第30話 ステンドグラスの輝き

 次の日の朝、依頼主のベンノ少年は、豆田とシュガーを連れて、父親が営むステンドグラス屋に向かった。

 

 ステンドグラス屋『光の工房』は、首都コルトの町外れの森に入ってすぐの場所にある。

 

「豆田さん。お姉さん。もうすぐだよ!」

「結構、歩いたな。馬車を頼めばよかった」

「30分くらい歩いただけじゃない」

「ま、この陽気のお陰で、まだコーヒーが冷めてないのは良いが……」

「ベンノ君。お家に入ったら、キッチンをお借り出来ないかしら?」

「大丈夫だよ! お父さんにすぐに言うね! あ、僕のお家、見えてきたよ!」

 

『光の工房』の敷地の入り口には、大きなナラの木が一本植わっている。

 薪が大量に積まれた庭を抜けると、平屋の建物が見えてきた。

 漆喰の壁に、窓にはステンドグラスがはめ込まれ、メルヘンチックだ。

 

 玄関のドアの上には、『光の工房』と、グロアニアの共通語で書かれた看板がある。

 その看板もステンドグラスで出来ていて、文字が浮かんで見える。

 

「可愛い建物ねー。それにステンドグラスって、こんなに輝くのね。初めて見たわ」

「綺麗でしょ! 僕のお父さんのは、特に凄いんだけどね! この窓のステンドグラスも全部僕のお父さんの作品なんだ」

「凄いわ!! 文字が浮いて見えるのは、ベンノ君のお父さんの『こだわリスト』の力で浮いてるのよね?」

「もちろん、そうだよ。素敵でしょ!」

「ホント、素敵……。いつまでも見ていられるわ。ねー。豆田まめおもそう思うでしょ?」

「透けている。透明。硬質……」


 豆田はステンドグラスを見つめながら、自分の世界に入っていってしまった。

 

「豆田まめお!! 嘘でしょ! 仕事中よ! ねー。話を聞いて!」

「やはり、この透明度が大切かぁー。不純物を取り除く技術、そして、硬め方……。なるほど……」


 豆田の耳にはシュガーの声が聞こえていないようだ。シュガーは、絶句の表情。

 

『カランカラン』


 玄関の扉が開き、ベンノの父親が顔を出した。

 

「あ、お父さん! ただいま!!」


 ベンノは、父親に抱き着いた。


「ベンノ。こちらの方は……。まさか」

「あ、初めまして、ベンノ君の依頼でこちらに来ました。豆田探偵事務所のものです」

「うっそだーーーー!!!!」


 ベンノの父親は、おでこに手を当て、満面の笑みを浮かべながら、大声をあげた。

 

「え? そんな! 豆田さんが家に来てくれたんですか? えー? 本物ですか?」

「お父さん! このお姉ちゃんが豆田さんを説得して連れてきてくれたんだ」

「ホントですか? ありがとうございます!」


 父親は、頭を深々と下げる。

 

「あのー。すいません。お喜びのところ、申し訳ないのですが、豆田は今、あんな感じで……」


 シュガーは、ブツブツと呟く豆田を指差す。

 

「うわー!! なんて幸運なんだ! まさか煩悩の極みを見られるなんて!!」

「え? 煩悩の極み?」

「えー?? 知らないんですか? この国の『こだわリスト』達の間では、超有名なんですよ!!」

「そうなんですか?」

「そうですよ!! 武道の達人がたどり着く、無我の境地ってあるでしょ? あれの完全に逆なんです!」

「無我の境地の逆?」


 シュガーは首を傾げた。


「そう! 煩悩を極めし者がたどり着いた境地。煩悩の境地。の、さらに先。煩悩の極みです」

「あれが?」


 シュガーは、豆田を指差す。

 

「いやー。凄い物を見れたな。凄い!! 近くで見ていいですか?」


 ベンノの父親は、豆田の横に立つ。

 

「凄い! 見てください。私がこんなに近づいても、気付いてないですよ! 凄いなー。憧れる」

「そんなに凄い事なんですか?」

「そりゃ凄いですよ! こんなに夢中になられてるんですよ。この後、どんな閃きが待っているかと思うと、堪りませんね! あ、さー。中にどうぞ」

「ありがとうございます。豆田まめお。中に入るわよ」

「煩悩の極みの間は、聞こえないですよ。中でしばらく待たれたほうが……」

「あ、大丈夫です! 豆田まめお。建物の中にもっと素敵なステンドグラスがあるって!」

「ん? シュガー!! それはいい事を聞いた。すぐに中に入るぞ!」


 ベンノの父親は、シュガーを見て驚きの表情を浮かべる。

 

「ふふ。都合の良い事は、聞こえるみたいで」

「あなた凄いですね!! 豆田さんを操るなんて! お名前は?」

「あ、アシスタントのシュガーです」

「シュガーさんですか、よろしくお願いいたします」


 ベンノの父親は、シュガーにも尊敬の眼差しを向ける。

 

「ささ。入って下さい。すぐにお茶を用意しますね」

「あ、キッチンをお借りして良いですか?」

「是非使ってください。え? もしかして、コーヒー! うわー。豆田さんがコーヒーを淹れるところを見れるなんて!」

「豆田まめお。新しく淹れたコーヒーを飲みながら、ステンドグラスを見たら、さらに素敵じゃない?」

「……。ん? シュガー。流石だ。そうだな。コーヒーを淹れるとしよう。しかし、このガラスの透き通り方は素晴らしい。どうやって、作っているんだ?」

「あ、それはですね。まず、石灰石と、砂、ソーダ灰を……」

 

 豆田とベンノの父親は、ガラスについて話ながら、キッチンに消えて行った。

 

「ふー。一時はどうなるかと思ったけど、ここまでは何とかなったわね!」

「お姉ちゃん。ありがとう!」


 ベンノは、シュガーに満面の笑みを見せる。

 

「ベンノ君。問題はココからなのよー。あの状態の……。煩悩の極み? の状態の豆田にどう依頼を解決してもらうかが難しいわよねー」

「あ、そっか。お父さんが、喜ぶのを見て、嬉しくなっちゃったけど、それだけじゃダメだもんね。怖い人を何とかしてもらわないと……」


 ベンノの顔に深刻さが戻る。

 

『カランカラン』


 玄関の扉が開き、そこから白い祭服をきた男が現れた。短髪に整えられた顎ヒゲ。

 その姿を見たベンノのは、警戒しシュガーの陰に隠れた。

 

「あれー。まだお客さんがおられたんですね。まー。すぐにいなくなりますが……」


 そう言うと祭服の男は、腰の後ろに手を回し、大きく息を吸いこんだ。

 

「代金は支払ったんですから、商品を渡しなさい!!!!」


 祭服の男は、大声で怒鳴る。


「いいですか?! ステンドグラスを貰うまでは、毎日来ますよ!!!!!」


 空気がビリビリと振動した。


「帰ってよ!! もう来ないでよー!!」


 ベンノの半ベソをかきながら訴える。


「ダメですよ! ステンドグラスを手に入れるまでは!」

「あなた! 何の為にここまでするの?」


 シュガーは、祭服の男に鋭い目を向ける。


「お客さんは黙ってなさい!!!!」


 祭服の男は、片手を振りかぶり、シュガーを平手打ちしようとする。


「ま、待て! 待ってくれ!!」


 ベンノの父親がキッチンの奥から出てきた。


「あー。いたのですね」


 祭服の男は、振りかぶっていた手を下ろす。


「で、ステンドグラスの用意は出来ましたかな?」

「ま、まだだ。それに代金は貰ってない! 置いてきたじゃないか」

「知りませんねー。置かれたのは本当ですか?」


 ベンノの父親は口を手で押さえ、下を向く。

 シュガーの位置からは、口元が笑っているように見えた。


(え? 何で?)


「渡す気がないなら、仕方ないですね。手荒な事はしたく無かったんですが……」


 そう言うと、祭服の男は、懐から銃を取り出す。

 ベンノとシュガーの顔に緊張が走る。


 その時、


「透明。硬質。ガラス。熱……」


 キッチンの奥から豆田がコーヒーを片手に現れた。祭服の男は、それにすぐさま気付く。


「豆田まめお! 危ない!」


 シュガーの言葉が豆田に届くよりも速く祭服の男は、豆田に向かって発砲していた。


『パシン!!』


 大きな音が鳴る。


「良いか? 歯向かうとお前たちもこうなるぞ!!!」


 祭服の男は、ベンノと父親に向かって怒鳴る。


「あ。そうか。温度が大事だな……。つまり」


 豆田は無傷のまま何事もなかったかのように、体験用のテーブルに座る。


「なんだ? 確かに当てたはずだが?」


 祭服の男は、混乱し銃を思わず確認してしまう。

 ベンノの父親は、身体を更に丸めて、口元を押さえている。


(ベンノ君のお父さん。思いっ切り笑ってない?)


「ん? まーいい。もう一度打てば良いだけだ」


『パンパンパンパン』


 祭服の男は、豆田に向かって、残り弾すべてを発射した。


『ガチャ』


 祭服の男は、銃を装填し直す。


「こうなりたくないだろ? 早くステンドグラスを渡せ! 渡せ!!!!!」


 祭服の男は、ベンノの父親に向かって、大声で叫ぶ。

 ベンノの父親は、必死に爆笑するのを堪えている。


(凄いわ。今までで一番緊張感がないわ)


 シュガーもベンノの父親の反応を見て、冷静さを取り戻す。


「そうか!! 来たかいがあるぞ! これを応用すれば……」


 豆田の声が部屋に響く。

 その声を聞いたベンノと祭服の男は、目を丸くし、口を大きく開く。


「なんだコイツは!!」


 驚きつつ祭服の男は、豆田に近づくと、銃口を頭に向け、至近距離から発砲する。


 その瞬間。

 ベンノは不思議な光景を目撃する事となる。


 コーヒーカップから、小さな折り紙のようなコーヒーシールドが素早く浮かび上がる。

 祭服の男が放った弾丸をコーヒーシールドは受け止め、キャンディーのように包みこむ。


 包み込まれた弾丸は、その場に落下した。


 この一連の動作は、自動で行われ、豆田の意識にのぼらない。


 ここでベンノの父親は、我慢できず笑い出す。


「フハハハハ!!! やった! こんなに近くで、煩悩の極み。防御の型を見られるなんて!」


 ベンノの父親は、感無量の表情を浮かべる。祭服の男は、豆田に向けていた銃口を降ろし、ベンノの父親の横に立つ。


『ゴリッ!』


 祭服の男は、はしゃぐベンノの父親の頭に銃口を当てた。


「盛り上がっているところ悪いが、つまりアイツは無敵だが、あんたは死ぬってことだな?」

「あ、えーっと。そうなりますね」


 ベンノの父親の表情から、笑みは一気に消え、冷や汗が出る。


「お父さん!!」


 ベンノは父親を助けようと、祭服の男の腕に掴みかかる。

 祭服の男は、それをいとも簡単に、躱すと、左手でベンノの首を鷲掴みにする。


「苦しい!!」


 ベンノは、祭服の男の手をほどこうとするが、ビクともしない。


「ベンノ!!」


 ベンノの父親は、血相を変えて、ベンノの名前を呼んだ。


「いいか。今すぐステンドグラスを用意しろ!! さもないと子供の首を折るぞ!!」


 祭服の男は、更に左手に力を込める。


「ぐうう。苦しい」 


 ベンノの顔は苦痛で歪む。


「待てよ。この考えは、コーヒーに応用できそうだ……」


『煩悩の極み』中の豆田の視界には、ベンノ親子の様子は入っていない。


(どうしよう。シュガー。考えるのよ)


 シュガーは、この状況を打開する術を模索する。


(あ、そうか)


 シュガーは何か閃いたようだ。


「豆田まめお! ベンノくんが持ってるステンドグラスの体験キット。悪い人に取られそうよ!」

「ん?」


 豆田はシュガーの言葉を聞き、視界を祭服の男に向けた。


 祭服の男は、慌てて銃口を豆田に向ける。


 が、もうその手元には銃は無かった。


 豆田は祭服の男を確認した瞬間、状況を把握し、すぐさまコーヒー銃の弾丸を走らせていた。


「え?」


 銃が手元から消えたことを把握しきる前に、祭服の男は、威力を押さえたコーヒーの弾丸に眉間を打ち抜かれていた。


 祭服の男は、天を仰ぎ、膝から崩れ落ちる。


 ベンノ親子とシュガーは安堵の表情を見せそうになった瞬間。

 豆田はすぐさま行動に出る。


「ベンノ少年。ステンドグラスの体験キットを!」


 三人の時が一瞬止まる。


「えーっと。あ、あの棚に入ってます。取ってきますね……」


 ベンノは一気に冷静になり、ステンドグラスの体験キットが収納された棚に向かう。

 ベンノの父親は、以前放心状態。


「豆田まめお」

「シュガー。どうした?」

「この人、どうしたらいい?」


 シュガーは祭服の男を指差す。


「あー。とりあえず少し調べてから警察に突き出すか……」


 豆田は立ち上がると、気絶している祭服の男に近づく。


「年齢32歳。身長165センチ。右利き、顎ヒゲ……」

 豆田は犯人の身体を調べて行く。


「ん? 首に槍と竜のエンブレムのタトゥー? どこかの組織か?」

「豆田まめお。もしかしてアギトの人?」

「いや、アギトのメンバーはタトゥーをしていない。違う組織だな。念の為にクロスに連絡しよう」

「分かったわ! ベンノ君。電話を借りられるかしら?」

「あ、そこの壁に付いてます! 使ってください」

「ありがとう!」


 シュガーは壁に取り付けられた黒電話を使いクロスの働く警察署に連絡を入れる。


「シュガー。助かる」

「豆田まめお。この後、どうする? クロスさんが来るまで待つ?」

「クロスはどうでもいいが、私はステンドグラスの体験がしたい」


 シュガーは、呆れて溜息をつく。


「ベンノ君。お願いできるかしら?」

「もちろんです!」

「ベンノ少年。よろしく頼む」


 そう言うと、ベンノの指導の下、体験会が始まった。

 シュガーは祭服の男が目を覚まして暴れないように、持参したロープで拘束する。


 放心状態だったベンノの父親は、ゆっくりと起き上がると、シュガーの元までやってきた。


「シュガーさん!! あなたのお陰で助かりました!! 本当にありがとうございます」

「え? 解決したのは豆田ですけど……」

「いえ、あなたがいなければ、私達親子は死んでました! なんとお礼を言えば良いか」


 ベンノの父親は、泣き出してしまった。


「お力になれて良かったです……」


 シュガーの瞳も潤む。


(私が人に感謝されるようになるなんて……)


 直接、ここまで感謝の言葉を貰ったのは、シュガーの人生の中で初めてだった。

 シュガーは喜びをかみしめる。


「シュガー! ここは緑が良いと思わないか?」

「えー。豆田さん。そこは青色だよ」


 体験中の豆田は、ベンノの言葉に納得できない様子。


「シュガー。見てみてくれ!」

「はいはい。見に行きますね。ベンノ君のお父さんもお願いします!」


 ベンノの父親は、頷くとステンドグラスの体験会に合流する。


***


 グロアニア王国の町はずれにある建設中の教会の一室。

 礼拝堂には、中央の通路を挟んで、左右に3人掛けの椅子が10脚づつ並んでいる。

 正面中央の壁には、槍と竜のエンブレムが大きく描かれている。


「ついにここまで来たか……。いよいよだな」


 エンブレムを見上げる司祭が、そう呟いた。


「司祭様!」


 シスター風の女が礼拝堂に入ってくる。


「なんだ? シスターエッダ」

「司祭様。キジマは失敗したようです」

「なに? ステンドグラスを確保できなかったのか?」

「はい。そればかりか。この国の警察にも捕まったみたいです」

「なんだと! それはマズイ。すぐにキジマの暗殺命令を出せ!」

「はっ!」


 シスターエッダは、一礼し礼拝堂を後にした。


「こうなってしまっては、ステンドグラス以外の方法を探すべきだな……」


 司祭は険しい顔で槍と竜のエンブレムを眺めた。

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