No.4 Bar & Lounge

 僕と林堂さんはラウンジに行くことにした。


 最初、21号室のドアを開けると、22号室のドアが開いて、制服を着た女の子が中から出てきたから驚いた。

 ………女子高生? なんで、ここに? 

 でも、よく考えてみれば、僕と同じでこのステーションに、迷い込んでしまった人が、もう一人いてもおかしくはない。それが、林堂さんだったのだろう。


 彼女の頬には赤く腫れているところがあって、下唇のあたりが少し切れていて血が出てている。

 僕は、彼女がどこか緊張しているような感じがしたので、なるべく気さくな調子で話しかけることにした。まあ………、僕はそういうのが得意ではない。


「林堂さんは、冷蔵庫にあるレモンジュースは飲んだ?」


「え、レモンジュースですか? それより、冷蔵庫ってあるんですか?」


「あるよ。キャビネットの隣に小さいけど冷蔵庫があるんだ。その中には、いくつものジュースがある。どれも僕らの知らない飲み物。その中のレモンジュースが、飲みやすくて美味しい」


「私も飲んでみます、そのレモンジュース」


 でも、よく考えてみると、そのレモンジュースにはアルコールが入っていた。


 僕がそのことを伝えると、


「………」


 林堂さんは、じっとこちらを見て、がっかりした表情をする。


「だ、大丈夫。冷蔵庫には他にも飲み物があったから」


「……………それは、美味しいんですか?」


「僕は、まだ………、飲んでないけど、林堂さんが飲めるオレンジジュースみたいのもあったから」


「………」


 さすがに、あのオレンジジュースには、アルコールが入っていない………、はずだ。 


 僕は、エレベーターの1階のスイッチを押した。



 ◇◆◇◇◆◇



 甲高い機械音と共にエレベーターが停止し、ドアが開くと、さっき見た光景が広がっていた。ここが………、駅員さんの言っていたラウンジなのだろう。


「え? なんで、ここに黒い列車が?」


 林堂さんは驚いたように、そう言った。


 このラウンジには、何故か漆黒の列車が停車していた。


 駅員さんは、その列車のことをミステリートレインと呼んでいた。


 まるで、プラットホームとホテルをそのままくっつけたような空間は、異質な印象を与える。


「林堂さんは初めて見るの?」


「ええ、こんなものここにありましたっけ?」


「多分……、これが、僕らが乗っていた電車なんだ」


「……え?」


「僕もよく分からない。でも………、駅員さんはこう言っていた。ミステリートレインは時間と空間を超えて、次元をまたにかけるって」


「…………?」


 林堂さんは困惑した表情を見せる。


 たしかに………、これでは説明になっていないだろう。

 僕らが、どうやってここに来たのか、ここがどういう場所なのか。

 ミステリートレインとはなにか、シュテルンステーションとはなにか。

 まだ………、僕らには分からないことが多い。

 

 でも、とりあえず………、僕らにはしなければならないことがある。


『ぐうううう』


 林堂さんは顔を赤く染める。


「あ………」


 僕は、あわてて聞こえないふりをして、先に突き進む。


 まずは………、僕も林堂さんも、この空腹をなんとかしなければなるまい。


 

 ◇◆◇◆◇


 僕らは、どこか食べれる場所がないか、ラウンジ全体を見回してみた。

 

 このラウンジには、ソファとテーブルが並ぶ休憩所のようなスペースと、もう一つバーのような場所が併設されている。カウンターには一人のバーテンダーらしき人物が、慣れた手つきでグラスを磨いてた。


 とりあえずは、あのバーテンダーさんを頼るのが一番いいのかもしれない。


 見たところ、さっき僕を21号室に、案内してくれた駅員さんはどこにもいなかった。

 ラウンジには、もう一人、ソファでくつろぐ男性もいた。けど、その人は熱心そうに新聞を読んでいたので、声をかけるのは今は遠慮したほうがいいだろう。

 あの人も………、僕らと同じなのだろうか?


「林堂さん、あのバーテンダーさんに聞いてみましょう。僕らの食欲について」


「……そ、そうですね。行きましょう」


 僕らは、バーに向かった。


 カウンターでは黒ベストの女性がグラスを磨いてた。

 彼女は、耳にピアスをしていて、薄紫色の口紅をしている。

 黒ベストには金色の猫のマークが刺繡されていた。


「あら……、さっき来たばかりのストレイキャット?」


 僕らが声をかける前に、彼女は磨いていたグラスを置いて、ニッコリと笑ってそう言った。


「…………す、すとれいきゃ?」

「………は、はい」


 僕は、ストレイキャットとは何かを正確には理解していなかった。だから、とっさに、返事できずにいた。けど、林堂さんは違ったみたいだ。

 きっと、ストレイキャットとは僕らの呼び方? 位置付けみたいなものなのだろう。

 駅員さんも、そんなことを言っていたような気がする。


「やっぱりそうね。じゃあ、自己紹介しないとね。私は、スミカ。シュテルンステーションではバーテンダーを担当しているわ。よろしく」


「よろしくお願いします。僕は、遠山徹です」

「よ、よろしくお願いします。私は……、林堂凛です」


 僕らがあいさつをすると、スミカさんはじっと僕らを見つめる。


「なんだか、二人とも固いわね」


「固い………、ですか?」


「ええ、あなたちストレイキャットでしょ? ストレイキャットにファミリーネームは必要ないわ」


「……え?」


「もしかして、お互いに遠山さんとか林堂さんとかって呼びあったりしていなわよね?」


「………(いや、そいう風に呼び合っていますけど)」

「………」


「だめね。それじゃ。お互いに、ファーストネームで呼びあいなさい」



 これは後で知ったことだが、ここシュテルンステーションには、界隈のルールなるものが存在している。

 その一つが、NOファミリーネームYESファーストネームだった。



 ◇◆◇◇◆◇


 

 まだ………、林堂さんと僕は初対面。

 いきなり名前で呼び合うなんて、陽キャみたいなことはできないと思った僕は、林堂さんのためにも、話を逸らすことにした。


「そ、それより僕らはお腹が減っているんです。何か食べたいのですが………」


「そうね。あなた達がお互いにファーストネームで呼び合ったら、手助けしてもいいわ」


「………なっ?」

「…………うっ」


 どうやら、この空腹を乗り越えるためには、覚悟を決めて、僕らは陽キャになるしかない。


「さあ、どうぞ」


 スミカさんがいたずらぽく笑う。


 僕と林堂さんは顔を見合わせる。

 

 空腹が限界に達していたこともあって、すぐに、僕らは意気投合した。


「……凛さん」

「……徹さん」


 僕らのファーストネームが、行く当てもなく、空中に放り投げ出される。

 そして、後から、気恥ずかしい奇妙な静寂が訪れた。


「よくできました。トオルくん、リンちゃん」


 スミカさんの子気味よい拍手が、ラウンジ全体に響く。


 なんとか……。認められたらしい。


 スミカさんは、愉快そうに笑っていた。



 ◇◆◇◆◇


 

「お待たせ。バーのメニューにはないけど、特別に腕を振るったわ」


 スミカさんはそう言うと、カウンターの前に、


「スミカ特製、スミカ・バーガーよ。さあ、召し上がれ」


 厚さのある牛肉が燻るハンバーガーを、豪快に置いた。


 コーラそして、ポテトもセットだ。


 僕と凛さんは、理性を失い、飢えた獣みたいに、スミカ・バーガーを手にとった。


「「……い、いただきます」」


 口からは既によだれが出ている。ビーフのいい匂いが鼻に入り込む。僕は、一口スミカ・バーガーを食べた。


「う、美味い」

「お、美味しい」


 歯ごたえのあるバンズから、トマトの酸味とレタスの甘味、そしてオニオンソースがからみついたビーフの旨味が、いっきに口に広がる。………美味しい。手を止めることができない。口の中に、いっぱいに満される牛肉を、歯と舌を使って、咀嚼していく。腹の中に、たしかな満足感がやって来る。


「美味しいそうに、食べるわね。よほど、お腹が空いていたのね」


 僕は、コーラを飲んでから、息を整える。


「はいっ、すっごく、美味しいです。最高です…………」


 僕はそう言って、ポテトを口に頬張る。


 そして、


「凛さん?」


 凛さんは涙をこらえて、スミカ・ハンバーガーをじっと見ていた。


「どうしたの? 凛さん」


 凛さんに、一呼吸おいて、そう尋ねる。


「……づ、ぐっすん。なんでもないです」


 凛さんは涙をこぼす。


「ご、めんなさい。ハンバーガーがあまりにも美味しかったから」


 そう言って、凛さんは、幸せそうに微笑んだ。


 僕は、まだ知らない。凛さんの過去を。


 その時の僕には、こう言うことしかできなかった。


「凛さん………、そうだよね。ハンバーガー、すっごく美味しいよね。僕もそう思う」 

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