第116話


 結局のところ自分は、レミさんから事の詳細は教えて貰えませんでした。


 彼女とは旧知の仲とはいえ、軍事機密を含む話までは教えてはいただけないようです。


 自分が話して貰えたのは、一般市民ですら把握しているレベルの情報だけ。


「ではトウリ、貴女は是非のんびりと平和が来るのを待っていてください」


 レミさんはそう言うと、ニッコリ笑って自分を抱擁しました。


「残念ながら今すぐ、貴女をオースティンに帰す事は出来ません。タール川への陸路は、まだ政府軍の勢力下なのです」

「はい」

「ですが安心して下さい。今度は私たちが、きっと貴女を故郷へと帰して見せます」


 彼女は、自分をオースティンに帰してくれると約束しました。


 それは遠回しに、これから東方司令部を攻めると教えてくれたのでしょう。


「かつて貴方達が、私をこの土地に届けてくれたように。あの時の御恩を、いま返しましょう」

「……ありがとうございます」

「ですがいつか。貴女もこの国に住んでみたいと、そう言ってくれる日が来ると思いますよ」


 レミさんのその言葉に、あいまいな笑みを返した後。


 自分は逃げるように、彼女の部屋を辞しました。





 その後の話です。


 自分は捕虜ではなく、市民として労働者議会に協力する事となりました。



 自分の立場は微妙でした。何せサバト人にとって、憎く恨めしい元オースティン兵なのですから。


 しかし、労働者議会は「オースティンと同盟する」と声明を出したばかりです。


 いくら心情的に憎くとも、自分に危害を加えるような人はいませんでした。



「また、此処にも死体だ」

「辱めた痕跡もある。何て恥知らずな」

「これが仮にも、政府を名乗る軍隊のやることかよ」



 政府軍が去ってからは、食料の確保や負傷者の手当てにインフラの再整備と、革命軍は大忙しでした。


 魔法砲撃で水路が破壊されていたので、かなりの区域で断水が起こっていました。


 そのため、応急処置的に人力の水輸送が開始されました。


 また食料も足りてなかったので、狩人による熊狩りが毎日のように行われました。


 熊の解体作業、初めて見ました。


「……この方の手術をしたいので、どなたか助手に入れませんか」

「この人の処置が終わったら入りまーす!」


 自分は民間協力者として病院に配属され、負傷者の治療を任されました。


 胸の治療を受けた恩返しの意味も込め、自分は身を粉にして働き続けました。


「オースティン人に、治されるのは、複雑、だ」

「自分は、サバト人を治療しても複雑な気持ちになりません」


 同盟宣言があったからか、オセロ村の時のように悪意を向けてくる患者は殆どいませんでした。


 親し気に話しかけてくる人も、いませんでしたが。


 『治してくれるなら誰でもいい』というのが、彼らの本音なのでしょう。


「痛みはまだ残っていますか」

「あんたに切られた場所が、少し」

「なら痛み止めを追加しておきますね。今夜は痛みますよ」


 自分は久しぶりに、ただの癒者として無我夢中で働きました。


 ……マシュデールの野戦病院で、徹夜で戦友を治し続けた日々を思い出します。


 患者さんと向き合って、日夜問わずにがむしゃらに仕事をし続けました。


 そのお陰か、病院の人とは時おり会話を交わす程度に仲良くなれました。


「なぁトウリさん。もう、患者は殆どいなくなったよ。少し休んだらどうだ」

「いえいえ、何のこれくらい」


 そして自分は病院で、逃げるように強迫的に、ひたすら仕事を続けたのでした。








 この時のサバトの情勢について、簡単に語りましょう。


 東方司令部からの攻勢をしのぎ切ったことで、労働者議会はサバト国内の最大勢力にのし上がっていました。


 オースティンが労働者議会を政府と認めた今、レミさんが正真正銘サバトの支配者になったのです。



 サバト内の軍事力を、レミさんがほぼ掌握していたのも大きいでしょう。


 元よりこの国の兵士の大半は、オースティンに隣接する東方司令部と南方司令部に所属していました。


 なので、東方、南方の両司令部を撃破・従属させた時点で、彼女に敵対する軍がいなくなったのです。


 つまり先のヨゼグラード攻略戦が、事実上サバト国内の頂上決戦でした。


 その戦いで政府軍が敗北を喫してしまったので、政権交代が成し遂げられてしまったのです。



 ちなみに、南方司令部の攻略法は内通工作だったそうです。


 レミさんは攻撃しに来たトルーキー将軍と対談し、その思想を染め上げて降伏させたのだとか。


 やはり、彼女と一対一で対面するのは非常にリスキーみたいです。 





 そんな労働者議会にとっても、ヨゼグラードでの戦いは紙一重でありました。


 政府軍が凄まじい勢いでヨゼグラード市街地まで攻め上がってきた時は、流石のレミさんも顔が真っ青だったそうで。


 一時は「もはやこれまでか」と、幹部間で自決するべきか話し合ったこともあったのだとか。



 しかしベルン・ヴァロウの入れ知恵で、一気に政府軍を撤退させることに成功しました。


 あの同盟宣言の裏でどのような策謀があり、何故シルフ達が撤退に追い込まれたか当時の自分には結局わからずじまいでした。


 この時の裏で起こっていた駆け引きを知ったのは、ずっと後になっての事です。





 そしてこの戦いの結果、当時の東方司令部軍はほぼ壊滅しました。


 無茶な行軍で大量の脱走者と脱落者を出し、無策な攻勢で兵力を消費し、そして無意味に撤退し兵士の心を折った結果です。


 また、この戦いで政府軍の参謀を務めたシルフは、一気にその名声を失う事となりました。


 一時は時の人としてオースティン討伐の立役者になりかけた彼女の存在は、オースティンと友好路線を選択した新政府にとって邪魔でしかなかったのです。


 分かりやすい『悪』を作りたかったレミさんにとって、旧政府軍の指揮官たちは格好の標的でした。


 その中でもシルフの悪評は根が深く、虐殺行為も彼女の指示だったというデマを大半の市民が信じていました。


 彼女に散々に煮え湯を飲まされたトルーキー氏の、私怨も有ったのかもしれません。



 この戦いにおける両軍の被害は凄まじいモノでした。


 記録上5万人強いた東方司令部軍は、帰還時に1万人まで消耗していたそうです。


 実に8割以上の兵士が脱落、死亡、脱走している計算です。3割以上の兵士が死傷すれば壊滅と判定される近代戦で、この被害の凄惨さがよくわかるのではないでしょうか。



 一方で労働者議会側として参戦した志願兵、南方司令部の兵士の死傷者は合わせて7万人と言われています。


 もっともこれは兵士だけの死傷者であり、戦闘に巻き込まれたり、虐殺や餓死による市民の被害を合わせると20万人近くに上るそうです。


 すなわちヨゼグラードの人口の5人に1人が被害にあった計算です。その戦闘の苛烈さと、恐ろしさが良く分かります。


 たった5万人という小勢で、ここまでの被害を出せたシルフはやはり天才だったのでしょう。


 本人が望んだ結末かはさておいて。


 

 とまぁ、そんな両軍ともにボロボロの状況でしたが、労働者議会の戦意は高らかでした。


 政府軍が撤退した後も士気高く、敵が建て直す前に出陣して叩くべしと盛り上がっていました。


「政府軍は市街地を荒らすだけ荒らして、出ていきやがった」

「アイツらさえいなければ、親父は死なずに済んだんだ」

「許さねえ、許しちゃおけねぇ」


 彼らの怒りも、当然でしょう。大事な家族を、友人をただ傷つけられたのですから。


 ですが自分はシルフの想いを聞いていただけに、やるせなくて仕方ありませんでした。


 彼女はただ、レミ・ウリャコフという怪物に騙された市民に目を覚ましてほしかっただけなのです。


 なお、


「今すぐ攻勢に出る物資が無い。春を待ってくれ」

「……」


 そんな市民を宥める様に、敵の偉い人(恐らくトルーキー将軍)がお触れを出しました。


 冬の間はとりあえず、平和みたいです。







 本音を言えば、自分は一刻も早くシルフ達を追いかけセドル君と再会したかったです。


 しかし自分はそれなりに疑われてはいたようで、常に周囲に誰かの目がありました。


 一人で街の外なんかに出たら、多分射殺されていたでしょう。


 自分はレミさん達に保護されてはいましたが、同時に監視されてもいたのです。


「大丈夫です、春の攻勢で東方司令部を陥落させます。貴女の友人たちは、私達が保護して差し上げます」


 レミさんにオセロ村の住人の事を相談してみると、そう返ってきました。


 彼女の言葉を信じる限り、労働者議会は難民キャンプの市民に手を出すつもりは無いのでしょう。


 いえ、レミさんはサバトを指導していく立場の人間として「市民に手を出すわけにはいかない」のかもしれません。


「……」


 ですが、もしレミさんがサバトを統一したとしたら。


 労働者議会への反発の強いオセロ村の住人が、レミさんの方針に反発した場合、何が行われるか想像に難くありません。


 自分の直感が言っています。彼女は、理想のためならば容赦なく他者を殺す人物だと。


 ────何としても、セドル君を連れて国外に脱出しないと。


 自分はそんな焦燥を胸に抱えつつ、ただの民間癒者として、サバトの野戦病院で忙しい日々を送り続けました。





 ヨゼグラードへの大量の支援物資が届けられたのは、まもなく冬が明けようかという頃でした。


 南方司令部────、サバト南部の穀倉地帯から、大量の食料と武器弾薬が輸送されてきたのです。


 これによりヨゼグラード市民は食料確保に奔走する必要がなくなり、いよいよ開戦に向けて準備が進められました。


「母さん。俺、新しいサバトを作ってくるよ」

「くれぐれも、体に気を付けて」


 街中の若い男は、ほぼ自らの意思で徴兵に応じました。


 二度と、あの悪魔の軍勢サバト政府軍をヨゼグラードに入れてなるものかと意気込んでいました。


 自分より年下の子供たちが、簡素な防寒具と実銃を身に纏って整列する姿は、胸が痛くなりました。



 先の戦いで、自分は少年兵を撃ちました。


 希望に燃えていた、銃を持っているだけの幼い子供の胸を、出会い頭に迷わず撃ち抜きました。


 生き残りたい、セドル君に会いたいという自分勝手な都合で、誰かの大事な子供を帰らぬ人にしてしまいました。



 その先に、セドル君との平和な暮らしが待っていると。


 サバトの国内で、異国の地で、夢にまで見た安寧を手に入れる事が出来ると。


 そう思い込んで、自分は少年兵を撃ちました。



 結局、自分がその子を殺した意味は、何もありません。


 だって、サバト政府軍は負けたのですから。


 撤退するサバト軍に自分は置いて行かれ、ただ『自分は無意味に大量の殺人を犯した』という事実だけが残りました。



「……レミさん。出征するなら自分を、衛生部においてください」

「トウリ?」

「少しでも。一人でも、自分の働きで兵士の命を救う事が出来ればと」

「まぁ」



 ヨゼグラード攻略戦について深く考えようとする度に、自分は吐き気と眩暈で倒れ込みそうになりました。


 今まで衛生兵として、ろくに人を撃ったことがなかった自分に、その事実は重すぎました。


 相手が、しっかりと覚悟を決めた軍人であればこうも心にダメージを負わなかったかもしれません。


 しかし自分は、扇動されただけの希望に燃える少年兵を、無意味に殺して回ったのです。



「……トウリ、貴女。凄い目をしているけど大丈夫?」

「ええ、前にもこう・・なった・・・ことはありますので」



 働いていないと、何か別の事を考えていないと、気が狂いそうになるこの感覚。


 このどんよりと世界が回る感覚には、覚えがありました。


 そして、こうなってしまった時にどうすれば良いかも自分は知っています。


 ────誰か、安心できる人に抱き着いて、ぐっすりと眠る事。


「でも、ここにロドリー君は居ないんです」

「……トウリ?」

「もう、あの人は居ないんです」


 しかし今のヨゼグラードに、自分を助けてくれる人はいません。


 この地で自分は、たった一人置いて行かれた落伍兵です。


 レミさんも、周りの癒者も、誰も信頼できません。


「自分は、早くセドル君に会いたいんです……」

「……トウリ」

「どうか、自分を軍の衛生部に置いてください」


 だから、懇願するように。


 自分は出征の準備を進めているレミ・ウリャコフに、そう申し出ました。




 そして。


 自分が義勇衛生兵として革命軍に参加することになったのは、翌春になってからでした。


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