第18話 放棄と支持
それから10年以上が過ぎた。
俺は15歳になり、弟は12歳になった。
正直、やらかした。
家の使用人たち、領民たち……各所から「
弟は、極めて普通の子供だった。勉強を嫌がり、分別がつかず、時には癇癪を起こし、好き勝手に遊び回る。そして叱られ、嫌々やる。それはすべて、経験がないからだ。子供だったら当然のことだ。
一方、俺には前世の知識があり、大人並みの経験がある。将来は家を出て平民として暮らしていくというビジョンがある。だから必要な情報を得るべく勉強には真面目に取り組み、分別をつけ、大人並みにストレスに耐え、他人を労い、平民の生活を学ぶべく領民たちに混じって働く。
周囲は見比べる。
「兄はあんなに優秀なのに、弟はどうして
「兄は
不可抗力だ。
俺は俺にとって必要な情報を集めていただけだ。これを怠れば、将来家を出てからの生活が苦しくなる。図書館もスマホもない世界なので、情報を得る手段が「自分で試す」か「人に聞く」しかない。
もちろん人に聞く場合は、相手と友好関係を構築していたほうが効率的に情報収集ができる。好ましい相手には親切にいろいろと教えてやろうと思えるが、嫌いな相手にわざわざ物を教えてやろうとは思わない。だから俺は領民たちに友好的に振る舞った。ねぎらいの言葉をかけ、仕事を手伝い、そうして彼らの生活に溶け込みながら、少しずつ「あれは何?」「これは何?」と聞き出していった。
おかげで情報収集ははかどったが、それで普通に普通な出来の弟が普通以下に見られてしまうとは、考えが足りなかった。
ちなみに、この世界にも本はある。だが、その量と質は問題だ。
家に多少の本はあるが、その内容は極めて拙い。「〇〇地方の〇〇山は山頂付近に強力な火の精霊が住んでいて、精霊の怒りを買うと山に火柱が立つ。精霊の怒りに触れぬよう、現地住民たちはこの山に立ち入ることを禁じている。この山に登った者は、時々急に倒れて死ぬことがある。精霊は姿を消したまま命を奪う方法を持っているようだ」みたいな事が書いてある。ただの火山と火山ガスだろう。
原因についての考察は間違っていても、結局「その山に近づかないほうがいい」という点では正しい。つまり、領地経営の資料としては有用なのだ。だから家に置いてある。
閑話休題。
面白くないのは弟と
「むきーっ! あの子ばかり、どうして……!
私の子が劣っているとでも言うの!? 普通ですっ! 私の子は普通ですっ!」
と正室が、自室やら物陰やらで地団駄を踏む。
人目もはばからず怒鳴り散らすのは「淑女のやることではない」と教育されて育ったらしく、そこは少し助かっている。
だが「人目」の中に「自分の子」は含まれていない。母親の癇癪を見て育つうちに、弟は俺に対して嫌がらせをするようになった。子供のやる事だし、たかが知れているのだが。
とはいえ、毎日ちょっとずつ繰り返される嫌がらせ、逃げ場のない「我が家」という環境……俺が普通の子供だったら、性格が暗くなったり精神を病んでいたかも知れない。
問題が起きたのは5年前。俺が10歳の時だった。
癇癪を起こした正室が、世話係を務めていたメイドに当たり散らした。よほど腹に据えかねたらしい。
別の使用人からその事を聞いた俺は、被害を受けたメイドを見舞った。
「すまない!
あの女が、君に理不尽な暴力をふるったと聞いた。男爵家の者として、君にはとてもすまないと思っている。
父上に報告したところで、せいぜい『もうするな』と一言伝えて終わりだろう。当の本人に至っては、僕から何か言っても聞き入れるような人ではない。悪くすると、『そんな事まで話したのか』と君のほうがイジメを受ける。
だからこの事は黙っておく。何もできなくてすまない」
「そんな。ブラオ様が頭を下げることはありません」
「僕もあの人を『家族だ』とは、あまり思えていないが、それでも家族だ。身内の不始末を謝るぐらいのことはさせてくれ。
もちろん君は許さなくてもいい。だが、治療だけは受けてほしい。練習中だが【ヒール】」
回復魔法を唱えると、メイドの傷は少し治った。
「すまない。僕ではこれが限度だ。
魔力はあるのに、いまひとつ上手に使えない……。
これ以上は教会へ行ってくれ。これを教会に喜捨するといい」
俺はメイドに現金を渡した。
まともに使える教会員のヒールなら、傷はきちんと治るだろう。
ちなみに教会員というのは教会に務める僧侶のことだ。仏教でないのに僧侶と呼ぶのはおかしいかもしれないが。神職と言えばいいだろうか。キリスト教でいうと助祭あたりだ。神父様と呼ばれるのが司祭。こっちの世界では「教会長」という。教会にはその責任者たる教会長と、その助手たる教会員たちがいる。店長と店員みたいなイメージで覚えると分かりやすい。
もちろん、教会はチェーン店みたいに各地に展開しているので、教会長の「その上」が存在する。いつか機会があったら解説しよう。今は関係ないので省く。
「そんな……! これはブラオ様が家を出るための資金として貯めていたものでは!?」
「それは今君
君は君の傷を治しなさい。きちんと教会で回復魔法を受けるんだ。跡が残ってはいけない」
「でも……!」
「たった1回の暴力。傷が癒えれば無かったも同然。
あの女も……そして、おそらく話を聞けば父上も、そう考えるだろう。
だが、君には君の人生設計があるはずだ。男爵の家でメイドをしたという箔をつけて、できるだけ上等な男を捕まえて結婚する……運が良ければちょっと金持ちな商人あたりに……なんて感じじゃあないのか? そのときに傷跡はマイナスになる。悪くすると肌を見せてから追い出されるかもしれない。そうなったら、たとえ君が
あの女がやったことは、そういう事だ。人様の人生をぶち壊しておいて、大したことでもないと軽く考え、ふんぞり返っている。
恥ずべきことに……そして唾棄すべきことに、そんなのが身内なのだ。穴があったら入りたい。心に負った傷までは無理でも、せめて君の体を元通りにしなければ、僕が僕を許せない」
「ブラオ様……ありがとうございます。
それでは、教会へ行ってまいります」
メイドは涙を流しながら何度も頭を下げて、出かけていった。
だが、渡したお金はそのまま返されてしまった。
「教会長様が『ブラオ様からの寄進は別の形で数多く受けてきましたから』と、タダで治してくださいました」
そんな事を言われた。
嘘か本当か分からない。教会の活動を何度も手伝ったのは事実だ。10歳の子供が、というので「まあ、ヒール1回分ぐらい良いか」と思ってくれた可能性はある。
もし嘘なら、メイドは自分でお金を出したのだろう。
……うーむ……。どっちもあり得る。判断できない。
仕方ないので、返されたお金は受け取っておいた。
と、まあ、そんな事があって、よけいに「兄が跡継ぎなら……」という声が高まってしまった。
そんなこんなで15歳になり。
この国では15歳で成人とみなされるので、俺は家を出ることにした。
出発に先立ち、俺は使用人をこっそり集めた。
「家を出る前に、みんなに最後のお願いがある」
場所は我が家ではなく、領民たちが使う集会所だ。
農民組合だの職人組合だの商店組合だのの組合長とかも、この場に集まっている。
「君たちに、ちょっとした演劇の役者をお願いしたい。
演劇の内容は『男爵の長男が家も継がずに出ていった。領民を見捨てるなんてヒドイ奴だ。次男様には期待している』と噂することだ。
弟や正室に直接会うことがあったら、できるだけ褒めちぎってくれ。遊び歩いているのを見たら『今日も元気だ』と褒め、目が合えば『お若いのに平民を見てくださる』と褒めてやってくれ。
悪いところは、見ないふりをしてほしい。他国の格言に『豚もおだてりゃ木に登る』というものがある。褒めちぎって担ぎ上げて、君たちの都合のいいように振る舞うように誘導するのだ。
……ちなみに、ここでの話は内緒で頼む。領民総出で男爵の家族に『犬の躾』みたいな事をするなんて、貴族の耳に入ったら
「
「犬の躾ね……ニヤニヤ」
「ブラオ様に頼まれたんじゃ、やらないわけにはいかねぇな……やれやれ」
「犬だと思えば腹も立たねぇわナ……ははは」
みんな協力的で助かる。
犬、犬、とつぶやく人たちが悪い顔で薄く笑っているが。
「では、よろしく頼む」
俺は家を出た。
家を出てから半年ほどして、例のメイドから手紙が届いた。
<敬愛するブラオ様。過日は過分なご厚情をいただき感謝の念に堪えません。十分にお礼もできず心苦しく思うばかりです。お陰様をもちまして、先日無事にさる男性と結婚いたしました。これもひとえにブラオ様の――(中略)――いずれ機会がございましたら、ぜひ我が家をお訪ねください。夫とともにお待ち申し上げ――(中略)――ブラオ様のご活躍をお祈り申し上げております。
追伸 豚が木登りを覚えました>
◇
🥰読んでくださった方、ありがとうございます。
⚠明日から1日1回、18時に投稿します。
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