第102話
病魔による脱落者を出しながら、肌寒くなってきた道を進軍すること1週間。
自分達ゴルスキィ小隊は1名の脱落者を出したものの、無事プーツゥ砦に到着していました。
この砦の歴史は比較的古く、設置型の弓台など旧世代の武器も数多く残っているそうです。外目から見る限り、歴史を感じる葦の茂った石造りの砦でした。
そんな昔からあった砦を、近代戦に耐えうるよう改装したのがこのプーツゥ砦だそうです。
「もう砦には、数か月分の食料が備蓄されておるらしい。皆よく頑張った、今夜は少し豪勢な食事が期待できるぞ」
「そうなのですか」
ブレイク将軍はこの砦の兵士に、周囲の村落から徴発を行うよう指示を出していました。
少しでも早く、軍を進めたかったのでしょう。
「ヴォック酒くらいは、期待していいもんですかね」
「そうだな。今夜くらいは、少し羽目を外してよかろう」
ゴルスキィさんは、今夜出されるだろう酒が略奪の成果であることに、薄々気づいていた筈ですが。
彼は渋い顔で笑顔を作り、強行軍についてきた自分達をねぎらいました。
まぁ、しかし現実はうまくいきません。
小隊長の言う通り、本来であればこの砦には酒や食料がたっぷり積まれている筈でした。
予定通りに村落からの徴発が成功していれば、です。
「何故、物資が集まっていない?」
「反乱が起こっていまして」
案の定というか、軍からの徴発命令に納得する農民は殆どいませんでした。
徴発の対象となった村落は武装蜂起し、村民は物資を持ち出してそこかしこに逃亡してしまったそうです。
「何故、反乱を鎮圧しない」
「兵力不足です」
「では、我々の到着を待って鎮圧するつもりだったのか」
「いえ、それも反対です」
ブレイク将軍はその話を聞き、砦を指揮していたサバト軍少尉を呼び出し叱責しました。
この砦には、500名の兵士が待機している筈です。
それだけ兵士が居れば、蜂起した農民位は討伐できると思ったのでしょう。
しかし、その少尉はくたびれた声で、
「……この情勢ですと、民にも蓄えなんてありません。兵士の消耗や治療費、弾薬代を考えると赤字にしかならんでしょう」
「……」
「疫病も広まりを見せており、軍内にも混乱が予想されます。引き返して、春の攻勢に方針転換することを提案します」
そうブレイク将軍を諭しました。
この少尉はもとより、本作戦に反対の立場だったそうです。
時間的にも物資的にも無理だろう、と考えていたそうです。
「我々が今奮起しないと、春まで首都の民は賊に苦しめられることになる」
「そんなに苦しんでるようには見えませんでしたがね」
それにこの少尉は、そもそも首都攻撃に乗り気ではありませんでした。
レミさん率いる労働者議会が、市民を大事にしている事を知っていたからです。
「偵察を行いましたが、どうやら首都の治安は保たれているようです。民もデモを続けていた夏頃よりは、落ち着いているかと」
「貴様、賊を擁護するか!」
「……まだ、焦って攻略する必要はなさそうだという意見ですよ」
レミさんは家を失った民を保護し、炊き出しなどを行ったりとかなり良い政治を行っていました。
何なら戦時中より、治安が良い状況かもしれません。
そんな首都の様子を知った少尉は、あまり労働者議会に悪い感情を持ちませんでした。
なんなら労働者議会の行動に、感銘すら受けていました。
「口答えは不要だ、職務不履行の責任は取ってもらうぞ」
「私はきちんと、受けた命令を実行したつもりです。実現できなかったのは出された命令に、問題があったんじゃないですかね」
まだ若かった少尉は、皮肉交じりにブレイク将軍にそう言い放ちました。
彼は労働者議会に賛同してはいましたが、少なくとも命令通り徴発に赴いてはいたのです。
職務は果たしていた筈です。反乱勢力との戦闘を回避したのは、赤字になるからに他なりません。
「貴様、自身の怠慢を責任転嫁するか!」
「って、ちょっと!?」
しかし、その若い少尉の言葉に激昂したブレイクは、即座に銃を握り構えました。
銃を向けられた少尉の顔は凍り付き、周囲の兵も慌て始めます。
「落ち着きください、ブレイク将軍。貴重な指揮官を更に減らすおつもりですか」
「引っ込んでおれシルフ大尉! 貴様も聞いただろう、この男の妄言を」
「その少尉は、礼儀を知らんだけでしょう」
ブレイク将軍は短気な男で、自分の作戦を貶されるのをとことん嫌いました。
総司令官としてのプライドが、強かったのです。
なので先程の少尉の発言は、地雷の中の地雷でした。
「ここで彼を殺すことに、何の戦略的価値もありません」
「こんな臆病者が軍にいたら、士気に関わる!」
ただでさえブレイク将軍は、大量の脱走者、予定通りに集まらない物資、流行病の遷延などに苛立っていました。
そんな背景もあり、感情的に怒鳴ってしまったのです。
「ブレイク将軍、落ち着いてください」
流石に見かねたシルフは、焦った声色でブレイクをとりなして宥めました。
そして少尉を庇って立ち、
「将軍閣下のお怒りも尤もです。彼には私から厳重注意して、サバトへの忠義を行動で示させましょう」
「……」
「今はまともな指揮官を失うのは得策ではありません。彼の身柄を、私に預からせてもらえませんか」
そう言って、珍しく頭を下げました。
「……ふん」
この時、傲慢なシルフが珍しく頭を下げて頼み込んだこともあり。
「分かった、矛を収めてやる。その代わり、しっかり教育しておけシルフ」
「ご厚情に感謝します」
ブレイク将軍は苛立ち交じりに、その少尉を許したのだそうです。
若い少尉は憔悴し、銃口を下げて貰えたことに心底ほっとして、
「……」
その後、小さくシルフ・ノーヴァからウインクを受け、頬を赤く染めたそうです。
そんな訳で結局、我々サバト政府軍は十分な資源が集まらないまま、ルソヴェツ要塞の攻略をしなければならなくなりました。
食料は半月分ほど、魔石や武器弾薬も潤沢とは言えず、要塞を攻め落とすにはかなり心許ない状況です。
砦に着いた日も、ゴルスキィさんの言った豪勢な食事などは出ずいつも通りレーションを手渡されただけでした。
……これから死地に向かうというのに、最後の休息となる砦の食事には酒すら出ない。
この時のサバト正規軍の士気は、まさに地の底でした。
「本当にこのまま、要塞攻略に向かうのですか」
「やめておきましょうよ」
ゴルスキィさんを含め、多くの下級指揮官からブレイク将軍にそう提案しました。
……殆どの兵士は、この作戦が上手く行かないことを察していたからです。
「手持ちの物資では、厳しいかと思います」
「くどい。今回の敵は正規軍ではないので、非常に脆弱なはずだ。そしてあの要塞を攻略すれば、たくさんの食料や武器弾薬が補充出来るだろう」
「……」
この作戦に自信満々なのは、司令官のブレイクだけでした。
しかし実は、ブレイク将軍自身も失敗する予感を感じていたそうです。
けれど彼は大言を吐いた手前、撤退を選ぶ事ができませんでした。
要は、メンツの問題だったのでしょう。
「シルフ、貴様には期待しているぞ!」
「……はぁ、是非ご期待に応えましょう」
そのブレイク将軍の頑なな態度を、シルフはため息を吐きながら見ていました。
砦を出発して、2週間。
いよいよ我々は、首都の玄関口であるルソヴェツ要塞の傍までに歩を進めていました。
「明日はいよいよ攻勢だ。我々は天下のルソヴェツ要塞に、この身一つで挑まねばならん」
偵察の情報によると、ルソヴェツ要塞にはぐるりと何層も堡塁が立ち並び、敵兵がびっしり配備されているようです。
しかも敵の士気は高く、『新しい社会を作るんだ』と労働者議会側は高揚しているようでした。
「諸君らの活躍に、サバトの未来がかかっている。賊から首都を取り戻す、その大事な初戦だ」
「オー……」
「健闘を期待する」
一方自分は、ここまで士気の低い軍で戦うのは初めての経験でした。
か細い雄叫びをあげているゴルスキィ小隊の面々は、最早諦め顔です。
「今夜はよく休め」
「一応確認したいんですが、明日の一番槍はどの部隊ですかね」
「さぁな。まぁ、吾ら以上に適した部隊があるとは思えんが」
「ですよね」
今までの出撃では、大体ゴルスキィ小隊が最前線を任されていました。
負傷したとはいえ、東西戦争からのエース級を使わない手はないのです。
つまり、あの無数の敵に対し先陣を切るのは、自分たちの役割。
「……はぁ。熱が出て途中で道中見捨てられてたら、ワンチャン生きて帰れたのかね」
「ザラマゾフの奴、どうなったかなぁ」
上官の不安は部下に伝わります。
最高指揮官であるブレイク将軍ですら失敗を予見していたせいで、その嫌な予感は前線指揮官に伝わっており、ゴルスキィさん自身も態度には出していませんが「負けるんだろうな」という諦感を纏っていた気がしました。
「案ずるな、幸いにも我らが上官のシルフは聡い。引き際を誤ったりはせんさ」
「あのクソガキ様も、どこまで信用に足るのやら」
「無茶苦茶な作戦ばっかり用意してきやがる」
シルフは相も変わらず部下に嫌われているようで、ゴルスキィさん以外はあまり当てにしていないようでした。
自分はこの戦い、怪物シルフ・ノーヴァが何とかしてくれるんじゃないかという微かな希望を持ってはいましたが……。
シルフを信じられない兵士達からすれば、完全に希望を持てない状況なんですね。
「まぁ、なるようにしかならん。軍に兵士として勤めている時点で、吾らの命は国のモノなのだ」
「ここで死んで本当に、国のためになるんですかね?」
そんな不貞腐れた態度の兵士を前に、ゴルスキィ氏も疲れた笑みを浮かべる事しかできていませんでした。
その日の晩。
「おい、トウリ。シルフがお前を呼んどるぞ」
「自分を、ですか」
明日の戦いに備えてさっさと寝ようと思っていたら、シルフ参謀大尉から呼び出しを受けました。
特に何か、問題になるような行動を起こしたつもりはなかったのですが。
「詰問でしょうか」
「いや、話し相手が欲しいらしい」
「はい?」
「あの娘は年齢と態度でよく損をする。随分と、シルフも溜め込んでいるらしくてな。同年代の女同士、愚痴を聞いてやってくれないか」
「は、はぁ」
ゴルスキィさんは苦笑いで、自分にそう言いました。
……まぁ、確かにストレスがたまりそうな職場には見えますね、サバト軍部。
「吾らが大将シルフ殿が癇癪を起したら、正真正銘この軍はおしまいだ。全軍の未来を担っているつもりで雑談して来てくれ」
「なんと」
ただの雑談に、全軍の命運がかかっているのですか。
「因みに正規の命令だ。断ることは出来んぞ、職務だからな」
「それは、衛生兵の仕事の範疇でしょうか……」
「違うだろう。だが、ストレスに悩む者の気晴らしは『芸人』の仕事の範疇ではないか」
「たしかに」
ふむ、芸人としての自分に対する依頼ですか。
そういう事ならば、受けるのもやぶさかではありません。
「いずれにせよ、招集命令に逆らうことは出来ん。行ってきてくれ、トウリ」
「了解です。拝命いたしました」
こうして、自分は悩める少女シルフの下に呼び出されることになりました。
人形はありませんが、手近なものでも芸は十分にできるでしょう。
「任せてください。自分の技芸で見事、シルフの気持ちを盛り上げて見せましょう」
「ああ、任せたぞ」
「いや、芸はいい。そんな気分ではない」
「……」
と、意気揚々シルフの下に向かったのですが、あっさり芸を却下されました。
気合を入れてきたのに、残念です。
「では、自分に何をお求めですか」
「ヴォック酒を開ける。少し付き合え」
彼女はそういうと、自分を簡素な丸椅子に座らせ、テーブルにグラスを置きました。
どうやら今から、彼女の酒の相手をさせられるようです。
「まぁ、力を抜け。どうだ、このベーコンは旨いぞ」
「はあ……」
シルフは自分をコンパニオンか何かと思っているのでしょうか。
芸人とコンパニオンは、似ているようで全然別物なのですが。
「さて、トウリ。貴様はこの遊戯を知っているか?」
「これは、……チェス、ですか?」
「おお、知っていたか」
自分がほんのり睨んでいるのを気にせず、シルフは机の上にドンとチェス盤を置きました。
それは前世の日本でもあった、西洋発祥のボードゲームです。
「ルールは分かるか」
「いえ、あまり」
……この世界にもチェスはあり、ルールも前世のソレと似通っていました。
異世界で文化が異なろうとも、盤上遊戯というのは何処かの誰かが考え付くものらしいです。
「なら、教えてやろう」
「はあ」
そのままシルフは、自分にチェスの初心者講座を始めました。
聞けば彼女はチェスが趣味で、しばしばエライアさん等を相手に息抜きしているそうです。
しかしどうやらシルフは強すぎて近場の人はあまり相手にならず、新しい相手を探していたのだとか。
「貴様なら鍛えれば、そこそこ歯ごたえがあるかもしれんと思ってな」
「どうして、自分……」
「何、たんなる余興だ」
自分はこういった盤面遊戯は、あまり嗜んだことがありません。
もっと派手で刺激のあるゲームの方が、好みだったからです。
「このコマは
「はぁ」
にしてもまさか、この為だけに自分は呼ばれたのでしょうか。
遊び相手が欲しかったからと言って、下級兵士を呼び出し付き合わせるとは。
……これは、現代日本ですとパワハラ待ったなしですね。この世界にそんな概念は無さそうですけど。
「……今から、私に適当に相槌をしておけ。小声で話すからよく聞き取れ」
「へ?」
「要塞攻略についての話だ。今からお前に伝える情報を、ゴルスキィだけに伝えろ」
そんな感じにゲンナリしていると、シルフは周囲を見渡しながらそう囁きました。
どうやら本題は、別にあるようです。
「まぁ貴様も察しているだろうが、このままだと私達は負けるだろう」
「……参謀大尉殿がそんな事を言って、良いんですか」
「誰もが知ってる事実だ」
シルフは頭が痛そうな顔で、チェスの解説を続けながら小声で会話を続けました。
なるほど。ゴルスキィさんへの密命に、自分を遣う訳ですか。
「それで、シルフ参謀殿には何か敗北を覆す腹案があるのですか?」
「ああ。……詳細は密書に記した、ゴルスキィに手渡してくれ。あと、読んだ後にすぐ燃やすように」
シルフはチェスのコマを手渡すふりをして、小さなメモを自分に握り込ませました。
それを受け取った後、自分は何食わぬ顔でポケットに入れます。
「ブレイクに勝手に動いたことを知られると、臍を曲げられそうだからな。出来れば誰にも知られずに、ゴルスキィにその作戦を伝達したい」
「……それで、自分を呼んだので?」
「お前はブレイクに通じていたりせんだろう? ゴルスキィとも懇意だし、伝言役として最適だ」
「はあ」
「我が儘な私が、同年代の少女兵士を酒に付き合わせた。周囲からはそうとしか見えん、ブレイクも私が一計案じているなど気づかんさ」
自分とシルフは小声で唇を動かしながら、チェス盤の上にコマを並べていきました。
なるほど、それで自分を指名したのですか。
「あくまで、現場判断で動いた体にしてくれ。ブレイク閣下の読み通り『要塞の兵士は練度が低く、容易に攻略が出来ました』という事にな」
「それが、必要なのですか?」
「ああ。私が出しゃばって指揮を執ってブレイク将軍に疎まれたら、本当にサバトは終わる」
シルフはそう言うと、疲れた笑みを浮かべました。
彼女がそう言うからには、きっとそうなのでしょう。
「さて、お前にも働いてもらうぞトウリ。まあ、ひとまず最初に……」
シルフは
「貴様らの部隊に、勝利の立役者でもやってもらおうか」
「はい?」
そう、何でもない風に言ってのけました。
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