第2話 ザコモブ、ゾンビに襲われてしまう

(寒……ッ!?)


 僕が次に感じたのは、寒気だった。

 目を開くと、タイル張りの床とドアが目に入った。

 今座っているのは便座。

 ここはトイレの中らしい。


 でも、明らかに僕の家じゃない。

 天井もやや高めで広く、他にも個室が並んでいるように見える。


(あれ……ここ学校……?

 自分の部屋に居たよな……?)


 とりあえず個室から出る。


 そこはやっぱり自宅じゃなかった。

 床がタイルになっていることに加え、洗面所が幾つもあることから学校の男子トイレのように見える。

 でも僕が通う高校のトイレでもなかった。


(窓ガラスとか割れてるけど、地震でもあったのかな……?

 なんとなくこの場所知ってるような気もするけど、思い出せない……!)


 そんな事を考えながら、辺りを見回す。

 やがて洗面台の鏡を見た時、僕は凍り付いた。


「ッ!??!」


 鏡に映った僕は、僕じゃなかった。


 モッサモサに伸び散らかした黒髪。

 やつれて落ちくぼんだ顔は、生気に欠けている。

 まるで死体みたいだ。

 反面、縁なしの眼鏡の奥にある目だけは爛々と輝いており、その目からは人生に対する不満や他人への嫉妬といった邪な感情がありありと見て取れた。

 今にも放火やストーカーといった卑しい犯罪をしそうな顔。


(ウソ!?

 これ『クズ山』じゃないか!?)


 僕は目の前の人物を知っていた。

 クズ山の正式名称は葛山くずやまひろ

 僕がさっきやってたゲーム『ゾンビランド』の登場人物だ。

 いわゆるモブキャラである。


(なんで僕がクズ山に……!?)


 最悪だった。

 クズ山はただのモブじゃない。

 この学園の学園長の息子であり、重度の女好きで、学園に通うカワイイ子を見つけては片っ端から親の金と権力で自分の女にしようとしてきた時代劇の悪代官みたいな悪役のモブである。

 かくいう僕も大っ嫌いで、コイツが死ぬイベントが来るたびに喜んでいた。

 ネットではゾンビランド三大ゴミカスモブの1人に数えられている。


 あまりの事態に何が起こっているのか分からず、僕は自分の顔や髪を擦る。


(夢、もしくは動画サイトとかのドッキリ企画……!?

 でも手で触った感触は、明らかに自分の皮膚や髪の毛のようだし。

 リアルすぎるから夢じゃないし……!)


「……僕、マジでモブキャラになっちゃったの……!?」


 そんな風に僕が顔を真っ青にしていると、


「グガアアアアアアアッ!」


 突然個室のドアが開け放たれると同時に、中から女子高生が飛び出してきた!?


「うわあああああああッ!?」


 成す術なくトイレの床に押し倒される。

 それは明らかに人間ではなかった。

 人の形をしており、高校生らしい夏服を身に付けていたが、体の一部が腐っており右肩から先の腕が欠損している。

 新鮮な血肉を求めて徘徊する死体たち、通称『ゾンビ』と呼ばれる類のモンスター。

 それにしか見えなかった。

 どういう原理か分からないが、本当にゲームの中に入ってしまったらしい。

 しかも。


「ゥガァルルッ!!!」


 ゾンビが大きな口を開けて、僕の首筋に噛みつこうとする。

 まるで狩猟犬みたいな勢いだった。

 その度に全力で彼女を突き放した。

 ゾンビの力は凄まじい。

 片腕だから辛うじて食いつかれていないだけ。

 なんとか引きはがそうとしているのだがビクともしない。

 まるでお相撲さんでも相手にしているような感じ。

 全身の疲労感がハンパないし、息も切れてる。

 もう10秒も持たない!


(殺されるううううッ!!?)


 僕にはどうする事もできなかった。

 やがてゾンビが僕の首筋に噛みつこうとした、その時。


「ハァッ!」


 声がした。

 直後、僕を押し倒していたゾンビの体が突然消える。


 僕の視界に飛び込んできたのは美しい女子高生だった。

 夏服のスカートから白い足が水平に伸びている。

 その足でゾンビを蹴り飛ばしたのだ。

 彼女の脚力は凄まじかった。

 ただの一蹴りでゾンビは吹っ飛ばされ、トイレの壁に叩きつけられている。

 あろうことか、壁は鉄球でも打ち付けたかのように割れた。


 なんてパワー!?

 明らかにゾンビよりも強い!!


「セイサァッ!!」


 彼女は目にもとまらぬスピードで倒れたゾンビの傍に踏み込むと、その顔面目掛けてパンチを繰り出した。

 腰を落として撃つ『正拳突き』だ。

 メキャリ。

 骨の潰れる音がして、ゾンビは動かなくなる。


「大丈夫か?」


 彼女が振り返り僕に言った。

 僕は彼女を知っている。

 名前は藤原ふじわら颯希さつき

 艶のある黒翡翠ダークジェイド色の長髪と琥珀アンバー色の瞳を持つ少女。

 トップモデルが羨むようなその肢体の上には、宝石と見紛うような切れ長の瞳と髪。

 それら顔の各パーツが整えているのは大自然が最も貴ぶとされる黄金比と対称性。僕と同じ人間種にして美の女神アフロディーテすらも己の姿を恥として泡沫に還りかねないその美しさは理不尽と言うより他ない。

 だが容姿そんなものは彼女の良さのほんの一部分でしかなかった。

 勉学においては昨年度全国模試一位。

 運動においては自らが主将として率いる女子空手部が選抜とインターハイで優勝。個人でも負けなしで大会の優秀選手を二年連続で貰っている。

 休日にはボランティア活動に勤しみ、更には与党議員をしている親戚の叔父の選挙手伝いまでしている。

 将来の夢は女性初の内閣総理大臣。全校生徒の模範でありながら、高校生のそれを遥かに逸脱してると言える。


 以上が僕が暗記している藤原会長の設定。

 彼女はこのゲームにおける『女主人公』的立ち位置のキャラだった。

 女子高生らしからぬ志の高さや設定に裏付けされた圧倒的なステータスにより『チートキャラ』扱いされている。


「立てるか?」


 なんて僕が会長を観察していると、彼女が僕の前にやってきて手を差し伸べてくれた。


(か、会長と握手できる……!?)


 僕は恐る恐る手を差し出した。

 すると会長は僕の手を握ってくれた。

 そのまま引き起こしてくれる。


(生の会長……!?

 めっちゃいい匂い……!!)


「傷はないようだな。

 よかったキミが無事で」


 会長が僕に微笑んでくれた。

 その美顔スマイルを食らって、僕の脳みそが一瞬で弾け飛ぶ。

 同時に胸がバクンバクン鳴り始めた。


(僕、完全に会長の事を好きになってる……ッ!!)


 いや違う。

 元より僕は会長のことが好きだった。

 その落ち着いた振る舞いや、見た目。

 このゲームのヒロインたちは『委員長』と呼ばれているキャラを除いて全員発育がいい。

 特に会長は大人気キャラであり、彼女をヒロインにした同人誌が何千冊と存在していた。

 その殆どを僕は買いあさっている。


(じゃなくて!?

 今は生き残ることが先決だろ!?)


 僕は自分に突っ込んだ。

 異性とみれば即座に反応してしまう。

 そんな自分の非モテ童貞っぷりが恥ずかしくなった。


 それはともかく、こういう時どうしたらいいのか全く分からない。

 憧れの藤原会長に出会えたこと。

 急な状況変化も相まって、頭が真っ白になっていた。


 すると、


「ここは危険だ。すぐに出るぞ」


 会長がそう言って先にトイレを出る。

 左右に敵を確認し、


「来い。

 二階の教室前にバリケードがあった。

 誰かが立て籠っているはずだ。

 合流しよう」


 そう言って手招きした。

 頼もしい。


「あ、はい……!」


 僕は頷くとトイレを出た。

 会長の横を歩く。


「……」


 チラ、と会長を見る。

 会長の美しく精悍な横顔がとても頼もしかった。

 自然と微笑んでしまう。


 会長はこのゲームの主人公だし、何よりもチートキャラだ。

 体力やスピード・スタミナといったステータスが全キャラ中1位か2位。

 メンタルも強く、仲間が死んでもほぼ病まない。

 しかも固有アクションの一つ『正拳突き』は、射程が短い代わり、ゲーム後半で手に入る『グレネードランチャ―』並みの威力があるうえ連発できる。

『バックステップ』などの回避アクションも持っており、戦闘においては最強。

 余りの強さ故に『藤原無双』などと揶揄されている程だ。

 彼女を使ってプレイした場合もはやホラーゲームではなくなる。


 そんな会長と出会えたのは不幸中の幸いだといえる。


(クズ山みたいなクソザコモブでも、会長と一緒ならきっと生き残れる……!)


 そう思って安堵した次の瞬間だった。


 プシュッ。


 妙な水音みたいのがした。

 同時に僕の顔に液体が降りかかる。

 液体は生暖かい。

 なんだ、と思っている内に何が起こったのか気付かされる。


「グルゥウウウウッ!!!」


 僕の目の前で、ライオンみたいな獣が藤原会長を押し倒していた。

 獣は唸り声を上げながら、会長の露わになった胸元に食いついている。

 会長は首から上が無かった。

 トイレの個室の前に転がっているのは……ッ!?

 会長の首……ッ!?

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