第3話 踵落とし

 地面に這いつくばる一葉に、下卑た声が降ってくる。


「くくくっ、これは参った……こんなはねっかえりは初めてだ……」


 体を捻って振り返ると、ドナテイン男爵がひしゃげた顔に痛そうに手を当てて、よろよろと近付いてきていた。


「一体……何をしたの……」


 一葉の問いに、男爵は左手に持っていた紙を前に突き出した。

 その紙には奇妙な文字と紋様が複雑に書き込まれており、それらの線が赤く光っていた。


「この紙は奴隷の所有証書だ。その首輪が嵌められている限り、お前はこの所有証書を持つ者に逆らえない」


 そう言われてよく見ると首輪と手枷には、同種の文字と紋様が赤く光っていた。


 そんな仕掛けが……

 どこまで卑劣なんだ……


 一葉は怒りと悔しさで唇を噛んだ。


「さて、お前にはまず礼儀作法から徹底的に叩き込まねばならんな……やれやれ、これは骨が折れる……」


 男爵は口の端をいやらしく釣り上げ、一歩一歩一葉に近付いていく。

 男爵の右手が一葉の体に触れようとしたまさにその直前、左手に持つ所有証書に何本も線が入り、バラバラに切り刻まれてしまう。

 次の瞬間には一葉の体を縛っていた呪力の重みが消失し、一葉はすぐに攻撃に移る。

 勢いよく立ち上がると同時に宙に飛び上がり、右足を高く上げ、男爵の脳天に踵落としを叩き込んだ。

 男爵は悲鳴を上げ、頭を抱えて転がり回ったあと、バラバラになっ地面に散らばった所有証書を覗きこんだ。


「なんだっ!? 何が起こったんだ!?」


 男爵の問いにいつの間にか追いかけてきていたマーヤが答える。


「いやー、男爵。申し訳ないッス。コレは売り込み先を間違えたみたいッス。お代はお返ししますので、すみませんけどこの取引はなかったことに」


 マーヤは右手を胸の高さに掲げており、5本の指先から一本ずつ光る蜘蛛の糸のようなものが伸び、ゆらりゆらりと揺らめいていた。

 どうやら、マーヤがこの糸を使って所有証書を切り裂いたらしい。


「何を言う!? この私がこのような仕打ちを受けて、奴隷をただで返すとてでも……」


 男爵は激しく抗議するが、マーヤが軽く右手を動かすと光る糸が矢のような速さで動き、男爵の首に巻き付いた。


「男爵とは今後もよいお取引を続けていきたいッス。少ないッスけど、迷惑料も足しておきますので、今日のところはご勘弁ください」


 言葉遣いは謙ったままだが、マーヤの目は蛇のように男爵を睨みつけていた。


「くっ!! わかった!!」


 男爵がそう言って両手を上げると、絡みついた糸は解け、スッーと消滅した。

 マーヤは先程受け取った金貨の入った袋に、3枚の金貨を足して男爵に差し出す。

 男爵は腹立たし気に金貨の入った袋を掴み取る。


「そのかわり、次こそは上物を連れて来るのだぞ!!」


「ええ、必ず……」


 捨て台詞を残して屋敷の方へ帰っていく男爵の背に向かってマーヤは恭しく頭を下げた。


「さ、檻に戻るッス」


 マーヤは何事もなかったかのように一葉に笑顔を向けた。


「ふんっ、どういうつもりか知らないけど、あの変な紙が私の動きを縛ってたんでしょ? あの紙がなくなった以上、あんたの言うことを聞くとでも思ってるの!?」


 一葉はマーヤに向かって構えを取る。


 小柄な女の子に空手を使うのは普通だったら気が引けるけど……

 こんな極悪人が相手だったら、一切遠慮する必要はない!!


 溜まりに溜まった怒りを一葉はぐっと拳に込めた。


「あー、全然わかってないッスねー」


 マーヤは面倒くさそうにボリボリと頭を搔いたあと、両手を広げ前に突き出す。

 すると、先ほどの光る糸が両手10本の指から放たれる。

 糸の動きは凄まじく早く、一葉が反応する間もなく、その先端が一葉の頭・四肢に突き刺さった。


 なっ!?


 予想もしない現象に一葉は戸惑ったが、糸が刺さった部位に痛みはなかった。

 が、次の瞬間、自分の体が思うように動かせないことに気づく。


 これって!?


 一葉の嫌な予感は当たり、マーヤが軽く指先を動かすと、一葉の体が一葉の意に反して動いた。


「なぜ、こんな小柄で力も弱そうなボクが、奴隷商人なんかやれてるのか……理由はこの傀儡魔術ッス」


 マーヤの指の操作で、一葉は強制的に構えを解かされる。


「うちは代々傀儡を使う奴隷商人の家系なんスよ。まあ、操れる対象にはある程度条件があるんスけどね。奴隷証書はあとで作り直すッスけど、奴隷証書がなくても、キミはボクの傀儡から逃げられないッス」


「くっ……」


 傀儡の糸に操られ、一葉は無理やり檻の中に戻されたのだった。



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