第2話 上段回し蹴り
一葉が身にまとっているのは飛ばされる直前、世界大会で着ていた空手道着のままだった。
空手道着に、首輪に、手枷、なんともシュールな姿だった。
「あ、目ー覚めたッスか?」
ガシャガシャと手枷を外せないかと試みている一葉に、後ろからそんな声がかかる。
見ると、檻の外に一葉と同年代くらいの小柄な少女が立っていた。
銀髪のショートボブとクリっと大きな青い瞳が印象的で、とても可愛らしい顔立ちである。
服装は黒を基調としたブラウスとスカートで、繊細な装飾が豊富に施されており、元の世界のゴスロリファッションによく似ていた。
とても可愛らしい容姿と服装なのだが、どこか暗く怪しげな雰囲気を放っている少女だった。
「誰、あなた?」
「ボクの名はマーヤ・クローネ。奴隷商人ッス」
警戒心を露にする一葉をよそに、少女――マーヤ・クローネはとてつもなく物騒な肩書を臆面もなく口にした。
一葉は戸惑いながらも、頭の中で全てがつながる。
「奴隷商人って……この鎖……この檻……まさか……」
一葉は改めて周囲を見回した。
檻は人間が5,6人入りそうな大きさで、四方に車輪がつき、前方は御者台になっており、2頭の馬が繋がれていた。
つまり、檻全体が馬車の荷台になっている構造だった。
「いやー、ワルいッスねー。小一時間前にここに通りがかったら、キミが意識ない状態で倒れてたもんだから、目が覚めないうちにその呪鎖を嵌めて、檻に放りこんだってわけッスよー」
マーヤは道端で財布を拾ったかのような嬉々とした口調でそう語った。
そして、満面の笑みで一葉に宣告する。
「つまりー、キミはもうボクの商品なんスよー」
「商品て……」
「つまり、奴隷ッスねー」
とんでもない内容に一葉は檻に掴みかかって、大声で叫ぶ。
「バカなこと言わないで!! そんなこと許されるわけないでしょ!!」
「許されるんスよ……キミ……身なりからして異世界からトバされてきたクチっしょ?」
「だったら何だって言うのよ?」
「この国――アウレリア帝国では、平民以上の身分でいるためには帝国が管理する国民名簿に名前が載ってなきゃいけないんスよ。だから、名簿に名前が載ってない貧民や、キミみたいな異世界流民は国民として認知されてないから、捕まえて奴隷として売買しようが、どんな強制労働をさせようが、オールオッケーってわけッスよ」
この国の非人道的な制度を奴隷商人マーヤは悪魔のような笑みで語り、その内容に一葉は愕然としてその場にへたり込む。
が、すぐに気力を振り絞って精一杯反発する。
「そんな……そんなこと、納得できるわけがないでしょ!!」
「納得できなくても、これが今キミが置かれてる現実なんスよ。現実には誰も逆らえないッス」
必死に足掻こうとする一葉をよそに、マーヤは涼しい顔で御者台に乗り、手綱を捌いて馬車を前進させる。
がたがたと揺れる檻の中で、一葉は膝を抱えてぽつりと呟く。
「現実……」
一葉は元の世界での自分の人生を振り返った。
たった一つの願いを叶えたかった。
そのために、必死に努力し、必死に足掻いた。
だが、その願いは残酷な現実に打ち砕かれた。
こんな世界にきても、結局私はまた現実に縛られるんだ……
三日後、奴隷商人マーヤの馬車は目的の場所に着いた。
緑豊かな田園地帯の一角に佇む巨大な屋敷。
マーヤが門番の男に二言・三言話すと、門番は馬車を敷地の中に招き入れ、屋敷の正面入り口まで行くと「しばらくお待ちください」とだけ言い残して、屋敷の中に引っ込んだ。
数分後、一人の男が屋敷の中から現れる。
「おお、マーヤ・クローネ!! 待っていたぞ!!」
30前後くらいの中肉中背の男で、金髪の長髪に、赤い華美なジュストコールを着ていた。
一葉は、身なりからこの男がこの屋敷の主人なのだろうと察した。
「お久しぶりッス、ドナテイン男爵」
マーヤと屋敷の主人――ドナテイン男爵はがっちりと握手を交わす。
「どうだ? 今回は掘り出し物は手に入ったか?」
「いやー、ちょっと聞いてくださいよー。今回もさっぱりだったんスけどねー。ここに来る途中の街道で、ばったり異世界流民に出くわしましてねー。ばっちりゲットしてきたッス」
マーヤは右手をばっと広げて檻の中の一葉をお披露目する。
「おお!! 少し若すぎるがなかなかの器量ではないか!! これならすぐにでも客を取れる!!」
一葉の姿を見て、男爵は目を輝かせた。
「どうするッスか?」
「もちろん買う!!」
「毎度ありー」
マーヤと男爵はすぐに金額の交渉に移る。
そのやり取りを見て、一葉は吐き気を覚えた。
コイツら……
私を売り買いする手続きをしてるんだ……
まるで物みたいに……
価格交渉が終わったらしく、男爵は懐から金貨の詰まった袋をぽんとマーヤに渡した。
マーヤはほくほくとした表情で檻の鍵を開け、中にいる一葉に呼び掛ける。
「さ、出てきて、男爵にご挨拶するッス」
一葉は周囲の様子をよく観察しながら、檻から出て、男爵の前に立った。
「お前、名はなんと言う? いや、元の名前などどうでもよいか。あとで私が商用のよい名前を考えてやろう。お前にはこれからたっぷり働いてもらう。私の言うとおりにしさえすれば、綺麗なドレスを着せて、美味い食事を食べさせてやる」
「キミ、幸運ッスよ。ドナテイン伯爵の館の待遇は奴隷としては最高ッスよ。仕事はちょーっとキツイかもしんないッスけどねー」
マーヤと男爵の理不尽な物言いを一葉は静かに肯定した。
「そうね、幸運だわ……」
そう呟いた次の瞬間、一葉の右足が高速で動き、男爵の顔面に上段回し蹴りが叩き込まれていた。
打撃の凄まじい勢いで男爵の体は一瞬宙に浮いたあと、回し蹴りの進行方向に倒れ、地面にバウンドする。
「本当に幸運だわ。無防備に私の真ん前に立つバカで本当に良かった」
一葉はそう吐き捨てて、先ほど入ってきた正門のほうに走った。
足枷をされてなかったのが幸いだった!!
このまま逃げよう!!
首輪と手枷をなんとかしたいけど、あとからどうにかしよう!!
とにかく今は、アイツらから……
常人の1.2倍は早い俊足で一葉は正門の前にたどり着く。
が、出口を目前にして、急に一葉の体が重くなった。
何!?
体が!!
一葉の体は力が全く入らなくなり、走ることはおろか立つことも困難になる。
そして、一葉の体は夏の終わりの蝉のように地面に倒れ伏したのだった……
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