してるんですか?」
「あたし入れて三人。ボックス存続の最低人数は四人。マジでヤバいねん」
「……少ないですね」
「うちの大学、軽音サークル乱立しとうからなぁ。散ってまうんよ。実力ある子は最初から部の方に行くし」
それから、僕は大城さんにこの大学の軽音事情を聞いた。一番大きく、校内にスタジオを持っている軽音部がまず存在する。その他に、少人数の軽音サークルが無数にあり、大学公認と非公認がある。公認サークルにはボックスと呼ばれる部屋を使う権利がある。
大城さんは続けた。
「何やったらロッカー代わりにしてもらってもええで。まあ、既にあたしらの荷物でパンパンやけどな。つまり、パンクロッカー!」
「……今のギャグのつもりだったんですか?」
「瑠偉くん冷たいなぁ!」
大城さんが笑う度に、大きな胸が揺れて目のやり場に困るのだが、本人は自覚があるのだろうか。
さて……入りこそは詐欺まがいの手口だったが、部屋を好きに使えるのは悪くない。そう、気持ちが傾きかけた時、誰かが入ってきた。
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