第15話 恋しくて
向坂さんのアパートの、部屋の前で待っていると、駅から走ったのか、汗でびしょびしょの向坂さんが、息を切らして帰って来た。
「ごめん! 暑いのに外で待たせて! すぐに鍵開ける」
「大丈夫だよ。それより、向坂さんの方が雨に濡れたみたいになってる」
向坂さんがドアを開けると、閉め切っていた部屋から熱気が溢れ出てきた。
「すぐに涼しくなるから!」
向坂さんが冷房を入れると、最強にしたのか、冷たい風が肌に当たった。
「待たせてたのに、更に待たせて悪いんだけど、シャワーだけ浴びていい? きっと臭い」
「どうぞ。その間に準備しておくから」
「何を?」
「ご飯持って来た」
「嬉しすぎる! 急いで出てくる」
「ゆっくりでいいよ?」
シャワーから出てきた向坂さんは、Tシャツに短パンという、ザ・部屋着という格好で、わたしが持ってきたご飯をパクパク頬張った。
食べ終わると、いいって言ったのに、タッパーを洗うと言ってきかなかった。
いつもは閉めてある、キッチンとの間のドアを開けっぱなしにして、洗い物をしながら向坂さんが話しかけてきた。
「あのさ、そろそろ、その……その……じゃなくて……」
水の音でよく聞こえなかったので、向坂さんの近くまで行った。
洗い物に集中しているのか、わたしがそばにいるのに気がついていない様子で、向坂さんは小声でつぶやいた。
「名字じゃなくて名前で呼んで欲しいんだけど」
「桔平さん? 桔平くん? 桔平……呼び捨ては何か違う気がする」
「えっ!」
「そんなに驚かなくても」
「いると……思わなかったから」
「桔平ちゃん」
「それ、恥ずかしい」
「じゃあ、決まり。今度から桔平ちゃんって呼ぶことにする」
「いや、恥ずかしいって言ったのに」
無視して、部屋に戻ったわたしは、座ってテレビをつけた。
すぐに映ったのは何かの音楽番組で、昔の歌の特集をやっていた。
キッチンから戻ってきた桔平ちゃんが、ちょうど流れていた曲を聴いて言った。
「倖田來未の『恋しくて』だね。知ってる?」
「知らない」
切ない恋の歌だった。
その時はまるで他人事みたいに聴いていた。
「手、出して」
言われるままに両手を桔平ちゃんの前に差し出した。
その手に、流れ星を形どったキーホルダーがついた鍵を置かれた。
「今日みたいにいきなり遅くなったら待たせてしまうから。好きな時に来れるように」
そのまま、桔平ちゃんの手が、鍵を持つわたしの両手を包んだ。
「花乃、好きだよ」
桔平ちゃんの顔が近づいてきて、キスをされた。
そして、さっきまでわたしの両手を包んでいた手が、今度はわたしを抱きしめた。
お互いの心臓の音が、どくんどくんって聞こえる。
どきどきしているのはわたしだけじゃないことが嬉しい。
きっと今、同じ想いでいるよね?
これからも、ずっと同じ想いでいるよね?
テレビからはまだ、倖田來未の『恋しくて』が流れていた。
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