第172話

「今までありがとう、トウリ少佐」

「貴女の指揮で戦えたことは、小官の一生の誇りです」


 任官式が終わったあと、自分は皆と一緒にキャンプに戻りました。


 そこで荷物を纏めながら、戦友と別れの挨拶を交わしました。


「うぅ、トウリ中隊長と別れることになるなんて」

「貴重な癒しが……。女性兵士なんて滅多にいないのに」

「ぷくぷくしてるのは?」

「……癒されるか? あれ」


 部隊の全員と、最後の握手を交わし。


 それぞれの無事と、武運を祈りました。


「少佐、最後にみんなで写真でも撮りましょうよ!」

「トウリ中隊は不滅!」


 皆、気の良い人達ばかりです。


 少し内気な性格の自分を、優しく盛り立ててくれました。


 彼らも、自分にとって大切な人達です。


「……では、ガヴェル少尉。これから、この中隊をお任せします」

「ああ、お前も元気で行ってこい」


 そんなかけがえのない仲間たちと、十分に別れを惜しんだあと。


 自分は私物を一通り纏めて、エンゲイ内の司令部へと足を向けたのでした。






「……トウリ・ロウ少佐です。要請に応じ、司令部に出頭しました」

「入ってください」


 司令部はエンゲイ市役所だった施設を、接収して利用していました。


 フラメールの彫刻が飾られた、厳格な雰囲気の建物でした。


「お久しぶりです、トウリちゃん。休暇は如何でしたか」

「とても、楽しい日々でした」

「それはよかった」


 その建物の玄関で、困った様な笑顔で自分を出迎えてくれたのはヴェルディさんでした。


「ヴェルディ中佐殿こそ、調子はいかがですか」

「まぁまぁ、ですね」


 ……前より更にやつれていて、顔の骨格が骸骨のようになっています。


 正直、ギョッとしました。



「司令部で、トウリちゃんと仕事の話をする日が来るとは思いませんでしたよ」

「……自分もです」


 自分は司令部内にある、ヴェルディさんの私室に案内されました。


 そこは彼の立場には不釣り合いな、簡素なベッドと机が置いてあるだけの部屋でした。


「いきなり少佐に任命されて、驚きましたか」

「自分には分不相応な階級だと思っております」

「分不相応、ときましたか」


 ヴェルディさんはフフッと、おかしそうに笑いました。


 何が面白かったのかと不思議な顔をしていると、


「戦果だけで言うなら、貴女以上の戦果を挙げている少佐はいませんよ」

「……」

「あのアルガリアの戦果を聞いて、昇進を反対できる将校もいません」


 ヴェルディさんはそう言って、悪戯っぽく笑いました。


 ……プロパガンダの影響なのか、自分の戦果は過大に評価されているようです。


「だとしても、少佐は無茶なのでは。……自分は歩兵指揮をしたのは数か月前が初めてですし、士官学校も出ていません」

「まぁ、そこは同情します。私が出来る範囲でサポートしますよ」


 ヴェルディさんはそこまで言うと、大きなため息を吐いて。


「オースティン政府から、強い圧力がありましてね。トウリちゃんを前線から遠ざけろと、強く要請されました」

「えっ」

「貴女に戦死されたら、フォッグマン首相が困るそうです。だから死なない階級……少佐に任命することになりました」


 そう、困ったような顔で教えてくれました。


「トウリちゃん、フォッグマン首相と何かありました?」

「え、えっと。……名前を貸してくれ、と言われました」

「じゃあ、それでしょうね。トウリちゃんの名を使って、何かしている最中なのでしょう。政治的な理由で、軍の人事に口を出さないでほしいもんです」


 ヴェルディさんは呆れたように、そう呟きました。

 

「我々軍人は、政治家に逆らえないんですよ。予算を政府に握られてますから」

「……フォッグマン首相が」


 ウィンで最後に会った時の、フォッグマン首相のニヤリと意味深に笑った顔が思い出されました。


 階級には期待しろ、とは言っていましたけど……。まさかこんな無茶な人事を通してしまうとは。


「私は反対しましたよ。貴女に向いている仕事とは思えませんし」

「はい、自分もそう思います」

「トウリちゃんは状況判断力がズバ抜けていて、苦境を打破するのが上手い指揮官です。貴女を危険に晒したくはありませんが……、どう考えても前線向きの人材でしょう」


 ヴェルディさんは、真っすぐに自分を見つめたまま紅茶をすすりました。


 場に重苦しい沈黙が流れました。


「私としては複雑な気分です。貴女を前線から遠ざけられて、ホっとしている自分もいる」

「ヴェルディさんは、自分が前線向きと考えているのですか」

「……正直、その通りです。叔父上などは、エース扱いして使い倒す気マンマンでしたよ」

「それもそれで、勘弁してほしいですが」


 自分が前線に向いている。その評価には、納得できます。


 というか、自分は頭を使う業務に致命的に向いていません。


「申し訳ありませんが、トウリちゃんには司令部の仕事を学んでいただくことになります。これは、私の権限ではどうしようもない決定なんです」

「了解しました。非才の身ではありますが、祖国の力になれるよう頑張ります」

「ありがとう、トウリ少佐」

「……出来れば、仕事を補佐してくれる方がいらっしゃると助かります」

「無論、手配しておきますよ。私の秘書を預けます、暫くは彼らに仕事を任せても問題ないでしょう」


 しかし、軍人たるもの上官命令には逆らえません。


 出来ない事であっても、やれと言われれば断る選択肢はありません。


「……にしても自分が、エースですか」

「ええ」


 そして自分がエース扱いされている事実を知って、切ない気持ちになりました。


 ……確かに自分は、前線指揮官として戦果を挙げてきました。


 窮地に陥りパニックになると、人格が切り替わり『冷静』になる性質があったからでしょう。


 この1点だけを見ても、稀有な才能で有るとは思います。


「ガーバック小隊長が聞いたら、何と仰るやら」

「きっと、噴き出すんじゃないでしょうか」

「百年早い、と怒鳴られそうな気もします」


 ですが自分はエースと聞いて、ガーバック小隊長の姿を想起しました。


 彼こそが本物のエースです。自分は、まだ彼に届いていません。


 ……自分程度がエース扱いされるのが、オースティンの現状。


「ちなみに自分の少佐としての仕事は、何でしょうか」

「トウリちゃんには、私が担当していた地区の連隊長をして貰います。引継ぎ資料は作っていますので、目を通してください」

「……拝命しました」

「優秀な将校を2名、担当地区に残しています。前線は彼等に任せて、問題はないでしょう」


 自分の新しい役職は『連隊長』でした。


 今まで自分は『ガヴェル中隊』という150名規模の『中隊長』でしたが……。


 『中隊』が複数集まると『大隊』となり、その『大隊』がさらに複数集まれば『連隊』になります。


 つまり指揮する軍団の規模が、二段階ほど膨らんだことになります。


「連隊の規模を、教えていただけますか」

「現在、1986名が所属していますね。比較的、規模は小さめな連隊です」

「ありがとうございます」


 自分の部下である兵士の数は、約2000人。


 数が多すぎて、いまいちピンと来ません。


「彼らの軍籍票の写しも準備していますので、目を通しておいてください」

「了解いたしました」

「あと、貴女の部屋も用意しています。喜んでください、個室待遇ですよ」


 そう言うとヴェルディさんは、山盛りの資料を笑顔で引き渡してくれました。


 衛生部の装備リュックより、重たい気がします。


「ヴェルディさんの引き継ぎという事は、ヴェルディさんは他の仕事をなさるのですか」

「ええ。今後、オースティン軍の総指揮は私が執ることになります」

「えっ」

「私が今までこなしていた仕事に手が回りません。後任が必要だったので、ちょうどよかった」


 ヴェルディ中佐は、しれっとした口調でとんでもないことを言い出しました。


「あ、あの。それは一体、どういう」

「いえ。……突然、叔父上が『俺は耄碌した、これからは若い奴に任せる』といって私に指揮権をぶん投げただけです」


 彼はそう言って、小刻みに震えていました。


 ……自分なんかより百倍くらい重い立場を押し付けられているようです。


「責任は俺が取るから、ヴェルディの好きにやれと。……毎日、胃痛で吐きそうで頭がガンガンしてますよ」

「ご、ご愁傷様です」

「頼みのベルン・ヴァロウは、前線復帰の目途は立っていませんし。私にどうしろというのですか」


 ヴェルディさんの言葉には、強い呪詛が籠っていました。


 たった21歳の若手将校にその立場は、凄いストレスでしょう。


「ちなみにトウリちゃん、書類仕事は得意ですか?」

「正直、あまり得意ではありません。前まではガヴェル少尉に手伝って貰っていまして」

「そうですか」


 書類の多さに、頬を引きつらせると。


 ヴェルディさんは亡霊のような顔で笑い、


「これから得意になりますよ」

「……」


 と、冗談めかして仰りました。










「エンゲイ防衛にあたっては東部B5地区からB21地区までが、トウリ連隊の担当防衛区画……」


 ヴェルディさんからの引継ぎ資料には、オースティン軍の機密情報が詰まっていました。


 部屋から持ち出しは厳禁で、部屋を出る際には金庫に入れて管理しないといけないそうです。


「今はエンゲイ南東部に塹壕を敷き、連合軍と数日おきに交戦しているようですね」


 自分達が首都で凱旋していた間に、エイリスの援軍2万人が到着したようです。


 連合側の兵力は10万人以上と推測され、兵力では大きな不利を背負っています。


「兵数差で押され、戦線はやや後退していますが……」


 戦闘記録を見る限り、オースティン軍は押されているようでした。


 数ヵ月で、1キロメートル近く戦線が後退していました。


 しかし司令部は、それをあまり問題にしていないようです。


「なるべく戦争を長引かせ、敵国の資源枯渇を狙うのが大本営の考え」


 首都攻略が目標じゃなくなったため、戦線を押し上げる意味はありません。


 戦争を長引かせて、連合側を消耗させるのが狙いみたいです。


「……つまり自分の役目は、地獄の維持ですか」


 ベルンの大攻勢により、フラメールも生産力が落ちている状況です。


 現オースティン軍は4万人弱、10万人以上動員している連合側と比べてランニングコストは安いはず。


 連合側の国力を奪ったあと、ほどほどで講和を結ぶのがオースティンの生き残る道。


 その為に未来ある若者の命を、塹壕へ投げ捨てるのが自分の役目。


「……」


 そんな行為が、正しいはずがないのに。


 では何をするのが正解なのか、自分にはわかりません。


 ここで若者を犠牲に時間を稼がねば、オースティンの未来が失われるのです。


 そうなると、セドル君も。


「自分も、犠牲になる筈だったのですけどね」


 たくさんの書類に囲まれて、うつらうつら瞼が重くなってきたので。


 薄暗い部屋の中、暖かなベッドに横たわりました。


 ……今日からここが、自分の仕事場所。


 前線から遠く離れた街中で、若者に死ねと命令を出す役目。


「……おやすみなさい」


 戦時中にベッドで眠れることに、気持ち悪さを感じながら。


 横になってすぐ、自分は意識を手放しました。






「トウリ少佐。ケネル大尉が、取次を求めています」

「分かりました。この部屋にお通しください」


 翌日。


 朝日が昇って間もなく、1人の男性将校が自分の部屋を訪ねてきました。


「入室を求めます」

「許可します。お入りください」


 ケネル大尉の名は、ヴェルディさんから聞いていました。


 大隊長として、前線業務に当たってくださる将校です。


 48歳の男性で経験は豊富、頭も切れてイヤらしい指揮が得意と聞きました。


 褒めている風に聞こえなかったのは、少し気になりましたが……。


「……」

「失礼。お初にお目にかかります。ケネル大尉と申しますぅ」

「ど、どうも」


 部屋に入って来たのは、なかなか癖の強い男性でした。


 今の食糧難のオースティンでは珍しく、とても肥え腹が出ています。


 青白い肌はテカテカと光り、眼は細く垂れて鋭く、髪の生え際が寂しくて。


 顎には無精髭が生え、脂が浮いていました。


「ふう、歩いて来たので疲れましたな。椅子を借りてもいいですかぃ」

「どうぞ」

「失礼、よっこらせぇ……」


 ケネル大尉は話し方にも癖がありました。


 言葉尻でイントネーションが上がる、独特の方言です。


 ……なんだか、濃い人ですね。


「初めましてケネル大尉、自分はトウリ・ロウ少佐と申します。貴官の指揮権をヴェルディ中佐殿から受け取りました」

「聞き及んでいます、よろしくお願いしますぅ」

「こちらこそよろしくお願いします」


 こちらが頭を下げると、ケネル大尉も合わせて会釈を返してくれました。


 階級は自分が上ですが、彼は戦争前から従軍しているベテラン将校です。


 敬意をもって接しましょう。


「いや話に聞いていましたが、トウリ少佐は近くで見るとなお若い。司令部の若返りが加速しましたなぁ」

「……そうですね」

「こんなに可愛い上官で、ワタクシもラッキーですわぁ」


 男はニコニコと、作り笑いを浮かべて手を揉んでいました。


 言葉尻の愛想も良いですが、眼が全く笑っていないような。


「自分が年若い事が、ご不安ですか」

「あ、分かりますぅ? いやぁ、すみません。少佐殿には隠し事が出来ないですなぁ」

「……はあ」

「ご慧眼、ご慧眼。あっはっは」


 どうやらケネル大尉の今の発言は、皮肉だったようです。


 自分とは初対面なのに、いきなり飛ばしてますね。


「実戦経験は数年、士官学校もろくに出ていない。そんなお方が上官だと、不安になるのも分かってくださいよぅ」

「ええ、仰る通りです。自分はまだまだ未熟者ですので、力を貸してください」

「ほほー? あれほどの戦果を挙げておいて、未熟とは謙虚ですなぁ」

「あの戦果は、偶然の産物でしょう。同じことをもう一度やれと言われても、出来る気がしません」

「ふむ……?」

「そして他ならぬ貴官も、そう考えているのでは?」

「……」


 ただ、ケネル大尉のご意見も分かります。


 ずっと軍人として生きていた彼からすれば、自分みたいな小娘に従うのは不安でしょう。


 その気持ちを、隠さずぶつけてくださる方がやりやすいです。


「少佐殿、本当に十八歳で?」

「ええ。もっと年下に見えますか?」

「いいえ。んー、ちょっとアテが外れましたなぁ」


 そう思って穏当に言葉を返すと、ケネル大尉は微妙な顔になりました。


 ……もっと違う反応を期待していたのでしょうか。


「ま、天狗になってないならそれで良いんです。さっきのはちと出過ぎた発言でしたな、すいません」

「はあ」

「ま、これからよろしゅうやっていきましょう。困ったことがあれば、ワタクシにご相談くださいませ」


 彼は数秒ほど自分を見つめた後、満面の笑みを浮かべ立ち上がりました。


 相変わらず、眼だけは全く笑ってませんでしたが。


「もうお帰りですか」

「ええ、前線で戦友が待っておりますので」

「そうですか。……では、お気をつけて」

「ええ。少佐殿こそ、ご機嫌麗しゅう」


 彼はそう言うと、大きく敬礼して一礼し。


 そのままニコニコと、退室してしまいました。


 挨拶が済んだら、即座に現場に戻って仕事に復帰する。


 軍人としては、正しい行動でしょう。


「……一応、お茶菓子を準備していたのですがね」


 前線指揮官に茶菓子を出すのは、無粋な行為なのかもしれません。


 昼にいらっしゃる、もう一人の大隊長には出さない方が良いのでしょうか?


 その辺の機微が、自分には分かりません。






「トウリ少佐に取次希望があります。ジーヴェ大尉という方です」

「お通しください」


 昼を過ぎるころ、もう一人の副官さんが訪ねてきました。


 こちらは30代の男性将校で、レンヴェル大佐のご一族です。


 ヴェルディさんが頭角を現すまでは、彼が若手で1番の期待株だった指揮官と聞きました。


 彼はシルフ攻勢の際、いち早く退路を確保して、レンヴェルさんをマシュデールまで護衛したそうです。


「お初にお目にかかります、トウリ少佐。私はジーヴェ大尉であります」

「こちらこそお初にお目にかかります、トウリ・ロウと申します」


 ……ジーヴェ大尉の第一印象は、物静かな「デキる男」という感じでした。


 生き馬の目を抜きそうな、眼光の鋭さがあります。


「……どうぞ、粗茶ですが」

「有難くいただきます」


 せっかく用意したので、間髪入れずにお菓子を出してみました。


 エンゲイ産のクッキーと紅茶です。


「……」

「……」


 お互いにクッキーを一枚とって齧り、モグモグしました。


 そして無言のまま、お互いに見つめ合います。


 顔合わせって、こういうので合ってるんでしょうか。


「あの、ジーヴェ大尉」

「何でしょうか」

「自分は、新しく貴官の上官になった訳ですが。何か聞きたいことなどはありますか」

「別に、ございません」

「そうですか」


 無言が苦しくなったので話を振ってみましたが、返事はそっけないモノでした。


 ……これは、どういう感じなんでしょう。もしかして、嫌われているのですかね?


「……」


 ジーヴェ大尉の経歴を考えれば、自分のような小娘に従うのは不満なはずです。


 彼は少し巡り合わせが変われば、ヴェルディさんの立場にいた人。


 本来は、自分が口を利くのもおこがましい立場の偉い将校です。


「では、ジーヴェ大尉。これからよろしくお願いします」

「御意に」


 恐らく彼は、色んな不満を押し殺していることでしょう。


 であれば自分は丁寧に、礼儀正しく関係を構築していくべきですね。


 部下との関係は、出来るだけ良好にしたいですので。



「では、私はそろそろ……」

「トウリ少佐、ヴェルディです。入って構いませんか」

「ヴェルディ中佐ですか」


 お菓子も食べ終わり、ジーヴェ大尉が椅子から立とうとした折。


「ジーヴェ大尉が来ておりまして、その」

「存じています、彼に用があります。お恥ずかしいですが、書類を渡し忘れていまして」

「ああ、なるほど。どうぞお入りください」


 眼鏡姿のヴェルディさんが、数枚の書類を持って入ってきました。


 ジーヴェ大尉は自分へ挨拶する前にヴェルディさんと話していたようですが、その時に書類をうっかり渡しそびれていたようです。


「ご迷惑をおかけしましたトウリ少佐、ジーヴェ大尉」

「いえ、もう話も終わってましたので」


 頭を掻きながら恥ずかしそうに書類を渡すヴェルディさん。


 彼は自分とジーヴェ大尉を交互に見つめた後、


「……っ、く……」

「……?」


 いきなり噴き出してしまいました。


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