第34話 指輪

12月になると、放課後はもうすっかり寒くなっていたから、居残りする生徒はほとんどいなくなってしまった。


千世から、桔平ちゃんとのことが噂になっていることを聞いて以来、放課後に残るのもやめていた。


でも、今日だけは、どうしても桔平ちゃんの顔を見てから帰りたかった。

ほんの少しでいいから顔を見て話したかった。


だから、『今日は残っててよ』というメッセージをもらった時、嬉しかった。


それで遅くまで残っていた。


でも、もうすぐ7時だったから、さすがに帰らないといけない。

リュックに問題集とペンケースをしまっていると、バタバタと誰かが走って来る音が聞こえた。

と、思ったら勢いよくドアが開いた。


「ごめん! 何でだか職員会議があって遅くなった」

「もう帰るところだった。顔だけでも見れて良かった」

「ちょっとだけいい?」

「何?」

「目、閉じて」


ポケットに手を入れていたのか、桔平ちゃんの温かい手が、わたしの冷たい手にふれた。


左手の薬指に何かの感触。


目を開けて、桔平ちゃんの顔を真っ直ぐに見た。


「目、開けていいって言ってない」

「ごめん」


桔平ちゃんがふれている左手の指を見た。


「これ……」

「花乃の」


桔平ちゃんが最後まで言い終わる前に、大貫先生の大きな声がそれを遮った。


「向坂先生、何やってるんですか? 一緒にいるのは……茅野か?」


さっき、急いで教室に入って来た桔平ちゃんは、ドアを閉め忘れていたから、取り繕う暇がなかった。

大貫先生の何かを疑うような視線が、わたしの指にふれている桔平ちゃんの手から、その先にある指輪に向かった。


「向坂先生と生徒の、あの噂……事実なら大問題ですよ?」


桔平ちゃんは優しい顔で微笑んでいた。


「大貫先生……」


桔平ちゃん、絶対にダメ!


「ごめんね先生! 大事な指輪勝手につけちゃって!」

「どういうことだ?」


思っていたことと違った、という感じで大貫先生が驚いた声を上げた。


「先生が持ってた指輪、勝手につけたの見つかって、返せって、指から無理やり抜こうとされてました!」


不貞腐れたように大貫先生に向けて言った。


「はぁ? 向坂先生、それ本当ですか?」


『そうです』って言って、桔平ちゃん。早く!


「向坂先生、指輪見つかったんですね!」


筒井先生?


大貫先生の後ろから、筒井先生が顔を覗かせた。


「筒井先生、どうされたんですか?」

「私が指輪を落としてしまって。向坂先生と2人で探してたんです」

「本当ですか?」

「向坂先生、ごめんなさい。せっかくの指輪、私が無くしたりしたから」

「あの、筒井先生、それってもしかして向坂先生と?」

「大貫先生、みんなには内緒にしておいてくださいね」

「ああ、いや、そういうこととは全然気がつきませんでした」

「茅野さん、ごめんね、それ大切な指輪だから返してね」



筒井先生がわたしの前に手を差し出した。



ここでわたしが指輪を渡さないと、わたしの言ったことが嘘だってバレてしまう。



桔平ちゃんの目の前で、自分から、指輪を筒井先生に渡した。



「茅野さん、あなたはもう帰りなさい」

「待ってください」


桔平ちゃんが何かを言おうとするのを遮った。


「向坂先生、ごめんない! 怒らないで! もう何も聞きたくないです!」


桔平ちゃん、お願い何も言わないで!



机の上のリュックを持って、走って教室を出た。




桔平ちゃんは本当のことを言おうとしていた。

そういう顔をしていた。


言ったらダメだよ。


桔平ちゃんは、せっかく先生になれたんだから。

自分からそれを捨てたりしないで。



だからこれで良かったんだ。




学校の正門まで走ってから足を止めた。

振り返ると、さっきまでいた教室の電気はもう消えていた。




最悪な、18歳の誕生日。





何度も、何度も自分に問いかけたけれど、答えがわからなかった。


あの時、どうすれば良かった?

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