6章 ヨゼグラード攻略戦

第101話


 自分は今までの従軍生活で、何度も辛く残酷な戦いを経験してきました。


 飢餓と口渇に苦しみぬいた、シルフ攻勢の山中撤退戦。


 ゴムージと数多の罠と敵兵の中を突破した、マシュデール撤退戦。


 年若いラキャさんが犠牲になった、ノエル近郊の脱出戦。


 ロドリー君やアレンさんを犠牲にして生き延びた、北部決戦。


 平和なオセロ村で行われた、賊による残虐な略奪事件。



 そのどれもが思い出すだけで、哀しくて胸を掻きむしりたくなるような記憶です。


 もし自分が何かもっと行動をしていたら、助かった命があったんじゃないか。


 自分の力不足で死んだ人に、どう償えば良いのか。

 

 戦場を一つ生き延びるたび、自分は悪夢に魘される日が増えていきました。



 だがしかし。


 自分が人生で経験した中で、最も悲惨な戦場は何処かと問われれば……このサバト革命におけるヨゼグラード攻略戦を第一に挙げるでしょう。


 今迄の戦いは、辛く苦しくとも意味がありました。


 グレーさんも、ガーバック小隊長も、ラキャさんも、アレンさんも、ロドリー君も、ゴムージやクーシャさんも、その命は誰かのための犠牲でした。


 軍人として、親として、それぞれ命を賭して大切なものを守った彼らの精神は、気高いものであったと認めない人はいないでしょう。



 一方で、ヨゼグラードの戦いに意味などはありませんでした。


 勝ってはいけない勢力レミさんにこそ正義があり、負けてはいけない政府側シルフに大義は無く。


 平等と言う綺麗な言葉に騙され、正義に酔った志ある者が命をただ無意味にすり潰した。ただ、それだけの出来事でした。


 だからきっと、あの戦いに殉じ戦死したとして、後世で称えられることも語られることもないでしょう。


 あの戦いで大志に燃え、縦横無尽の活躍と共に散った兵士は数多くいましたが、そのどれもが「ただの戦死」として後世に伝えられました。


 もっと命を懸けるべき場所が他にあれば、と思わずにはいられません。



 シルフが旧政府側で戦ったのは、革命勢力の行く先が地獄であると気付いていたからでした。


 シルフ・ノーヴァは『労働者議会』の実情を知った後、きっぱりとこう言い切ったそうです。


 「奴らは賊に見えないだけで、このサバト全土を見渡しても比肩する存在の無い稚拙で凶悪な賊である」、と。



 レミ・ウリャコフ……労働者議会の指導者であった彼女の思想は、危険極まりないものです。


 皆で生産を分担し、共有の財産を分配する貧富の差のない社会。


 それは貧富の差が激しかったサバトでは、夢の社会構想と言えました。


 ただ。そんな社会が本当に実現できるかどうか、なんて疑問を浮かべられる知識層は……労働者の逆恨みによって殺されていました。



 シルフはレミ・ウリャコフの思想に対し、こう予言したそうです。


 その狂人が作り上げた『泡のように脆い幻想』が力を持ってしまえば、きっとすぐに民衆を不幸のどん底に叩き落とすだろう、と。


 シルフはレミさんの思想が引き起こすであろう悲劇を、全て予見していたと思われます。



「……なあ、エライア」



 腐敗した旧政府軍、現実の見えていない革命勢力。


 そのどちらが勝利しても、きっとサバトに未来はありません。


 そんな詰んだ状況でもし、サバトの未来に明るい日差しを求めるとしたら、



「私が軍部を支配し、実権を握ると言ったら付いてきてくれるか」

「それは」



 シルフ自身が、サバト軍を掌握する以外に方法はありませんでした。


「……戯れだ」


 ただシルフ・ノーヴァに人望はありません。それはシルフ自身も、自覚していたでしょう。


 彼女が正攻法で軍の頂点に立つのは、年齢的にも人望的にも困難でした。



 しかし一方で、軍部が彼女を重用していたのもまた事実でした。


 それはシルフが賊討伐における勝率、損耗率、所要日数、全てのスコアにおいて他の部隊を圧倒していたからです。


 英雄ブルスタフの娘は、用兵において右に出るものなし。天才の血を引く才女である。


 今は幼く能力が足りないが、きっと将来は軍を背負って立つ人間だろう。


 それが、軍内における彼女の評判でした。


 なので、彼女が本気で策を練っていたら「ブレイク将軍を排しての軍部掌握」までは、成し遂げられた可能性があります。



 ただ、軍人一家に生まれたシルフは、政治的なノウハウを持ち合わせていませんでした。


 彼女が今まで学んできた技術は軍事方面に特化しており、政治家として手腕を振るうのは不可能だったでしょう。


 だからもし、シルフが権力を手にしたとしても上手くやれないことは、彼女自身がうっすら悟っていました。



「言ってみただけさ」

「シルフ様」

「私にはまだ、国を背負い込む覚悟も、鬼になる度胸もないのだ」


 それに、もし策を練って権力を奪取した場合。


 そんな彼女の進む先は、血で血を洗う畜生道になったと思われます。


 軍による武力を下地にした独裁体制。若く善性の彼女に、そんな修羅の道を歩む度胸はありませんでした。


「私に、その道は歩めない」


 ……そしてシルフは結局、下された命令に逆らうことができず。


 ヨゼグラードに向け、進軍する準備を始めました。








 季節は、秋の真っ最中。


 まだ秋と言えど、サバトはそれなりの冷え込みを見せていました。


 以前アレンさんが、冬の塹壕で足の指が壊死したと言っていたのも納得の気温です。


 キャンプ暮らしを強いられていた我々難民は、掘った穴の中で焚き火に薪をくべて、何とか生き延びていました。


「また水がなくなってるじゃねぇか! 当番は誰だ!」

「……とりあえず、自分が汲んできましょう」


 この寒さは、キャンプ生活に様々な悪影響をもたらしました。


 例えば気温が下がってから、水の運搬当番がよくサボるようになりました。


「汲んできましたよ」

「すまん、オース。当番のやつ、熱出してやがった」

「そうでしたか。では後で診察にいきましょう」


 凍えながらの長距離の運搬作業は、とても過酷でした。


 夏ならばなんとか運んでいた民も、秋に入ると役目を不精するようになっていました。


「もうアニータが見に行ってるよ。だからお前は、野草スープでも飲んどけ。ほら」

「ああ、どうも」


 その寒さの対策として我々が始めたのが、スープの炊き出しでした。


 オセロ村のキャンプ付近の森には、食べられる野草が生えていたのです。


 調味料などが無くとも、酸味を含んだ野草を煮るとスープに仄かな味がつきました。


 その味は……正直に言ってゲロマズですが、貴重な新鮮野菜なので我慢して皆啜っていました。


「それ、きらいー……」

「……」


 セドル君は、どう説得してもこのスープを飲んでくれませんでした。


 好き嫌いはダメと怒りたいところですが、味が味なので仕方ないと許してあげました。


 自分ですら、飲むのを躊躇う味です。これを無理に食べさせて、本格的な野菜嫌いになられても困ります。




「なぁ、トウリ。出発は明日だったな」

「ええ。しばらく、セド君とはお別れです」


 そんな寒さが本格化してきた頃、いよいよ自分も戦争に駆り出されることになりました。


 ヨゼグラード……サバトの首都を攻略する為の遠征が、いよいよ決定したからです。


「敵のテロ組織を制圧できれば、報奨としてセドル君を育て上げられる程度の資金と、安全な住居を貰える約束です」

「そっか」

「ですが、もし。自分が帰ってくることがなければ、セドル君の事をどうかよろしくお願いします。自分の戦死手当ての受け取り先は、アニータさんにしていますので」

「あいよ。この子の事は心配せず行ってきな」


 キャンプが始まってから、セドル君は大分アニータさんに慣れてきました。


 元々ゴムージ家と家族ぐるみの付き合いはあった相手なので、それなりに受け入れが早かったみたいです。


「……心配は、従軍中もずっとしているでしょう。今の自分には、もうこの子しかいませんから」

「そうかい」

「もし長引きそうなら、手紙を出します。アニータさんもどうかお達者で」

「癒者にお達者もなにもないさ」


 セドル君も、大分自分がいなくなることに慣れてきました。


 招集されることになると、哀しそうな目で手を振ってくれるようになりました。


 だけど、その前日は決まって自分の寝床に転がり込んできて、ピッタリくっついて眠りました。


「あんたこそ、達者で帰っておいでよ」


 こうして、手縫いの防寒具にくるまって寝るセドル君を撫でながら。


 出征前の最後の夜は、静かに更けていきました。










「悪逆無道なテロリストによる、首都ヨゼグラートの占拠はまことに許しがたき暴挙であり……」


 次の日。


 自分はゴルスキィさんの小隊の最後尾で起立して、司令官の演説を聞いていました。


 ブレイク将軍、という方らしいです。


「我々は断固とした正義をもって、賊を討伐せねばならない。それがサバトの、ひいては世界にとっての益である───」


 自分達を直接指揮する立場であるシルフも、そのブレイク氏の背に控えていました。


 何故か少し落ち込んでいて、覇気が無さそうでしたが。


「諸君らの健闘を祈る。サバトの未来は、我々にかかっているのだ!」


 ブレイク氏が演説を終えると、オーとかウラーという雄叫びが轟きました。


 空気を読んで自分も、小声で「うおー」と言っておきました。


 黙ってて絡まれても面倒ですし。


「偉大なるサバトの未来のため、前進せよ!」


 こうして、サバト史上最悪の戦い『ヨゼグラード攻略戦』が幕を開けました。


 今なお戦時中最大の悲劇として語り継がれる悪夢の一戦の始まりは、こんなにものどかなものでした。


 そして、この戦いでもシルフは存分にその卓越した戦術眼を発揮することになります。





 さて、自分達が出発した東方司令部から首都ヨゼグラードまでには、2つの防衛拠点が設置されていました。


 対オースティンを想定し、首都侵攻に対する防御としてサバト政府が建設したものです。



 そのうち、東側にあるプーツゥ砦は東方司令部の指揮下でした。


 ここは攻略する必要はなく、その防御兵500名も首都攻略部隊に編入されるそうです。


 問題は、ヨゼグラード付近に設置された要塞────首都司令部の管轄だったルソヴェツ要塞でした。


 この要塞は、オースティン人にとってマシュデールのような、サバト人の精神的支柱ともいえる非常に強固な防衛施設でした。


 普通に攻めれば数か月単位での攻略期間が必要なのですが、そんなに時間をかけると冬入りしてしまいます。


 一体どうするのだろうと疑問に思いましたが、


「要塞攻め、と言えば難しそうに思える。しかし現在、ルソヴェツを占拠しているのは素人だ。攻略は赤子の手をひねるより容易い」

「おお、勇ましいものだ」


 と、ブレイク将軍は政府高官へ自信満々に言い切ったそうです。


「出来れば要塞は、冬入り前に落としたい。我々は、先行して要塞を攻略してまいります」

「……うむ、任せたぞ」

「先生方は後方から、ごゆるりと追ってきてくだされ」

「そうか、期待しているぞブレイク」


 例年通りであれば、冬入りまであと2か月しかありません。


 それまでにルソヴェツ要塞を落とすべく、ブレイク将軍はかなりの強行軍を行いました。


 彼のプランでは冬までに要塞を攻略し、要塞で越冬しながら物資を集め、春と同時に首都に侵攻するつもりだったようです。


「全力で進め! 我らが首都を取り返すのだ!」

「あの、将軍」

「どうした」


 無茶な日程は承知ですが、シルフはこの強行軍には反対しませんでした。


 首都攻略まで時間がかかるほど、周辺の村落で略奪する回数が増えてしまいます。


 民の被害を減らす、という意味でも強行軍を十分やる価値はあるでしょう。


 ただし、


「今朝から13名ほど、兵士の行方が分からなくなっています。逃亡かと」

「見つけ次第処刑しろ」


 ただ、予想通り多くの脱走者を出してしまう結果となりました。


 ここで脱走した兵士は故郷に逃げ帰るか、労働者議会に降ったそうです。


 更に、脱走以外にも兵士の被害があり、その中で最も多かったのは……




 


「ゴルスキィ小隊長。……ザラマゾフ2等兵が限界のようです」

「……吾が背負ってやる」


 自分達ゴルスキィ小隊に、17歳の若さで従軍していたザラマゾフは、無理がたたって高熱に倒れました。


「小隊長、行軍停止の提案はまだ通りませんか」

「分かった、もう一度、具申してみよう」

「お願いします」


 この時、運が悪い事にサバトで疫病が流行り始めていました。


 医療技術に関してはオースティンが一歩先を行っていた様で、この国では抗生剤や点滴補液などの治療が出来ません。


 自分もいつ、ウイルスを貰ってダウンするか分からない状況でした。


「ザラマゾフ2等兵の口に、薄布を巻いておきましょう。彼の咳を浴びれば、きっとゴルスキィさんにも移るでしょう」

「……すまん」


 この疫病がなかなか厄介で、インフルエンザのような強い感染性と毒性を持っていました。


 重症になると肺炎を起こし、発症から数日で患者を死に至らしめるのです。


 これ以上強行軍を続ければ、戦う前から大量の死者を出してしまうと予想されました。


 進軍を停止して治療に専念すべきだと、自分は何度もゴルスキィさんを通して上層部に提案しましたが、


「上から命令が返ってきた」

「なんと?」

「病人は感染源になるから捨てよ、との命令だ」

「……」

「ザラマゾフは……置いていこう」


 軍の上層部は、感染源になりうる疫病の兵士は捨て置いて前進するように指示を出しました。


 ブレイク将軍は何としてでも、真冬になる前に要塞の攻略を終えたかったのでしょう。


「彼を置いていった後、誰が彼の世話をするのですか」

「……」


 この年の流行病は、去年のそれに比べて毒性が強いようでした。


 例年、冬頃になると軍で疫病が流行するのが恒例行事で、この年も例外なく軍内にウイルスが蔓延していました。


 歴史的にはこの後にパンデミックを引き起こした悪魔の感染症「チェイム風邪」の方が有名ですが、この年のウイルスもそれなりに凶悪な肺炎を引き起こしていました。


「置いていかないで、ください。見捨てないで、ください」

「……」


 ゴルスキィ氏の背中で懇願する新兵、ザラマゾフ。その咳嗽には血が絡み、息も絶え絶えといった状況です。


 こんな状況で見捨てられればどうなるか、想像は難しくありません。


「命令なのだ。……許せ、ザラマゾフ」

「小隊長ォ……!」



 ゴルスキィ氏はザラマゾフさんを道の脇に下ろし、数日分の食料を置いて別れました。


 もし彼が快復すれば、東方司令部に戻るように命令を残して。


「いやだ、死にたくない、です。ゴルスキィ、小隊長ォ」


 激しく咳き込みながら泣き叫ぶ新兵を背に、我々ゴルスキィ小隊は唇を噛んで前進しました。


 その、我々が進む道の脇には、



「……」



 ポツンポツンと、動かないサバト兵士が道しるべのように倒れ込んでいたのでした。

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