第200話


『どうしてオースティン軍は戦いをやめないのだ』


 この世界大戦におけるアルノマさんの戦績は、輝かしいものでした。


 フラメールの首都パリスを義勇兵だけで守り抜き、オースティンに占領された都市を解放して回りました。


 戦えば連戦連勝、顔もハンサムで、正義感もあり、かつ舞台俳優としての実績もある男。


 そんな彼は民衆に称え崇められ、そして祭りあげられました。


『連合軍を追い返したなら、それで満足すればいいじゃないか。どうして追撃なんかしたんだ』


 ただ彼の指揮が優れていたわけでも、作戦立案能力が高かったわけでもありません。


 シルフという腹心を得て、ただ勝つべき機運に乗り続けることができただけです。


『そんなに我々を殺したいのか。そんなに、人殺しが好きなのか!』


 運のほかに彼が持っていたものといえば、カリスマ性も挙げられるでしょう。


 アルノマ・ディスケンスは兵士から圧倒的な支持を誇り、皆が高い士気を以て従ったそうです。


 この運とカリスマが、アルノマさんの武器であったといえるでしょう。


『そんなことをしているから、戦争は終わらないんだ!!』






 そんなアルノマさんは、実はオースティン領への侵攻に反対していました。


 彼の目的は祖国の解放であり、国境を越えて侵攻するのは筋違いだと怒ったのです。


 それが将来的にフラメールを守るためになるとどれだけ諭しても、ガンとして首を縦に振りませんでした。


 正義にもとると、むしろ反戦する方向へ国中で演説し始めたのです。



 救国の英雄が反戦側に回っては、フラメール政府も無視することはできません。


 ……アルノマさんの意見が汲まれ、何度もオースティンに降伏勧告がなされました。


 しかし、フォッグマン首相はこれを拒否。


 来るなら来いと言わんばかりの挑発的な態度で、戦争継続の意思を示したのです。



 これを見て、オースティンが戦うつもりなら仕方がないとアルノマさんは折れました。


 しかし侵攻作戦には参加せず、『国内で兵士を集める』ことだけ協力することになったそうです。


 こうしてアルノマさんはシルフと別れ、募兵のための広告塔となりました。



 実際のところ連合軍の司令部も、アルノマさんをちょっと持て余していたのでしょう。


 何の軍事的才能もない男なのに、その人気は絶大で勝利を呼び続ける意味不明な存在。


 そして彼の勝利は運に助けられたものが多く、次の戦いも勝利するとは限らない。


 彼には前線に出ず、プロパガンダに徹してくれる方が助かったと思います。



 かくしてアルノマさんはフラメール中で募兵ライブして回り、凄まじい数の兵士を集めました。


 チェイム風邪が大流行パンデミックしている中で十万人の義勇兵を集めたのは、彼の名声と歌唱力の為せた技でしょう。


 正直なところ、シルフが本気でオースティンを潰すつもりであったなら、連合軍の力を借りずともこの義勇軍とアルノマさんだけで楽勝だったと思われます。


 その圧倒的なカリスマ性で志願兵が殺到し、予定よりはやく兵士が集まりました。


 なので、あと数日は来ないはずの後詰アルノマがウィン戦線に姿を見せたのです。



「全軍に通達! 一刻も早く退いてください!」


 自分が目視した時には既に、アルノマさん率いる義勇兵は突撃態勢を取っていました。


 ここに到着したばかりでしょうに、彼らは士気高く突撃の構えを見せています。


 ……あれが、アルノマさんの用兵。


 戦略も策謀もなく、ただ高すぎる士気と勢いで敵を蹂躙する『猛将』型の指揮官。


「このままじゃ、国を滅ぼされます────」


 自分がそう叫び、撤退を指示したのとほぼ同時期。


 連合軍の方から大きな鬨の声が響き、アルノマさんが突撃を開始しました。




 ……攻勢精神エラン・ヴィタール


 それはフラメール兵に根強く植え付けられた、戦争の美学です。


 死を恐れず、自分が死ぬことにより後続が勝利することを誉となす、戦争に狂い切った思想。


 この思想が根付いているため、フラメール兵の突撃はそう簡単に止まりません。


 自分が死んだとしても、フラメールという国が勝てばいい。


 死んだあとは国から祭り上げられ、天国に行けるのだ。


 戦争の熱に浮かされた彼らは、本気でそんなことを思っているのです。



 なのでフラメール兵の突撃の勢いは、オースティンのそれを大きく凌駕していました。


 死んでも構わない、命の危険なんて知ったことか。


 そんな万歳突撃は、機銃を構えて待ち構えるオースティン陣地の前では『良い的』でしたが……。


 今このように、反攻している時にはこの上なく恐ろしい武器になります。


「凄い展開速度だ!」

「がむしゃらに突っ込んできている、陣形も連携もあったもんじゃない」

「馬鹿じゃないのか、あいつら!」


 塹壕戦で、部隊の突出は死を意味します。


 なので各部隊は、進軍速度を合わせて侵攻していくのが定石でした。


 しかしフラメール軍は、突出しようが孤立しようが構わず全速力で駆けてきます。


 自分の命より、速度を優先する突撃。兵士の全員が命を捨てて、全力疾走に近い速度で走ってくるのです。


 ……その速度が凄まじいのは、当然のことでした。


「まずい、一部の部隊が追い付かれてやられた」

「防御陣地がガラ空きだ、突破されるぞ!」


 これが、アルノマさん。


 これが、フラメール軍。


 我々は安易に、追撃を選択するべきではありませんでした。


 陣地を固く守り、たとえ後詰が来ても機銃掃射で追い返すべきでした。


「侵攻が早すぎる……っ」


 連合軍がアルノマと合流すれば、オースティンに勝ち目はなくなる。


 そんなシルフの予言通り、アルノマさんはウィン戦線に到着するや否や、オースティンの兵士をさんざんに追いやりました。


「ああ、ああ」


 そのあまりの大軍に、自分たちが出来る事はありません。


 逃げ遅れたオースティン兵が、津波のように押し寄せるフラメール兵に飲み込まれていきます。


 ……報告を読むまでもありません。視認できただけで、おびただしい被害状況です。


「負けです。敗戦です」


 アルノマさんと合流されたら、オースティンは負ける。シルフの、言葉通りになりました。


 彼女が恥も外聞も投げ捨て作ってくれた『勝機』は、あっさりと砕け散りました。


「もう、勝ち目なんかどこにもない」


 自分たちガヴェル中隊は何とか、元いた塹壕へ逃げこみました。


 しかし友軍の大半はフラメール兵に殲滅されたか、降伏してしまったようです。


 つまり今、オースティンの防衛陣地は穴だらけのチーズのようにガラ空き。


「たった数時間で、こんな────」


 アルノマさんの圧倒的な募兵速度、参戦判断と突撃速度。


 仲間を助けようとした自分の足掻きも、ベルンの死後に積み上げてきた策略も、すべてを無に帰す一撃。


 悪意も、戦略も、戦術も、全てを『機運』で蹴散らして。


 まさに神に愛された『これ以上ない』タイミングで、アルノマさんは参戦と共に勝利したのです。



 ────それは自分やシルフにはない、主人公の才能でした。








『聞き給え、オースティン兵。私はフラメール軍、義勇兵部隊の首長。アルノマ・ディスケンスだ』


 結局。


 シルフの自爆もむなしく、オースティン軍は散々に敗走することとなりました。


『君たちは何故、戦争をやめようとしないのか。我々には受け入れる準備があった』


 元の塹壕に戻ると、シルフが無表情にアルノマさんを見つめていました。


 こんなに簡単に、こんなに単純に、どうして彼は勝ててしまうのでしょうか。


 シルフは彼の持つ天運に、嫉妬すらしているように見えました。


『先ほどだってそうだ。君たちは首都を守れたならそれでよかったじゃないか。どうして追撃なんて選択をしたのだ』


 オースティン軍は、今や抵抗する力を失いました。


 アルノマさん達に突撃されれば、恐らく防げません。


 浸透戦術でなくとも、ただの万歳突撃ですら捌けないでしょう。


『あらかじめ、宣言しておく。私は君たちが、とても嫌いだ』


 そんな瀕死の我々に向かって、アルノマさんがオースティン語で演説を始めました。


 わざわざ拡声器を使って、広い範囲に彼の言葉が届くように。


 それは、ただ説法がしたいだけなのか。それとも、オースティン兵の心を折るためなのか。


『エンゲイなどの都市で行った略奪行為。民間人への容赦ない攻撃、殺戮。実におぞましい、吐き気がする』


 我々は喉元にナイフを突きつけられ、殺されるのを待つのみ。


 そんな状況で煽り散らかすように、アルノマさんは演説し続けました。


『私の生涯の友、ヘレンズはオースティン軍に殺された。彼とは義兄弟の契りを交わした、人生の友だった。あの男の望みはただ、オースティン軍により奪われた家族と再会がしたい、それだけだったのに』


 自分は、これを死刑宣告なのだと思いました。


 もう殆ど勝利が決まった状況なので、今までの呪詛を思い切りぶつけてやれという試みなのだと。


『どうして君たちは、そんな残酷なことができるのだ!? 人としての道徳は備わっていないのか? 答えてくれ、どうしてヘレンズはあんな最期を迎えないといけなかったんだ!!』


 ……戦争に参加した兵士が死ぬのは、当たり前です。


 戦争を吹っ掛けてきたのであれば、反攻されて都市を略奪されても仕方がありません。


 そもそもフラメール・エイリス兵が先に、オースティンの南部で蛮行を働いているのです。


『そして私はとうとう、ヘレンズの仇を討つことができるのだ。ああ、なんと素晴らしいことだろう。悪魔のようなオースティン兵と首都ウィンを滅ぼし、蹂躙し、殺戮の限りを尽くすことができる』


 しかし、戦争に参加して間もないアルノマさんにはそれが分からないのでしょう。


 自分たちの目の前の被害状況だけが鮮明で、我々の国が受けた被害はよく見えません。


『今日、この日が来たことに感謝を。祝福を。我々は、くそったれなオースティン人に目にモノを見せてやることが出来るのだ!!』


 そんなアルノマさんの鼓舞に対し、フラメール兵たちの凄まじい歓声が響き渡りました。


 彼は、フラメール人にとっての正義を高らかに宣言し。


 そしてオースティンを声高に非難して、蹂躙しようというのです。


「……勝手なことを言いやがって」

「ですが、我々は彼の意見に異を唱えることはできません」


 アルノマさんの言葉を聞いて悔し気に、ガヴェル少尉が唇を噛みました。


 それは自分も、同じ気持ちです。


 戦時の主張というのは、どちら側も一方的なもの。


 ……ほとんどの戦争では両側が正義を掲げ、勝った側がその正義を正当化できるだけです。


『さあ、我々の勝利の時は目の前だ。私の掛け声とともに、彼らの首都を攻め滅ぼそうじゃないか。さあ、声高に攻勢精神エラン・ヴィタールを掲げよ!』


 我々は、負けました。


 アルノマさんの掲げる正義に、言い返すだけの戦力を有しません。


『殺された戦友の顔を思い浮かべよ。蹂躙された家族の苦しみを想起せよ。荒らされた故郷の様相を思い出せ。我々はついに、雪辱を果たせるのだ』


 その、獰猛なまでの敵意を前に。


 自分たちは、震えあがることしかできないのです。



『……だが、聞け。勇敢なフラメールの戦士たちよ』



 自分はガヴェル中隊と共に、塹壕壁に張り付いて震えていました。


 いつ殺されるのか、もうどうしようもないのかと、憔悴しきっていました。


 ……もう、生き残る道などない。せめて最期は勇敢に、華々しく。


 そう思っていたのに。



『我々も、彼らに同じことをしたのだ』



 アルノマさんが、毅然とした声で。


 オースティン兵だけでなく、両軍に言い聞かせるように。


 いつまでも突撃を始めず、演説を続けたのです。


『……私は知っている。このエイリス・フラメール連合が、オースティン領土内で様々な蛮行を働いていたことを。オースティン人は、今の私たちと同じ気持ちだったのだ。殺された戦友を、失った故郷を、蹂躙された家族を想い、激怒してフラメール領土内に攻め込んできた』


 ざわざわ、と。


 突然のアルノマさんの話の切り替えについていけず、フラメール兵から困惑が広がりました。


『それは今、まさに先ほど君たちが感じた怒りだ。あの激情のまま、彼らは我々へと攻め込んできた。……愚かしいことだ。情けないことだ』


 困惑は、こちらも同じでした。


 それはこれ以上ないほどに高まった戦意に、冷や水を浴びせるような演説です。


『失った仲間を悼み、復讐に走る。その繰り返しが、この悲劇だ。こんなことを続けたら、いつまでたっても闘争は終わらない』


 ポカン、と口を開けて演説を聞き。


 自分も周囲の兵士も、フラメール軍指揮官アルノマ・ディスケンスの言葉をよく理解できませんでした。


『我らを舐めるな! このアルノマは、ここに集ったフラメールの勇士は、愚かで滑稽な野蛮人ではない!』


 そこまで言うと、何と。


 両軍がにらみ合う塹壕の合間に、煌びやかな衣装を身にまとった男性が、丸腰で姿を見せました。


 ……それは、アルノマ・ディスケンスその人でした。


『どうすればこの負の連鎖を終わらせることができるだろうか? それは、あと一歩まで敵を追い詰めた側が、戦いをやめるよう諭すのだ』


 彼の声は、遠くどこまでも戦場に響きました。


 その演説は両軍の戦争の熱を冷ましていきました。


『ここにいる全員に問う。オースティン兵にも、フラメール兵にも、両方だ。敵であれば命を奪い、略奪するのが当然とは思っていないか』


 アルノマさんは無防備に、塹壕の合間を歩き続けました。


 ……しかし、その様相に圧倒されたのか。


 彼に向けてオースティン側から、銃声が響くことはありませんでした。


『馬鹿なことを言うな、人を傷つけてはいけないと父母は教えてくれなかったか。殺人が当たり前になる、戦争が間違っているだけだ』


 一歩、一歩。


 まるでこの戦争への怒りをぶつけるように、アルノマさんは大地を踏みしめて進みました。


『戦争の狂気に毒された者たちよ、正気に戻れ。君が今撃とうとしている敵には父母が居て、故郷があり、大事な友人と未来がある』


 それはずっと、アルノマさんが徹底していたスタンスです。


 彼はどんな理由があろうとも、戦争が長引くような方針には断固として反対し。


 市民殺戮どころか、ただ敵兵を撃つことすらも大きく躊躇っていました。


『敵を撃たねば、自分が撃たれる。だからこそ、撃つしかない。なるほど、その理屈は分かる』


 それは、まだ戦争の狂気に染まっていない『市民』の考え方です。


 ですがアルノマさんは、この一年間はずっとフラメール軍に参加して、戦闘に参加していたはず。


 大事な親友すら、自分オースティンに撃ち殺されました。


 だから彼は、兵士になっていないとおかしいのです。


『だったらもう、撃たなければいいだけじゃないか』


 誰だって死にたくない。他人の命より、自分が大事。


 誰だって、戦友を殺されれば憎い。その恨みを、敵にぶつけるのは正当だ。


 だから戦場で、敵を撃ち殺す。その繰り返しが、戦争。


『少なくとも今、我々から講和を突き付ければ、オースティンが受けない理由はない』


 ────アルノマさんだって、戦争を知っているはずなのに。


 彼も最前線で戦い続け、大切な友をたくさん失ってきたはずなのに。


『もういいだろう。戦いを終わろう、オースティン』


 アルノマさんは、自分がどこかに捨ててしまった『理性』を、ちゃんと保ち続けていたのです。


『無条件講和だ。賠償も何もない、ただここで戦争をやめるだけ』


 だから彼は、完全な勝利をつきつけて。


『受けてくれるだろう?』


 祖国の都合なんかまったく考えず、こんな無茶苦茶なことをいいだしたのでしょう。


「な、なんだあのフラメール人は」

「馬鹿じゃないのか、アイツ」


 それは甘っちょろいという言葉を超えた、子どものように夢見がちな綺麗ごと。


 戦争に従事した人間からすれば、『馬鹿みたいだ』と一蹴したくなる幼い言動。


 ……だというのに。


『私の手を取りにきてくれ。戦争なんて、もう終わればいいんだ』


 その言葉はきっと、この世界にとって何よりも必要な『思想』でした。





 それは、政府に属さないアルノマ・ディスケンスだからこそ出来た説得でした。


 民間出の英雄で、国民に圧倒的な人気を誇り、組織や国の利益より『正義』を優先できる男。


 おそらくアルノマさんがこの世に生まれていなかったら、こんな奇跡は起こらないものと思います。


「……おい、トウリ」

「シルフ?」

「貴様の出番だ、行って来い」


 自分はシルフに背を押され、塹壕壁をよじ登りました。


 そして静まり切った塹壕の合間を、鉄条網や魔法罠をよけながら、一歩ずつ歩いて行きます。


「……」


 正面に、無言でたたずむ俳優のような男が見えます。


 落ち着いて正面から顔を見ると、自分が知っていたころのアルノマより年を取って少し彫りが深くなっていました。


 ですがその瞳は、穏やかで優しいままです。



 自分がアルノマさんに向かって歩き出したことを、その場のすべての兵士が見つめていました。


 自分は塹壕間のど真ん中で待ち続けるアルノマさんの下へ、少しづつ進んでいきます。



「……数か月ぶりだな。小さな、小隊長」

「ええ、お久しぶりです。アルノマさん」


 アルノマさんの表情には、深い憎悪と怒りが見て取れました。


 ……彼が先ほど演説で名を出した『ヘレンズ』を撃ち殺したのは自分です。


 この人にとって自分は、親友の仇。


「ヘレンズを撃ち抜いた感触はどうだった? 随分と、歪んだ笑みを浮かべていたけれど」

「……高揚していました。長らく苦戦していたエースを殺せたことに」

「そうか」


 自分は嘘を吐かず、正直にアルノマさんの問いに応えました。


 それが、彼に対する誠意だと思ったから。


「さっき、あんなことを言っておいて。実は私はまだ、貴女が憎らしくて仕方がない」

「無理もないでしょう」

「この気持ちが、復讐心が、こんな悲劇を呼び込むのだろうな」


 彼は理性な口調のまま、悶える様に自分を睨みつけました。


 憎悪と理性が、入り混じる表情。


「貴方は優しい人ですね、アルノマさん。もはや甘い、とも言えます」

「ああ、同じことを戦友に言われたよ。今やってることを打ち明けたら、猛反対された」

「そりゃされるでしょう」

「でも押し通したよ。これが私の正義だから」


 ですが、彼の顔に迷いが浮かんだのは一瞬だけで。


「歪んだ綺麗事だと感じるだろう。正義に酔った戯れ言に聞こえるだろう」

「……」

「でも、こうやって綺麗事を叫ばなければ、戦争なんて終わらないんだ」


 まもなく凛々しく毅然とした表情になり、両腕を大きく広げて自分に構えました。


「私を愚かだと笑え。現実の見えてない理想主義者だと侮蔑しろ。それで戦争が終わるなら、私はどう思われようとかまわない」

「アルノマさん」

「終戦だ。飲んでくれるね、小さな小隊長」

「……本当に、良いんですね」


 彼の意図を理解した自分は、目を閉じて。


 ゆっくり、彼の前に立ちました。


「これで、講和なかなおりだ」


 その言葉と共に。



 ────フラメールの英雄アルノマとオースティンの象徴イリスが、両軍のど真ん中で抱擁を交わしました。



「本当に、良いのですかね」

「いいに決まっている。私が、連合側を纏めてみせるさ」


 終わった。


 こんなにもあっけなく、戦争は終わりました。


「終わって、良いのですか」

「終わらせないといけないんだ」


 自分があんなに苦労して講和の道筋を立て、クルーリィ少佐に叩き潰されたのに。


 アルノマさんは戦場に駆けつけて、一瞬で『自分がしたかったこと』をその場で実現してしまったのです。


「もう戦わなくていいのですか。もう撃たなくていいのですか」

「……小さな、小隊長」

「もう、こんなに残酷で悲しい戦いは起きずに済むのですか」

「ああ」


 器が違う、まさに物語の主人公。


 どうすれば最も幸福な結末なのかを理解し、みんなを導く『神に愛された男』。


「もう自分は、大切な人を失わなくていいのですか」

「任せておけ」


 気づけば、涙があふれていて、


 震える声で囁いたその言葉に、アルノマさんは応えてくれました。


「私がそんな世界に変えてみせるさ」


 だからもう泣かなくていい、と。


 彼は大きな掌で、自分の頭を撫でました。









『さあ、講和交渉だ。もう、戦いは終わりなんだ』


 かくしてアルノマさんが『追撃に失敗し、逃げ惑うオースティン兵を見逃すこと』でこの戦いは終了しました。


 連合軍司令部から、アルノマさんへ『再侵攻せよ』という圧力はあったようですが、彼はガンとしてそれを拒否。


 英雄アルノマの演説に心動かされ、連合兵たちも戦いをやめてしまったようです。


 ……それは綺麗ごとで人を動かす、英雄としての才能。


 レミ・ウリャコフと同じく、彼もまた稀代のカリスマの持ち主だったのです。


「……これで、自分はもう戦わなくていい」


 自分はアルノマさんと別れた後、トボトボと歩いて自陣に戻りました。


 ガヴェル少尉や、シルフ・ノーヴァの待つ、塹壕の中へ。


「アルノマさんは、きっと上手くやってくれます。ならば、自分も上手くやらないと」


 戦争が終わったとしても、これからが大変です。


 戦後の復興、講和の条件、遺族への補償。


 ……何もかもを失ったこの国土で、国民を食べさせていかねばなりません。


 取り急ぎ、治安の維持は必須です。


 おそらく戦後も軍は維持され、各地の賊の討伐に駆り出されることになるでしょう。


 まだまだ、やらねばならない戦いはあるのです。


「……」


 ふと見れば、塹壕から一人の女性が自分を見つめていました


 薄汚れた泥の中で凛として佇む、塹壕の魔女。


 きらびやかな将校服と美しい長髪の彼女は、土の中でひときわ美しく輝いていました。


「シルフ」


 彼女とは色々な因縁がありました。


 ……まだ彼女との感情に、整理などついていません。


 許すには多くのものを奪われすぎ、憎むにもひときわの情がぬぐえないのです。


「終わりました、シルフ」

「ふん。酷い顔になってるじゃないかトウリ」


 皆の待っている塹壕に、戻った後。


 自分はまっすぐ、シルフの下へ向かいました。


「……貴女のお陰です。礼を言います」

「は、貴様が私にお礼か。反吐が出る」


 この後シルフは、労働者議会に引き渡されるか。


 あるいは、フラメールからの交渉でアルノマさんの下に引き渡されるのかもしれません。


 つまり彼女と二人きりで話せる機会は、もうないのです。


「あの、シルフ」

「なんだ、トウリ」


 だから、今だけは憎しみも因縁も忘れて。


 ほんのわずかな時間だけ、彼女と友人に戻りたくて。


「別れる前に、一局チェスでもどうですか」

「チェス、だ?」

「前は、手を抜きましたから。次は、本気の勝負を」

「あー、やっぱり手を抜いていたのかお前」


 そんな、声をかけてしまいました。


「嫌だね」


 自分の、その言葉を聞いたシルフは。


 とても意地の悪い顔になって、懐に手を突っ込みました。


 ……そして。


「なっ!」



 次の瞬間。


 シルフは手銃を取り出し、自らのこめかみに突き付けていました。


「な、何を! シルフ!」

「まったく、お前というやつは」



 銃を構えるシルフ・ノーヴァは、不思議な表情をしていました。


 それは、残念でならないような。


 それでいてどこか『ホっとしている』ような。


 穏やかで、悲しそうな顔でした。


「や、やめっ……!」

「最後まで、運の良いヤツだな」


 彼女の顔に浮かんでいたのは、微笑み。


 シルフは満足そうに、優しい眼で、自分を見つめたまま。





 ────ズドン、と。


 彼女は自分の頭に向けて、手銃を発砲したのです。




「あ」




 天才の脳漿が弾け、赤黒い血飛沫をぶちまけて。


 塹壕に、シルフ・ノーヴァが倒れ伏しました。


「ああ、あ。シルフ、シルフ!」


 自分は半狂乱になり、倒れたシルフに駆け寄りました。


 彼女の脳だったモノを、血まみれになってかき集めました。


「あ、あ────」


 だけど、そんなことをしても何にもなりません。


 逝ったシルフは、満足そうな笑みを浮かべて動かなくなり。


 両手を赤黒く染め上げた自分は、その場で慟哭するしかありませんでした。


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