第34話:冒険者、イリスさん
冒険者ギルドで気まずい再会を果たした俺たちは今、イリスさんに連れられて、彼女のおすすめのパン屋さんに訪れている。
広々とした店内には、バゲットや食パン・ベーグルのようなものが並べられていて、おいしそうなものばかり。
外にまでパンの香りが広がっている影響か、大勢の人で賑わっていて、とても繁盛している様子だった。
そんな数々のパンを焼いている職人さんは、髭を生やした
コック帽をかぶる姿にギャップがあり、作られたばかりであろうパンを持ち運ぶと――、
「おいっ、おめえら! これは焼き立てのバターミルクパンだ! 時間が経つと冷めるぞ!」
などと、当たり前のことを大声で叫んだ後、店内に引っ込んでしまった。
焼き立てのパンに大勢の人が引き寄せられているため、とても人気のあるパンなのは、間違いない。
頑固な職人気質の方がパン屋さんを営んでいるなんて、絶対にどのパンもおいしいやつだと思った。
そんなこんなでおいしそうなパンを購入した後、俺たちは飲食スペースに足を運んで、腰を下ろす。
まずは、店主が勧めていたバターミルクパンをいただくことにした。
「うおっ、思ったよりもバターの香りがいいな」
口に入れた瞬間、芳醇なバターの香りが広がり、濃厚な風味を感じる。
しかし、パンを噛み締める度にミルクの優しい甘みが溢れ出すため、くどく感じることはなかった。
「トオル。これ、今朝のパンと同じくらいおいしいよ」
「そう言ってもらえると嬉しいな。このパン、見た目以上に手が込んでいる気がするぞ」
街まで歩いたことでお腹が空いていたのか、クレアは無我夢中になって、パンをパクパクと食べ進める。
一方、パンをつまんで食べるイリスさんは、モジモジしていた。
「先ほどは恥ずかしいところを見られてしまったわね」
やっぱりイリスさんは、冒険者ギルドでの出来事を気にしていたみたいだ。
まさか自分の正体を知っている人に見られるなんて、夢にも思わなかったんだろう。
「冒険者活動は、熱心にされているんですか?」
「時折よ。でも、最近は活動頻度を増やしているの」
「意外ですね。あまりそういう仕事はされないものだと思っていました」
自分が管理する世界とはいえ、女神様が直接干渉するとなると、大きな影響を与えるような気がする。
「なんて言えばいいのかしら。今は管理者として見守るよりも、冒険者として活動した方がいい時期なの。時代が流れすぎた影響もあって、最近は存在を忘れられがちなのよね」
少し寂しそうな表情を浮かべるイリスさんは、懐かしむように遠い目をしていた。
昔は多くの人が女神様を信仰する時代があったのかもしれないが、街を歩いた限り、今はその面影がまるでない。
女神様の名前や銅像なども見かけないし、祈りを捧げるような人や教会も見当たらなかった。
逆に考えれば、それが原因で女神としての力が失われつつあり、冒険者活動を余儀なくされているのではないだろうか。
「ま、まあ、今回は息抜きみたいなものね。毎日仕事ばかりしていては、息を詰まらせてしまうわ。少しくらいは良い思いをして、リフレッシュするべきなのよ」
……俺の考えすぎかもしれない。
人々に称賛されることで気持ちよくなったイリスさんが、浮ついた気持ちでいることには変わりなかった。
「ところで、その子はどうしたの? 子供に手を出すのは、いけないことよ」
「安心してください。そんな趣味はありませんから」
「わかっているわ。でも、普通に考えて、わざわざ小さな女の子と共に行動しないでしょう? だから、少し気になっているのよ」
イリスさんに詳しい話をしたいところだが、クレアに関することを伝えようとしたら、街中で魔物の話をしなければならない。
冒険者ギルドならともかく、飲食店で話すべき内容ではないと思った。
「簡単にお伝えすると、クレアは協力関係にある子ですね。しばらくは共に行動する予定なので、街まで一緒に買い出しに来た形です」
「街まで一緒に、ね。腑に落ちないところはあるけれど……まあ、いいわ。女の子同士の方が買いやすいものもあるなら、私も協力するわね」
「助かります」
すでにアーリィとクレアの分の買い物を建て替えることは、了承している。
しかし、そういった店に同行するわけにはいかないと思っていたから、ありがたい申し出だった。
ただ、イリスさんにも別の思惑があるみたいで、目の色が変わっている。
「女の子なんだから、ちょっとくらいはおめかししてもいいわよね?」
キラーンッと目が光るイリスさんは、すでにクレアに照準を定めていた。
可愛い子には旅をさせよ、ならぬ、可愛い子には着替えさせよ、という雰囲気である。
どうやら女神様であるイリスさんは、男女や年齢など関係なく、人間のことが好きみたいだ。
異世界転移を果たした俺のことも、未だに気にかけてくれているくらいだからな。
「ちょうど大きな収入を得たところなので、使いすぎなければ大丈夫ですよ」
「高価なものを買うつもりはないから、気にしなくてもいいわ。リボンや生地を少し購入して、お裁縫するだけだから」
「……そういうスキルも持ち合わせているんですね。じゃあ、その間に買い出しを済ませておくので、互いに用事が終わり次第、街の外で合流しましょう」
「わかったわ。できるだけ早く連れて行くわね」
「お願いします。クレアもそれでいいか? 嫌だったら、別に断ってもいいぞ」
「えっ? ……う、うんっ。大丈夫だよっ」
パンを食べることに夢中だったクレアが、まったく話を聞いていなかったとわかった瞬間なのであった。
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