第8話 アシスタント 2 日目

 小鳥のさえずりが聞こえる中、シュガーはフカフカのベッドの上で寝返りをうった。

 ぼんやりとした意識の中、遠くの方で『カリカリカリ』と豆を挽く心地良い音が聞こえてきた。コーヒーの甘い香りが、ロフトのベッドで眠るシュガーの元まで、うっすら漂ってくる。


(あれ? ここは? そっか……。私、逃げ出して来たんだ)


シュガーは、昨日の事を思い出し、視界が滲んだ。


(ワイル博士。私、頑張るからね......)

 

 決意を固めたシュガーは、ベッドから起き上がり、髪の毛を手ぐしでとかし、現状の把握に努めた。

 どうやら、ここは昨日の家のロフト部分らしい。下のフロアを覗き込むと、昨日の帽子男がキッチンでコーヒーを挽いている。 コーヒーの香りは、あそこから漂ってきているようだ。


  (豆田まめお。私立探偵。敬語は禁止。コーヒーの『こだわリスト』)


 身なりをパっと整えたシュガーはベッドから腰を上げ階段に向かった。下のメインフロアに降りるには、まず 7 段の階段を降り、次いで四角い窓がある短い廊下を進み、再度階段を降りる。 メインフロアに降り立ったシュガーは、豆田に声をかけた。


「おはよう!」

「ああ。おはよう! 良く寝れたか?」


 豆田は豆を挽く手を止め、シュガーに尋ねた。


「ええ。疲れていたのか、ぐっすり」


 シュガーは、軽く微笑んだ。 豆田は微笑み返すと、手慣れた手つきでコーヒーを再度挽きだした。


「豆田まめおが、ロフトのベッドまで運んでくれたの?」

「ああ。昨日は、よっぽど疲れたんだろ。晩御飯の後、ソファーで寝てしまっていたからな。とりあえずベッドに運んどいた。今後はロフトを自由に使ってくれ」

「自由に?」

「ああ。住む所が見つかるまでは、住み込みで働いた方が良いだろ?」

「住み込みで働いていいの?」

「ああ。昨日の様子だと、またいつ追手が来るか分からないだろうし、しばらくはその方が安心だろ?」

「ありがとう。本当に……。あの……。私の事、話していい?」

「ああ。構わない」

「まずね。シュガーって言うのは、本名じゃなくて、コードネームなの」

「ん? それは、どういうことだ?」

「幼少期に連れ去られて、ある施設に無理やり入れられたの。そこでシュガーの名前を与えられたの。3歳くらいだったと思うの。お母さんの顔は何となく覚えてるんだけど、自分の名前は思い出せなくて……。だから本当の名前は分からないの」


 豆田は、眉をピクリと動かすと、フィルターをドリッパーにセットし、挽いた豆を入れた。


「そうか……。その研究所どこにあるんだ?」

「わたし自身もどこにあるのか、良く分からないの。同じ部屋にずっと閉じ込められていたようなものだから……」

「同じ部屋にずっとか……。シュガーは、そこでは何をしていたんだ?」

「私は、数人いた博士達の通訳と、その身の周りのお世話をしていたの」

「ほう。その博士たちは、どんな研究をしていたんだ?」

「それも私にも教えられてないの……」


 シュガーは何も知らない自分に改めて気付いた。


「なるほど。つまり、何かを研究しているか、作っている施設から、逃げ出したと、いう事か?」

「そう……。そうね」


 シュガーは、思いつめた表情を見せた。


「どちらにせよ、銃を持ってシュガーを始末しようと追いかけるくらいだ。まともな研究ではないな。で、シュガーは、今後どうするんだ? 何か決意が滲んでいるように見えるが?」

「あの、実はワイルって言う博士から、琥珀色の目を持つ青年を探すように言われたの」

「あー。昨日言っていた琥珀色の目を持つ青年か」

「その人に、このペンダントを渡して欲しいと頼まれているの。それが世界を救う事になるって……」シュガーは胸元のペンダントを見せた。

「世界を救うか。大きな話だな」

「豆田まめおは、何か知ってる?」

「残念ながら、琥珀色の目を持つ青年には心当たりがないな……」

「そう……」シュガーは、明らかに落胆した表情をみせた。

「まー。アシスタントシュガーの頼みだ。仕事の合間に、琥珀色の目を持つ青年の情報も探してみる事にしよう」

「ホントに!! ありがとう!」シュガーの表情が一気に明るくなった。

「で、シュガー。ここでの名前は、どうする?」

「それは……。シュガーのままが良いかな……。博士達に呼んで貰っている内に、この名前が好きになってきていたところだし……」

「分かった。では、シュガーのままで行こう。改めて、シュガー。宜しく頼む」

「豆田まめお。任せて。じゃー。まずはアシスタントのお仕事に慣れないとね! 色々教えて欲しいだけど、豆田まめおの仕事は、昨日みたいに大変な事件が多いの?」

「いや、昨日のような『こだわリスト』を相手にした仕事は珍しい。普段は簡単な仕事の方が多いな」

「簡単な仕事?」

「ああ。落とし物を探したり、猫を探したり、身辺調査や、ボディーガードとかだな。探偵と 言うより、便利屋と言う方が近いかもしれない」

「そうなんだ」

「ただ客は、変わった客が多い」


(それって、豆田まめおが、変わっているからじゃ……)


 と、言いかけたが、シュガーは言葉を飲んだ。


「そうなのね。で、今日のお仕事は?」

「今日は、朝から一件依頼が入っている」

「どんな依頼?」

「無くし物を探して欲しいらしいが……」

「らしい?」

「ああ。何を探して欲しいのか、電話で尋ねたが良く分からなくてな。ま、ここに来るから、その時でいいかな? と」

「詳しい話はここで聞くのね! 少しワクワクするわね」

「そうか? では、アシスタント2日目最初の仕事として、依頼内容を聞き出して貰おうか」

「そんな、簡単な事でいいの?」

「ああ。少しづつ仕事を覚えてくれたらいい」

「分かったわ。任せて!」


 食事を済ませて、コーヒーを飲んだ 2 人は、仕事の準備を始めた。


***


『キキキー』玄関扉が開く音が聞こえると、豆田は目をつぶり、階段の音に集中した。


「身長 153 センチ。細身の女性。体重計 48 キロ。腰と膝に軽度の痛み。左利き。年齢は70才くらいか」


 シュガーは、その豆田の言葉をメモに取った。


 豆田の読み通り、小柄なお婆さんが階段から現れた。 ピンクの帽子に、白いワンピースにピンクのパンツ。 首には重そうなネックレスがギラギラ輝いている。


「ここ探偵屋さんですよね?」

「はい。豆田探偵事務所です! お待ちしていました」シュガーがにこやかに応対する。

「ああ。そう。良かったわ。何とかたどり着けたわね」

「では、こちらにおかけになって下さい。お話をお伺いしますね」


 小柄なお婆さんは、ソファーに腰掛けた。 シュガーは、黒いバインダーとメモ用紙を持参して、お婆さんの斜め前の位置に座った。


「では、今日の依頼内容からお伺いしますね」

「そう。あのね。私って犬を飼っているじゃない……? 凄く大きいの」

「はぁ……。依頼は犬の捜索ですか?」

「あは! ミカリンはお家にいるわ」お婆さんは、大袈裟に笑った。

「では、犬ではなく、違うものの捜索ですか?」

「そうよー。でね。失くしたのは、3日前なの……。あ! 3日前って言えばね、ミカリンが、大きな箱を噛んで遊んでいてね。もう凄いの!」

「あの。何を探せばいいんでしょうか?」

「あ、そうそう。探してほしいのは……。あれ? お代いくらかしら?」

「あ。あの探すものによって、お値段が変わるのですが……」


 シュガーは、たまらず豆田に助けを求める視線を投げかけた。豆田は楽しそうに笑っている。


「あの……。少しお待ちくださいね」


  シュガーは、カウンターに座る豆田の元に駆け寄った。


「豆田まめお。話が進まないわ」と、豆田に小声で話しかけた。

「シュガー。楽しそうだな」

「楽しくないわよ。どうやって、話を進めたら良いの?」

「では、見本を見せよう!」


 そう言うと、豆田はコーヒーを片手に依頼主の斜め前に座った。


「では、続きをお伺いしてもいいかな?」


 豆田はゆっくり話し始めた。


「分かったわ。何の話だったかしら?」

「ああ。依頼の話なんだが……」

「そう! 依頼の話だったわね! もうその為にここに来たのに。でね、ここに来る前も玄関でミカリンが、凄いの!」

「なるほど。ミカリンは何犬かな?」

「ミカリンは、レトリバーよー。それでね」

「レトリバーと言えば、かなり大きいな」

「そう大きいわよ! 私が抱き着いてもビクともしないの」

「失くれた物も確か犬くらい大きい物でしたよね?」

「あなた何言ってるの?! 無くしたものは大きくないわよ。そんなに大きなネックレス見たことあるの?」

「はは。確かにそんな大きなネックレスは見たこと無いな。何色でしたっけ?」

「銀色よ! でね。それが可笑しいの。家にいたのに急に無くなったのよ」

「3日前、シルバーのネックレスが急に無くなったんだな?」

「そうよ! はじめから、そう言ってるじゃない!」


 お婆さんは、楽しそうに笑った。


(凄いわ! あの状態でも色々聞き出せるのね)


 シュガーは、豆田の聞き取りに感心した。


「3日前は、ミカリンと出かけたのかな?」

「3日前は、凄い雨の日でしょ。どこも出てないわ」

「なるほど。では、自宅の探索をメインに探すとしよう。今からお伺いしても……」

「いいわよ。お願い出来るかしら?」


 豆田は、このタイミングを逃さず立ち上がった。シュガーにアイコンタクトを送ると、帽子を被り、コーヒーを片手に外に出た。


***


「わたしのお家はココなの!」


 首都『コルト』の郊外にある大きな一軒家の前で、お婆さんは足を止めた。


「ここから、私の事務所まで結構あったぞ」

「あは! いつもミカリンと散歩しているコースだから大丈夫よ! そう! 聞いて散歩と言えば……」

「ミカリンは室内かな?」

「そうよ! こっちこっち」


 豆田はお婆さんとの会話の流れをすかさず修正すると、本題に向かった。


 お花で溢れた可愛いお庭を通り抜け、オレンジの扉を開け、お婆さんの自宅に入った。お婆さんは、お出迎えに来たミカリンを撫でまわすと、


 「ミカリンは、あっちに行っときましょうね」


 と、言いながら、右奥の部屋にミカリンと入って行った。


 犬の足洗い場が付いた広めの玄関を上がったシュガーは室内に目を向けた。綺麗に整頓された室内には、カントリー調の家具が置かれている。


「豆田まめお。ここで、ネックレスが無くなったのよね? この広い中を隅々まで探すしかないのかな?」

「シュガー。そんなことをしていたら、コーヒーが冷めてしまう」

「どうするの?」

「ここは、探偵の腕の見せ所だ」


 そう言うと、豆田は玄関の右奥の部屋に入っていったお婆さんの元に行き、何かを聞き出して戻ってきた。


「シュガー。ミカリンのオモチャ箱や、お手入れ置き、餌置き場を聞いてきた。そこから当たるとしよう」

「なるほどね」


 シュガーと豆田は、ネックレスの探索を開始した。


 探索を開始して、5分。


 豆田はミカリンのシャンプーを入れる箱の中に、キラリと光る物体を発見した。銀色のゴツゴツしたネックレスをシュガーに見せた。


「シュガー。おそらくこれだな。お婆さんを呼んできてくれ」

「凄い! もう見つけたの? すぐに呼んでくるわ!」


 シュガーは、お婆さんを急いで呼びに行った。


「あら。こんなところにあったのね! ミカリンをお風呂に入れた時ね。その時も大変だったの」

「このネックレスで間違いないな?」

「大丈夫よ! 素敵なネックレスでしょ。ミカリンが生まれた時に買ったのよ」


 ネックレスを受け取ったお婆さんは、嬉しそうに眺めながらミカリンの話を続けた。


 自宅にお伺いしてから、5 分で見つかるスピード解決だった。シュガーは豆田の観察眼と分析能力に驚いた。


「豆田まめお! 凄いわね。わたし感動したわ」

「シュガー。ありがとう。では、あとはお代だけ頂いてきてくれ、私はコーヒーが冷めないうちに帰るとしよう」

「うそ。ちょっと待って! 私が?」

「アシスタントだろ?」

「そうだけど……」


 シュガーは、お婆さんの方を見つめ、冷や汗が出た。

 豆田は、シュガーを置いてサッサと帰ってしまった。


「あら、お兄さんは帰られたのね。あのね。ミカリンが初めてここに来たのが……」


 結局、シュガーは依頼主からお代を頂くまでに2時間もかかった。

 疲労困憊になりながらシュガーは、アシスタント2日目を何とか乗り切った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る