No.3 Shower & Bed

 私は駅員さんに案内されて、22号室のドアの前に立っていた。


「さあ、ここが22号室。お嬢さんはこれから、この部屋を自由に使うことができるよ。よかったね」


 駅員さんはニッコリと笑った。


「じゃあ、私はお仕事があるから、もう行くね。じゃあねー」


「ちょっと待ってください。聞きたいことがあります」


 私は立ち去ろうとする駅員さんを引き留めた。


「どうして、私が”ストレイキャット”だって知っているんですか?」


「お嬢さんがストレイキャットであることは、このステーションの者なら誰でも分かるよ。それは何も不思議なことじゃないよ。ストレイキャットはたまに来るからね。このステーションに」


「………」


「大丈夫、お嬢さん。今日は偶然にも、もう一人のストレイキャットが先に来ているんだ。もし、お嬢さんが寂しかったら、目の前の21号室の扉をノックするといい。ストレイキャット同士でティータイムなんか、いいよね」


「………」


「お嬢さんは、心配することは何もないよ。ほら、とりあえず22号室でゆっくしなよ。部屋にはバスルームがあるから、熱いシャワーを浴びるのはどう? きっと気持ちがいいよ。じゃあ、私はこれで。何か困ったら、ラウンジに行くといい。みんな親切だから、きっと教えてくれるよ。じゃあねー」


 駅員さんは最後にニッコリと笑って、その場を立ち去ってしまった。


 …………たしかに、駅員さんの言う通り、熱いシャワーは気になる。


 私は、ひとまず目の前にある22号室の扉を開けることにした。




◇◆◇◇◆◇


 

 22号室は、どこかの高級のホテルの一室といった感じがした。


 生まれてから、ホテルに泊まったことがない私にとって、その部屋は私の目の色を変えた。一目見ただけで、ダイブしたくなるような真っ白いベットは、部屋の中央にあり。そのベットの横にはフロアランプが暖かい光を灯している。ここで、寝ることができれば、もう死んでもいいのかもしれない。私は、そう思った。


 私は子供のように、思わずベットに飛び出した。


「ぐへ…………」


 ふかふか……………、心地よい感触が体に返ってくる。


「幸せ…………」


 考えて、あえていった言葉じゃない。それは、口から勝手に出た言葉だった


 私はしばらく、ここがどこなのかも忘れて、ベットの心地よさに浸った。


 しかし、すぐに私は起き上がって、部屋全体を見る。


 どこにも行くことができない私は、どうやら”あの家”から、この不思議なステーションに迷い込んでしまったみたいだ。

 いずれにしても、私は結局なにも選ぶことはできない。

 

 なぜなら、私は———”ストレイキャット”なのだから。


 部屋の中にはもう一つドアがあった。


 ドアのプレートには【BATH ROOM】と書かれている。


 私はベットから立ち上がった。



 ◇◆◇◆◇


 

 バスルームはよく海外であるような、トイレと浴槽がくっついているタイプのものだった。ガラス一枚で仕切られているだけなので、なんだか恥ずかしい。誰も入ってくるわけじゃないけど、どこか開放感があって、トイレをするにもシャワーを浴びるにも緊張しそうだ。


「……いや、考えすぎかな」


 私は洗面台の前で学生服を脱いだ。


 鏡には、傷だらけの見慣れた私の体が写っている。


 全部、母によるものだ。


 その母は今頃なにをしているのだろう?


 私のことを心配しているのか、それともまったく気にしないで、眠りこけているのか。きっと、私のことなんか、なんとも思っていないのだろう。

 母は、そういう人だ。


 でも、そんなこと考える必要ないのかもしれない。ここは………、シ、シュテルンステーションらしいから。きっと…………、”あの家”からずっと遠いはずだ。


 私は、シャワーを浴びることにした。


 駅員さんの言う通り、熱いシャワーは気持ちが良かった。


 シャンプーで髪を洗い、ボディソープで体を洗った。


 時間を気にしないで、シャワーを浴びたのは、もしかしたらこれが、………初めてかもしれない。


 熱いシャワーを心ゆくまで楽しんだ私はバスタオルで体をふいて、もとの制服に着替えた。


 バスローブがあったけど、あまり使う気にはなれなかった。

 そこまで私は気分が浮いているわけではなかった。まだ、心のどこかで不安があるのかもしれない。まだ……………、ここがどこなのかよく知らない。


 しかし、私はあることに気づく。


『ぐうううう』


 そういえば…………、学校から帰って来てから、まだなにも食べていなかった。


 空腹が限界に達したみたい………………


 私は、一刻も早く何か食べなければならない。



 ◇◆◇◇◆◇


 

 私は、空腹を満たすため、22号室から出ることにした。


 駅員さんが言っていたラウンジに行けば、何か食べることができかもしれない、そう思ったのだ。

 

 しかし————


 22号室のドアを開けると、21号室のドアも開いた。


「えっ………」


 目の前から、ダウンコートを着た若い男性が現れた。


 22号室のドアと21号室のドアは、廊下を挟んで、対になるように、正面に並んでいた。

 もし、開けるタイミングが重なれば、こういうことになるのかもしれない。


「えっ………、制服?…………もしかして、…………僕と同じ」


「あなたは………、電車で居眠りしていた人?」


「…………」


「…………」


 奇妙な空気が廊下に流れた。


 私は、駅員さんの台詞を思い出す。


『今日は偶然にも、もう一人のストレイキャットが来ているんだ。寂しかったら、21号室をノックするといい。ストレイキャット同士で、ティータイムなんか、いいよね』


 駅員さんが、言っていたストレイキャットとは、この人のことだったのだろう。


 このダウンコートを着た若い男性が、もう一人のストレイキャットだったのだ。


 私が東京駅から乗った電車に、この男性は乗っていた。少し離れたところで、居眠りをしていた。最初に見た時は、おじさんかと思ったけど、よく見ると若い。10代でもおかしくない見た目をしている。

 ダウンコートの下にはスーツを着ているみたいだから、もしかしたら見た目は若いけど、20代前半くらいの会社員なのかもしれない。


 たれ目で優しそうな顔立ちをしているけど…………、目の下には隈ができていて、少しだけやつれているようにも見える。

 彼は、不思議そうにこちらを見ていた。


 そして、


「あ、あの………、僕はここに来たばかりなんだ。名前は遠山徹とおやまとおるって言います。そのよかったら、これから一緒にラウンジ? に行かないかな? お腹が減っちゃて」


 彼は照れくさそうにそう言った。


「…………」


 しかし私は、少しだけ返事をするのに躊躇した。

 あまり………、自分の名前を名乗りたくはなかったのだ。

 それに、男性と話すのは少しだけ緊張する。


「………林堂凛りんどうりんです。私も、ちょうどラウンジに行こうとしていました。一緒に行きましょう」


 私は、ぎこちなくそう言った。


「林堂さん、よろしく。じゃあ………、ラウンジに行こうか。あそこなら、何か食べれると思うから」

 

 彼はそう言って、エレベーターの方に向かった。

 

 私も、それについて行く。


「林堂さんは、冷蔵庫にあるレモンジュースは飲んだ?」


「えっ、レモンジュースですか? それより…………、冷蔵庫ってあるんですか?」


「あるよ。キャビネットの隣に小さいけど冷蔵庫があるんだ。そこにはたくさんのジュースがある。どれも僕らが知らない飲み物だけど、その中のレモンジュースが凄く飲みやすくて美味しい」


「そ、そうなんですね。あとで飲んでみます」


 遠山さんがあまりにも熱心に語るので、きっとそのレモンジュースは余程美味しいのだろう。

 ぜひ、飲んでみたい。そう思った。


「あ、でも…………、あれアルコール入ってるから林堂さんは飲めないかも」


「………」


 それでは…………、レモンジュースではなく、ただのお酒ではないか。

 私は、そう思うのだった。

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