第弐話

第弐話

 

 ——新しい、服。

 少年……セトは唯、目の前の木の板を見つめていた。

 新しい服に新しい部屋に新しい会社、そして新しい仲間。仲間、仲間、仲間——。

 途端にセトの緊張の糸は、更にツンと張る。

 生きていくための住居と食べ物、お金が保証されるから入ったのも勿論だが、実はもうひとつ理由があった。

 ヒーローになりたい。

 幼い頃からずっと追って今も尚現実を見れず諦めきれなかった夢。

 この夢を叶えるには家を出るしか無かった。

 だけど本当にこの選択はヒーローへの道に近づいたのだろうか。

 木の板……木の板……金属…ドアのぶ……ドア……扉……。

 はっとセトは現実世界に戻る。

 浮かれている場合ではない。

 緊張している場合では無い。

 ヒルガオ社三階、戦闘部署の扉の前、数分間緊張のあまり入るのを躊躇ったあと、いよいよドアノブに手をかける。

 手汗がどっと出ていることが分かる。

 ヒーローへの第一歩。

 初めて家を出、初めて盗みを犯しかけ、初めて人の口車に乗せられ、初めて会社で働くことになり、初めて一人暮らしをし、初めて部屋から出勤、そして今に至る。

 そしてドアノブをひく。

 初出勤。

 扉を開き、緊張と不安で声の出し方すら分からなくなった喉を宥め、そして言う。

 「お、おはようございます!」

 「あ、おはよ〜。えっと、君が社長の言ってた新人さん?」

 セトが中に入り、挨拶をしたあと、真っ先に返してくれたのは、セトより少し年上か、同い年くらいの青年だ。学生だろうか。ブレザーにセーターを着ている。

 「あ、はい。伊座ナミ セトです。よろしくお願いします!」

 「俺は進藤文也しんどうふみや。イザナミ君、よろしくねー。」

 セトのかしこまった言葉に、青年……進藤はほんわかとした口調と笑みで言葉を返す。

 進藤の優しい声に、張り詰めていたセトの緊張の糸がほんの少し緩んだ気がした。

 (この人、まつ毛長いな……)

 そんなことを考えながら部屋を見渡す。

 !?

 時刻は始業時間の十時過ぎ。

 しかし戦闘部署の中で仕事をしているのはたったの一人イズミ……だけであった。

 机に向かいパソコンをカタカタと打っているイズミの隣には、進藤と同い歳くらいの制服の女子学生が机に突っ伏して寝ている。

 そしてその奥の客人用らしきソファでは、イズミや月宮と同い年くらいの赤髪の男が寝ている。

 その机を挟んで前にあるソファでは、これまたイズミや月宮と同い歳位に見える男が二人座っている。一人は弁当を無表情で食べていて、もう一人は目を輝かせながら、弁当を食べている男の方を見て、「師匠、今日の弁当のおかずはなんですか!」と明るく元気な声で話しかけている。

 更に奥では二十代くらいの女が何かを見て不気味な笑みを浮かべている。ギラりと鈍く光る何か……。目を凝らして見てみる。

 (——刃物!?)

 セトの視線に気が付き刃物を持った女が、「おや?」と言いながらこちらを見る。

 何も見なかったことにしセトは目を逸らす。

 目を逸らした先、大きな窓のあるところには、昨日、月宮から封筒を受け取りイズミに渡した黒い眼帯の少女が居た。空いた窓の縁に腰を下ろしすやすやと寝ている。

 「ねぇ、」

 「!?」

 セトが部署内を見回すのを黙って見ていた進藤が、ぼーっとした声でセトに声をかける。

 「あぁ、ごめん驚いた?」

 「い、いえ!大丈夫、です。」

 焦ってそう言うセトを見、進藤がある提案をする。

 「俺がヒルガオ社を案内するよ〜。」

 「え、で、でも仕事があるんじゃ……?」

 「だいじょ〜ぶ。うん。大丈夫!多分」

 ほわほわとしながら自信ありげに進藤が言う。

 「でも……。」

 「いいね、私も行く。」

 「!」

 「あ、アヤ起きた。」

 「おは〜」

 「ずっと寝てたもんね。溶けるよ?そんなに寝てたら。」

 「……っ!うるさい!ちょ、そんな寝てないわよ!少しだけだし。」

 セトと進藤の前に突然現れたのは、先程まで机に突っ伏して寝ていた制服の女学生。

 美人だな、とあとから思うも、出てきて喋った時に最初にセトの中に出てきたのは、強そうだな、であった。

 「あ、アヤ拗ねた……」

 「進藤の馬鹿、阿呆、黙れ!」

 「アヤ、俺は馬鹿じゃないよ?」

 「……ッあーーー!もういいから、ほらさっさと行くよ!貴方、名前は?」

 そう言い女学生はセトの方を向く。

 突然のことに驚き「あ、えっと……」と曖昧な答えを返すセト。

 「急に起きて出てきて馬鹿馬鹿言いながら名前聞かれたら誰でも驚くと思うよ。新入社員のイザナミセト君。イザナミ君らこっちは辻村文つじむらあや。」

 「イザナミ?よろしく。」

 「よろしくお願いします!」

 進藤の紹介の後に女学生……辻村が、「んじゃ、レッツゴー!」と言い先程セトが開けたばかりの戦闘部署の扉を開けたのでらセトと進藤はそれに続いて歩き出した。

 

 

 「まず、一階。ここはまあ、ロビーとか受付とか、ヒルガオ社員以外の一般の依頼人とか関係者とかが用を伝えたりする所。」

 一階にきて説明されそこは、ヒルガオ社に来て初めて見た、とても広いロビー。

 「あ、あの……ヒルガオ社って何をしてるんですか?」

 そもそものヒルガオ社はなんの会社なのか、セトが問う。

 「影憑かげつきの抹消が主な仕事だね。」

 「影憑…?」

 「人間の負の感情などよって生まれ、その感情がその人間をくらい尽くしてしまった時に生まれる、人から人へと感染するのが影憑。影憑に飲み込まれてしまった者はもう、人間としての記憶や意識もないし、死んだも同然、人間でなくなる。影憑になった者はもうこの世には存在していない。そして仲間を増やそうと他の人間に襲いかかる。それを止めるために、スキルの開花した能力を使い戦闘できるラズライトを集めたのが政府の軍事組織、“影憑特殊部隊”、略して影特隊かげとくたい。影憑になってしまったら人間に戻る方法は無いから、抹消してこれ以上の被害を抑えるべくできた部隊で、現在第一部隊から第五部隊まである。」

 「それと…ヒルガオ社にどんな関係が……?」

 説明をする進藤に向けセトが問う。

 「昔、というかつい最近までずっと、第一部隊から第五部隊までと、暗闇部隊、昼間部隊があった。そこでこのふたつをまとめていた人が亡くなってから暗闇部隊と昼間部隊のトップですれ違いがあってそれぞれ政府元の組織を抜け独立した。それで昼間部隊が独立した先が、ヒルガオ社。」

 一通り説明を終え、「ま、そのうち身に染みていろいろなことが分かるよ。」と、ふわっとした感じで進藤が言う。

 「影憑……でも、俺は影憑とかいうの、見たことないんですけど…本当に居るんですか?」

 「それはいいことだね〜。」

 「いい、事?」

 「だってそれは影特隊の人達とかヒルガオの社員の影抹消が間に合ってるってことだから。」

 「確かに……」

 影憑。

 遠い昔に聞いたことがあるようなその言葉。

 何故か頭にすんなり入ってくる情報。

 (影憑を倒せば……俺もヒーローになれるのか?)

 そんなことをセトが考えていると、辻村がひょこっと進藤の横から顔を覗かせる。

 「次、行くよ!」

 「は、はい!」

 「エレベーターはここにあるけど、急ぎの時とかはこっちよ階段を使うといいよ。エレベーターも何台かあるけど、人が多いから来ない時は来ないんだよねぇ……」

 そう言い階段を上る進藤にセトと辻村が続いて上る。

 「二階は一般の社員、事務員が働いてる所。まあ今後沢山関わると思うから覚えとくといいよ。」

 更衣室や仕事場など色々な部屋に別れていて、椅子に座り机に向かう社員達から、ここだけはセトの想像する極普通の会社のような雰囲気が漂っていた。

 

 「三階は、まあざっと戦闘部と医療部とかで、五階は和室と会議室と社長室。ここもそのうち関わるから。」

 そう言いながらエレベーターに乗ると、何故か進藤は上ではなく地下一階のボタンを押す。

 「あ、四階は探偵部と情報管理部ね。」

 辻村が進藤が言い忘れていた四階の説明をする。

 地下一階に着き、エレベーターを下りる。

 「はい!質問!」

 「お!どんとこい!」

 ピシッと手を挙げセトが首を傾げる。

 「あの、なんで地下なんすか?」

 「それはねぇ、うん!」

 「うん??」

 ふふんと、進藤と辻村が歩き出す。そこには一本の廊下とその両サイドに一つづつ扉があった。

 右側は営業時間外のバーのような雰囲気。

 二人は左側の扉を開き中に入っていく。

 すゆと、光のない真っ暗だった地下の廊下に日光の光が差す。

 (明るい……)

 二人に続きセトも入る。

 「いらっしゃいませ〜」

 「??」

 奥からおっとりした女性の声が聞こえた。

 「イザナミ君、ここがヒルガオ唯一の疲れを取る場所、カフェレイン!」

 パァと今まで以上のほほ笑みを浮かべた進藤。

 (唯一……戦闘部員のみなさん充分休んでいたような……)

 そんなセトをお構い無しに二人はカウンターの椅子に腰掛ける。

 セトも進藤に促されその隣に座ると奥から女性が出てくる。

 どうやらさっきの声の主らしい。

 「ミク姉今日のおすすめで!」

 「俺もそれで」

 「は〜い。承りました。貴方は何にします?」

 辻村と進藤の注文に返答をするとら店員はカウンター越しにセトの方を見て問うた。

 「えぇっと……じゃ、じゃあ二人と同じで!」

 「こちらも承りました〜!」

 ニコッと笑みを浮かべ店員は厨房へと向かった。

 「あの人がここ、カフェれいんの店長の一番弟子の綾崎未玖あやさきみくさん。店長のコーヒーも美味しいけど、ミクさんの作るコーヒーも凄く美味しい。」

 相変わらずほんわかした声で進藤が言う。

 「はい!朝食Aセットです」

 厨房からホットサンドやサラダ、スープにコーヒーの乗った盆を持ってきた綾崎が出てきてテーブルの上に並べた。

 「早!?」

 「丁度二人が来る頃かなって用意してたんです〜!店長のも作ってたので丁度三つ!」

 「えぇ……貰っていいのか……?」

 「はい!店長のはまた後で作るので!」

 困惑するセトにさあ食べて食べてと綾崎が言い、厨房に戻って行った。

 「いただきま〜す」

 辻村と進藤は早速朝食を食べ始める。

 「さっき朝ごはん食べたばかりなんだけどな……」

 はは、とセトが呟く。

 「要らないなら貰う!」

 「いや!腹減ってるんで全部食べます!」

 辻村に取られまいとセトも本日二回目の朝食を食べ始めた。

 「そういえばなんでイザナミはここに入ったの?」

 ふと辻村が聞く。

 「月宮さんに誘われたのもあるけど……俺、昔っからなんか人を救うみたいなのに憧れてて……それから……」

 「それから?」

 「探してる人がいるんです。家に留まって狭い世界から出るチャンスはきっともう来なかっただろうから。まあ、外の世界に出れれば何でも良かったというか……」

 「なるほど……」

 「探してる人、きっと見つけられるよ」

 「だといいんすけどね。」

 にへっとセトが笑う。

 「イザナミは良い奴だって分かった!」

 辻村が唐突にそう言う。

 「え!?何か試してた……?」

 「うーん、特にそんなつもりはなかったけど……まあこれからよろしく!」

 「は、はい……?」

 「やっぱりそこに居たか……」

 「うっ……」

 突然、カフェの扉が勢いよく開き、イズミが出てきた。

 辻村と進藤がギクッと肩を震わせる。

 「うっ、じゃない。」

 「えっと……」

 「進藤と辻村は仕事に戻れ。そうやってサボるから溜まっていく。」

 「へーい……」

 「面倒臭……」

 「いちいち文句を言うな。」

 「疲れたー」

 「まだ働いてないよ。俺ら。」

 「……」

 「じゃ、イザナミ君また後でね〜」

 「え、あ、はい……」

 ご馳走様でしたと厨房に向かって言い、進藤と辻村は店を出た。

 支払いは月終わりに給料からひかれるらしい。

 残されたセトは何をしたらいいのか分からずとりあえずホットサンドを食べるために外していた手袋を再び身につける。

 「あの……」

 「イザナミ、初仕事だ。先程影憑の目撃情報があった。数も少なくさほど大変では無い。社の入口辺りで柴田しばたが待っているから一緒に向かえ。現場付近には天芽あまめが別件で巡回しているから、まあ無いとは思うが万が一何かあれば呼ぶといい。」

 「は、はい。分かりました!」

 ローブを羽織り直し、セトは急いで店を出、階段を駆け上がった。

 

               。

               

 「あははははは、どっちやろうなぁ」

 「どこに行くとか聞いてないんすか!?」

 「いやぁ〜聞いてはおるんやけど道は知らん」

 「まじ!?」

 「セトについてきたら、ここに来ちゃったわけや。セトが知っとるのかとばかり……」

 「えぇ!?俺何も知らないっすよ!?俺はただら柴田さんに着いてきて……」

 「うん。」

 「うん?」

 「完っ全に迷子やな!」

 「えぇ……!?」

 街のど真ん中で迷子になった二人。

 

              。

              

 ——二時間前

 イズミからの指示でセトはヒルガオ社の一階ロビーの入口へと向かっていた。

 「確か赤髪を結んだ柴田って人がここら辺で待って……」

 辺りを見渡す。

 しかしどこにも赤髪の男は居ない。

 「おっかしいな……何か聞き間違えたか……?」

 「あ!おった!センター分けで後ろ結んどる金髪ローブ少年!」

 「!?」

 突然、陽気な声が背後から聞こえた。

 セトは恐る恐る後ろを振り返る。

 「人の特徴を丁寧に叫ぶなー!」

 思わずそう言わずには居られない。

 「悪かったって。ほな、お前がセトやろ?」

 いかにもチャラそうな、長髪を結んだ赤髪の男がそう言って近づいてきた。

 「赤髪……もしかして柴田さん!?」

 「せやで!影特隊、第五部隊からここに派遣されてきた柴田咒宇しばたしゅう。よろしゅうな。」

 「派遣……?ヒルガオ社の人じゃないのか……?」

 「ここはできたてほやほやで人が足りてないんや。ほんでもって派遣されてきたわけ。」

 「なるほど……。」

 「ほな、仕事行くで。」

 考える間もなくそう言って柴田が歩き出し、セトも後に続いた。

 

 

 ——そして戻って二時間後。

 

 「もうええわ。存花梨あかりでも呼ぶか。」

 そう言って柴田はスマホを取り出す。

 「アカリ……?」

 初めて聞くその名に首を傾げる。

 まあ、入社して半日ほどしか経っていないわけだから、耳にする名前の大半が初めて聞く名前ではあるが。

 「天芽存花梨あまめあかり。ヒルガオの戦闘部社員やで。」

 耳にスマホを当てながらセトの方を見る。

 「天芽……ああ、さっきイズミさんが言ってた……!」

 何かあれば……こんなことで呼んでいいのか……?

 戦闘部ということは今朝部署の部屋で見た中に天芽という人は居たのかもしれない。名前的に、男の可能性も無くはないがきっと女だろう。

 今朝そこに全員いたのだとすれば、窓枠に座っていた、昨日月宮から封筒を受け取っていた少女か、刃物を持っていた人のどちらかだろう。

 刃物を持っていた人……今朝目が合った時のことを思い出しゾッとした。

 電話が繋がったのか、柴田がスマホ越しに話し出す。

 行き交う人々の話し声。

 高校生集団に、大人の集団、子連れの親子。

 ……親子。

 「ねえママ、これ買って!」

 「しょうがないわね。でも今回だけよ。」

 「お兄ちゃんばっかずるいー!僕も僕も!」

 平凡な家族の会話。

 そこに憎悪や殺意なんかない。

 そこにあるのは愛だ。

 兄さん……

 考えたって無駄と分かっている。

 だから考えるのはやめ、親子から目を逸らす。

 憎む相手が違う。

 しばらくぼーっと空を眺める。

 雲ひとつない真っ青な空。

 「ほな、迎えが来る。とりあえず邪魔にならんところで待つで。」

 連絡を終え、スマホをポケットに仕舞いながら柴田が言う。

 よく考えてみればこんな道のど真ん中で立っているのは邪魔だ。

 自転車に乗って走っている人がチッと舌打ちをしながら走り去った。

 「ははははは、俺ら邪魔や。」

 ここでようやく気づく。

 そして二人は邪魔にならない路地へと入った。

 

 

              。

              

              

 「全然来ない……」

 日陰しかない路地にて、二人は天芽を待っていた。

 「まさか、アカリも迷子か……それとも——」

 「それとも?」

 ヘラヘラしていた柴田の顔が急に真剣な顔に変わった。

 危機に陥ったような、不安を注ぐような眼差しでセトを見、口を開く。

 「俺達、見捨てられたかもしれへん!」

 「まじすか!?」

 いや、そんな深刻な顔して言わなくても……

 鴉がアホーと、ツッコミをするようにないた。

 「せやな。でも俺らなんか悪いことでもし——」

 “グガァァァァァ”

 「!?」

 柴田の言葉を遮るように突如近くで鴉が苦しげな咆哮を上げた。

 セトと柴田は目を見開き声の聞こえた方を見上げるり

 そこに鴉の姿は無かった。

 生き物の気配すら無い。

 一瞬にして不自然に、まるで何も無かったかのように辺りは静まりかえっていた。

 「え……?」

 「なあ今の鴉、喉の調子がよろしゅうないんか?」

 ゆっくり首を動かしセトの方を見、柴田が言う。

 次の瞬間、柴田が宙に浮いた。

 自らではなく、何かによって飛ばされた。

 「……」

 何が起きたか分からずセトは呆然と見ていることしか出来なかった。

 上へ飛ばされていた柴田が今度は下へと急降下し、地面に思いっきり背中と頭を打った。

 「!?柴田さん大丈夫っすか!?」

 「……ッたたたた……」

 打ち付けられた頭を起こし起き上がろうとしながら柴田が口を開く。

 「影憑や。」

 「!?影憑……」

 「ああ。人の憎悪から生まれ人に取り憑くバケモンや。ここ数ヶ月は出なかったんやけど……。もしかしたら目撃情報があったやつかもしれん。まあ影憑はそんな頻繁に現れるんとちゃうからな。」

 「じゃあそいつぶっ飛ばさねえと!」

 何かがセトを見ている。

 憎悪の目が。

 すると後ろから何かが柴田に飛びかかる。

 「ギィィ」と鳴きながら飛びかかるそれは、人間だった。

 でも、人間では無い。

 関節は所々変なところで曲がり、中身はきっと人間ではないと直感が訴えている。

 飛びかかる影憑に柴田が蹴りを入れる。

 が、影憑はビクともせず揉み合いになる。

 そしてそのままその影憑はセトの方へと首だけを尋常ではない動きで回転させる。

 まるで獣のような瞳でこちらを見ている。

 そしてまた首を回転させ柴田の方へ向き直ると、柴田へ喰らいつこうとする。

 柴田はそんな影憑を殴り飛ばす。

 影憑は壁にぶち当たり、人の血液に似た、黒い液体をぶちまけ叫び声を上げて消えた。

 「セト!後ろ!」

 「後ろ……?」

 柴田がセトに叫びかける。

 セトが後ろを向いた瞬間、別の影憑がセトに襲いかかってきた。

 (まずい……喰われる……)

 「音の波」

 寸前で柴田がスキルを発動させる。

 「ギャァァァァァァ!!!」

 血飛沫がセトに降りかかる。

 そして地面へと倒れたあと、影憑は粒子となって消えていった。

 残ったのは影憑の流した血のようなもの。

 柴田がセトの方へ駆け寄ってくる。

 しかしその行く手を阻むようにまた新たに一体の影憑が飛びついてくる。

 「ッ、まだおるんか……セト!」

 影憑と揉み合いになりながら柴田がセトに向かって言う。

 そしてふと空を見上げた。

 同じようにセトも空を見上げる。

 そこには、何人もの影月が居て、こちらを見ていた。

 狂ったような目で、ギィィと鳴きながら一斉に降ってきた。

 「……!?クソっ、こんなに居るとは聞いとらんわ!?」

 倒しては喰らいつこうと次から次に飛んでくる。

 「セト!そっち頼むわ!」

 「は、はい!」

 セトも飛んでくる影憑に抵抗すべく殴りかかる。

 快感では無い。

 気持ち悪い。

 殴ることを快感と言える人間はもっと気持ち悪い。

 昔から運動神経はいい方で、初めて何かを殴ったりするこの状況でも自然と体が動く。

 ラズライトだからだろうか。

 でもスキルとやらの使い方が分からない。

 それに、ラズライトとはいえ人間だ。

 限界はある。

 「大通りに出られたらまずいなぁ……」

 先程地面に打ち付けられたところが痛む柴田。

 骨が二、三本は折れただろうか。

 スキル、音の波。

 音波を操り攻撃する。

 スキルを使う際、狙った相手に与えるダメージとは比べ物にならないくらい僅かな音波だが、その微力な音波によりほんの少し骨が変に震え、折れた部分が血管や内臓に突き刺さりさらに痛みが走る。

 「……ッ大丈夫ですか!?」

 「平気や!俺はええから自分を守れ!」

 そんな柴田を見て声をかけるセトに柴田がそう言う。

 戦ってもキリがない。

 「!?」

 上から襲ってくる影憑。

 拳を振りかぶって降ってくる。

 とたん、モンタージュのようにあの頃と重なる。

 拳を振りかぶる自分の父親。

 「おい何をしているんだ。拳喰らって死にてえか?」

 うるせえと言い返す勇気は無い。

 ヒーローになりたいだけなのに。

 環境には逆らえない。

 割れたガラス瓶と掃除機。

 割れたガラス瓶から溢れ出た液体からは酒の匂いがした。

 「何とか言えよこのクソガキが。俺は掃除をしろと言ったんだ。酒瓶を割れなんて一言も言ってねえんだよ!兄貴と一緒か?あ?」

 泥まみれのどこかの軍服を着た父親が怒鳴り声を上げセトを殴る。

 頬を殴られたセトはその勢いで割れたガラスの破片の上に手をつく。

 手から血が流れる。

 下を向いたまま歯を食いしばる。

 「俺は……」

 「あ?小さくて聞こえねえよ。」

 こちらも見ずに父親が言う。

 そしてセトの髪の毛を鷲掴み顔をちかづける。

 「ヒーローになるとかまたほざく気か?なれるわけねえんだよ。クソガキが。何百回何万回死んでもお前なんかに出来るわけねえんだよ。なあ分かるか?お前は一生ここで俺の奴隷だ。それが最低限の生きる意味だ。それが出来ないなら死ね。」

 そう言い放ちセトを投げ飛ばす。

 ごめんなさい。

 その言葉で大人しく頭を下げればいつも通り終わる。

 ごめんなさい。

 ——なんでいつも自分は悪くないときも謝っているんだ……?

 ごめんなさいって気持ちもないのに。

 違う。自分が悪いとか悪くないとか思ってるとかじゃない。

 怖い。

 ただそれだけ。

 そんな俺が、ヒーローなんかになれるのか?

 ふと現実に戻る。

 影憑が迫ってくる。

 怖い。怖い怖い怖い怖い怖い。

 アイツが言っていたことは正しかったんじゃないのか?

 「セト!」

 ここでもう終わりなんだ。

 結局ヒーローになんかなれない、用済みの俺は死ぬんだ。

 はは、なんか笑えてくる。

 俺は——

 でもやっぱり死にたくない。怖い。嫌だ。

 目を瞑る。

 「!?」

 殺された——と思いきや、痛みもないまま額に冷たい液体が飛び散ってきた。

 恐る恐る目を開けると、襲いかかってきていた影憑が血飛沫を上げ倒れていた。

 飛んできた液体を手袋を填めた手で拭い見ると、黒っぽい汚い血が着いていた。

 「冷たい……」

 「影憑の体温は外気温と同じ。」

 聞き覚えのある少女の声が聞こえた。

 ゆっくりと声の聞こえてきた方を見る。

 拳銃を片手に持った、右目に眼帯をし、茶色の髪の毛を編み込みと一緒に下の方でふたつに結んだ少女が立っていた。

 エレベーターに乗った時にいた少女。

 少女はセトをチラッと横目で見たあと、持っていた拳銃を顔の横まで持ち上げ口を開く。

 「もう少し加勢したらどうだい?少年。」

 一言、揶揄うような瞳で告げた。

 「だって俺は——」

 無力だって先程分かった。

 だから出来ない。

 「大丈夫か!?」

 柴田が敵を払い除け急ぎこちらに駆け寄ってくる。

 「大丈夫。少年は弱くない。」

 少女はそう言い、銃を撃ち敵を次々と倒していく。

 柴田は戸惑った様子を見せたが、頷き、

 「ほな、頑張れセト。」

 と軽く言い、再び敵の方へ攻撃を仕掛ける。

 しかしセトは走り出した。

 体が勝手に逃げ出した。

 後ろで柴田が何か言っている。

 そういえばいつも逃げてばかりだ。

 結局——

 路地を抜ける手前で足を止めた。

 泣き叫ぶ小さな男の子が、両手の拳を強く握り立っていた。

 そして男の子の目の前には一体の影憑がいた。

 今にでも目の前の命に食らいつこうとしている。

 恐怖心には勝てない。

 ヒーローなんかにはなれない。

 またその場から逃げようと足を動かす。

 泣きじゃくる男の子と横目で目が合う。

 ああ、なんなんだよこれは。

 自分は強くて誰かを守れると思っていた。

 でも実際は直ぐに逃げるクソガキだった。

 『いい夢だな。その時は僕も応援しに行くさ。約束。』

 ふと兄の言葉が頭をよぎる。

 自分より十も上の兄。

 何時でも自分の見方だった。

 約束——したのにな。

 「——ッ」

 立ち止まり、もう一度男の子の方を見る。

 俺は弱いままだ。

 あの頃も、今だってきっと。

 でもこの男の子はそんな自分よりもずっと弱い。

 弱くたって、強くなれる。

 「……ッうりゃぁぁぁぁあ!」

 セトは男の子に襲いかかろうとする影憑に向かって殴りかかった。

 その拳に纏ったのは唯の自分勝手な殺意では無い。

 誰かを守りたいという心の現れの炎。

 これがラズライトとしてのセトの能力。

 炎を纏った拳が影憑へと直撃する。

 その衝撃で影憑は勢いよく回転し黒く冷たい血を流しその場に崩れ落ちた。

 拳があたり、纏った炎は舞い踊るように空中へと消えていった。

 影憑は糸の切れた操り人形のようにピタリと止まって動かなくなった。

 はぁと息を少し切らしながらセトは自分の拳を見る。

 いつかきっと、ヒーローに。

 あの瞬間、スキルを使うコツを掴んだ。

 きっと誰もがヒーローになれる。

 奥を見れば向こうも戦闘が終わったようで、消えていく影憑たちの死骸を背に柴田と少女がこちらに向かってきた。

 「セトお前強いんやな」

 「お兄ちゃんありがとう!かっこよかった」

 泣き止んだ男の子がセトの方を見、そう言った。

 そして、ありがとうと告げ、さっさと大通りの方へ走って行ってしまった。

 強い……

 「でも俺は……」

 逃げてしまったことを思い返し、地面へ目を向ける。

 「それは——」

 そんなセトを見て、少女は静かに笑い口を開く。

 「素直に喜んでいいところだよ」

 「……素直に——」

 少女の方を見る。

 大人っぽい顔にいたずらっぽく笑う口。

 「十分強かった。確かに君は逃げたし、影特隊としてはまだ序の口かもしれない。でもさっきの男の子は君に救われた。」

 そして少女は歩き出す。

 「もっと胸を張って生きていいんだよ。世の中そんなに厳しくない。」

 セトに背を向けながらそう言った。

 風が優しく吹いた。空は青い。

 「せやな。」

 柴田が頭の後ろに手を組み歩き出す。

 「……ああ。ありがとうございます!」

 声を張って笑顔で二人に向かってセトは叫んだ。

 初めて自分を認めて貰えた。

 そして初めて自分を認めた。

 「あ、そういえば誰なんすか?」

 そういえばとセトは柴田に少女のことを聞いた。

 「ああ確かに言ってない。あいつはアカリや。天芽存花梨あまめあかり。ヒルガオの戦闘部社員。」

 「迎えに来てあげたんだよ。少しは感謝したら?」

 「!?いつの間に……?」

 前を歩いていたはずの天芽が気づけば目の前に居た。

 「せやな、ありがとな。」

 「あ、ありがとう、ございます」

 「それでよし。」

 頷き再び歩き出す天芽。

 「そういや、アカリは何しとったん?」

 ふと柴田が聞く。

 「宵闇が一般人も殺してないとか殺してるとか。」

 「宵闇?」

 はてなとセトが聞き返す。

 「宵闇部隊。影特隊離脱部隊。影憑を抹消することに変わりはないんだけど、私たちとはやり方が違う。」

 表情を変えずに天芽が言う。

 「やり方が違う……?」

 「なんでも、一般人にも危害を加えてるっちゅう噂があるんや。」

 一般人にも……

 「ラズライトへの規則が幾つかある。一つ、影特隊の上からの司令は絶対。一つ、影憑に関する新たな情報は上に報告すること。一つ、影憑はどんな理由があれそれ以上被害を増やさないため抹消すること。一つ、影憑でない一般人に決して危害を加えてはならない。」

 「そんなのがあったのか……」

 「聞いてないの?」

 「聞いてない。」

 「まじかよ!?」

 「まあいいや。」

 「まあいいの!?」

 大袈裟に驚く柴田を横目で見、それはさておきと天芽が続ける。

 「この後二人暇?」

 はてなと天芽が問う。

 「悪いわ、俺この後多分もう一度さっきの現場に招集される。」

 「もう一度?」

 セトがどうしてと首を傾げる。

 もう影憑は一掃したはず。

 「影特隊の調査班が向かってるっぽいけど、状況説明した方がええやろ?もう影憑は黒い血痕に似たものだけ残して跡形もなく消えた訳やから。」

 「なら俺らも……」

 「アカリは仕事が残ってるし、それにそっちは人手不足なんやろ?セトを貸したる。」

 にへっと柴田が言った。

 「なるほど。じゃあイザナミだけ借りてく。」

 借りてくっていうか、天芽もヒルガオ社員では無いのかという疑問をセトは持つも、問う暇もなく話は進む。

 「ほな、俺は戻るで。くれぐれも死ぬなよ。」

 「死ぬ?死ぬって——」

 「じゃあな!」

 「ちょっ、柴田さん!?」

 柴田はこちらも振り返らず早々に歩いて先程の現場へと歩いて向かってしまった。

 死ぬ……

 また危険な現場なのだろうか。

 「行くよ。」

 気づけば天芽も歩き出していた。

 慌ててセトも後を追う。

 「どこに行くんすか……?」

 「街の外れ。」

 やっと追いつく。

 意外と天芽は足が早い。

 「そこに……宵闇の人間がいるのか……?」

 人混みの中で見失わぬように気をつけながらセトが問う。

 「通報が入った。人が死んでる、と。」

 「!?」

 相変わらず無表情のままの天芽。

 人が死んでる……まさか、

 「宵闇の人間が……?」

 「まだそうと決まったわけじゃない。影憑かもしれないし、ただの殺人鬼かもしれないし。でも、少し不自然な死に方をしているらしい。」

 「不自然な死に方?」

 人混みをぬけ、人通りの少ない道へと入る。

 「目撃情報によれば、いきなり血を吹き出して倒れた、と。」

 いきなり血を吹き出して……。

 口から?

 「影憑や一般人なら近くに犯人がいる。」

 「毒殺とか……?」

 「……百聞は一見にしかず。」

 「?」

 しばらく歩き、天芽が立ち止まる。

 軍服や隊服のようなものを来た人達が規制テープの中で調査のようなことをしていた。

 「こちらへ。」

 そのうちの一人が天芽を見、そう告げ案内し始めた。

 セトもそれに続こうとすると、また別の軍服の男に止められた。

 「ここから先は立ち入り禁止だ。ガキは下がってな。まああいつもガキだけどな。」

 「んだと!?誰が子供だ俺はガキなんかじゃね——」

 「はいはいいいからここは立ち入り禁止。」

 軍服の男はブチッと怒るセトを適当に宥め追い出そうとする。

 「誰がガキって?これはガキだけど。」

 セトがじたばた暴れていると、それを追い出そうとしていた男の後ろから感情のない声が聞こえた。

 「ヒィっ、そ、その、申し訳な……悪かったって……」

 すると突然男はペコペコと頭を下げ始めた。

 後ろに居たのは天芽だった。

 「だ!か!ら!俺はガキじゃな——」

 「うるさい。」

 「ッ」

 ブチッとまたセトの堪忍袋が切れる。

 「だぁぁあれがガキだって!!大体あんたもまだガキだろ!」

 そしてまた暴れ出す。

 「これも一応ヒルガオの。」

 しかし天芽はそんなセトを無視し、軍服の二人に告げる。

 「こら坊や。天芽中佐になんという無礼を……」

 先程天芽を案内しようとしていた軍服の女がセトに向かって言う。

 「ッ!?だぁぁあれが坊やだぁぁあ!!!って……中佐……?」

 少し遅れてセトは天芽中佐という言葉に反応する。

 ヒルガオは会社だから中佐とかいう階級は無いはず……

 となると、柴田と同じように影特隊からの派遣か?

 「ええ。アウィス軍の中佐よ。」

 アウィス……国の名前だ。

 アウィス軍……以前、随分前、無くなったと言う噂を聞いたことがあったような気がする。

 「国の……軍?それってもう無くなったんじゃ——」

 「なんてことを!」

 「ウィリ少尉。」

 「……ッ」

 セトの一言に反応した軍服の——ウィリ少尉と呼ばれた女は、存花梨の一言で歯を食いしばり黙り込む。

 「勝手に消すなよ。軍は無くなってなんかないぞと。」

 先程セトを止めた軍服の男がそう言う。

 「まあそんなことはいいから、とりあえず……」

 「はい、案内いたします。」

 こちらへ、とウィリが天芽を案内し、セトもそれに続く。

 今度は誰に求められなかった。

 「そういえばあんた、ヒルガオの人間じゃないのか?軍の人間って」

 早足で追いつき、天芽に問う。

 ちょうど身長が同じくらいで目線が合う。

 もっとも、セトは靴の底で多少の身長を盛っているが。

 こら、とまたウィリからの叱りが入る。

 「ヒルガオの社員でもあるし軍の中佐でもある。」

 一方天芽は端的にそう告げる。

 そして立ち止まり、もう一度セトの目を見る。

 「それに私の方が先輩なんだよ。」

 「あ……」

 キリッとウィリがセトを睨む。

 「ま、なんか今更違和感だしいっしょ——」

 拳が頭に降ってきた。

 静かにウィリがセトを叱った。

 「こちらです。」

 いつの間にかまた天芽の前を歩き出したウィリが立ち止まりそう言った。

 「では。私は別の仕事がありますので。」

 そして、そう言ってどこかへ行ってしまった。

 「……」

 前を見ると、天芽が地面に敷かれたブルーシートを少し捲って中を見ていた。

 「何が……」

 それに続いてセトも見る。

 「……ッ」

 ブルーシートの下にあったのは、所々、まるで中から破裂したように飛び散っている死体だった。

 「さて、これが毒殺と言える?」

 ゆっくりと再び遺体にブルーシートを被せ天芽が立ち上がる。

 「一体誰が……こんなこと……」

 「もう一度見る?」

 「……いいや、もう見たくない——」

 天芽の言葉に顔を背ける。

 先程の死体が脳にこびりついて離れない。

 気持ち悪い。

 「多分犯人はラズライトだね。」

 「え?」

 は?と、天芽の方を見る。

 「ラズライトはそんな事しないんじゃ……てっきり影憑を倒すヒーローみたいな——」

 「そのはず。これは単なる殺人。この手の遺体は近頃いくつか見たことがある。」

 「いくつか——」

 「とりあえず、ここにいたって暇なだけだから。ヒルガオに一旦戻る。」

 そう言って天芽は歩き出す。

 またそれに続く。

 「ヒルガオに戻って何をするんだ?」

 「探偵部がいるからあとはそっちに任せる。」

 「だったら最初から探偵部とやらが行けばいいじゃないか」

 わざわざ自分があの死体を見る必要なんてなかったはず。

 「いいや、今回ばかりは——」

 途中、天芽が急に足を止める。

 「……」

 「?何か——」

 いつの間にか二人の前に、セトと都市が同じくらいの、セトよりだいぶ背の高い(セトの背が低い訳だが……)青年が立っていた。

 「誰——」

 「理由は?」

 セトが聞く前に、天芽が聞いた。

 理由は?

 「そのまま。」

 「え?ん?」

 セトの目の前で謎に二人の会話が進む。

 「イザナミ後ろ」

 「ん?え?」

 後ろを振り返る。

 その時にはもう遅く、鋭く光る何かが頬を掠めた。

 「痛……」

 微かに血が滲む。

 その後もすぐにまた鋭く光る物が一直線に走ってくる。

 それをセトは右に左にと避けていく。

 よく見ると先程の青年が糸のようにそれを操っている。

 「ッいきなりなんなんだってんだ」

 「さっきの遺体」

 同じように避けながら天芽がセトの質問に答える。

 「え?さっきの遺体?」

 さっきの遺体って……遺体が生き返った?

 「違う」

 「は??」

 今度は否定された。

 「犯人。」

 拳銃を取り出し青年の足元に向けて一発打つ天芽。

 「犯人——」

 しかし青年は軽く飛んで弾丸を避ける。

 弱そうなのに——

 セトはクッと歯を食いしばる。

 なんか負けた気分だ。

 「さっきからすばしっこくて鬱陶しいんだよ!!!」

 また走ってきた鋭く光るものの少し手前を手で掴み、引っ張る。

 すると、それはパリンと音を立て割れた。

 手の内に少し残った破片を見る。

 すると破片は赤い液体に変わった。

 「血……?」

 「多分、血を操る能力。なんかしらの方法で相手の体内に自分の血液を入れてそれを遠くから操って殺した。」

 サラッと拳銃を打ちながら天芽が言う。

 「そう?」

 そして青年に問う。

 「……ああ。そうだけど……」

 青年は顔色ひとつ変えずに攻撃を辞めそう言う。

 「一般人に害を与えては行けませんって先輩から教わらなかった?」

 「そーだそーだー」

 「うるさい」

 「うっ……」

 セトは少し腹を立てていた。

 自分より身長は高いし、顔も悪くないしというか良いし。

 運動もできておまけに冷静。

 更に腹が立つ。

 そして何より人殺し。

 「ああ。」

 「もちろん教えた。」

 「……」

 天芽が銃を構える。

 いつの間にやら髪の毛をひとつに結んだ女が現れた。

 「危害を加えない。一般人には、と。」

 女はそう言ったあと、セトを見て、鋭く睨んだ。

 「誰……?」

 「宵闇部隊中隊長。夕見鈴音ゆうみりんね。」

 セトの質問に女——夕見が答えた。

 そしていきなりナイフをセトの真横を通るように投げてきた。

 「!?」

 「……ッ」

 後ろを振り返る。

 ナイフはフードを被って顔のよく見えないこれまたいつの間にか現れた少女の腕に突き刺さっていた。

 どう見ても影憑ではない。

 「!大丈夫か!」

 セトはすぐさま少女に駆け寄る。

 「おい!何するんだ今言ったじゃないか——」

 「影に飲まれてる——」

 「?」

 天芽の呟きが聞こえた気がした。

 「私たちが殺めているのは影憑もしくは影憑になる人間のみ。」

 「それってどういう——」

 「影憑に飲まれる人間のピックアップが可能になった。」

 「……それは知ってる。」

 「え?どうやって……」

 「能力者がいる。私たちも多少は勘で分かる。でもそんなのはずっと前から有名。でも——」

 「でも?」

 天芽が二人に銃を向けたまま口を開く。

 「可能性があるだけで百パーセントではない。判別で影憑になると出ても影憑にならずに人生を終えた者もいる。」

 「じゃあ——それって、影憑にならなかったかもしれない普通の人も殺したってことか?」

 少女の肩を支えながらセトが聞く。

 もしそうだとしたら——

 こいつらは………

 本当に、

 本当にただの、

 「宵闇は影特隊とは違う。だから多少荒っぽくても許される」

 こいつらはただの——人殺しじゃないか。

 「許されるもんか!」

 セトが叫ぶ。

 「その少女も可能性がある」

 「可能性の話だろまだなると決まったわけじゃない」

 「少女一人救ってその少女が大勢を殺すとしたら」

 それまで黙っていた青年が口を開く。

 セトは少女の方を見る。

 顔は見えないが、酷く脅えていることは分かる。

 「宵闇の人殺しと、お前の逃がした少女の人殺し。どちらが重い?」

 「どちらにしろ少女はまだ人間。君らは立派な犯罪者。」

 「そんなこと最初から分かってるだろう?」

 天芽の一言に表情も変えずに青年が答える。

 「……ッいつの間に!?」

 突然、夕見が驚いたように歯を食いしばる。

 その視線の先……セトの手の内を見ると、少女はいなくなっていた。

 反対を見れば少女は腕を押さえながらもこちらに背を向け走っていた。

 「こいつらは後でいい。追うぞ。」

 「はぁ……仕事が増えた」

 そして少女が角を曲がり見えなくなったあと、夕見がはっと気が付きそう言った。

 二人が少女の走って行った方へと去って行く。

 慌ててセトが追いかけようとすると、天芽に止められた。

 「今日はとりあえず帰る。」

 「どうして!早く追いかけないと——」

 「応援が呼ばれるかもしれない。さっき影憑と戦った時の傷は?」

 「ッ……」

 そういえば、先程から全身が傷んだままだ。

 「それに私達が入るとさらに大事になる。宵闇も黙っちゃいない。更に多くの人を巻き込む。」

 「そんなこと——」

 「あくまでも影特隊は影憑を討伐することが仕事。」

 「……ッ」

 「それに今追いかけたところで追いつけないしなんの手がかりもない。がむしゃらに行動するのは危険。」

 天芽は声色一つ変えずに言う。

 悔しい。

 少女を救いたい。

 だって彼女は人間だから。

 「まだ助からないと決まったわけじゃない。」

 「っ!」

 はっとセトは顔を上げる。

 「一度戻って立て直せ。」

 そう言って天芽は歩き出した。

 まだ彼女を救えるかもしれない。

 いや、救う。

 一刻も早く情報を入手する必要がある。

 「……」

 落ちている血の着いたナイフを拾う。

 ここに置いておいては大事になりかねない。

 そして走り出した。

 後悔はしたくない。

 救えるものは救う。

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