第147話

「トウリ少尉です。要請に応じ、出頭いたしました」

「……ああ。よく来てくれたね、トウリ少尉」


 翌朝、自分はヴェルディさんのテントへ伺いました。


 話は通っていたようで、待たされることなく入れて貰えました。


「……」

「……?」


 テントの中のヴェルディさんは、まだ全快という感じではなさそうでした。


 肩に包帯が巻かれて、顔も青白く、目の下に隈がありました。


「おはよう、トウリ少尉。ご壮健ですか」

「は、はい。幸いにして、健康状態は良好です」

「そうですか」


 そして何故か、ヴェルディさんの口調は歯切れが悪く。


 目線を逸らしたり合わせたり、落ち着かない様子に見えました。


「その、自分を呼んだご用件をお伺いしてもよろしいですか……?」

「え、ええ、無論ですとも。今日、貴女を呼び出したのは他でもありません」


 彼はそういうと、一瞬黙り込んだ後。


 意を決したように顔をあげて、


「貴女に謝罪と、感謝を」

「謝罪と感謝、ですか?」


 そう言って、自分に頭を下げました。


「私は、先日の指揮で大きな失策を犯しました。知っての通り、ガス攻勢の件です」

「……ガス攻勢」

「私は、ガスによる味方への二次被害を恐れ、作戦人員を減らしました。どうせ敵が反撃してこないだろうと高をくくって」


 ヴェルディさんはそう言うと、唇を噛みしめて。


 まるで懺悔するかのような表情で、自分を見つめて話を続けました。


「愚の骨頂でした。その結果、サバト軍に防衛線を突破され大きな被害が出ました。オースティンの勝勢に水を差す、最悪の結果です。そのせいでリナリー通信兵も、命を落とす事になりました」

「……」

「貴女とリナリーの関係も聞いていました。新しい家族が出来たのだと、彼女が嬉しそうに報告してくれましたから。あの時のリナリーは、本当に幸せそうで」

「……っ」


 そう言うとヴェルディさんは目を伏せ、唇を噛みました。


 リナリー・ロウ。自分の義妹になるはずだった、ロドリー君の忘れ形見。


「私がきちんと、普通に指揮を執っていればリナリーは死なずに済んだでしょう」

「それは」

「すみません。私の失策です」


 彼女が死んだのは自分のミスであると、ヴェルディさんは謝ったのです。


 恐らく自分を、『リナリーの遺族』とみなして。


「逆に貴女の判断は素晴らしかった。状況を理解するやすぐサバト軍の後方を脅かし、敵エース級を撃破。非の打ちどころがありません」

「あの状況なら、殆どの指揮官は同じ行動をしたでしょう。ゴルスキィ……敵エースを討ち取れたのは、自分があのような戦果を挙げられたのは、『幸運』だっただけです」

「いえ。私があなたの立場だったとしたら、戦闘を避けたでしょうね。味方が撃たれる姿を指を咥えて見ていた筈です。上の許可なく戦端を開くべきではない、それが士官的には妥当な判断ですから」


 ヴェルディさんは顔を上げると、哀しそうな目でそう言いました。


 確かガヴェル曹長も、そう判断をしていましたっけ。


「戦闘勘と言うのでしょうか。あるいは貴女が言う様に幸運か。トウリ少尉はそういう物を持っているのだと思います」

「……」

「だからでしょうか……叔父上は貴女を、中隊長なんて立場に抜擢したのでしょう。申し訳ありません」

「あ、謝らないでください。非常に光栄だと感じています」

「アリア従姉上と生前、約束していたんですよ。貴女は優しいから、背負えば背負うだけ傷ついてしまう人間だと。トウリ少尉が一兵卒でいられるように守ってやるべきだと」


 そのヴェルディさんの言葉に、自分はハッと驚きました。


 アリアさんはそこまで、自分の事を気にかけてくれていたのですか。


「それでヴェルディさんも、自分の階級を下げようとしてくれていたのですね」

「ええ」

「……お気遣い、ありがとうございます」


 後で聞くと、自分の階級を下げる際にヴェルディさんはレンヴェル中佐と結構やりあったそうです。


 『身内の階級を下げるとは何事だ』と怒るレンヴェル中佐を宥め、ゴリ押しで衛生曹に降格させてくれたみたいです。


 自分が昇進を受け入れてしまったのは、ヴェルディさんの苦労を台無しにしてしまった形なのですね。


「せめて衛生部に戻せないかと、レィターリュ衛生部長の打診を受けて掛け合っているのですが」

「ありがとうございます。ですが、自分は歩兵のままで大丈夫です。もう敵を殺すことに躊躇いなどありません」

「そうですか」


 自分の発言を聞いて、ヴェルディさんは少し悲しそうな顔をしました。


 しかし彼はすぐに表情を引き締め、軽く咳払いした後、


「では、トウリ少尉には暫く遊撃中隊を率いて貰います。暫く訓練期間は設けますので、万全な準備をお願いします」

「了解です、少佐殿」

「最初は輸送任務などからでしょうが、侮ることなくやり遂げてください。決戦の際には、遊撃部隊として参戦していただくことになるでしょう。しっかり訓練をお願いします」

「分かりました」


 そう自分に命令を下しました。


 自分も敬礼を返し、ヴェルディさんを見上げます。


 ……そうだ、せっかく話が出たのでヴェルディさんにも相談してみましょう。


「ヴェルディ少佐、その訓練の件なのですが」

「どうしましたか、トウリ少尉」

「自分の容姿が幼いせいか、兵士達の間で『プロパガンダ部隊である』という噂が流れている様でして。そのせいで訓練を真面目にしない兵士が、一定数居るようです」

「……あ、ああ、成程。えーっと」


 訓練をサボられる件について相談すると、一瞬ヴェルディさんの目が泳ぎました。


 不審に思って見つめると、彼から何かを誤魔化そうとする欺瞞を感じました。


 ……あ、まさか。


「無論、そんな訳は無いので真面目に訓練していただくように。必要とあらば、専門の訓練教官を────」

「……あの、ヴェルディ少佐」

「何でしょう」

「本当にプロパガンダ部隊だったんですか」

「ぐっ……」


 もしやと思ってヴェルディさんの顔を覗き込むと、確かに動揺が見て取れました。


 ……プロパガンダ部隊だなんて、ただの噂話と思っていたのですが。


「あー、その、すみません。正直な話、貴女の遊撃中隊を編成する際に叔父上が『幸運運びラッキーキャリーの名で士気を上げる』事をアピールポイントにしまして」

「はあ」

「プロパガンダの側面が有る事は事実です。しかし兵士達には実戦に出て貰う想定ですので、訓練はしっかりお願いしますよ」


 ヴェルディさんは曖昧な笑みを浮かべて、自分にそう伝えました。


 まぁ確かにあの噂をうまく使えば、良いプロパガンダになりますね。


「利用できるものは利用するのが軍です。兵士の士気は、馬鹿にできません。トウリちゃんは思う所があるかもしれませんが……」

「いえ、そういう事であれば不満はございません」

「それは良かった」


 自分の返答に、ヴェルディさんはホっとした顔で笑みを見せました。


 ……何となく、まだ何かを隠している気がします。


「プロパガンダの意味はあれど、自分達は実戦に出る想定ということでよろしいのですよね?」

「勿論です。兵士達には是非、実戦で実力を発揮していただきたい」

「そう、ですか」


 『兵士達には』実力を発揮していただきたい、ですか。


 少しだけ、その言い方が引っ掛かりました。


「では、あの」

「何ですか、これ以上は喋りませんよ」

「質問です、ヴェルディ少佐。実戦で運用される想定にしては、妙に新兵が多いのですけど」

「……まあ、最近は人材難でしてね」


 実戦を想定しているにしては、自分の中隊に新兵が多すぎるのです。


 昨日はまともな訓練にならないほど、素人が集められていました。


 ……ベテランは、とことん年配な人ばかり。


 まるで、新兵を指導するために配属されているような────


「もしかして自分の中隊は、プロパガンダを兼ねた訓練部隊だったりします?」

「おっと」


 自分の質問に、ヴェルディさんは言葉に詰まりました。


 数秒ほど気まずい沈黙が流れた後、ヴェルディさんがため息を吐きました。


「どうしてそう考えたのですか、トウリちゃん」

「実戦運用する想定ならばもう少し新兵と中堅、ベテランをバランスよく配属するでしょう。いくら何でも新兵の比率が高すぎます」

「……」

「実戦で使える中堅どころが殆どいなくて、新兵と体力の落ちているベテランばかり。オースティンが人材難だといえ、少し妙だと思っていたのです」


 そう、考えてみれば妙でした。


 経験が浅い指揮官には、ベテランが副官として付く筈です。


 しかし中隊長は従軍3年目の自分、副隊長は兵士1年目のガヴェル曹長。


 こんな未熟者コンビで実戦投入するなど、考えてみればあり得ません。


「素晴らしい頭の回転の速さですね、トウリ少尉。貴女がウチの家に生まれていたら、参謀将校のエースになっていたでしょう」

「誤魔化さないのですか」

「ええ、降参です。すみませんが私は、士官学校出じゃないトウリ少尉を実戦に参加させる気はありません。叔父上と喧嘩になりましたが、断固として却下しました」


 どうやらヴェルディさんは、最初から自分に実戦指揮をさせるつもりが無かったようです。


 幸運運びラッキーキャリーの噂でプロパガンダしつつ、最前線で新兵教育を行うのが彼の目的。


 だからナウマンさんなど経験豊富なベテラン兵士を教官役として配置し、他は新兵や問題の多い中堅を割り当てたのだそうです。


 自分の下で訓練を積んだ兵士を、少しづつ前線に『配置換え』していく予定だったのだとか。


「最近オースティン軍は、新兵の質が落ちていまして。兵力が心もとないからこそ、焦らずしっかり訓練を積ませた方が良いと私が意見具申しました」

「成程」

「オースティンの人口はかなり少なくなっています。新兵を守るためにも、今までのように『徴兵して即実戦』なんてすべきではありません」


 ヴェルディさんから話を聞いて、色々と納得できました。


 彼は経験の乏しい新兵が実戦投入される事に問題提起し、訓練を積ませるための部隊を設立すべきだと主張したそうです。


 その方針は作戦本部で受け入れられ、試験的に『実戦投入せず、経験を積むことを目的とした部隊』の編制計画が進められていたのだとか。


 そんなタイミングで自分が功績を上げたものですから、『それなりに功績があり、プロパガンダにも使え、衛生兵だから治療も出来る』と指揮官に推挙されたそうです。


 ……成程。


「ヴェルディ少佐のお考えは、理解致しました。部下には実戦に耐えうるよう、訓練を積ませます」

「よろしくお願いします」


 この時自分は、少しガッカリしていました。


 せっかく敵を殺す決意を固めたのに、自分の部隊が実戦に投入されないと知ってしまったからです。


 しかし与えられた役割をこなす事こそ、軍人の務め。


 そう思って、しっかり敬礼を返しました。


「……不満げな顔をするんですね、貴女が」

「すみません、顔に出ていましたか」

「長い付き合いでないと分からないでしょうけど、確かに不満げでしたよ。ちょうどロドリー軍曹に冷たくあしらわれた時の顔をしていました」

「そんな顔はしていません」


 ヴェルディ少佐は苦笑してから、軽くジョークを飛ばした後。


 ふと真面目な顔になって、思い出したように話を続けました。


「これから我々はフラメール内地に斬り込みます。民衆を攻撃対象にして、敵の人口を削ぎます」

「……」

「貴女に、その役割について欲しくありません。……これは、私の勝手な感情です」

「そう、ですか」


 彼は反論を許さぬ口調で、きっぱりそう言いました。


 これからオースティンは、一般市民を対象に略奪と虐殺を繰り返し、フラメールの首都を目指します。


「市街地へのガス攻撃も検討しています。貴女に、その覚悟がありますか」

「市街地に、ガス攻撃を?」

「目の前で悶え苦しむフラメール市民に、銃弾を撃ち込む覚悟はありますか」

「そ、それは」


 ヴェルディさんの告げた作戦に、自分はグラリと衝撃を受けました。


 考えたら、オースティンがその作戦に行きつくのは当然の道理でしょう。


 兵数の少ないオースティンが、最も効率的に敵を殺す手段。


 それはガス攻撃に他なりません。


「できますか、トウリちゃんに」

「……それは。人道的な観点から、問題を感じました」

「ええ、確かに『人道に反している』と声高に反対する参謀もいました。ですが私は、ガス攻撃を提案し実行するつもりです」


 確かにそれは有効でしょう。


 民間人が、ガスに対する有効な反撃手段を持っているとは思えません。


 しかし、その方針はあまりにも……戦後に大きな軋轢を生むと思われます。


「トウリちゃんは反対ですか」

「……ガス攻撃には様々なリスクが伴います。例えば急に風向きが変わったり、敵が『風銃』を持つ兵を伏せていたり」

「それはまぁ確かに」

「それに戦後の処理……民間感情に悪影響を及ぼすでしょう。あまりに人道から外れる作戦は、推奨されないかと」

「そうですか。一つの意見として受け止めておきましょう」


 自分の意見にヴェルディさんは、少し寂しそうな顔をしました。


 効果面だけ考えれば有効かもしれませんが、戦後の影響を考えると賛成しづらいです。


「……安心してください、トウリちゃん。この方針は反対が多すぎるので、恐らく却下されます」

「そうなのですか?」

「ええ。先日の会議で『そんな非人道的な作戦なんてとんでもない』と、大反対されたのですよ」


 どうやらオースティンには、まだ良識を持った参謀が残っているようでした。


 確かに、現状を考えるとオースティンに手段を選ぶ余裕なんて無いのでしょうけど。


 ガス兵器による市街地攻撃は、絶対に避けた方がいい……と自分は思います。


「ふふ、やはりトウリちゃんは優しいですね。殺したいほど敵が憎いのではなかったんですか」

「それは」

「私はトウリちゃんに、そんな事を求めません。新人を教育して、死なないよう鍛えてあげてください」


 ヴェルディさんは葛藤する自分を見て、優しい顔になりました。


 ……自分は優しいのではなく、歴史を知っているからガス攻撃に反対しているだけですけど。


「これからもオースティンは、悪辣な手段を取っていくでしょう」

「……」

「悪魔の誹りは、私が背負います。トウリちゃんは、どうか変わらないでください」


 ヴェルディさんはそう言った後。


 優しく目を細めて、自分に微笑みかけました。


「まぁ、実際どんな手段で侵攻するかはまだ分からないのですけどね。人道的な侵略なんて、存在しないはずですし」

「それは、確かに」

「恐らくは、ベルン少佐が責任を持って何かしら提案してくれるでしょう」

「ベルン少佐、ですか」


 ヴェルディさんはそう呟いた後、少しだけ卑屈な顔になって、


「何せ、私のガス攻撃案に『人道に配慮しろ』と猛反対しているのがベルン少佐ですので」

「は?」


 この世で最も『人道』という言葉から遠い男が、会議で寝言を抜かしていると教えてくれました。


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