第142話

「こっちよ、トウリちゃん」

「はい」


 レィターリュ衛生部長は自分を、人気のない倉庫区画へ案内しました。


 どうやら、看護兵を紹介してださるらしいですが……。


 何故こんなところに連れてこられたのでしょうか。


「────ぷくぷく」

「あの……」


 そんな疑問を浮かべながらレイリィさんについていくと。


 連れてこられたテントの中には、ボサボサな髪をした女性が地面に座り込んでいました。


「彼女はアルギィ。看護兵としてのキャリアは3年、南部戦線の生き残り」

「はあ」


 その女性の年齢は、二十代半ば……くらいでしょうか?


 アルギィさんは息を飲むほど美麗────身なりさえまともならアイドルも目指せそうな、整った顔の女性でした。


 だというのに小汚ない看護服を着て、何やらプクプク呟きながら医療物資を枕代わりに寝ていました。


「アルギィ、起きなさい。新しい上官を紹介するわ、トウリちゃんよ」

「あ、どうも。ただいまご紹介に与りました、トウリ・ロウ少尉と申します」

「────ぷくぷく」


 アルギィさんに自己紹介をしましたが、返事はありません。


 彼女はこちらをチラリと一瞥しただけで、すぐそっぽを向いてしまいました。


「アルギィ、挨拶は?」

「ぷーくぷくぷく、ぷーくぷく」


 レイリィさんが注意しても、我関せずという態度です。


 自分の世界に入り込んでいるのか、敢えて無視をしているのか。


「ま、アルギィは見ての通りの性格で。一言でいえば、団体行動が苦手なタイプなのよ」

「……それは兵士にしちゃダメな人じゃないですか」

「こんな情勢じゃなければ、兵士にされなかったでしょうねぇ」


 レイターリュさんはそう言って、溜息を吐きました。


 ……まぁ今の戦況で、兵士をえり好みする余裕なんて無いでしょうね。


「集団行動が苦手な人はむしろ、前線に派遣する方がいいのよ。単独作業が多くなるからね」

「……成程?」

「実際、去年アルギィを歩兵中隊に派遣した時は良い感じだったのだけど……」


 レイリィさんはそう言うと。


 難しそうな顔になって、ハの字に眉を曲げ、


「なまじアルギィが美人だったもんだから。兵士が暴走して、トラウマになるような経験しちゃってね」

「……えっ」

「それ以来アルギィは、男性兵士を怖がるようになってしまったの。だからこんな所で、一人ポツンと待機してるわけ」


 そんな事を教えてくれました。


 遠回しに言われましたが、男性兵士による性暴行の被害者という事でしょうか?


 それで言葉が通じなくなるほど、心を閉ざしてしまったのですね。


「男性恐怖症の彼女だけど、上官がトウリちゃんなら大丈夫でしょう。貴女の中隊にはアルギィを推薦するわ」

「それは……」

「アルギィ。貴女もう一度、歩兵中隊の看護兵をやってみない?」

「────ぷくぷくぷくぷく」


 レイリィさんのその話に、アルギィ看護兵は不満げにプクプク音を鳴らしました。


 ……どこからそんな音を出しているのでしょうか。


「レイターリュ衛生部長殿。アルギィさんにそんな過去があるんでしたら、歩兵中隊への派遣は難しいのでは? トラウマがフラッシュバックするかもしれません」

「……勿論アルギィの過去には、同情するんだけどね?」


 自分はアルギィ看護兵の事が心配になったのと。


 出来れば『普通の看護兵を紹介してほしい』という下心も混じって、レイリィさんにそう提案しました。


 するとレイリィさんは笑顔のまま、


「何もしない看護兵を公費で養う余裕はないというか……。有体に言うとこの娘、サボり癖が酷いのよ」


 額に血管を浮き上がらせて、アルギィさんの首根っこを掴みました。


「……サボり癖、ですか?」

「アルギィは襲われるのが怖いって、病床仕事を手伝ってくれないの。まあ、それは分かるから良いわ」

「はい」

「だから裏方の事務仕事を頼んだんだけど、全く手を付けてくれず。倉庫の物品整理を振っても、一日中サボって居眠りを決め込む」

「はあ」

「それでも私は『辛いことがあったし、仕方が無い』と見守ってあげてたのよ? そしたらとうとう酒保に忍び込んでワインを盗んじゃったのよ」

「えっ」


 こっそり忍び込んで、酒を盗む? 純然たる窃盗じゃないですか。


 それは軍規違反どころか、犯罪では。


「ま、彼女の事情も事情だから、最初は甘い裁定をしてたの。酷い経験をして傷付いたんでしょうって、私が上層部に頭を下げて」

「……」

「最終的に、私が弁償する形で不問にしたわ。それなのにこの子、何度注意しても窃盗を繰り返すし」

「ぷくぷく……」

「『酒は傷ついた心を癒す』ですって? うん、そうね。そう思って1年間も我慢した。貴女になるべく、優しく接してきたつもりよ」

「1年間も」


 話を続けるうちにだんだんと、レイターリュ衛生部長の声色が冷たくなってきました。


 こんなに怖いレイリィさんを見るのは初めてです。


「そんなこんなで立ち直るまで、様子を見てあげていたんだけど」

「ぷくぷくぷくぷく」

「でも、先々月の夜。アルギィ、貴女こっそり夜に酒保に抜け出して、何をしてたっけ?」

「ぷく?」


 レイリィさんはにこやかな笑顔のまま、そう言ってアルギィさんに詰め寄りました。


 ビクっと、アルギィ看護兵が動揺したように目を逸らします。


「貴方、男娼の店に通ってなかった?」

「ぷ、ぷくぷく……」

「『それは男性恐怖症のリハビリのため』? なら良かったわね、男に囲まれて気持ちよく酒を飲んでいたじゃない。心配してついてった私がバカみたい! 変な事件に巻き込まれてるんじゃないかって!」

「……」

「働かずにもらった給料で、男を侍らすのは楽しかった!? 私は我慢してるのよ、そういうのは!!」


 ……。


「確かに、貴女には哀しい事件があった。でもそれを言い訳に、好き勝手し過ぎじゃないかしらアルギィ」

「────ぷっくぷくぷー」

「『記憶にございません』みたいな顔やめなさい。仮にも上官よ私」


 温厚なレイリィさんにここまで叱責されてなお、アルギィ看護兵は舐め腐った態度を崩しませんでした。


 額に汗を浮かべてしらばっくれる彼女からは、どうしようもない駄目さ加減を感じます。


「次に歩兵部隊から派遣要請が有ったら、アルギィを派遣しようと決めていたの。上官も女性のトウリちゃんだし、丁度良いじゃない」

「ぷー」

「あー、その、レイリィさん。部隊の健康を預かる方なので、出来ればもう少し普通の方が」

「看護兵の人事は私の領分よ、口を出さないでくれるかしらトウリ少尉。そもそも貴女が預かればいいじゃない、優秀な衛生兵なんだから」

「……そうですね」


 何とか他の人をと思いましたが、レイリィさんに冷たく丸め込まれてしまいました。


 もしかしてレイターリュさん、自分にも怒っている感じですか?


 断りなく、勝手に歩兵部隊に転属してしまった自分に。


「何事も早い方がいいでしょ? アルギィは今日中に合流させるわ。どうせこの娘に引き継ぐ仕事なんて無いし」

「……ぷくー」

「駄目よ、決定事項。あと、トウリちゃんには言葉で意思疎通しなさいよ。そのプクプクするの、不快な人は不快だと思うわ」


 どうやら自分の部隊に来る看護兵は、アルギィさんで決定の様です。


 旧トウリ小隊の方々を引き抜ければ万全だったのですが……。


 そうですよね、優秀だった彼らを前線に引き抜く余裕なんて無いですよね。


「大丈夫、サボり癖があるだけでアルギィの腕は確かよ」

「そう、ですか」

「手先が器用だから、処置をさせたら右に出る者は居ないわ。だからこそサボらないで欲しいんだけどね」

「プェー」


 自分の困り切った表情を察して、フォローを入れるレイリィさんの背後で。


 ダルそうな顔で地面に伏せたアルギィ看護兵を見て、自分は小さく溜め息を吐きました。











「だるー。あー酒欲しい。ぷくぷくぷく」

「何だコイツ」

「我が中隊の看護兵です、ガヴェル曹長」


 その日の晩。


 アルギィは数人がかりで肩を抱えられ、清潔な看護服に着替えさせられた後に自分の隊に放り込まれました。


 部屋から叩き出された引きこもり状態の彼女は、地面に寝転がって微動だにしません。


「早いな。今日申請したところだろ?」

「申請したらすぐ紹介されました」

「流石はレイターリュ衛生部長。お前の昇進を聞いて、申請されるのを見越してたのか」

「……ええ、そうですね」


 自分の昇進は聞かされていなかったっぽいですけど、余計なことは言わなくていいでしょう。


 手を焼いていた看護兵を押し付けられた、とバレたらややこしいですし。


「あー、先に言っておきますけど。彼女は、男性恐怖症らしいです」

「え、前線に連れてきて大丈夫なのかそれ」

「……多分、大丈夫です」


 そういう話のはずなのですが……アルギィさんに周囲を怖がる様子はありません。


 近くに沢山男性兵士がいるのに、実に堂々と地面に寝そべって尻を掻いています。


 ……本当に男性恐怖症なんでしょうか?


「ただし、一応丁寧に対応していただけると幸いです」

「分かった」


 しかし、アルギィさんは前線で貴重な看護兵です。


 性格に難がありそうですが、取りあえず丁重に扱いましょう。


 なるべく、トラブルにならないように気を使って────


「何かさっそく、看護兵がプクプク煩いってトラブルになってんぞ」

「あー。注意してきます……」


 ……うまく扱えるでしょうか。






 夜遅く、古ぼけた野営テントの中。


「トウリ少尉。部隊の補充申請書類、終わらせたぞ。次は物資の在庫確認だ」

「分かりました。ありがとうございますガヴェル曹長」


 自分はガヴェル曹長と並んで、仲良く書類業務を行っていました。


 因みにこのテントは、トウリ・ロウ専用と掛札がかかっている自分の個人テントです。


「申請された使用弾数と、実際の残弾が一致しているか確認しないといけない」

「はい」

「小隊長に一人でも適当なヤツが混じっていたら、数が合わなくなる。そうなると再検証する羽目になるから、小隊長は真面目なヤツを選んどけ」


 中隊長以上には、個人用のテントと机が支給されます。


 中隊長から書類仕事がかなり増えるので、テントがないと仕事の効率が落ちるのだとか。


 ガーバック軍曹の様に、戦果を挙げれば小隊長でもテントを貰えるみたいですが。



「ようし、残弾に間違いはなさそうだな。良かった良かった」

「はい」

「じゃあ次は……訓練メニューか」


 ……自分はガヴェル曹長に手取り足取り教えてもらいながら、仕事を終わらせていきました。


「新しく配属される部下の訓練プログラムを用意しておくのも、中隊長の仕事だ」

「なるほど」

「まずは訓練として達成課題を設定するんだ。配属された兵士の練度を見て策定するが、仮に『塹壕内防衛任務に耐えうる』としておく。その為に、短期目標と長期プランを策定して適切な訓練を割り振って─────」


 士官学校を出ているだけあって、ガヴェル曹長は書類仕事にも精通しているようでした。


 一方でデスクワークに慣れていない自分は、この業務にかなり苦労しました。


「……教官は自分と、ガヴェル曹長で行う形でしょうか」

「メイヴに頼んでもいいかもしれん。あのオッサンの方がそういうのに慣れてそうだ」


 病院業務は命のやり取りなので緊張感を持てたのですが、書類仕事は単調でただ疲れるだけ。


 山盛りの書類をガヴェル曹長と共に埋めていく作業は、経験したことの無い疲労感でした。

 


「……ま、今日はこの辺でいいだろ。明日に備えて寝るぞトウリ中隊長殿」

「分かりました」



 自分達はある程度キリの良いところまで終わらせ、月が満ちてきたあたりに床に就きました。


 昇進するというのは、書類仕事が増えるという事。


 一生ヒラで居たいけど、管理職が居なければ仕事が回らない。


 レイリィさんがそんな事を愚痴っていたのを思い出しました。


「負担をかけてしまって、申し訳ありません。ガヴェル曹長」

「ああ? いいよ、爺ちゃんに言いつけられてるし」


 本当は、これらの仕事を自分一人でこなさなければなりません。


 しかしガヴェル曹長は文句ひとつ言わず、深夜まで手伝ってくれました。


「前は、俺が助けられたからな。これくらい、何てことはない」


 ガヴェル曹長は恩に着せる感じや、不満げな空気を出すことなくそう言って。


 自分の方を見向きもせず、彼の寝袋をテントの中に横たえました。 


「明日も早いぞ。とっとと寝ろトウリ少尉殿」

「はい」


 彼は口を挟む暇もなく、寝袋の中に潜り込むと。


 5分も経たぬうちに寝息を立て、爆睡し始めました。


「……」


 自分の個人用テントの中で。





 ……これは言外に、自分にテントの外で寝ろと言っているのでしょうか。


 このテントは元々ガヴェル曹長の物だったそうですし、それも仕方ないですかね。


 まぁ別に自分は野宿の方が慣れているので、それも構いませんが。


「……」


 いえ。よく見たらガヴェル曹長は、テントの空間を半分を空けてくれています。


 これは、自分に隣で寝ろというメッセージ……なのかもしれません。


 ガヴェル曹長は年下ですし、気にすることは無いのかも。


 少なくとも向こうにその気はなさそうですし、気にせず寝てしまいましょうか。


「おやすみなさい、ガヴェル曹長」


 自分は呟くように声をかけ、寝袋を彼の隣に敷いた後。


 そのまま静かに包まって、速やかに意識を手放しました。


「……くがー」


 ────ちなみにガヴェル曹長は、かなりイビキが煩い方でした。


 銃声や爆発音よりはマシなので、それなりに眠れましたけど。









「……おはようトウリ少尉殿。おい、起きろ」

「ん?」


 まぁ、一つ失策が有ったとすれば。


「お前、何で抱きついてんの?」

「おお」


 自分は少し寝相が悪く、抱きつき癖があったことを失念していた事でした。


「すみません、ご迷惑を。自分は寝ると、近くにあるものに抱きつく癖があるようで」

「あー、こっちもすまん。お前のテントになってたこと、完全に忘れてたわ」


 朝目が覚めたら、自分はガヴェル曹長の背中からガッチリと手を回していました。


 ……セドル君を抱きしめる夢を見ていたので、寝ぼけたのでしょう。


「とはいえお前。普通、男の隣で寝るか」

「自分にその様な気はおこさないでしょう?」

「……ん、まあ」


 自分はなるべく、変な感じにならないようサラっと対応する事にしました。


 ぶっちゃけ気まずいのですが、意図してそういう空気にならないように軽く会話を続けます。


「下着とかも替えたいので、一旦出て行って貰えますか曹長」

「お、おお。分かった」


 この失敗は以前も、何度かやらかしたのですよね。


 ……ロドリー君の荷物に抱きついたことも有りましたっけ。


「それじゃ、またな」

「ぷくぷくぷくぷく……」


 ガヴェル曹長は少し気まずそうに、テントの外へ出ていこうとしたら。


 テントの入り口の外にニート看護兵が張り付き、プクプク覗き見していました。


「……」

「ぷっぷくぷー」


 何で上官のテントを覗いているのでしょうか、この看護兵。

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