第壱話

第壱話

 ——————自分を守るための、殺意——。

 

 「はぁ、はぁ…。」

 夜の道をただひたすらに走り続ける少年。殺意と狂気に満ちた紅い目が夜の街に反射し、ギラリと光る。

 何故、自分は今こんなにも彼らを殺めたいのか分からない。

 東京。この街の住宅街では、息を切らしながら走る少年の他に、帰宅途中の社会人がちらほらいる程度。

 あかりの灯ったあるスーパーの前に来ると、少年は足を止める。

 

 ——正義。

 

 ゆっくりと少年は店に入る。そして“調理器具コーナー”と、何とも愉快な字面じづらで書かれた看板の方へ向かう。

 目の前に売っているこの店の中で最も高価な切れ味の良さそうなパッケージに入った包丁を手に取ると、周りを不自然にキョロキョロと見回し始めた。その顔には、大変焦ったように冷や汗がにじみ出ていた。

 店員はここからは死角にあるレジに三名のみ。真夜中の閉店間際のスーパーに客などほとんど居ない。奥の惣菜隅角コーナーに二、三人程度だ。

 少年の隣には、なにやら棚に沢山置いてある刃物らを真剣に見ている者が一人居るが、特に少年を気にすることも無く、きっと視界にも入っていない。

 今なら——

 そう思った少年は、肩から下げていた鞄をそっと開き、包丁をレジに持とうさずに入れようとする。

 と、その時、鞄に入る直前で少年の手が止まる。

 「…ッ!?」

 (——手が、動かない。)

 どんなに力を入れても、パッケージに入った包丁を鞄に入れる直前で持っている右手が動かない。精神的に恐怖で動かない、という訳では無い。そう、物理的に動かないのだ。

 恐る恐る右手を見る。

 (——手…?)

 少年の右手には、

 少しずつ少年は首を右に動かす。

 一番上のぼたんを開けた、黒い襟飾ネクタイを着けたワイシャツ。その上に胸元までチャックを閉めた灰色グレーのパーカー。またその上に社会人の着るような、否、どこかアニメや漫画の中のマフィアか探偵ものに出てくる殺人犯の黒幕が着ていそうな足首より五センチ程上の所まで伸びた黒い長外套スーツを釦を止めずにしっかりと腕を通して着こなしている。

 先程と同じく商品の包丁やナイフを閲覧している彼は、まるで少年のことなど見ていない様。けれども左手は確かに少年の手首を掴んでいる。

 右手は名探偵がやっていそうな、顎に手を当てている素振りで商品を見ている。

 全く少年の手首を掴む手に力を入れているようには、少年の手首を掴んでいる左手からすら感じられないが、よわい十七の少年が全身の力を使っても全く動じない。彼の左手には相当な力が加わっている。

 「あの、手を話してください。」

 必死に手を引き剥がそうとしながら少年が言った。

 「やだ。」

 しかし彼は少年の方を見向きもせずに言う。

 少年より身長が高く、焦って顔は見えていないが二十代前半位だろう。そんな大人が子供の様な口調で云うものだから、少年は少し苛立つ。

 「離せッ…手を離せよ!」

 先程より声を荒らげて少年が言う。

 客の数名がこちらを振り返るが、一刻も早く家に帰りたいであろう社会人達は直ぐに視線を惣菜へと落とす。

 やる気の無い学生の店員は気にも止めて居ないようだ。

 「えー…やだって云ってんじゃん。」

 今度は右肘を棚にかけ頬をつき少年の方を見てニマッと笑みを浮かべる。

 「いいから離——ッ!?」

 そう言いかけ彼の顔を見た少年の言葉が途切れる。

 整った顔に茶色の、そして所々跳ねている銀髪の蓬髪頭。

 そう、ここまでは良いのだ。ここまでは。

 問題はその左の茶色い瞳の反対。右目に巻いている包帯…。

 「…ん?どうしたのさ、急に黙り込んで。もしかして僕に惚れちゃった?うふふ。……でも、男は嫌だよ?」

 ニマッと笑みを浮かべたまま彼はそう言う。

 「いや、えっと…。大怪我でも……?」

 右手を掴まれていること以前につい訊いてしまう。

 「ん?これ?怪我なんかしていないよ。実に——ファッション!」

 (——ファッション!?)

 「厨二病…?」

 思わず引いてしまう少年。

 「ー?初対面でそれは酷くないかい!?」

 包帯野郎、厨二病と言う言葉、少し、否、若干傷ついた。

 「手、手を離してください。」

 子供のように意地ける彼の事を気にせず少年が言う。

 こんなことをしていないで、一刻も早くこの場から逃げなければ。

 「はいはい、分かったよ。」

 そう言い彼が手を離す。

 (——よし、早く逃げよう。)

 少年は鞄に、レジを通していない先程の包丁を入れようとする。

 「…!?」

 (包丁が…無い!?)

 「あ、それと、これはぼっしゅーね。欲しいなら買いなさい。」

 恐る恐る彼の方を見ると、先程とで少年が持っていたはずの包丁の入ったパッケージの端を指先でつかみ、棚に戻そうとしている。

 「いつの間に!?」

 「学生かは知らないけど夜の街は安全が保障出来ないから早くかえ————!?」

 少年の方を振り向くと、下を向き不気味な気配を纏っていた。先程とは逆転したような、人が違うような、真新しい別の気配。

 (…殺気?)

 そんな黙り込んだ少年に彼が手を伸ばし肩に触れようとする。

 しかし、少年に触れる直前でその手を止める。

 (この少年の纏った殺気。近づくことの出来ない殺気。まるで自分を守り他人を殺す——針鼠のよう。)

 不思議な気配と感覚に、彼は思考を巡らせる。

 すると、下を向いていた少年が、殺気と狂気に満ちた蒼い目で彼の方を見る。

 「嗚呼、そういう事。」

 その目を見、彼は納得に行ったような顔をし少年の方へ一歩ずつゆっくりと近づく。

 パキッと音を立て、先程の者とは思えぬ程の力で少年は包丁のパッケージを破り捨て、包丁を取り出す。

 二人の周りに人が控えめな距離を保ち、集まり出す。

 彼はまるで煽るかのように少年の近距離に止まり、ポケットに手を入れ笑みを浮かべる。

 「うあぁぁぁぁぁあ!!!」

 そんな彼に向かって少年は叫びながら包丁の刃を振り下ろす。

 直前、少年の振り下ろした包丁の刃を右手で受け止め掴んだ。

 (——刺さった。)

 「…!?」

 その時ら少年の目から殺気と狂気が消え、正気に戻る。

 (俺が…人を刺した…)

 「!?、だ、大丈夫っすか!?」

 自分で刺したにも関わらず、正気に戻った少年が我に返ったように慌てて彼に言う。

 二人が手を離した包丁がカツンと音を立て床に落ちた。

 「手!血、出てるはず!?止血とかしないと!?」

 そう云い彼の、包丁の歯を握り血まみれになっているであろう右手を手に取る。

 「…!?」

 (刺した筈の右手が——何にもなっていない!?)

 「少年…。全く。君が刺したのだろう?説明は後でするよ。——それより、今はこの場から離れなくては。」

 「……え?」

 そう言いながら彼は棚の反対側に視線だけを向ける。

 少年がそちらを向くと、そこには何が起きたのかとざわざわと見に来ている店員と客が、そして近所の通りすがりの野次馬が集まりこちらを見ている。

 「少年が人を刺したわ。」「救急車を───」「何だ?何があったんだ?」「よく見えねぇよ。」「なんかわかんないけどSNSに載せとこーぜ。」

 と、それぞれ言いたい放題だ。

 サイレンの音もした。きっと誰かが通報でもしたんだろう。

 「よぉーし。逃げるか。」

 「…は?」

 彼はそう言い、まだ理解の追いついていな少年を細い体で軽々と持ち上げる。

 「は?え?は?え!?」

 「暴れなぁーい暴れない。」

 突然の事に驚き降りようと足掻く少年に向けてそう言い、彼は走り出す。

 少年は内心で子供扱いし過ぎだと苛立ったが今はもう何がなんだかわからない。

 人だらけで塞がってる出口まで来ると、そのまま人集りをサッと抜け、パトカーの前を通り暗闇の路地へと二人は姿を消した。

 「えー、被害者と思われる男性が、加害者と思われる少年を連れ、逃走…?」「え?何?逃げたの?」「あら?どういうことかしら。」

 警察の無線への状況報告にはハテナばかり浮かんでいそうな疑問形。

 スーパー付近は突然の出来事にざわついていた。

               *

 

 「ここまでは、警察も追っては来ないんじゃないかな。」

 そう言い彼は少年を下ろす。

 人気の全くない路地。

 今夜は月も出ていない真っ暗な新月の夜。

 唯一の灯りの灯った点滅を続けている該当には蛾や小バエなどの虫が集まって時々光を遮っている。

 たった一つの街灯以外に何も無いため、先程のスーパー周辺と比べるとかなり暗い。

 「あの人だかりを抜けて一瞬でここまで…」

 少し警戒したように少年が言う。

 「まあまあ、そんなに警戒しなくてもいいのだよ。僕のの名は月宮茜つきみやあかね。君は?」

 「…俺は、伊座ナミイツキいざなみいつきです。」

 「ふむ。イツキ君、うどん屋行くよ。」

 唐突にそう言う、月宮が歩き出す。

 「えっ!?ちょっ、どう云う?うどん屋、ですか…?」

 「え?なんでって、だって君——」

 月宮がそう言いイツキの方を見る。

 ぐぅーと、イツキの腹が鳴った。

 「お腹すいてるでしょ?」

 「…っ、は、はい……!」

 恥ずかしそうにして少し下を向くもうどんに目を輝かせる。

 「それに、こんな暗い路地じゃあ怖いでしょ?何?それともイツキ君…怖いのが好きなのかい?」

 慌てて着いてきたイツキの方を立ち止まってもう一度見、揶揄からかうように月宮が言う。

 「怖いのは嫌いです…着いていきます…」

 ここに残されてもどうしようもないので仕方なくという感じに……というかうどんという言葉に引かれてイツキはそう言った。

 「そう。それでよし。」

               *    

 

 うどん屋にて、無一文であるイツキは、奢って貰えるとのことでらこの店の看板メニューである「おっちゃん特製ぶっかけうどん」を食べていた。

 「…幸せそうに食べるねぇ…。ご飯食べてなかったの?三十二杯目だなんて……。」

 少し引き気味に月宮が言うがそんな声が届いていないのかイツキはお構えなしにどんどんおかわりをする。

 「却説さて、腹も満たされてきたところで本題に入ろうか。」

 そう言い、月宮は頬杖をつき身を少し乗り出す。

 「ん?あ、は、はい。」

 うどんの入っていた器から顔を上げてイツキは月野を見る。

 「イツキ君はさ、特殊能力とかスキル発動者とかラズライトとかそう云う類のものって知ってる?」

 「えっと…超能力系…特殊な能力とかですか?」

 「そ。まあざっくり言ってそんなとこかな。で、僕はその特殊能力——スキルを使うスキル発動者、ラズライトの一人だ。」

 「……?」

 特殊能力…スキル発動者……ラズライト……。一体何を言ってるんだこの人は。

 やっぱり厨二病…?

 「信じてないって顔してるねぇ。先程君は僕の手、切れ味の良さそうな包丁で刺しただろう?」

 「…ッ」

 そう言いニマッと笑みを浮かべる月宮に対し、イツキは下を向き黙り込む。

 「ほら、本来ならば血塗れの筈の僕の手。傷跡すらも残ってない。」

 確かに手袋を外してイツキに見せた右手にはなんの痕跡も無い、綺麗な手だ。

 「どうして…?先刻さっき俺が確かに刺したのに……。」

 「そこなんだよ。君が刺したはずの右手は無傷。さあ、話は繋がったかい?」

 「特殊能力…スキル…?」

 「うん。まあ馬鹿げた話だと思わず聞いてくれたまえ。うん。」

 どうせ暇でしょと付け足し月野は話を続ける。

 「僕は君が振り下ろした包丁を握る前にスキルを発動した。このスキルっていうのは人によって違うんだけど、僕の場合は発動されたスキルに触れた時、防御出来るスキル。消去までは行かないけどね。で、スキルについて簡単に説明する。それぞれの人間の魂の奥底。ずっと奥に眠っているのがスキル。普通の得意不得意のスキルとはまた別のもの。問題はそのスキルを体外に出して使えるかどうか。ここが発動者か一般人かの分かれ道。一般人はなんの発動もなしに畢生ひっせいを終えていく。これが殆ど。人間の九割以上って所かな。多分。そしてスキルを体外へと出せた者、これがスキル発動者、ラズライトだ。スキル発動者には色んな言い表しがあってね、超能力者とか、異能力使いだとかまあこの街の殆どの者はラズライトって呼んでるかな。」

 スキルを発動……。

 「…なんでラズライトなんすか?」

 もう何が何だか何となくしか分からないが一番気になった事をイツキが問うた。

 「……スキル発動者にも色々な事情があるから……そのうち君もその意味がわかるさ。」

 紛らわせるようにそう応えた月宮の目が一瞬濁ったのは気の所為だろうか。

 そんなことを考えるイツキを気にせず月宮が話を元に戻す。

 「ラズライトはスキルを一般人に使ってはならないって法則があるんだ。まあそんな法則守らない発動者も多い無法地帯だけど。」

 「…あれ、さっき俺に使ってたのは……」

 「あ、うん、大丈夫。君も——ラズライトだから。」

 「えぇ!?え…まじ……ですか?。」

 驚いたように月宮を見上げつつもうどんを啜るイツキ。

 「そんなこと、ありえない、自分には関係無いって?」

 「…。」

 「君だってわかるだろう?先程のこと。夢じゃないし幻でもない。それに君は自分の意思から包丁を振るった?それとも——」

 「違う!」

 着々と説明を進めていく月宮の問いかけにイツキが即、否定する。

 「あれは…気づいたら包丁を持っていてそれで——」

 焦って困惑したようにイツキが云う。

 「そう。それが君のスキル…殺意的なやつって所かな。」

 「殺意…?それって唯の——」

 唯の感情じゃないか。

 「あの時僕は君に近づこうとした。けれども君の周囲数糎米センチメートル区域には立ち入ることが出来なかった。まあ僕のスキルを使えば簡単に入れたのだけど。なんのスキルも無い人間が入れば確実に死ぬ。そういう区域だったね。でも君は気づいたら…と云っていた。君はスキルを自分で操れて無いわけだ。意識はあるが。」

 「…」

 そんなこと…あるわけが無い。

 第一よく考えてみれば話の全てが怪しい。そして可笑しい。巫山戯ている。

 そろそろ帰ってしまおう。

 そうイツキが思った時、心を悟ったように月宮が云った。

 「何処に帰るの?」

 「!?」

 月野がイツキに向けた目は、これ以上無いくらいに冷たい目だった。そんなことしても無意味だと、イツキの全てを否定したような目。

 「君は家に帰るのかい?両親を殺そうとしたところで君は今、何も凶器も持っていない。家の扉を開けても即、暴力を振るわれチャンスは無くなる。」

 「…ッ!?何故…それを……?」

 イツキは下を向き、ズボンをぐっと握る。まるで何かに怯えているみたいに。

 「図星って訳か。見ればわかるよ。隠そうとしても隠しきれなかった君のその身体中の酷い怪我。君から感じる憎悪、殺意。そこからの僕の単なる想像だよ。」

 イツキは服の袖を引っ張り手の傷を隠す。

 長袖長ズボン。傷のほとんどは隠しきれているはずだ。それなのに…凄い洞察力だ。

 それに想像だけでそこまで当てられるものなのか。

 きっと心を読まれている。

 「そこで、僕から一つ提案があるのだけれど。」

 急に明るく話を切り出す月みやにイツキは思わず顔を上げる。

 先程の月宮の冷たい目はいつの間にか消えていた。

 「君は、ラズライト。これは紛れも無い事実ね。で、ラズライトの集う会社、組織の、『ヒルガオ社』に入らないかい?」

 「……ヒルガオ社!?ヒルガオってあの、影なんちゃら…?的な……影を倒すっていう……」

 「?ふぅん。ヒルガオ社も随分繁盛したもんだね。まあそんなとこかな。政府公認の民間組織。影憑特殊隊関連社。でも影を倒すってだけが仕事じゃないよ。あ、そうそう、君が働けば勿論その対価の利益も報酬もでる。」

 「利益も報酬も!?」

 あまり乗り気でなかったイツキだが、その言葉を耳にし、目を輝かせる。家を出る絶好のチャンスではないか。

 「そ。利益と〜、報酬〜。」

 傍から見れば月宮は詐欺師だ。

 だが今のイツキにとっては信じたい光だ。

 雑用でもなんでもいい。取り敢えず。

 「ちなみにその、対価と云うのは……」

 「もちのろんで給料はしっかりと出る。そして、なんと!?」

 「な、なんと!?」

 「今ならプラスでアパート一室そして毎日三食分の食費つき!!」

 「——アパート一室そして三食分の食費つき……。」

 「さあさあどうですか、お客さん。今逃したら今後一生チャンスは巡ってこないですよ?」

 「働きます!お願いします!」

 「そうそう。そう来なくっちゃね!じゃあ早速行くよ。」

 月宮が席を立ち、「おっちゃん!ご馳走様!」と厨房に向かって云う。厨房から「おう!また来いよ!」という元気な声を確認すると、封筒を受け取りイツキの方を見る。

 「行くよ。」

 「何処にですか……?」

 「ヒルガオ社に。」

               *

 「ここが、ヒルガオ社。」 

 「ここが……?」

 住宅街の端の海辺にある建物の前まで歩くとら月宮が云った。

 その建物はお台場の街並みに馴染んでいてら会社、というより少しお洒落なホテルのような建物。

 まだ半信半疑のままイツキが考え込んでいると、月宮が扉を開け、中に入っていった。慌ててイツキも中に入る。

 「広い……」

 扉を開けた先はホテルのロビーのような空間だった。

 「本当に会社なんすか?ここ。どう見てもホテルにしか……。」

 受付のようなカウンターの隣には、制服を着た従業員のような人達が立っている。

 そして広いロビーの真ん中には大きなグランドピアノ。それを囲むようにしてソファや椅子、テーブル。

 月宮について行くと、受付の横にあるエレベーターの前につき、月野が上へと昇るボタンを押す。

 「ホテルじゃない。会社。」

 「!?」

 イツキの質問に対する応答は、目の前にいる月宮からではない。

 恐る恐る後ろを見る。

 そこには眼帯をした落ち着いた茶色の髪の毛を下の方でふたつに結んだ少女が無表情で立っていた。

 チラッと横目でイツキを見たが、視線は直ぐにエレベーターの扉の方に。

 「あ、はい、これ。社長に渡しといて。」

 月宮が何やら笑顔で封筒を渡す。

 「…」

 少女は何も言わずにはてなと封筒を受け取る。それと同時にエレベーターの扉が開く。

 少女が乗り、月野が乗る。それに続いてイツキも乗り、月宮が三階へのボタンを押す。

 (…気まずい。)

 三階に着き、エレベーターを降りる。ちらりと少女のいた方を見てみると、そこにはもう少女はおらず、廊下を静かに歩き去っていった。

 すると奥の部屋から背の高いスーツを着こなした男が出てくる。

 よく見れば歩いていた少女が、その男を見上げ、先程の封筒を渡し、どこかへ行ってしまった。

 社長…とやらだろうか。

 その封筒を開けると、何やら男がこちらに向かって走ってきた。

 その隣を月宮が呑気に通り過ぎようとする。。

 「——なあ月宮、お前これ、どういうことだ。」

 封筒の中の書類を手に、男が月宮に向かって無表情で言う。それを誤魔化すように月宮が吹けていない下手な口笛を吹く。

 「不快なメロディを奏でるな!説明しろ。なんなんだこの、ぶっかけうどん三十二杯分、一万九千二百円分の請求書は。」

 そう言い手に持っていた書物をバッと月宮の目の前に出す。

 「いやいや、書類近すぎて見えないから。」

 (うどん…真逆!?)

 そのやり取りを見、イツキはエレベーターの前で固まり立ち尽くす。

 「まあまあ、そう怒らないで伊澄。新入社員の——入社祝いだよ。」

 「…新入社員、だって?」

 イズミと呼ばれた男が怒りを通り越した呆れたような表情で月宮を見る。

 「そう。新入社員。伊座ナミイツキくん、これが戦闘部所属のイズミ。」

 「これとか言うな!」

 二人の目線がイツキにそそがれる。

 「えっと……。」

 「ヒルガオ社の戦闘部所属のイズミだ。よろしく。」

 「切り替え早っ!?」

 イズミが愛想の無い感じに短く自己紹介のような事を言う。

 「戦闘部……?」

 「お前そんなことも聞いてないのか。」

 そう言いイズミが月宮を横目で睨む。

 ん?と、月宮は両手で耳を押え、聞こえないとでも言ってるかのようにさらにイズミを煽る。

 そんな月宮を無視してイズミが続ける。

 「この会社は部署が幾つかに分けられてる。依頼を受けて捜査、解決をしたりする探偵部、情報を管理する情報管理部、社で医療、研究を進める医療部、探偵部から溢れ出た戦闘を担当する戦闘部、そして事務員、まあ主になんのスキルも持たない一般の者の所属する事務部。事務部では主に社の清掃や受付、まあ少し雑務に近いがそれなりに給料もあり、かなり、否、若干ホワイトだ。なんのスキルも持たない一般人。少年、お前の部署がここだ。」

 なんだかよく分からないがイズミの説明に安心し、イツキは胸を撫で下ろす。それと同時に少しガッカリもした。

 噂では政府と協力し戦うとかどうこう聞いてたけど、会社の雑務、事務事、給料もそれなりにあるということで一安心したのだが、ヒーローに憧れるイツキとしては戦闘部に少し目を輝かせていたのだ。

 「あ、その事なんだけどイズミ、イツキ君戦闘部だよ。」

 続け様にイズミが話そうとしていたところを月宮が遮る。

 ——戦、闘、部……。

 「何!?この少年が戦闘部!?どう見ても普通の少年だろう。」

 「いいや、先程僕が拾ってきたラズライトだよ。」

 「ラズライト……ん?先程拾ってきた、だと?月宮、お前の独自判断でか!?社長の許可は?そもそも社長に云ったのか?」

 「まあまあ落ち着いて、社長からは了承を得たよ。」

 「いつ社長に会った?面接は?そもそものそれ本当か?嘘吐いているんじゃあないだろうな?」

 月宮はいつ、社長に会っていただろうか。

 イツキは月宮に会ってからの一部始終を思い返す。

 社長らしき人とは会っていなかった。

 特に月宮はイツキ以外誰とも会話していなかった。

 無論、面接なんてしていない。

 否、うどん屋に行った時はどうだっただろうか。

 ここ数日ろくに飯も食べていなかった為、イツキは夢中になってうどんを貪っていた。

 その時月宮は……何かを片手に喋っていた。

 何か……何か……何か……。そうだ——!

 「電話だよ。」

 「電話、だって?」

 そう、携帯電話だ。

 「それで、社長は?」

 「社長はね、あっさり了承してくれたよ!」

               *

 

 「すごい食べるねぇ……。」 

 目の前で必死にうどんを食べ続ける少年を見、月宮は携帯……ガラケーを取り出す。

 世の中にはスマートフォンというものすごく便利な物が流通しているというのに月宮は未だ、ガラケーである。

 そんなに急がなくとも飯は逃げないだろうと思いつつ、月宮はある番号に電話をかける。

 

 ヒルガオ社最上階の五階のとある部屋で電話の着信メロディが響き渡る。

 “社長のへや”と手書きで書かれた木製の手作り表札が微量の風でほんの少しだけ揺れる。

 誰も居ない部屋の扉が開き、着信音が鳴りやむ。

 先程まで鬱陶しい程に泣き叫んでいた固定電話を手に取り、耳に当てたその人物は、音を少しも立てること無く椅子に座り口を開いた。

 

 「ヒルガオ社社長の徳田とくただ。用件はなんだ」

 

 携帯越しにその声を聞くと、月宮は通話に出たヒルガオ社社長である徳田に向けてなんとも礼儀正しく話し始める。

 「社長、今御話よろしいでしょうか。」

 『嗚呼、月宮か。今、は暇だ。』  

 通話越しに聞こえるのは若い男の声。

 「はい。では御話失礼します。」

 『随分と改まって、用件は?』

 「戦闘部に、新入社員を迎い入れてもよろしいでしょうか。」

 『——』

 通話相手の社長から、返事はない。息のすら聞こえない。通話を切られているのではと不安になるほどに。

 そんな静けさに吸い込まれることなく月宮は目を瞑り待つ。そして数十秒の沈黙が続いた後、その沈黙を破るように社長が問う。

 『その新入社員のやからは、悪党か。』

 と、唯、一言。

 「いいえ、必ずしも彼は社に、そして世に貢献しますよ。これから。」

 なんの根もない話。所謂唯の月宮の勘でしかない。社長は電話越しに口を開く。その回答は——

 『——承知した。己の判断信ずる。だがもし、そ奴が社に相応しくない人間、そして社と世を悪の意で裏切れば己の判断でクビにしろ。』

 「わかりました。では、後ほど。」

 そう言い月宮は通話を切った。

 

                  *

        

 「……何の会話も情報も面接も顔合わせも無く……。」

 軽率。

 「まあ、社員を信じる社長らしあじゃあないか。」

 「……」

 「じゃ、そゆことで宜しく、イツキくん。」

 何やらぶつぶつと呟くイズミを無視し月宮がイツキに向けて言う。

 どうすればいいか分からないイツキは取り敢えず返事をする。

 「あ、は、はい!よろしくお願いします!」

 「社長の判断なら別にいいか。イザナミ、よろしく頼む。今日はひとまず仕事は無いから別棟の社員寮でゆっくり休め。」

 イズミが開き直りイツキに向けて言う。

 「はい。わかりました!」

 イツキは未だ知らなかった。

 ここからの社員生活がは想像を遥かに超える辛さだということを。

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