第163話
これから、戦後に知った内容も含めお話しします。
アルガリアの戦いにおける、エイリス軍の事情についてです。
まずアルノマ義勇兵団が、オースティン南軍を打ち破った後。
シルフはエイリスとフラメールに、その追撃を依頼しました。
この時シルフが率いていたのは、体力のない市民兵です。
彼らでは兵站的にも、練度的にも、追撃を行うのは困難でした。
「オースティン主力軍を叩く好機だ。任せたぞ」
しかし首都パリスには、フラメールの主力軍が駐留していました。
自分達が無理なら、彼らに追撃してもらえばいい。
シルフはそう考え、戦果を譲るようなつもりで追撃を要請したのですが、
「申し訳ないが、その要請には応じられない」
「は? 何でだ、この千載一遇の好機に!」
フラメール主力軍は、シルフの追撃要請を拒否しました。
その理由は、
「たかが民兵が、オースティン主力軍に勝てるわけない」
「首都の防衛戦力を削ぐため、敗走した演技をしてるのだろう」
悪辣外道で戦えば無敗、フラメールにまで名を轟かせるベルン・ヴァロウ。
彼の悪名が、フラメール参謀本部を疑心暗鬼にさせたのです。
「違う! 確かに我々は勝った、演技の可能性はない!」
「申し訳ないが、信じられない」
フラメール主力軍は首都が落とされるのを恐れ、主力軍を動かせませんでした。
この返事に、シルフは歯噛みをした事でしょう。
一方でエイリス軍は、
「状況は了解した。貴官の活躍に賛辞を贈る、シルフ・ノーヴァ」
「……ありがとう」
「すぐさま、追撃部隊を送ろう。貴官はゆっくり休まれたし」
シルフの要請を受け、南軍の追撃を受諾しました。
エイリス軍は他国の戦争だったが故に、フットワークが軽かったのです。
彼らはエンゲイに侵攻する予定だった『援軍二万人』をアルガリアに差し向けました。
それを聞いて、シルフもひとまず胸をなでおろした事でしょう。
その後の、アルガリアでの戦いの結末はお話しした通りです。
塹壕は、エイリス軍が思っていた以上に強力でした。
渓谷地帯のため、戦力差を生かせなかったのも苦戦の要因だったでしょう。
エイリス軍は本来の能力を発揮できないまま、撃退されてしまいました。
その決め手は、二日目に我々が敢行した夜襲だったようです。
あれで砲撃魔導師を殺され、はるばる運んできた食糧と魔石も失ってしまいました。
これが痛恨だったようで、この時点で南軍追撃作戦を完遂できる食料はなくなったそうです。
それでもエイリス軍指揮官は諦めず、食事を減らしての作戦継続を決断しました。
その結果、エイリス軍では兵士に嫌な雰囲気が漂い始めたそうです。
この二日間、何の戦果も上がらぬまま無策で死地に突っ込まされ続け。
挙げ句の果てに、食事を減らされ夜通し攻撃に参加させられる。
そんな状況でエイリス軍の兵士は、何を考えるでしょうか。
─────これ以上、付き合ってられるか。
俺達は戦いに来たのであって、銃弾の的になりに来たんじゃない。
銃の性能が違い過ぎて、まともな戦闘になっていない。
たった150人に苦戦するのに、オースティン南軍三万人の追撃なんてできる筈がない。
二日目の夜には、士気低下が馬鹿にならないレベルになっていました。
後方部隊からは『何をてこずっているのか』と不審がられ、前線部隊は『蜂の巣にされる』と突撃を嫌がりました。
とうとう脱走兵まで出始めてしまい、エイリス指揮官は仕方なく撤退を決意したそうです。
すでに、南軍の追撃が間に合うか分からない。
このまま作戦を続けたら兵站が尽き、脱走兵が増える一方。
そもそもこれは、エイリス軍主導の作戦ではない。
シルフの要請に応えただけの、義理のようなもの。
彼らにはこれ以上、戦闘を続けるモチベーションが無かったのです。
こうしてエイリス軍は、二日目の夜にアルガリアから撤退したのだそうです。
この戦いでのエイリス軍の被害は、次のように報告されています。
死者221名、負傷者547名、脱走者332名に加え、魔石の8割、食料の4割を焼失。
一方でオースティン軍の被害は死者76名、負傷者21名、消費した弾薬は1日分だけでした。
歴史上でも類を見ない、大勝利。
勇敢な戦友が命を賭け戦ったから、この奇跡は成ったのです。
……彼らと共に戦えたことは、自分にとって誇りです。
アルベルト少尉の、戦場の検分が終わった後。
自分達はアルガリアに立てた戦友たちの墓標に祈りを捧げ、帰路につきました。
「アルガリアに散った76名の命は、我らの祖国の礎となりました。自分達が今日、こうして朝日を拝めるのは彼らの勇気の賜物です」
「……ありがとう」
「勇敢だった我らの戦友に、敬礼」
彼らの遺体は焼いて、見晴らしの良い丘に埋めました。
野生動物に食われてしまうので、遺体を持ち帰ることは叶いませんでした。
「遺書とドッグタグは、しっかり持ち帰ります。どうか、死後は安らかに」
アルガリアで散った英雄達に、全員で敬礼した後。
自分達はアルベルト中隊に護衛してもらい、エンゲイへと撤退したのでした。
そして、エンゲイに着いてからですが。
「……よく、戻ってきてくださいましたトウリちゃん」
「はい」
自分はまず、作戦経過を報告すべくヴェルディさんを訪ねました。
帰還したら上官へ報告、これが指揮官の義務です。
「報告書は読みましたよ。実によくやってくれました」
「光栄です」
「非常に素晴らしい。文句のつけようがない」
ヴェルディさんは、アポイントをとったその日に会ってくださいました。
早く話がしたかった、とのことです。
「恐らく、本戦争で最も戦力差が大きい勝利でしょうね」
「はい」
「叔父上も喜んでいました。歴史に残る快挙ですよ」
「ありがとうございます」
久しぶりに見たヴェルディさんは、げっそりやせ細っていました。
頬がやせこけて、肌は病的に青白いです。
ちょっとだけ、ギョっとしました。
「まだ、貴中隊の戦果は未公表です。大騒ぎになってしまうでしょうから」
「そうなのですか」
「全く、とんでもない事ですよ。……戦果が大きすぎて情報を伏せるなんて、前代未聞です」
ヴェルディさんは、呆れたような表情で自分を見つめました。
……真偽確認が済むまで、公表できなかったということでしょうか。
「あの報告は事実ということで、相違ありませんね」
「はい。……勇敢だった部下たちの戦果です。虚言など混ぜません」
「……そうですか」
ヴェルディさんは話を聞いた後、溜息を吐きました。
その後ゆっくり、自分のおでこに指を近づけ、
「えい」
「痛っ」
そのまま、おでこをペシンと弾きました。
「……?」
「はあ」
自分が驚いておでこを押さえていると、ヴェルディさんも弾いた指を痛そうに握っていました。
……何とも微妙な空気が流れました。
「ヴェルディ少佐。自分は何か、ご不興を買う様な事をしたでしょうか」
「していませんよ。貴女の戦果はとても立派です。文句などある筈がない」
「はあ」
「貴女を含め、生き残ったトウリ遊撃中隊の面々は全員、歴史に名を刻むでしょう。私も上官として鼻が高いばかりです」
ヴェルディさんはデコピンした後も、自分を手放しに褒め続けました。
じゃあなぜ額を弾かれたのかと、疑問符を浮かべていると。
「今のは上官としてではなく、戦友としての行動です。トウリちゃん」
「ヴェルディさん?」
「……エイリス軍を確認したなら、なぜ逃げなかったのですか。あらかじめ撤退を許可していたでしょう、私は」
ヴェルディさんはジィっと、怖い目で自分を睨みました。
「アルガリアに敵が確認できたら、後方で布陣を変えるつもりでした。トウリちゃんに時間を稼がせるつもりなんてなかった」
「そうだったのですか」
「貴女への命令は、偵察だけだったでしょう。撤退許可を出してあるのに、砦に立てこもって2万人相手に応戦って何を考えているんですか!」
ヴェルディさんは座ったまま、静かに怒声をあげました。
その剣幕に、自分は黙り込んでしまいました。
「結果論ですが。私は叔父上の説得に失敗し、兵を動かす事は出来ませんでした」
「……」
「だからトウリちゃんが奮戦しなければ、我々は負けていたでしょう。参謀本部の尻拭いを、貴女にしてもらった形です」
「ヴェルディさん」
「だから、私にこんなことをいう権利はない。そんな事は分かっています」
彼は自嘲するように唇を尖らせた後、拗ねるような口調で、
「でもね、トウリちゃん。私には部下も同僚もたくさんいます。けれど戦友と呼べるのは、もう貴女一人だけなんです」
「……」
「無茶をしないでください。私を孤独にしないでください。……共に同じ塹壕で寝て、同じ夜空を見上げた仲間なのですから」
ヴェルディさんは、泣きそうな顔で言いました。
「ああ、何でしょうね。この矛盾した気持ちは。私はこんなにもトウリちゃんに感謝しているのに」
「いえ、その」
「……これ以上は、無様が過ぎますか。面倒くさい事を言ってすみません、トウリ少尉」
彼はそのまま顔を背け、ゴシゴシと目もとを拭きました。
机の上には、蒲公英が差さった花瓶がありました。
「では改めて。トウリ少尉殿、此度の作戦における貴官の功績は計り知れません」
「光栄です」
「暫く、貴中隊には休暇を与えます。その間に部隊補充や表彰を、予定します」
「ありがとうございます」
ヴェルディさんは真面目な顔になり、自分に敬礼しました。
ここからは『上官と部下』としての話という事でしょう。
「それに伴い貴方達には、ウィンに戻ってもらうと思います」
「ウィンに、ですか?」
「『休暇として帰省を許可する』という建前ですが、ほぼ公務ですね。凱旋やパレードなど、プロパガンダに協力して頂きます」
「……なるほど」
「貴女の中隊は半壊しているので、前線にいる意味が無いですし」
自分の内心を察したのか、ヴェルディさんは苦笑いしました。
正直、堅苦しいのは苦手なのですが……。
部隊が再編成されるまで、やることが無いのも事実。
元よりプロパガンダ部隊の隊長です。存分に利用されるとしましょう。
「貴官の奮闘と、その功績に敬意を表します。作戦お疲れ様でした、トウリ少尉」
「ありがとうございます」
向き合って一礼して、ヴェルディさんの部屋を出る直前。
「……あ、そうだヴェルディ少佐殿。最後に一つ、お願いしたいことが」
「おや、何でしょうか」
自分は、思い出したようにヴェルディさんに一つお願いをしました。
「実は────」
「へえ、休暇でウィンに凱旋か。悪くねーな」
「ガヴェル曹長は、ウィンの出身でしたっけ」
「ああ。ウィンの士官学校卒だ」
そういう訳で、自分達はウィンに凱旋する事になりました。
更に特別報奨金と、1か月ほどの休暇が貰えました。
……ロドリー君が生きていたら、またデートなどしたかったのですが。
「母さんがどんな顔をするか楽しみだ。俺には期待してなかっただろうし」
「そうなんですか?」
「俺の場合、従兄弟や兄弟が優秀過ぎてな……。だが、今回ので見返したはずだ」
ガヴェル曹長はウィンへの凱旋と聞いて、嬉しそうに鼻を膨らませました。
彼にとっては、悲願が成就したようなものなのでしょう。
「……それと、ナウマン兵長」
「何ですか、トウリ少尉」
喜ぶガヴェル曹長に微笑みを返した後、自分はナウマンさんに向き直りました。
そして真剣な顔にして、
「望むなら、この休暇の間に故郷へ戻っても良いそうです」
「─────」
そう、伝えました。
これは、自分からヴェルディさんにお願いした話です。
休暇で故郷に帰るのは、兵士の正当な権利です。
ナウマンさんの気持ちを知っていたので、無理を言ってお願いしたのです。
……その結果、残酷な事実を知ってしまうのだとしても。
「そりゃあ、願ってもない話ですな」
「はい」
「……そうか、家族の下に行けるのか」
ナウマンさんは自分の言葉を聞いて、深く考え込みました。
思案と困惑が、顔に色濃く浮かんでいました。
「この機会を逃すと、次に休暇はいつになるか分かりません。良ければ、と思いまして」
「そうですね。そりゃあそうだ」
「……余計な世話、でしたか」
「いや、とんでもない」
自分としては、喜んでくれるかなと思ったのですが。
その提案を聞いたナウマンさんは、ひきつった笑みを浮かべるだけでした。
「あー、どうしましょうかね」
「……」
ナウマンさんは数秒ほど、考えるそぶりを見せた後。
やがて意を決したように顔を上げ、
「いえ、里帰りはやめておきましょう」
そう、きっぱりと言いました。
「良いのですか?」
「ええ。家族の安否を知るのは、戦後でいい」
「次の休暇まで、生きてるとは限らねぇぞナウマン兵長」
「そうなりゃ、後悔しつつ野垂れ死ぬだけでさぁ」
ガヴェル曹長に説得されても、ナウマン兵長は軍帽を深く被って苦笑するだけでした。
故郷には戻らないという決意は、固いようです。
「後悔するのでしたら、帰った方が……」
「トウリ少尉。確かめなければ、妻も娘もまだ生きている可能性があるんですよ」
「……」
「情けない話ですが、妻や娘が死んでいると知って、戦い続けれる自信がありません。後ろに家族がいるから、俺ぁ命を張れるんです」
「そう、ですか」
「まだ祖国に尽くすためにも、俺ぁ何も知らない方が良いんです」
そこまで言われては、自分には何も言えませんでした。
彼が家族の安否を確かめない限り、『生きているかもしれない』という希望は残ります。
そのまやかしのような『希望』が、ナウマン兵長が戦う理由なのです。
「トウリ少尉殿。来年のアンナのプレゼント選びも、相談に乗ってくださいや」
「……ええ。自分で良ければ」
「今度こそ、思わず返事が書きたくなるようなものを贈ってやりますよ」
彼は戦う理由を見失わないよう、敢えて真実から目を逸らしました。
それもまた、一つの勇気と言えるかもしれません。
「一緒にウィンで、パーっとやりましょう。少尉殿」
そう言って笑うナウマン兵長に、自分は愛想笑いを返すことしかできませんでした。
「ウィンへの出発は、1週間後だそうです」
「了解」
「ウィンまでの旅路は、アルベルト中隊に護衛される事になりました」
「じゃあ、挨拶に行かねーと」
翌日、ウィンに向かう日程を教えて頂けました。
我々は再び、アルベルト少尉に護衛して頂くことになるようです。
「……なあトウリ。栄誉ある凱旋にしては、随分と大荷物じゃね?」
「ええ、大荷物ですね」
なので我々は、再びアルベルト中隊に挨拶に伺ったのですが。
彼らが準備していた大荷物に、ガヴェル曹長がツッコミを入れました。
「おお、よく来たな若き英雄たち。これらは、我らが輸送する物資ですよ」
「なあトウリ、もしかして」
「ええ。我々はアルベルト少尉の物資輸送任務についていく形です」
そう、アルベルト中隊は我々の為だけにウィンへ移動するのではなく。
彼らはウィンに物資輸送する任務があり、我々はそれに追従させてもらうだけです。
「ちなみに、自分達も偵察や哨戒をお手伝いさせていただく予定ですよ」
「それじゃ、休暇じゃなくてただの護衛任務じゃ」
「そう言えるかもしれません」
働かざるもの、食うべからず。
我々も、彼らの任務のお手伝いをすることになっていました。
なので、任務と言って差し支えないかもしれませんね。
「せめて、俺らの仕事なくせなかったのかよ」
「民の輸送も行うらしいので、人手が足りないそうです」
「民?」
「エンゲイまで拉致されていた、オースティン人です」
今回の任務は、物資だけでなく『人間』も輸送する事になっていました。
せっかく2個中隊で移動するので、人手の掛かる『市民輸送』も行ってしまうそうです。
奴隷として拉致されていたオースティン国民を、ウィンに送り届ける任務です。
「人間の輸送は難しい上に、負傷兵の輸送が優先されるので、市民が国に帰る機会は貴重なのです」
「なるほど」
「自分もサバトで難民をしていたので、輸送を先送りにされる辛さは知っています」
サバトの難民キャンプから本国に帰るまで、半年以上待たされましたっけ。
セドル君と暮らせた幸せな時間ではあったのですが、忘れられてるんじゃないかという不安も抱えてはいました。
「是非、彼らの力になってあげようじゃありませんか」
「了解。軍人の本懐だしな」
「ありがとうございます」
だから、これは本当に偶然でした。
「……」
アルベルト中隊に挨拶した後、自分達は拉致された民のキャンプに伺いました。
彼らはエンゲイ市内の集合住宅で、軍から配給を受けて生活しているようでした。
出発は1週間後だと伝えると、彼らは歓喜に沸きました。
「なあ、嘘だろう」
そんな、歓声を上げる拉致民に交じって。
ナウマン兵長だけは、呆然と立ち尽くしていました。
「もしかして、パパ?」
「────っ!」
彼の見つめる先に、一人の少女が居ました。
自分と同年代の、目もとがクリっとした可愛らしい茶髪の少女です。
「嘘だ。ああ、そうなのか。いや、だって」
「パパだ。うわ、パパが居る!」
「アンナ、アンナなのか。お前、本当に、そんな────」
集合住宅の出入り口で、掃き掃除をしていた少女。
彼女には、ナウマン氏が持っていた写真の女の子の面影が色濃く残っていました。
「お前、こんな、大きく────。大きくなって、生きて、いて」
「うわー、びっくりだ」
キョトンとしている少女に。ナウマンさんはよろよろと歩み寄ります。
そしてそのまま、感涙にむせんで少女を抱きしめました。
「どうし、どうして、アンナがここに」
「ママと一緒に、敵に捕まったの。だけど、途中で軍人さんに助けてもらった」
「そうか、そうか。マ、ママは何処に?」
「部屋でお洗濯してると思うよ」
「そうか……」
少女はナウマン氏に抱きしめられ、なすがままにされていました。
ナウマン氏は肩を震わせ、少女に抱きついたまま、
「そうか────」
娘の体温を確かめるように、いつまでも離そうとしませんでした。
「敵に捕まった時、凄く怖かったんだから。次はパパが助けに来てよね」
「ああ、そうだな、すまなかったな」
「まったくもー。パパったら、何してたのさ」
「ごめんな、怖かったな、来るのが遅くなってごめんな」
やがて彼の声は枯れてきて。
娘に泣き顔を見せぬよう、もたれるように抱き寄せました。
「パパはな、これでもすごく頑張ってたんだ」
「そうなの?」
「ああ。頑張ったんだぞぅ……」
ポタポタと、ベテラン兵士の大粒の涙が地面を濡らします。
「もう駄目かもしれないくらいの敵に囲まれてなぁ。何度も、死んじゃうかもって思った」
「そっかぁ、大変だったんだ」
「でもなぁ、死にそうになるとアンナの顔が浮かんできてな。まだ死ぬわけにはいかんと、底力を振り絞ってだな……」
自分がガヴェル曹長に目配せして、その場を離れました。
これ以上、その光景を眺め続けるのも無粋だと感じたからです。
「ほ、本当は諦めてたんだ。もう、諦めなきゃって覚悟してたんだ。でもどうしても、受け入れられなくて!」
「……パパ?」
「よ、良かった。本当に、良かった。また会えると思ってなかったんだ。だって、もう、心の奥底では────」
野太い子供のような鳴き声が、エンゲイの集合住宅に響き渡り。
感涙に咽ぶ男の叫びは、いつまでも続きました。
……思えば『アルガリアの奇跡』と呼ばれたこの戦いは、幸運の連続でした。
様々な犠牲を払い、望外の幸運が重なって、我々は奇跡的な戦果を手にしました。
そんな凄まじい幸運の、最後のひとかけらがまだ残っていたのでしょうか。
「よく、よぐ生きでいてくれだ! アンナ!」
「……もー」
「今まで、頑張っだ、甲斐が、あっだァ!!」
幸運の女神から最後のプレゼントを受け取ったナウマン兵長は。
そのまま無事に奥さんと再会し、夜通し泣き続けたそうです。
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