八通目返信 母親の過去を辿る手紙

 高瀬 奏 様


 旧姓・藤野 真澄宛のお手紙を誠に勝手ながら拝読させていただきました。

 私は真澄の元夫・関川フタヒロと申します。


 妻・真澄が他界してからすでに三十年近くの歳月が流れました。

 このようなお手紙が今になって届いたという驚きと生前の真澄の人柄を想い出し、恥ずかしくも文字が滲んでしまいました。


 掛け軸に書かれた『和顔愛語』のような女性で、若かりし頃の私にとって愛すべき女性で心の支え、まさに全てでした。

 しかし、突然の別れによって私は腐り果て、一時の快楽に身を委ね、悪事に手を染めることもありました。

 残された子どもたちには苦労ばかりかける、情けない父親でした。


 私事ばかりで申し訳ありません。

 『和顔愛語』と書かれた掛け軸を母君に送られた経緯、でしたね。


 私も三十年という長い時を費やし、ようやく妻の遺品整理をする決心がつきました。

 そうして、ホコリの積もった妻の日記を見つけ、この度の経緯についても書かれてありました。


 その経緯をお伝えしようと思います。


 貴女の母君・千恵子さんは、真澄の妹でした。

 幼き頃より仲の良かった姉妹で性格も容姿も良く似ていたと日記には書いており、私も真澄より妹がいるという話は聞いておりました。

 しかしながら、外国に住んでいるということで私は直接会うことも無く、縁はこれまでありませんでした。


 それというのも、トーマス高瀬という日系イギリス人と結婚し、スコットランド郊外のスカイフォールに住んでいるだったためです。

 はず、というのも千恵子さんはトーマス氏との結婚をご両親に大反対され、半ば駆け落ちのような形で絶縁状態だったからです。

 

 藤野家は南北朝時代から代々続く書道家一族で、菊池家と同じく懐良親王を主君としていた程格式高い家柄だったのです。


 真澄はそんなご両親に隠れ、空港へと千恵子さんの見送りに行ったそうです。

 その時に手渡したのが、その『和顔愛語』という掛け軸です。

 そして、真澄自身には『先意承問』という掛け軸を残していました。

 

 「和顔愛語」とは、和やかな笑顔と思いやりのある話し方で人に接すること。

 「先意承問」には、相手の気持ちを先に察して、その望みを受け取り、自分が満たしてあげるという意味があります。


 離れ離れになろうとも、姉だけは味方であるということを伝えたかったようです。


 その後の千恵子さんとは手紙でのやり取りはしていたようですが、突然音信不通になったそうです。

 あの当時はインターネットも一般に広まっていない時代でしたから、他に連絡のしようが無かったのです。


 その当時に私と真澄は出会い、結婚し二人の子どもたちを授かりました。

 真澄は下の娘・チヒロが生まれてすぐに亡くなってしまい、前述のようになりました。


 さて、それならば何故母と子だけで暮らすことになってしまったのかですが、トーマス高瀬氏について私の友人たちが各方面から調べ上げてくれました。


 この真実をお伝えすべきかどうか迷いましたが、三十年も経てばもう良いだろうと勝手に考えさせていただきました。


 トーマス高瀬というのは偽名です。

 その正体はイギリス秘密情報部の工作員です。

 任務の度に世界中の美女と一時の情事を楽しむだけの男です。

 

 あなたがた母娘は政府の監視下に置かれ、情報を制限されていたようでした。

 あの男は工作員としては優秀だったので、私生活での交友関係全てが管理されていたのです。


 そんな舌どころか前頭葉が痺れるほど冷やしたウォッカ・マティーニばかり飲んでいる男に翻弄された千恵子さんでしたが、きっとその言葉が支えになったのだろうと思います。

 そして、貴女がいてくれたから優しい笑顔の持ち主でいたのだろうと想像します。


 何故そのように思えるのか、それは私も同じ気持ちだからです。

 ダメな父親でしたが、生まれ変わり数奇な運命を辿ったからこそ、子どもたちと和解できたのだろうと思います。

 どうしても変えられない趣味はあるけれども、生まれたばかりの孫には自然と笑顔にさせられ、満たされた日々を過ごしています。

 

 その掛け軸についてですが、返却はされなくても良いです。

 ただ、異国の家族に会いに来てはいかがでしょうか?

 貴女は決して天涯孤独ではないのですから。

 

 関川フタヒロ


 追伸 政府の監視は友人たちが解除させたからもう問題はありません。

 気が向いた時にでもお越しください。

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