第2話 コーヒーの香り

 先程までランチを楽しむ人で溢れていたオシャレなカフェテラスは、すっかり静まり返っていた。

 シュガーは、歩道に倒れるダリーを見て、唖然とし、固まってしまった。

 帽子男は落ち着いた様子で、コーヒーを一口飲むと、


「で、シュガー。そこでじっとしたままでいいのか? 追手はもういないのか?」と聞いた。

「え……? あ。まだいます!」


 シュガーは、ふと我に返り、そう答えた。


「で、あのー。あの人は、もしかして……」


 シュガーは、ダリーの方を指差しながら、帽子男に尋ねた。

 帽子男は片眉を上げると、


「大丈夫だ。殺していない。気絶させただけだ。アルテミス国軍の者だろ? 訳も分からない内に殺すのは流石にマズイ」と答えた。

「え? なんでアルテミス国軍って、分かったんですか?!」


 シュガーは帽子男の指摘に驚きの声をあげた。


「あの制服を見ればすぐに分かる。で、シュガーは訳アリで。軍に追われている。だな?」

「そうなんですけど……。なんで、助けて頂けるんですか?」


 帽子男は手の平をシュガーにかざし、言葉を遮った。


「あいつらか……」


 帽子男の視線の先には、銃声を聞きつけ路地から現れた長身の男がいた。


「ダリー!! 大丈夫か!!」


 アルテミス国軍の青いコートを羽織ったイフトは周囲を見渡す。路上に倒れるダリー。カフェテラスに男女の姿。イフトはその女がシュガーだと気付いた。すぐさまポケットから閃光弾を取り出し、上空に向かって放った。


 閃光弾は屋根を超える高さまで上がったあと、小さな破裂音と共にチカチカと光った。


「コレで、グラザ大尉はすぐに来る」


 イフトは無事に閃光弾が作動したことを確認すると、ダリーの元に素早く駆け寄り、とりあえず脈を確認する。その間もカフェテラスにいる男女への警戒は怠らない。

 ダリーの命がある事が分かると、イフトは少し安堵したが、次いで、そこにいるシュガーに対して怒りが込み上げてきた。


「シュガー!! これはお前がやったのか?」


 イフトは鋭い視線をジャガーに向けながら怒鳴った。コートをまくり、懐から銃を取りだすと、怒りで震える指を抑えながら、銃口をシュガー向けた。

 シュガーは、これ以上イフトを刺激しないように振り向かず、無言のまま両手を上げた。

 帽子男は、その光景を澄ました表情のまま静観しつつ、コーヒーをまた一口飲んだ。


 イフトは帽子男の場に不釣り合いな態度が癇に障った。


「なんだ? そこのお前は? シュガーの協力者か? 貴様がダリーをやったのか?!」


 イフトは銃口を帽子男の方に向け直しつつ、距離を詰めていく。

しかし、帽子男は我関せずとばかりにイフトの言葉を無視して、シュガーに話かける。


「シュガー。どうだろ? アシスタントとして、しばらく働いてくれるなら、奴を何とかするが……」


 シュガーは、少し驚いた表情を見せたが、条件反射的に、小さく頷いた。帽子男は、帽子の影で口角をあげた。


「おい! そこの男! 貴様も手をあげろ!!」イフトの怒りは頂点に達する。引き金にかけた指に力がこもっていく。

「うるさいぞ! コーヒー銃!!」


 その言葉に反応して、帽子男が持つコーヒーカップから液体がフワリと浮かび上がった。それは宇宙空間に浮遊する液体のように、丸くなっていく。

 15センチほどの大きさになったあと、大きな塊と、小さな6つの塊に分裂し、それぞれが拳銃と弾丸に形状を変えた。

 出来上がった拳銃は帽子男の右手に吸い込まれるように移動し、浮遊していた弾丸もそれに装填された。帽子男は、瞬く間に作り出したその銃を構えると躊躇わず引き金を引いた。


 イフトは、あまりにも不思議な光景に、一瞬固まるも、向けられた物が銃である事に気付き、慌てて引き金を引くが、そこにはもう自身の銃は無かった。帽子男の放った弾丸がイフトの銃を空中に飛ばしていたのだ。イフトの顔が一気に青ざめた。


「お前! それは、なんなんだ?!」


 イフトは帽子男の妙な銃とその腕に、畏怖し後退った。


「なんだ? イフト。不測の事態か?」


 低い威圧的な声がイフトの耳に届いた。閃光弾を確認したグラザが路地からやってきたのだ。


 イフトは振り返ると、


「グラザ大尉! ダリーがやられました!! おそらくあの男の仕業です」


 と、報告した。グラザの登場で、落ち着きを取り戻したイフトは、腰に携帯していたナイフを取り出し、勇ましく構えた。


(グラザ大尉が来てしまった!)


 グラザの声を聞いたシュガーは、身体が硬直していくのを感じた。


「ほう。で、イフト、貴様は今逃げようとしていたのか?」

「あ。いえ、あの……」


 イフトは必死に言い訳を考えようとした。


『ブン!!』


 グラザの裏拳がイフトの顔面に直撃し、その長身を吹っ飛ばした。イフトの身体は、通り沿いの店舗に頭からめり込んだ。


「この恥さらしが!!」

 

 グラザはもう意識のないイフトに向かって、ツバを吐いた。


 シュガーは恐る恐るグラザの方を振り返った。

 そこには、険しい顔をこちらを見る巨体があった。巨大な両腕は丸太のように太く、特注品の黒い制服ははち切れそうになっている。地面にすりそうな拳には革製のグローブと、その上に鉄製のナックルバンドが装備されていた。自分以外の人間を見下したその目に、シュガーは死を覚悟した。


「そこの帽子野郎! どうだ? 取引しないか? そこのシュガーを渡せば、お前の事は見逃してやるが、どうだ?」


 グラザは、偉そうな態度のまま柵をまたぐとカフェテラスに入ってきた。


「断る! ようやく手に入れた念願のアシスタントだ。お前に渡すはずがないだろ」


 帽子男は、目の前にあるテーブルを倒し、その陰にシュガーを目線で誘導した。


(アシスタント? 何の事だ?)


グラザはその意味を考え、後手に回る事を嫌い意図的に無視する事にした。


「では、交渉決裂という事だな……。無駄な労働は好みではないが、仕方ない。死ね!」


 と、言ったグラザは、カフェテラスのテーブルを片手で軽々と持ち上げ、帽子男に向かって投げつけた。テーブルが風を切る。

 帽子男は、最小限の動きでそれを躱すと、コーヒー銃の照準をグラザに合わせ引金を引いた。

 弾丸は、グラザの眉間に向かって真っすぐと飛ぶ。


「反撃だと?!」


 予期せぬ攻撃に、グラザは一瞬ためらうも、鉄製のナックルバンドに力を込めて、弾丸を弾いた。


『カキン! ビシン!』


 弾かれた弾丸は、車道の石畳を削った。


「フハハハ。そこから反撃した事は褒めてやるが、この程度の威力でこのグラザ様に牙をむくとは愚かな奴だ」


 そう言いながら、グラザはカフェテラスの床に向かって、巨大な拳を構えた。 


「フン!!」


 グラザは、気合いと共に、正拳突きを地面に向かって放つ。カフェテラスの床に敷き詰められたレンガが、グラザを中心に2メートルほど爆散する。グラザはその大きな手の平を目一杯広げると、宙に舞った粉塵に向かって、強烈な張り手をかました。粉塵が散弾銃の弾のようにカフェテラスを駆ける。


「これは、まずい! コーヒーシールド!」


 コーヒー銃は液体となり、黒い球体に戻った。浮遊する球体は、高速に回転し、形状を変化させていく。遠心力によって薄く引きのばされた球体は、黒いプレート状のシールドになった。

 その間、僅か0.1秒。帽子男はそのシールドを前方に展開した。粉塵がコーヒーシールドに刺さった。


「ほう。シールドにもなるのか。しかし、薄いシールドなど、グラザ様には無意味だ!」


 グラザは、そう咆えると、傍にあった鉄のベンチの座面を無理やり剥ぎ取る。それを簡易な槍に見立てると、大きく振りかぶり、投擲する。


 空を切り裂き、弾丸のようになった座面ヤリが帽子男に襲い掛かる。

 その威力をすぐさま把握した帽子男は、シールドを球体に戻しつつ、側転しそれを躱した。


 座面ヤリは、地面にめり込むと、爆音と共に粉塵を巻き上げた。視界が霞むほど粉塵は、グラザの視界から帽子男を消した。

 防戦一方の帽子男を見たグラザは、首をコキコキ鳴らすと、シュガーに向かって叫んだ。


 「シュガー! お前たちの勝ちはない! 諦めて、投降しろ!! 俺は無駄な時間が嫌いだ! 10秒やる。その間に投降しなければ、殺す!」


 グラザの言葉にシュガーは震えあがった。


「ワイル博士。ゴメンなさい。もうダメ」


 シュガーが諦めて立ち上がろうとした瞬間、砂煙の中から、帽子男の声が聞こえた。


「シュガーは、渡さん! コーヒー銃!!」


 グラザに向かって、帽子男の弾丸が飛ぶ。


「くそ!!」


 この視界の中での反撃はないと思っていたグラザは不意を突かれ、一瞬、戸惑う。


「だが、貴様の弾丸など効かん!!」


 グラザは、自身の眉間に向かって飛ぶ弾丸をナックルバンドで弾いた。

 が、その直後、強い衝撃がグラザを襲い、いつの間にか天を見上げていた。


「......? 何が起こった?」


 グラザは眉間に遅れてやってきた痛みで、はじめて撃たれた事を認識した。帽子男が放った1発目の弾丸の真後ろに、2発目の弾丸が隠れていたのだ。

 大きく仰反る恰好になったグラザだが、歯を食いしばり、なんとか気を失わずに耐えきった。


「この程度の弾丸じゃ無駄だと分からんのか!!」


 グラザは、首に力を込め、視界を戻した。が、そこには誰もいない。


「どこへ、行った!!」


 グラザは目の球をギョロギョロ動かし、帽子男を探した。


「あー。出来れば動かない方が身のためだ」


 グラザの背後から帽子男の忠告が聞こえた。


『ゾクッ』


 グラザは背筋が凍り付くのを感じた。ボタボタと冷たい汗が地面に落ちた。


(俺が恐怖しているだと?)


 グラザはそう思ったが認めたくなかった。


(そんなはずはない! まだやれる)


 自分を律したグラザは反撃の機会を探る。


「この不意打ちでも私を倒せなかった訳だ。非力とは罪だな」


 グラザは、帽子男を挑発し油断を誘った。


 帽子男は、その声を無視してグラザの横を通り過ぎると、


「シュガー。この男は無力化した。あとは先程の2人を念の為に拘束しておく。手伝ってくれ」


 と、言った。


「え?」

 

 シュガーは驚きの声をあげながら、テーブル裏から顔を出した。そこには仁王立ちするグラザの横を無防備に通りすぎる帽子男の姿が見えた。



「帽子野郎! どういうつもりだ! まだ戦いは終わっていないぞ!!」


 グラザは、理由は分からないが、明らかに油断している帽子男を背後から握りつぶそうとした。

 が、身体は全く動かない。


「な、何をした? 身体に力が入らない……」


 グラザの顔から血の気が引いていった。


「ん? コーヒー鍼を頚椎2番の奥に刺しただけだが……」


 帽子男は呆れた表情を見せた。


「何の事だ?」


 混乱しながらグラザは、震える声で聞き返した。


「説明が必要か……。簡単に言うと、コーヒー鍼を深く刺し、首から下を動けなくしたという事だ」

「うー!! ぐおおおおーー!!」


 グラザは、いう事を効かなくなった体に力を込めようと模索するが、無駄なあがきだった。帽子男は、唸るグラザを放置して、歩道で気絶しているダリーの元へ向かった。


「おい! 待ってくれ! 行くな! 元に戻してくれ」


 グラザは情けない声を出した。


「うるさいぞ。黙っていろ! 死ぬか? コーヒー銃!」


 そのセリフを聞いたグラザは恐怖のあまり、奇声を上げ、失神してしまった。


「やれやれ。握力の『こだわリスト』だと思って警戒したが、そうではなかったようだな……。ただ手がデカいだけの男か……。さ、拘束拘束っと……」


 帽子男は、ダリーの状態を確認した後、


「シュガー。もうこの場に危険はないようだ。追手は来ないかもしれないが、警戒しつつ1人づつ拘束しよう。店員さんに言って、何か紐のような物を借りてきてくれ」と、シュガーに声をかけた。

「え? あ、え?」


 シュガーは全く思考が追いつかない。


「シュガー。アシスタントになる契約だったな?」

「あ! そ、そうですね。えーっと、アシスタントの仕事ですか……?」

「そういう事だ」


 帽子男は嬉しそうに口角を上げた。

 シュガーは、まだ震える身体を動かし、カフェの入り口に向かった。ちょうどそのタイミングで、カフェの店員が扉をそっと開け、帽子男に話しかけた。


「あのー。豆田さん。戦い……。終わりましたか?」


 その表情は驚いた様子などなく、いたって普通だ。


「ああ。無事に解決出来た。あとは警察を呼んでくれるかな? あと、拘束する紐を借りたい」

「分かりましたー! すぐに電話をかけますね。あと、ヒモもすぐに用意しますね」


 急いで店内に戻ろうとする店員に帽子男は、


「あ! あと、ここの修理代とコーヒー代だが、ここから貰ってくれるか?」


 帽子男は立ったまま気絶しているグラザの懐から財布を取りだすと、店員に渡した。


「あ、ありがとうございます」


 財布を受け取った店員は扉の奥に消えていった。帽子男はシュガーの方に視界を向けた。


「あー。自己紹介がまだだったな。私は、探偵でコーヒー使いの『こだわリスト』。豆田まめおだ」

「えっと。探偵さんは、コーヒー使い? 『こだわリスト』の豆田まめおさん?」


 シュガーはその言葉を一つづつ、丁寧に復唱した後、


「え? 豆田まめおさん?」と、その名前に驚いた。


「ああ。豆田まめおだ」


 豆田は、その反応を待ってましたと言わんばかりに、自慢気だ。


「こ、個性的な名前なんですね」


 シュガーは、精一杯言葉を選んだ。


 豆田は、嬉しそうに、


「だろ? とても気に入っているんだ」と、言うと口角を上げた。


 清々しい快晴の中、パトカーのサイレンが街に鳴り響いた。

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