第6章

第39話:メルヘンチックな魔物

 無事にアーリィの怪我が完治して、自由に動けるようになった翌朝。


 畑の前で爽やかな日差しを浴びていると、何体もの軍隊蜂が蜜蝋みつろうで作られた大きな入れ物を二つも持ち、ゆっくりと近づいてきた。


 その中身は――。


「また蜂蜜を持ってきてくれたのか?」


 高額で取引される食材、軍隊蜂の蜂蜜である。


 軍隊蜂がコクコクと頷くと、クレアとウサ太が勢いよく近づいてきた。


 そして、その大きな入れ物を覗き込むと、満面の笑みを浮かべている。


「わあーっ! すごいいっぱいだあ」

「きゅーっ! きゅーっ!」


 一方、まだ軍隊蜂に警戒心を持つアーリィは、俺の後ろに隠れて、コッソリと覗き見していた。


「ほ、本当にすごい量ね。冒険者ギルドが大騒ぎするほどの戦利品よ」


 軍隊蜂の蜂蜜の価値を聞いたばかりだと、さすがにもらいすぎなような気もするが……。


 モノの価値を硬貨で判断する人間とは違い、魔物にはその文化が存在しない。


 共通の価値観が持てない以上、彼らには花を栽培して恩を返すことしかできなかった。


 きっと軍隊蜂も『花を栽培する人数が増えた分、もっと花を育ててもらえるはず』と、期待していることだろう。


 とてもキラキラとした眼差しを向けてくるため、あながち俺の考えは間違っていない気がした。


 きっとこの蜂蜜を受け取ることで、花を栽培することに同意したと解釈されるに違ない。


 よって、俺はその仕事をキッチリと遂行するべく、アーリィとクレアに向かい合う。


「クレアにも依頼の詳しい話はしていなかったよな。俺はこの蜂蜜を受け取る代わりに、軍隊蜂と花を育てる約束をしているんだ」

「じゃあ、昨日言ってたお花の手伝いは、草取りとか水やりが中心だね」

「ああ。今日からクレアにも手伝ってもらうが、アーリィにも同じことを頼みたい」

「ええ、わかったわ。クレアも本当に大丈夫なのよね?」

「うんっ! 蜂さんのために頑張るよ!」


 クレアが意気込みを伝えると、軍隊蜂も納得してくれたみたいで、ビシッと敬礼してくれる。


 森の雰囲気にスッカリと馴染んだクレアが敬礼を返す一方、アーリィはキョトンッとした表情を浮かべていた。 


「不思議ね。軍隊蜂は、花を栽培する人を仲間と認識するだなんて」

「逆に花を荒らすような魔物は、敵と認識すると思うぞ。外的が侵入しないように、山や森を警備してくれているんだ」

「このあたりに花がたくさん咲いているのは、そういう事情があるのね。危険な魔物に分類されているとは思えない思考だわ」


 子供のクレアはすぐに受け入れてくれたものの、大人のアーリィは警戒心が強く、様子をうかがっている印象が強い。


 それでも、少しずつ軍隊蜂のイメージが変わり始めているみたいで、徐々に恐怖心が薄れている様子だった。


 軍隊蜂が無害だとアピールするためにも、俺は彼らの元に近づき、蜜蝋みつろうで作られた入れ物を一つ受け取る。


「危害を加えようとしない限り、軍隊蜂は襲ってこない。もちろん、花にも危害を加えてはならないけどな。アーリィも蜂蜜入りのバケツを一つ受け取って、拠点まで運んでくれないか?」

「だ、大丈夫かしら。私、まだ軍隊蜂と顔を合わせて間もないわよ」

「心配しなくても、すでに十分な信用を得ている。もっと堂々としていた方がいいと思うぞ」

「わ、わかったわ。……うわっ、意外に重いのね」


 恐る恐る蜂蜜の入れ物を受け取ったアーリィは、やっぱり気になっているのか、軍隊蜂の顔色を確認した。


 しかし、軍隊蜂は気にしている様子を見せない。


 ビシッと敬礼をした後、彼らは森の方へ帰っていく。


 そんな軍隊蜂の姿を見て、再びキョトンッとした表情を浮かべたアーリィは、呆然と立ち尽くしていた。


「なんだか拍子抜けね。軍隊蜂は、一国を滅ぼしたことがあると言われるほど凶暴な魔物なのよ」

「それは怖い話だが……。人間が強引に蜂蜜を奪おうとして、花畑を荒らしてしまったんじゃないか? 今までの経験から判断すると、軍隊蜂は大人しい魔物だと思うぞ。単純に花に囲まれて生活したいだけなんだろうな」

「実際に軍隊蜂と向き合ってみると、印象がガラリと変わるものね。とてもメルヘンチックな魔物だと思うわ。だって、この蜂蜜から素敵な花の香りがするんだもの」


 視線を落としたアーリィは、蜂蜜から漂う花の香りを大きく吸い込み、笑みを浮かべている。


 失礼な表現かもしれないが、そんなアーリィの姿を見ていると、人間は単純な生き物なんだなと思ってしまった。


 まあ、俺も人のことを言える立場ではないと思うが。


「せっかく蜂蜜をもらったんだ。ありがたく朝ごはんでいただくとしよう」

「えっ? た、食べてもいいの?」

「クレアには、衣食住を提供すると約束しているし、軍隊蜂もアーリィとクレアの分まで持ってきてくれている。食べるのも礼儀のうちだよ」

「そ、そう。じゃあ、お言葉に甘えるわ。すごく贅沢なものだから、口にするのはもったいない気もするけど」

「腐らせる方がもったいないし、こんなに換金しても仕方ない。花の栽培を頑張れば、また持ってきてくれると思うぞ」

「しっかりと花を育てるわ! お金のた……軍隊蜂のために!」


 アーリィの目が硬貨になっているのは、見なかったことにしておこう。


 どんな動機であったとしても、花の栽培に勤しんでくれるのであれば、軍隊蜂は喜んでくれるはずだから。


 後は、森で問題を起こさないように注意してもらうため、もう一人の仲間を紹介しておくことにする。


「先にクレアには紹介したんだが、アーリィにも紹介しておくよ。あっちにいる木が、トレントの爺さんだ」


 蜂蜜の香りで油断していたのか、気を抜いたアーリィが振り向いた先には、ニッコリと笑うトレントの爺さんがいた。


 すると、彼女が一瞬で真顔に戻ってしまう。


「トレントもそれなりに危険な魔物のはずなんだけど」

「気持ちはわかるぞ。だが、人は襲わないように言ってあるから、心配しないでくれ。それより、もし近くで魔物や動物を狩った際には、その肉をトレントの爺さんに譲ってやってくれないか?」

「構わないわ。あまり大きなものは持ち運べないけどね」

「十分だ。普段は栄養剤をあげているから、それがないと生きられないわけじゃない。無理に魔物を狩ろうとしなくても大丈夫だぞ」

「そうなのね。……ん? ちょっと待って。昨日のリンゴジュースって、まさか……」

「ま、まあ、気にするなよ。トレントの爺さんは、一人で消費できないくらいの果物を実らせてくれるんだ」


 リンゴジュースの正体に気づいてしまったアーリィのために、アイテムボックスに蜂蜜を入れた後、トレントの爺さんに栄養剤をあげる。


 日に日に元気になっているみたいで、恍惚の表情を浮かべたトレントの爺さんは、なんと今日は十個ものリンゴを実らせてくれた。


「普通に食べると、消費が間に合いそうにないんだ。トレントの爺さんには、無理しなくてもいいと言ったこともあるんだが――」


 ポンッポンッポンッ


「年寄り扱いは嫌がるみたいで、もっと実らせてくるんだよ」


 アーリィが呆然と佇む中、クレアとウサ太はトレントの爺さんの方に近づいていく。


「木のおじちゃん、こっちに枝を伸ばして~」

「きゅーっ」


 リンゴを収穫してくれるクレアと、遊んでほしそうにトレントの爺さんの周りを駆け回るウサ太、そして、なぜか落ち込み始めるアーリィの姿が見られた。


「私、心が汚れている気がするわ。トレントが、金の成る木にしか見えなくなったきたの」

「心配するな。たぶん、それが普通の感情だ。頑張って働いてくれたら、ちゃんと還元するぞ」

「……報酬に使う言葉ではないけど、お手柔らかにお願いするわ。価値観がズレすぎていて、心が追い付いてこないの」

「わかった。じゃあ、まずは朝ごはんだな。今日は軍隊蜂が持って来てくれた新鮮な蜂蜜と、トレントの爺さんが実らせてくれたリンゴをふんだんに使って、アップルパイ風トーストを食べるとしよう」

「ねえ、トオル? 私の話、聞いてた? 早くも価値観がズレてるよ」

「食べないのか?」

「……食べるけど」


 なんだかんだで受け入れたアーリィと共に拠点の中に戻り、アップルパイ風トーストを食べる準備を進めるのであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る