No.5 In the Dreams
私は、スミカさんが作ってくれたハンバーガーが美味しくて涙をこぼす。
なぜ、だろう。ただ、ハンバーガーを食べただけなのに。自分でも分からない。
「ご、めんなさい。ハンバーガーがあまりにも美味しかったから」
私はそう言って笑顔を作ってなんとか誤魔化す。
ハンバーガーを食べて泣くなんて、スミカさんも徹さんも驚いただろう。
変な空気にさせてしまったかもしれない。
けど、徹さんが気を利かせてくれる。
「凛さん……、そ、そうだよね。ハンバーガーすっごく美味しいよね。僕もそう思う」
私は、もう一度ハンバーガーを食べる。
やっぱり………、美味しい。
コーラを飲んで、ポテトも頬張る。
「いい食べっぷりね。リンちゃん。作ったかいがあったわ」
スミカさんはニッコリと笑ってそう言った。
「ええ、とっても美味しいです。スミカさん」
私は、幸せだった。
まさか"ストレイキャット"の私が、こんな美味しいハンバーガーを、口にすることができるとは、"あの家"を飛び出す前だったら考えられない。
こんな気持ちになっていいのだろうか。私は少し心配になった。
「じゃあ、ここは、僕が————」
スミカ・バーガーを完食した私を見てとると、徹さんはダウンコートから財布を取り出す。
しかし、スミカさんがそれを静止する。
「間違っているわ、トオルくん」
「……え?」
「今、マネーを払おうとしたでしょう」
「はい………」
「よく、覚えておいてね。あなた達————」
そして、スミカさんは、惹きつけるように、一瞬、間をおいた。
「シュテルンステーションでは、サービスに対価はいらない」
ニッコリと笑って、そう言った。
◇◆◇◆◇
困惑している私たちを、愉快そうに、スミカさんは話を続ける
「シュテルンステーションでは、経済が存在しないわ。つまり通貨も必要ない」
「………通貨が、必要ない?」
「つまり、あなた達の財布にある、誰かの顔入りの紙幣や鉄や銅でできた硬貨に意味はないということよ。思い出があったり、コレクションだったら別だけどね」
「…………それでは、どうすれば、」
「どうもしなくていいの。堂々として。あなた達は、ストレイキャットなんだから」
「………ストレイキャット?」
「そう。ストレイキャット。いい? ストレイキャットは寝るのにも食べるのにも、対価はいらない。それが………、そうね、界隈のルールみたいなものだから。要するに、あなた達は何も気にしなくていい。自由ってことね」
私と徹さんは啞然としていた。いきなり、そんなことを言われても上手く吞み込めなかった。
「まあ、仕方がないわね。あなた達は、まだここに来たばかり。でも、これから慣れていくはずよ。お風呂に浸かるのも、飲み物を飲むのにも、全てに対価は必要ない。それが、ここでは、普通なのよ」
まるで、困惑している私たちをからかうように、スミカさん楽しそうにこう言った。
「じゃあ、おやすみ。次は、お酒を飲みにくるのよ? それが、マナーね」
私たちは、それにあわてて応える。
「わ、分かりました。絶対、飲みに行きますから。お、やすみなさい」
「あ、私も飲みに行きます。まだ……、未成年だけど。ノンアルコールなら、だ、大丈夫」
「おやすみ! 素晴らしい夜を!」
「はい、ごちそうさまでした、ハンバーガー美味しかったです。……、おやすみなさい」
「私も、美味しかった。ごちそうまでした。おやすみなさい」
そう言って、私たちは、もとの部屋に帰るために、エレベーターに向かった。
そして、ふと振り返る。
私は………、気づいた。
「徹さん………、あれ」
「……、ん?…………えっ」
さっきまで停車していたはずの漆黒の列車—————
ミステリートレインは、跡形もなく、消えていた。
◇◆◇◇◆◇
私たちは、ひとまず部屋に戻ってこの夜を明かすことにした。
まだ、分からないことは多い。けど、お腹がいっぱいになったこともあって、眠気が訪れると、自然とベッドで眠りたくなる。
「それじゃあ、おやすみなさい。凛さん」
「はい、おやすみなさい。徹さん」
私は22号室へ、徹さんは21号室へ、眠るために帰っていた。
疲れていたせいもあるかもしれない、お腹が満たされて、幸せだったせいでもあるだろう。あまり現実的に何かを考える気にはなれなかった。ミステリートレインが、消えてしまったことには少し驚いたけど、ショックを受けたわけじゃない。それは、徹さんも同じかもしれない。
私は、部屋のドアを閉じると、もう一度、22号室の部屋全体を、呆然と眺めた。
どこにも行くことができなかった私…………、何も選ぶことができない私。
そんな”ストレイキャット”の私は、この22号室に、心をゆだねるように……
ベッドにダイブする。
「幸せ…………」
私の口からは、そんな言葉がもれる。
「夢ならさめないで」
私は、そう思うのだった。
◆◆◆◇◆◇
分厚い曇が空を覆う暗い道を、私はひたすら走っていた。パトカーのサイレン音が警告するように鳴り響く。
私はどこまでも、逃げるように走り続ける。しかし、やがてパトカーは私に追いつてしまう。
警察の人たちが両腕を掴み私を地面に這いつくばせる。
「や、めて。いっ……やだ」
気がつくとは私は”あの家”にいた。
目の前から、よく知っている女性が現れる。
「誰のおかげで、今まで生きてこられたの?」
彼女は、ベルトを首輪のように、私の首に巻き付ける。
ベルトは、息がしにくくなるように、しまっていく。
「くっ、るしい。やっ……めて」
息ができるか、できないかのぎりぎりのところまで、ベルトはしまっていく。
「はあっ………、はあ…………、い、やだ………、」
私の腕を締め上げていた警察の人たちが、私の服を脱がす。
そして、もう一度、地面に押さえつけられる。
「水道代、電気代、誰が今まで払っていたと思うの?」
彼女は、もう一つのベルトを取り出し、私の体を痛めつける。
「いっ、たい。い、やだ………、はあ…………、はあ、」
ベルトは私の背中や尻や、太ももや腕に、鞭のように打たれる。
「や、めて……」
「あなたなんかさえいなければ————」
ベルトは私の頬を強く打つ、
「……うっ、い、やだ」
そして、何度も、ベルトは肉体を強く打っていく。
「いっそのこと私が————」
そこへ、気笛の音が近づいてくる。
漆黒の列車ミステリートレインが、私の前に停車した。
母も警察も、どこにもいない。
私は、ミステリートレインの車内の光に溶け込むように、滑り込む。
そして、自分の体をいたわるように、体を抱きしめて、私は車内の席に横になる。
「もう、あそこには戻らない」
私は、ストレイキャットなんだから。
◇◆◇◇◇◇
「んっ………、ぐっ、はっ、………はあ、………はあ」
私はベッドから眼を覚ました。
「ここは………、22号室?」
自分が、22号室のベッドの上にいるということを理解するのに時間がかかった。どうやら夢じゃなかったみたい。昨日の出来事はすべて夢じゃなかった。このシュテルンステーションという不思議な場所に来たのも、徹さんと一緒に、1階のラウンジのバーでスミカさんが作ってくれたハンバーガーを食べたのも。徹さんとの会話も、スミカさんとの会話も、すべて覚えている。あれは、夢じゃなかった。
「良かった………、」
私はほっと息をもらす。
しかし、体が汗でぐっしょりとしている。
ひどい夢を見ていたせいだ、制服も、下着も濡れてしまった。
新しい着換えが必要かもしれない。それに、シャワーも浴びないと。
私はベットから立ち上がった、
「……ん?」
私は違和感を感じる。何かがおかしい。
気のせいか、少し、部屋が暗い気がする。今は、朝だよね?
私は、22号室のカーテンを開けた。
しかし、窓の外は、夜景に星空だった。
「……え? ……よ、よる?」
私は、朝を通り越して、昼を通り越して、日が沈み、夜がやって来るまで、眠りこけていたのか?
なぜ……、たしかに、昨日は疲れていたけど、そんな………、太陽が半周するまでの間、ぐっすり眠るなんて、信じられない。
……今は、何時?
しかし、22号室には時計がなかった。
ひし形の不思議な模様が折り重なった絵が、壁に配置されているだけだった。
「今は………、何時……なの?」
私がどれだけお寝坊したのか、知るすべは、この22号室には存在しなかった。
あとで、ラウンジに行こう。そうすれば、きっと今が、何時か分かるかもしれない。
でも、まずは………、この汗をなんとかしなければ。
◇◆◇◆◇
とりあえず、私は体にべっとりとした嫌な汗をシャワーで洗い流すことにした。
バスルームに入って、少し湿ってしまった制服を脱いでいく。
そして、ブラジャーとパンツも脱いでいく。
「これは……、もう着れないな」
どこかに、新しい下着と服があるといいけど…………、
シャワーのレバーを捻り、少し冷たい状態の水を手足にかける。冷たくて気持ちがいい。それから、温かくなった水で、汗を流す。体に付着してべっとりとした嫌な汗がシャワーによって、じょじょに洗い流されていく。
やっぱり…………、シャワーは、最高だ。とくに、起きたばかりのシャワーは目も覚めるし、気持ちがいい。
さっぱりとした私は、バスタオルを体に、巻き付ける。
さっきの、汗で汚れている下着や制服に着替えるわけにはいかない。
私は偶然にも、22号室のバスルームの隣に、もう一つ扉があることに気がついた。
「……これは、……?」
私は、ドアノブを捻って、その隠された扉を開ける。そこは、
「………ど、ドレスルーム?」
扉の先には、いくつもの服が並ぶ不思議な空間が広がっていた。
◇◆◇◇◆◇
まさか、22号室に、もう一つの部屋があるとは思わなかった。しかも、その空間は折よくも、ドレスルームだったのには、驚く。目の前の鏡は、私のバスタオル姿を見事に写しだしていた。
箪笥の中には、アンダーウェアが収納されている。
私は、バスタオルを脱いで、新しいブラジャーを身につけ、パンツもはいた。
「よっし、これで……、大丈夫」
しかし、私が今、着用した下着はどこか派手だった。私が、普段使う下着はどれも地味な色している質素なブラジャーとパンツだ。しかし、いま身につけている下着は、色が明るく、わずかにデザインが工夫がされている。
他に、もっとシンプルなものがないか、部屋の中を探したけど、見当たらなかった。
「まあ……、仕方がないか。これしかないらなら」
私は、鏡に写る自分の下着姿を見て、思わず身震いをする。
そこには、派手なブラジャーとショーツを身につけた女の子がいた。
「ぐっ………、ま、まあ、いいか」
こ、これ………、しかないんだから。
私は、気を取り直して、クローゼットから、ワンピースを取り出す。
しかし、よく見るとそれはオフショルダードレスだった。
そして何故か、そのクローゼットの中には、露出の多い肩が出るようなドレスしかなかった。
普通のTシャツとかスウェットのようなものはなく、どこにも見当たらない。
私が手にしているオフショルダードレスは、この部屋の中で一番動きやすく、他に比べてシンプルだった。
他のドレスは、スカートの丈が長く、身動きするのに、苦労するし、腰のラインが強調されるようなものが多い。胸元が開いているものなんか私には無理だ。
私は、そのオフショルダードレスを着用する。
「………げっ」
これが………、私なのか?
そのオフショルダードレスは、ワインレッドの生地を、つなぎ目をなくして、肩から腰へ、スカートが膝下まで伸びている。
これでも、ここにあるもので一番、地味なはずだった。
しかし………、どうしよう……、体が震えてきた。
鏡の中にいる私は、普段より、とても美人に見えた。
けど………、それは、遠くから、見たシルエットがそうさせているにすぎない。
よく見ると、私の顔は腫れている。唇の片側から血が出ている。
ふと、頭の中をよぎる。
今の私を、母が見たらどう思うだろう?
「きっと、蔑まれて、いつものように頬を何度も………」
私には…………、ドレスは似合わない。
だから、このドレスは脱がないと。
そう思った。
『——凛さーん。いますか? ……凛さん?』
遠くから、誰かの声が聞こえる。
私は、22号室の玄関に向かう。
そして、ドアを開ける。
「あっ、凛さん? ド、ドレス…………、とっても似合ってますよ」
「………えっ」
「あ……、そうだ。一緒に、お出かけしませんか? 4階の225室に、レストランがあるらしいです」
私は、徹さんと一緒に225室に行くことにした。
だって………、この姿を見られちゃったから。
もう、ドレスを脱ぐわけにはいかない。
「い、行きます。徹さん」
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