第3話 広島

広島駅に降り立った健一と浩二は、人波をかき分けながら、バス乗り場へと向かった。岡山の賑わいと同様に、広島も多くの人々で溢れており、特に平和記念公園へ向かうバスには、多言語で話す外国人観光客が目立っていた。健一はこれまで何度もこの地を訪れており、特に妻が存命中はよく一緒に来た場所だった。妻が亡くなった後も、健一はこの場所に引き寄せられるように足を運んでいた。


広島の空気には特有の憂鬱さが漂っている。それは健一にとって、日常の退屈を忘れさせ、何とも言えない刺激を与えるものだった。彼は原爆に関する展示を見るたびに、夢にうなされることがしばしばあった。夢の中で感じる恐怖は極めてリアルで、目覚めた後に感じる孤独や退屈が一時的に和らぐ一方で、不思議と興奮や活気を感じることもあった。


一方、浩二は原爆に対する絶対的な反抗心をもっており、原爆という言葉を聞くだけで心が重くなる性格だった。そしていまでも彼はアメリカに対して恨みを持っているし、戦争は今後も断固反対している。


健一と浩二は広島市内の原爆ドーム最寄りの駅で下車し、そこから徒歩で原爆ドームへと向かった。健一は内心、今回の旅で一番沸き立っていた。彼にとって、カメラに収めることができない悲劇の場を生で見ることは、別種の感動をもたらすものだった。そっから感じ取る憂鬱の塊が健一にとっても薬だった。健一は「この劇薬のある広島に引っ越したい」とさえ思った。浩二はスマホを取り出し、原爆ドームをとった。「やっぱ生でとるのは違うな。」と浩二はつぶやいた。

周りに外国人がたくさん湧いていた。彼らはスマートフォンでの撮影に夢中になっていた。健一はどうもそれが滑稽に思えた。


今年原爆に関連のあるオッペンハイマーが公開された。もしかしたら、浩二は見ているかもしれないと思って聞いた。「オッペンハイマー見た?」

しかし、浩二は即座に反応し、「ああ、去年バーベンハイマーで原爆を茶化したミームが流行ったやつだろ。あんなの見るわけないだろ。どうせ気分が悪くなるだけだ」と早口で返答した。彼は原爆に関連するポップカルチャーの扱いについて、明らかに否定的な感情を持っていた。原爆という題材を軽視する傾向に対して、彼は不快感を隠せなかった。


「それで見ないのは、かなりもったいないね。かなり優れた伝記映画で、実際に日本に原爆落とされるシーンもないのに。」内心では健一はこういうやつのことが嫌いだった。

浩二は顔を曇らせ、「でも日本に落とされて喜ぶシーンはあるんでしょ?ネットで見たよ。そんな映画にお金は払いたくないないわ。」と答えた。彼はそのような描写が含まれる作品に対しては感情的な拒絶反応を示していた。内心では、健一はこの種の反応を示す人々が苦手だった。


広島の平和記念資料館に向かう道中、健一は内心で浩二に対していらだっていた。浩二の平和を訴える言葉に、彼は「愚かだな」と心で思いつつ、表面上は喧嘩を避けるために「そうなのか」と適当に流した。その瞬間、彼は深くため息をつきたくなった。健一のテンションがこの広島訪問において異常に高いのは、彼が感じる憂鬱とその奇妙な楽しみが混在しているためだった。


一方、浩二は健一がこの場所に来てからの奇妙な行動に疑問を持ち始めていた。彼は心の中で健一についてある推測を巡らせていた。「健一が半日ではないか」と思ったが、その予想はかすりはするが推測は正解には程遠かった。というのも彼は根っからの憂鬱が好きなのだ。特に大切な妻を亡くなってからは。妻に出会う前からその気はあったが、特に妻を失ってからはその感情が強まっていた。。しかし健一はそのことを隠そうと思えば隠せるほどの知能は持ち合わせていた。だから浩二がどこまで自分を受け入れてくれるか健一は原爆をだしに試したかったのだ。



「日本人の半数くらいが広島に原爆が落とされた日すら知らないらしいよ。」健一は意図的にその情報を投げかけた。


浩二は少し驚いたように目を見開き、「え? いつだっけ?」と尋ねた。その返答に、健一は内心でため息をついた。

「やっぱりこいつはだめだな」と彼は思いながらも、表面上は冷静を保ち、「1945年8月6日だよ。日本史の中でも特に重要な日付だろう?」と教えてやった。


浩二は真顔のまま「ああ、そうだった。」と言い訳した。彼の反応を見て、健一はさらに突っ込んでいった。「終戦はいつか知ってる?」健一はそういう奴が訳も分からず反戦を唱えて、オッペンハイマーを拒絶しているなんて滑稽だと思った。


「さすがに知ってるよ。8月15日でしょ。あとさっきからお前の態度ちょっと感じ悪いぞ。大丈夫か?」と少し浩二はバカにしたようにいった。そしてついに口を滑らした。「そんな戦争の日程なんか一般庶民にはどうでもいいことなんだよ。それよりは戦争を今後一切しないことの方が何百倍も大事。平和が一番だよ。あとお前みたいなそんなくだらないことでマウントとることがよっぽど恥ずかしいこと自覚したほうがいいよ。」とけんか腰に言った。


健一は怒りで興奮して自分の心の内が漏れてしまった。「浩二、お前はいつも平和平和って言うけど、実際、平和ってのは退屈じゃないか? 人間はもっと刺激が必要だ。」


浩二は健一の言葉に強く反発し、「何を言ってるんだ。ここは何千人もの無辜の人々が命を落とした場所だ。よりにもこの場所でこんなこと言うなんて。その犠牲をただの“刺激”として片付けるなんて頭おかしすぎる。戦争の恐ろしさを忘れたら、同じ過ちを繰り返すことになる。平和を願うことは、退屈ではなく、必要不可欠なんだよ。」


「浩二、ちょっと冷静になろうか。」健一は最後にこう提案したが、その声にも苛立ちがにじんでいた。


「いや、もういい。少し一人になりたいんだ。」浩二は怒りを抑えきれずに答えた。彼は健一の言葉に強く反発し、特に「平和が退屈」という発言が許せなかった。


「わかった。」健一はぼそっとつぶやき、浩二の要望を尊重することにした。彼は浩二が自分の意見を持っていることを理解しており、友情をさらに損ねることは避けたかった。


そして、二人は言葉を交わすことなく、それぞれ別の方向へ歩き始めた。健一は平和記念資料館へ向かうことにし、一方の浩二は広島本通り商店街付近を散策することを選んだ。


健一が広島平和記念資料館に着いた時、入場するためには長い列ができていた。太陽が照りつける中、彼は20分ほど並び、その間に周りを見渡すと、訪れている人々の約40%が外国人であることに気づいた。この事実に少し驚きつつも、健一は一人で展示をじっくり見られることに内心で安堵していた。


ようやく彼の番が来て、資料館の中に足を踏み入れると、最初に目に飛び込んできたのは、原爆が落とされた瞬間をシミュレーションする円形の展示台だった。それは広島市の航空写真を基に作られた大規模な立体地図で、市の川や道路によって形成された様々な区画が詳細に示されていた。観察しているうちに、突如としてその平穏な風景はキノコ雲を伴う爆発に変化し、衝撃的なビジュアルエフェクトでその恐ろしい瞬間が再現された。これを深刻そうな顔してみているたぶん欧米人たちにおもわずにやけてしまいそうになった。そのため健一はかばんからマスクをとりだし、笑顔がばれないようにした。恐怖というのは世界共通っていうことは健一はどうも直感的に理解することができなかった。それは健一が日本人の中でもかなり特異な性格をしており、ましてやポジティブな人種や宗教を信じる人種は健一の対義的であると思われた。


壁をつたってみていくと悲劇的な文字が飛び込んできた。まいかいここは悲劇で気である。「お母ちゃんは白いおほねになってしまいました。」とか子供が親と離れて「悲しくて泣いた。」とかそういう文字ばかりが目立つ。そして部屋の暗さでその悲劇を演出しているかのようだった。


展示スペースが進むにつれて、メインエリアに差し掛かると、そこには被爆者の個人的な持ち物が展示されていた。一つ一つのアイテムが、その日の恐怖を物語っている。焼け焦げた弁当箱、や時計、放射能の影響を受け変形したガラス瓶などが、静かにその時を語り続けている。それぞれの品々は、ただの物ではなく、1945年8月6日の生々しい現実を伝える証人のようだった。


この展示を前にして、健一はやっと世界共通の恐怖というものを感じ始めていた。通常、彼はそうした共感を抱くことが少ない人物であったが、ここに展示されているものは、彼の心にも深く訴えかけるものがあった。このエリアでは泣いている若い女性外国人観光客を目撃した。それを見てつられて泣きそうになった健一がいたが、なぜ外人の涙を見て泣いたのかわからない。たぶん悲しみを共有できたからではないかと思う。そうここは悲しみ共感しあえる貴重な場所であった。今の日本で、こうした深い感情を共有できる場所が減少している現状に、彼は怒りを感じずにはいられなかった。社会がポジティブ信仰や商業主義に流され、真の意味での価値を見失っていることに、健一は強い危機感を抱いていた。


健一は資料館内の「黒い雨」に関する展示を前に立ち、ふと井伏鱒二の『黒い雨』を思い出していた。彼はかつてこの小説を手に取ったことがあるが、途中で読むのをやめてしまった。原爆の悲惨さを描いた作品と聞いていたが、彼にはその物語が単なるリズム的な繰り返しに感じられ、期待していた深い恐怖や緊迫感を感じることができなかったのだ。その時は、単に退屈してしまっただけに思えた。


健一は考え込んだ。小説では感じられなかった恐怖が、ここにはある。やはり、恐怖を伝えるには、視覚に訴える方が強いのかもしれない。映画や写真といったメディアは、具体的なイメージを直接視覚に訴えることで、より広い範囲の人々に共通の感動や恐怖を呼び起こすことができる。『黒い雨』が私には退屈に感じたのは、その絶望が私の心に届かなかったからだ。でも、こうして実際の証拠を目の前にすると、小説の描写以上にリアルで、心に突き刺さる。そこに小説の限界を感じた。小説は受け手の想像力も試される。原爆とはこういうものとう視覚情報がなければただの妄想にとどまってしまう。そういう面で原爆の恐怖を映画という総合芸術として残してくれたオッペンハイマーは日本人が見るべきではないかと健一は思った。彼はその流れで再び映画『オッペンハイマー』のすばらしさを思い出した。。


広島平和記念資料館の出口を出ると、健一はふと、浩二が今何をしているのだろうかと想像した。彼はスマートフォンを手に取り、LINEで連絡を取ろうかと考えたが、結局はしないことに決めた。二人の間に生じた微妙な距離感を考えると、これ以上一緒に行動するのは面倒に感じられたのだ。歳を重ねるにつれて、他人との共有よりも独りでいる時間の方が貴重に思えるようになる。それが自然なことだと健一は思っていた。


「若者に伝えたいのは、案外孤独も悪くないということだ」と健一は心の中でつぶやいた。彼にとって、この日の経験は、自身の内面と向き合う貴重な機会となった。彼はスマートフォンで新幹線の席を予約し、広島から一人で帰ることを選択した。その決断は彼にとって心地よい解放感をもたらしたが、同時に浩二との今後の関係がどう変わるかについても考えさせられた。


最後に健一は、資料館の近くにある有名な「安らかに眠ってください」と刻まれた慰霊碑を訪れた。そこでは多くの人々が慰霊碑の前で写真を撮っていたが、健一にはその光景がどこか嫌悪感を感じさせた。彼らが記念写真を撮る姿が、何となく場の重さを軽視しているように見えたのだ。そして帰りは広島駅まで歩いて帰った。名古屋を思い出させるようなデパートの連なりを通り、地下にもぐり、そして広島駅に出た。

新幹線のホームに到着した健一は、購入したいなり寿司を手に、指定された座席に腰を下ろした。電車が静かに動き始めると、彼はいなり寿司を一つずつ丁寧に食べ始めた。


浩二は健一との言い争いの後、ひとり広島の街を彷徨っていた。彼らが原爆ドームで別れてから、彼は目的もなく商店街を歩き回り、心なしか周囲のざわめきが彼の孤独感を際立たせているように感じた。彼は人ごみを避けるようにして、ふと見つけたガチャガチャ専門店に入った。店内はカラフルなカプセルが並ぶ機械で満たされており、浩二は何となく「ぼっちざろっく」と書かれたガチャの前で立ち止まった。それはちょっと前にこのアニメが流行っていたことを浩二が認知していたからであって、特別興味があるわけではない。


彼はコインを入れ、ハンドルを回した。ガチャガチャという音とともに、青髪のキャラクターが入ったカプセルが出てきた。浩二はカプセルを開け、中身を見てため息をついた。これが何であれ、彼にとってはただの空虚な時間の埋め合わせに過ぎなかった。


街をぶらつくなどということは普段の浩二にはない行動だった。彼は通常、友人と一緒にいることが多く、一人で過ごす時間はほとんど持たなかった。彼はふと考えた、「35歳にもなって、一人で飲み歩くこともできないなんて、何か間違っているのではないだろうか。」しかし、その一方で、一人で飲み歩く人々を見ると、彼らを同時に尊敬と軽蔑の念で見ていた。彼はそのような人々が友達がいないのだろうと勝手に想像していた。


さらに足を進めた浩二は、ふとゲームセンターの明るい光に引かれるように店内に入った。店内は活気に満ち、若者たちがクレーンゲームやビデオゲームに興じていた。彼はクレーンゲームの列を眺めながら、何か心惹かれるものがあるかを探したが、彼の心を動かすものは何もなかった。


街角で見つけた古本屋にふらりと足を踏み入れた。店内は古びた本の香りが満ち、整然と並べられた本棚が行き交う人々から隔離された静かな空間を作り出していた。浩二は何気なく手に取った旅行記をページをめくりながら、一人でいる旅の魅力についてすこしばかり興味を持った。しかし、彼の現実はそこにはなく、本を棚に戻すとまた街へと出た。浩二は将来的にはほそぼそと小さな個人店を経営するという夢があった。そのためさっきのような店の売り上げがどのようなものか気になった。


夕方になり、広島の街がオレンジ色に染まり始めると、浩二は疲れを感じて歩みを遅らせた。健一との一件が頭をよぎり、彼は一時の疲労を忘れて考え込むことになった。当初は健一との再会を心待ちにしていたが、資料館での議論が再燃するのではないかという不安が彼を躊躇させた。彼らが別れてから約二時間が経過し、一度は合流を考えたものの、再び顔を合わせたところで、何を話せばいいのか、また争いが起きない保証もなかった。


「昔の健一はこんなに偏屈じゃなかった。でも、時として彼は面倒くさい奴だったな」と浩二は思い返した。長い付き合いの中で彼の性格が変わったのか、それとも昔から彼がそうだったのか、浩二にはもうはっきりとはわからない。人の記憶は時が経つにつれて美化されることが多く、否定的な部分は徐々に薄れ、良い思い出だけが残ることがある。しかし、それは必ずしも真実を反映しているわけではない。記憶の改ざんが、時に自分の感情を翻弄することを、浩二は感じていた。


彼はゆっくりと公園のベンチに腰掛け、通り過ぎる人々を眺めながら、健一との友情についてさらに深く思考した。「もしかしたら健一は、そんなに良い友人ではなかったのかもしれない。」そんな考えが浩二の心に浮かぶと、彼は何とも言えない寂しさを感じた。


浩二は健一と自転車サークルにいたときのことを回想する。浩二と健一は一緒に入った数少ない同学年のサークルメンバーだった。健一はいつももじもじしていてつかみどころのないやつだった。俺は経営学部で、健一は法学部なため学術的な会話はほとんどしたことがない。彼と話すのは今どんな話をするのか思い出せないほど、くだらないものだったと思う。奴が一時期、ゆらゆら帝国に激はまりしてその話をよく聞いたのを覚えている。ちなみにいまになってもゆらゆら帝国のよさはわからない。健一には不思議にパッとしない奴だったがよく見ると顔立ちは悪くないので、それなりにモテた。一方俺はもてることはなかった。それどころか大学時代で一度も彼女はできなかった。健一は大学卒業後、一流企業の営業職に就き、すぐにサークルメンバーだった美紀と結婚した。その成功ぶりは、何となく浩二を苛立たせるものがあった。


一方の浩二は、卒業後に製紙工場の技術部で正社員として働き始めたが、恋愛に関しては一向に進展がなく、他の友達と無意味に騒ぎ続ける日々を送っていた。自分と健一との間にある微妙な進路の差が、しばしば彼の心に影を落としていた。いずれ浩二が社会人になってからもつるんでいた大学の友達もみな結婚していった。今思えば平成とはそういう時代だったのだ。みなが恋愛に心を躍らせ、結婚に憧れをもつ。流行のJ-POPには恋愛ソングが量産されている。その文化の中で、浩二も同じように恋愛を夢見ていたが、彼には何故か恋のチャンスが訪れなかった。彼はしばしば自己反省を試みたが、具体的に何が悪いのか、どの点が魅力に欠けるのかを自分では見つけ出すことができなかった。


中小企業での勤務が彼の恋愛市場でのハンディキャップになっているのではないかとも思ったが、浩二はそれを大きな障害だとは思っていなかった。むしろ、彼は自分自身の内面や性格に何らかの問題があるのではないかと考えることが多くなっていた。


それからしばらくしてサークル仲間からメールで、健一の妻が交通事故で亡くなったという悲しい知らせだった。このメッセージを受け取った瞬間、浩二は何とも言えない感情が浮かび上がった。それは同情、悲しみ、自分の人生に向き合うことの大切さだった。


健一がどれほどの悲しみに打ちひしがれているのかを思うと、浩二はすぐに何か支えになりたいと感じた。彼は慎重に言葉を選び、携帯電話のメールを使って「聞いて驚いたよ。本当に辛いだろうね。何かできることがあれば言ってくれ」と送信した。


健一からの返信は数日後に届き、「ありがとう、少し落ち着いたら会おうか」という内容だった。数ヶ月後、健一と浩二は再会した。そのときの健一は、かつての彼とは大きく変わっていた。彼の顔色は青白く、目の下には深いクマが刻まれていた。生気が抜け、やつれた様子は、まるで重い薬物依存症患者のように見えてしまうほどだった。その変貌ぶりに、浩二は心の底から衝撃を受けたが、健一の苦悩を理解しようと努めた。浩二は彼と共に飲みに行き、長時間にわたって健一の話に耳を傾けた。その夜、健一は妻の死以来、抱え続けていた孤独や罪悪感、混乱について打ち明けた。


その後の数週間で、健一からの連絡は次第に減っていき、やがて完全に途絶えた。浩二が後に知ったのは、健一が生活の場を変えるために岐阜に引っ越したという事実だけだった。健一は新たな環境で写真家としての副業を始めていたが、それ以外の彼の生活については何も知る由もなかった。


今回の旅は浩二にとって楽しみにしていたものであったが会ってから丸一日一緒にいると互いの変化と時間の経過がもたらしたズレが明白になり、結果として会話はぎくしゃくし、ついには喧嘩にまで発展してしまった。それはお互いの見解の違いだけでなく、昔の友情がもはや同じ形で存在しないことの表れでもあった。


浩二はその夜、心の重さを少しでも軽くするために、広島の街中を彷徨った後、グーグルマップで評価の高かったお好み焼き屋に足を運んだ。店内に入ると、活気あふれる雰囲気とともに、焼き台から立ちのぼる香ばしい匂いが彼を迎えた。彼はカウンター席に座り、生ビールと一緒に広島焼きを注文した。


店の主人が器用に鉄板の上で生地を広げ具材を入れ込み、全体を巧みに返し、ソースを塗りたっぷりの青ねぎを豪快にトッピングした。青ねぎの鮮やかな緑色が、金色に焼かれたお好み焼きの豊かな色合いを一層際立たせた。


ビールの冷たさとお好み焼きの熱々の対比は、浩二の疲れた心と体にじんわりと染み渡る。彼は箸でふっくらとした生地をつまみ、表面にたっぷりと塗られた艶やかなソースが彼の味覚を刺激する。熱々の生地とソースの甘辛さが絶妙に絡み合い、その美味しさに浩二は思わず顔がほころんだ。


浩二はビールの冷たさとお好み焼きの熱さが、疲れた心と体にじわりと染み入るのを感じながら、広島の変化について考え込んだ。彼の周りには外国人観光客が増え、彼らが広島の街を活気づけているのが目に見えた。これは、原爆ドームや平和記念公園といった歴史的な場所への関心が高まった証拠かもしれないが、浩二はその背後にある経済的な動因を見逃さなかった。円安の影響で日本が「お得な旅行先」と見なされていることが、この変化の一因であることは明白だった。


円安が進むにつれて、日本国内の物価も上昇している。浩二が前日泊まった岡山のビジネスホテルの宿泊料金も上がっていた。彼は自問した。「私たち日本人の生活はこれからどれだけ苦しくなるのだろう?」と。外国人観光客の増加が一見地域経済に良さそうに見えても、実際は日本人の購買力の低下と物価の上昇が重なり、生活が厳しくなる一因となっているのではないかと彼は感じた。


その上、彼の職場でも春から給料が上がるという話があるが、その増加は物価の上昇に全く追いついていない。この事実は浩二にとって、ただの数値の上昇に過ぎず、実質的な生活の改善にはつながらないと彼は思った。浩二はカウンターでハイボールを注文した。彼の心はまだ動揺しており、ビールの冷たさに続く、ハイボールの鋭い刺激が必要だった。


浩二はふと、健一との最近のやり取りを思い出していた。彼は健一に対して、平和を盲信することの危険性について語ってしまっていた。自分たちが日々直面している経済的な困難を見ると、ただ平和を願うだけでは解決しない問題が山積していることが明らかだった。浩二は自分が平和はとバカみたいに唱えれば何とかなると思っていて、平和の強要を健一にもぶつけてしまった。戦争について考えるならもちろん、しないことに限る。だが、日常生活が平和が脅かされると刺激を求める気持ちも確かに分かる。


広島焼とハイボールを飲み干した浩二は、気持ちがほどよくまろやかになっていたが、それも束の間のことだった。彼は店を出ると、再び広島の活気あふれる商店街を歩き始めた。夜の明かりがちらばる店先を過ぎながら、彼は明日の仕事を思い浮かべ、重たいため息をついた。一日の仕事を終えて、また同じルーティンが続くことに、どこかうんざりしていた。


「ずっとふらふら友達とつるんでいたい」と心の中でつぶやきながら、彼は自分が孤独を感じていることに気がついた。特に最近、一人でいる時間が長くなると、自分の生活や将来に対する不安、または健一との関係のようなかみ合わない関係について考えることが多くなる。


浩二は広島駅の券売機で新神戸駅までの新幹線の切符を手に入れた。その切符を握りしめながら、浩二は自らに課された「年齢相応の行動をとる」という社会的な期待に駆り立てられていた。。彼の中で、中年男性に期待される責任と規範が、重い鉛のように彼の肩を圧迫しているのを感じた。


「旅なんかただの気晴らしだ。そんなことしてないで働け」と、彼の内なるもう一人の声が彼を責めた。この声は社会的な期待や規範を体現しており、日常から逃れようとする彼の試みをいつも非難する。しかし、浩二はその声にただ従うわけにはいかなかった。彼は、自分の内なる世界と外の世界の間で綱引きをしているような状態にあった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る