第38話:目覚めたアーリィⅡ
「このジュースには、軍隊蜂の蜂蜜が入っているんでしょう? あれは確か、スプーン一匙で金貨十枚はくだらない代物のはずよ。高級な薬剤として使用されているとも聞くわ」
何気なく使用していた蜂蜜の価値を聞かされ、俺は驚きを隠せなかった。
トレントの果実が一つあたり金貨十枚で驚いていたのに、軍隊蜂の蜂蜜は、スプーン一匙でそれと同額以上……?
マジかよ。俺、めっちゃ金持ちになれるじゃん。
山で生活しているだけなのに、知らないうちにセレブ級の食材ばかり口にしていたとは、夢にも思わなかったよ。
「そんなにも高額なものだったのか。軍隊蜂が厚意でくれたものだから、ありがたく使わせてもらっていたよ」
「なんなのよ、それ……。トオルの場合は、まず素材を手に入れる方法がおかしいわね。普通は、軍隊蜂が廃棄した巣から蜂蜜を採取するのよ。だから、軍隊蜂が生息地を変える時にしか採取することができないわ」
「なるほど。軍隊蜂が引っ越しした際、持ちきれずに置いていった蜂蜜をいただくわけか」
「その方が危険が少ないからね。市場に出回る軍隊蜂の蜂蜜も、頻繁に生息地を変えなければならないような気候変動の激しい地域でのみ、採取されるの。稀に軍隊蜂の縄張りに潜り込む人もいるみたいだけど、帰ってきた人はいないらしいわ」
イリスさんも、軍隊蜂の数によっては一国の軍隊に匹敵すると言っていた。
そんな魔物の住み処に侵入したら、戦闘は避けられない。
軍隊蜂が繁殖していたら、確実に犠牲者が出るだけでなく、見つかったら逃げることは不可能だろう。
「軍隊蜂の詳しい話を聞くと、スプーン一匙で金貨十枚は安い気がしてきたよ」
「でしょう? それを安全な形で手に入れられるなんて、すごいことだと思うわ。どんな方法で手に入れたとしても、素材の価値が変わることはないんだもの」
確かにアーリィの言う通りだ。
現役の冒険者から直接話を聞くと、説得力が違う。
「だから、私は軍隊蜂の蜂蜜を使ったジュースを治療薬として扱うべきだと思うの。実際に頭がスッキリとしてるし、体の不調も改善してる。手にもしっかりと力が入るようになって、順調に回復しているように思うわ」
手を閉じたり開いたりして、自分の感覚を確認するような仕草を見せるアーリィを見て、俺は疑問に抱いていたことを思い出した。
「一つだけ確認しておきたいんだが、ウルフと戦っていた時、手を震わせていたよな。あれは何が原因だったんだ? 貧血を起こすほど傷口は酷くなかったぞ」
「えっ?」
どうやら本人も貧血による症状だと思っていたみたいで、不思議そうな顔をしていた。
「……てっきり血を流しすぎたものだと思っていたけど、そう言われてみると違うみたいね。仮に貧血だったら、回復するまでにもっと時間がかかるはずだもの」
「やっぱりそうだよな。防具に付着していた血の多くは、ウルフの返り血によるものだと思ったんだ。だから、傷口を洗浄するような軽い処置に留めておいたぞ」
怪我人を治療するなんて初めての経験だっただけに、対処法を間違えていなくてよかったと、俺は安堵する。
一方、アーリィは布団をバッとめくって、治療した部位を確認して、すぐに頬を赤くしていた。
「ご、ごめんなさい。私、怪我が多いから、見苦しい足だったでしょ……」
冒険者として生きる限り、怪我は付きものだと思うが……。
女性としては、肌が傷つくことに悩んでいても不思議ではない。
そのため、アーリィが恥ずかしそうに足を隠したことで、一気に気まずい空気が流れてしまう。
「別にそうは思わないが……、こっちこそ配慮が足りなくて悪かった。治療の詳細を伝えられても、嬉しいことではないよな」
「ううん、治療してくれてありがとう。ただ、忘れてほしい、かな」
「わかった。努力するよ」
「うん……」
意図したことではなかったとしても、年頃の女の子に対して、もっと気遣うべきだったのかもしれない。
もしかしたら、これはセクハラ発言に該当するのかもしれない……と焦っていると、アーリィが何かを思い出すようにハッとした。
「そういえば、ウルフに襲われる前に、変な三人組の盗賊を倒したの。その時の戦いで付着した液体が毒だった可能性があるわ」
「変な盗賊……?」
「ええ。クレアと一緒に街道を歩いていたら、すれ違いざまにお酒を入れるボトルを振り回してきた人がいたのよ。すぐに不敵な笑みを浮かべて、その人たちに囲まれたから、盗賊だって気づいたんだけどね」
「……その話、俺が聞いても大丈夫なやつか?」
「構わないわ。勝ち誇っていた割には弱くて、変なことをされる前にやっつけたもの」
話を聞く限り、盗賊が使用した液体が毒だったと判断して間違いないだろう。
毒で体の自由を奪おうとした結果、思っていた以上に即効性がなく、返り討ちに遭ったんだ。
俺はセクハラ発言をしたと悩んでいたというのに、まったく……。どうしようもない連中だな。
とても悪質な変態集団だけに、救いようがないぞ。
もしかしたら、アーリィを治療する際、クレアが誤解して過度な妄想を繰り広げていたのも、それが原因だったのかもしれない。
「でも、近くに盗賊の仲間がいたんだと思うわ。仲間を呼ぼうとして、笛を吹こうとしていたみたいだから。まあ、その笛が壊れていて、音が鳴らなかったんだけどね。その代わりにウルフが現れたから……ここまで逃げてきた形かな」
「じゃあ、その毒と思われる物質は、軍隊蜂の蜂蜜で中和されたんだな。確か、解毒作用があったはずだ」
「やっぱり薬剤として使われるだけのことはあるわね。で、でも、おかげさまで落ち着いたみたいだから、もう治療する必要はないと思うわ。その……すぐに返せるほど、蓄えは多くないし……」
最後にボソッと呟いた言葉が、アーリィの本音なんだろう。
治療費を払う意思はあるものの、金に困っている様子だった。
ただ、軍隊蜂やトレントの爺さんのおかげで莫大な富を得られると知った俺には、治療費なんて些細なこと。
逆に、彼女のように道徳心がある人を味方につけて、平穏な暮らしを手に入れたいと思っている。
「じゃあ、治療費を免除する代わりに、しばらく依頼を引き受けてくれるのはどうだ?」
「それはダメだって言ったでしょ。治療費と依頼の話は別もの。私は高額な治療費を免除されるほどの依頼をこなせる冒険者じゃないんだから」
「いや、違うんだ。そもそも、俺の依頼を引き受けてくれそうな人がいないんだよ」
「……どういうこと?」
「たとえば、軍隊蜂の縄張りで仕事を手伝ってほしいと言われて、依頼を受けたいと思うか?」
「絶対に嫌だわ。命がいくつあっても足りないもの」
「だろう? だから、治療費を免除したとしても、依頼を引き受けてもらいたいんだよ」
複雑な表情を浮かべたアーリィは、軍隊蜂と共に過ごす生活に抵抗があるみたいだ。
高額な治療費を払うべきか、危険な地で依頼をするべきか、頭を抱えている。
「私一人で決められる内容ではないわ。クレアと相談させてほしいの」
「別に構わないが……。本人は、住み込みで働く気満々だったぞ」
「~~~!!」
衝撃の事実を聞かされ、声が出ないほど驚いた様子のアーリィだったが……。
スヤスヤと眠るクレアの寝顔を見て、観念するように肩を下ろした。
「私とクレアの命を保証してくれるなら、しばらくお世話になるわ」
「助かるよ。もしどうしても耐えられないようであれば、声をかけてくれ。その時はさすがに引き留めはしないから」
「別にいいわよ。引き受けた依頼を投げ出す方が嫌だもの」
少し強引だったような気もするが、信頼できる協力者を得られてよかったと、俺は胸をなでおろすのであった。
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