第96話

「トゥーちゃんドコ行ってたの!」


 ゴムージ家の近くに戻ると、目を覚ましていたセドル君が激怒し突進してきました。


 彼はボロボロと大泣きしながら、鼻息を荒くして自分の腹をぽこぽこ殴ってきました。


「ドコ行ってたの!!」

「すみません、偉い人に呼ばれていました」

「いや! 行っちゃダメ!」


 ご両親を失って眠った直後、目を覚まして自分まで消えていたのでパニックになっていたようです。


 ……自分までいなくなると思って、取り乱してしまったみたいですね。悪い事をしてしまいました。


「アンタは無事だったんだね、トウリ」

「アニータさん」

「その子の世話は大変だったよ、もう大暴れさ」


 そんなセドル君のすぐ近くで、服をよれよれにしたアニータさんが座り込んでいました。


 彼女が、彼の面倒を見てくれていたようです。


「お手数を掛けました」

「村の仲間の子だ、気にすることはない。ゴムージには借りもあるし」


 わんわんと泣くセドル君を抱き上げて、自分はアニータさんに向き合いました。


 アニータさんはゴムージ家と近所付き合いしていたこともあり、セドル君の事をよく知っています。


 そして自分は、彼女と数か月付き合ってみて、信用に足る人物と感じていました。


 なので、


「でしたら、その。自分はサバト軍に衛生兵として徴兵されることになりまして」

「……そうかい」

「大変厚かましい申し出なのですが。……ゴムージの遺産や自分の給与などはお渡ししますので、どうかセドル君を」

「アタシにその子を預かれってか」


 ……セドル君の面倒を見て貰えないかと、頭を下げてみました。


「その子は随分、アンタに懐いているよう見えるが」

「本音を言えば、自分がお世話をしてあげたいですけど。……戦場に、子供を連れ込むわけにはいきません」

「ま、いいさ。面倒を見ろと言われれば見てやる、丁度子供が欲しかったしね」


 本音を言えば、セドル君を預けるのは不安がいっぱいです。


 もしサバト軍に徴用されなければ、自分が彼の世話をするつもりではいました。


 ですが、軍に所属させられた以上……セドル君を連れまわすのは、危険に晒すだけです。


「ただ、今は駄目だ」

「今は、ですか」

「ああ。今、アンタとセドルを引き離してみろ。その子は、アンタに捨てられたって考えて性格ひん曲がっちまうよ」

「そう、ですね」

「一番つらい今だけは、一緒にいてやんなよ」


 もし自分が遠征する事になったら、連れて行くわけにはいきません。


 セドル君にはアニータさんの保護の下で、生活をしてもらった方が安全です。


 ……自分が徴兵された以上、彼とは別れねばならぬ運命なのです。


「……トゥーちゃん」

「はい」


 自分は、肩に嚙みついて離れないセドル君の頭を撫でて、


「セド君。今夜は一緒に、寝ましょうか」

「……うん」


 優しく、そう諭しました。









「財産の整理は終わったか、トウリ・ロウ」

「ええ。全て、知人に預けました」

「そうか」


 その日、自分はセドル君を背負ってエライアさんの元に戻りました。


「その子は連れ歩くことにしたのか」

「いえ、知り合いに預けます」

「まぁ、そうだろうな」


 セドル君は一通り大暴れした後、怒り疲れて再び眠りました。


 賊に追い回され、捕虜として檻に閉じ込められ、両親を失ってと4歳の子にとっては大変な2日間でした。


 今は、彼をゆっくり休ませてあげましょう。


「今夜、君は特に仕事は無い。負傷者の手当ては、昨日のうちに済ませている」

「了解です」

「就寝テントは私と共用だ。案内するから、その子を寝かしつけてやれ」


 エライアさんは何も言わず、自分のテントに案内してくれました。


 そして彼女の古着を割いて、セドル君用の簡易なシーツにしてくれました。



「おやすみ」






 こうして、オセロ村の民は故郷を捨てて東司令部付近の難民キャンプへ旅をすることになりました。


 司令部の周囲は流石に治安が安定しており、賊は殆ど出没しないようです。


 なので治安が安定するまで、我々はキャンプで生活することになりました。


「……これは」


 難民キャンプと聞いて、まぁそんなに豊かな暮らしは出来ないと思ってはいましたが、


「これのどこがキャンプだ。ゴミ捨て場の間違いじゃないのか?」

「いや、それ以下だろう」


 案内されたキャンプ場とは、時折木製の柱が突っ立てられただけの、荒れ果てた荒野でした。


 地面には草すら生えておらず、むき出しの赤土と放棄されたゴミが延々と広がっています。


 その荒れた大地には既に複数のキャンプが形成されており、汚い身なりの民がウロウロと蠢いていました。


「こんな場所で、生活をしろと? 食事は? 水は?」

「水源がかなり遠いから、定期的に水を汲みに行く必要がある。食料に関しては、少し期限を超過したレーションが定期的に支給される」

「……」


 そのキャンプ地にいた人々は、皆目が虚ろでした。


 水源が乏しいせいで糞便は一か所に埋められ、凄まじい悪臭を放っています。


 彼らは所々に穴の開いた汚いテントの中で、期限切れの軍用レーションを啜って生活しているのです。


 きっと、そのストレスは想像を絶するでしょう。


「まれにパンやスープの、炊き出しが行われる日もある。美味しい食べ物が欲しければ、その日を待て」

「パンやスープが、ご馳走ってか」


 その光景を見た村人は皆、息を飲んで立ち尽くす事しか出来ませんでした。


 これは……キャンプとはとても言えません。スラム街か何かでしょうか。


 せめて水源を近くに設置してくれれば、まだ過ごしやすくはなりそうですが。


「この辺の川ってのは、雨が増えすぎると洪水を起こすんだ。川の近くにキャンプを設置したら、最悪飲み込まれる」

「それで……」

「このキャンプ場は川より高台にあって、滅多な事では水位が届かん。……その代わり、長い坂を上り下りしないと水を汲んでこれないが」


 どうやら、現状のサバトの村民の生活は思っている以上に……苦しい様子でした。







 自分はセドル君と共に、そのキャンプ地の一角を借り受けました。


 粗雑に建てられた柱にゴムージの家から持ち出してきたベッドシーツを繋ぎ合わせ、何とかテントの体裁は保てるようになりました。


 自分が陣取った周囲の住人はオセロ村の知り合いばかりなので、それなりに安心はできるのですが、


「さっき、設営を手伝ってやっただろ。良いから、テメェらが持っている食料を分けろ」

「馬鹿を言うな、これは非常食だ」


 案の定というか、元々キャンプ暮らしをしていた人と諍いが発生したり、


「無い! 水を汲みに行っている間に、ウチの衣類が盗まれて……!」

「さっき、他の村の連中がうろついてたぞ」


 当たり前のように窃盗が横行していたりと、セドル君の教育にとてもよろしくない環境になっていました。


 

「……」 



 エライアさんが言うには、自分が昇進すれば宿舎を借り受けることはできるようになるそうです。


 しかし、そこにセドル君を連れ込む許可はおりませんでした。


 自分が彼と生活するためには、このキャンプ地で共に野宿をするほかないのです。


「あの兵士、ずっとこっちを見ているよ」

「恐らく、自分の動向を見張っているのでしょう」


 そしてこのキャンプ地での生活には、厳しい監視の目がありました。


 チラチラと、このキャンプを周回している兵士が自分の方を注視しているのが分かります。


 オース人である自分は、かなりマークされているようです。


「トゥーちゃん、ここで寝るの?」

「ええ。少し狭いですけど、我慢してくださいね」


 こうして、避難民である我々のキャンプ生活が幕を開けました。





 キャンプの生活は、とても厳しいものでした。


 朝は照り付ける日差しの中、水を汲みに行く仕事から始まります。


 兵士からオセロ村全員で共用する大きな水瓶を渡されたので、朝一番に当番の者が瓶やバケツを持って水を補充します。


 かなりの力仕事なので、老人や子供にはとてもこなせません。


 なので自分やイリゴルなど、軍人上がりの者が率先して当番に入りました。


「汚物は、なるべく一か所にまとめた方がいい。隣の連中が汚物捨てに使っている付近に、我々も便所を設置しようと思う」

「分かりました」


 便所の穴も、全て自分達の手で掘らねばなりませんでした。地面が赤土なので、水路を形成することも出来ません。


 我々は用を足すときに、小さな杓で水瓶から一杯分だけ掬い、清潔を保ちました。


「ちょっと早いが、水当番は出発してくれ。そろそろ瓶の水が尽きそうだ」

「もう? 誰だよ、無駄遣いした奴は」


 一番大事なのは、手分けして水を運び続け水瓶が尽きないようにすることでした。


 普通に使い続けると日中には水が尽きてしまうので、何度も容器を持って川に向かわねばなりません。


 水源である川までは、往復で10㎞ほどかかります。


 その川付近には熊など猛獣が出ると報告されているため、キツイだけでなく危険な仕事でもあります。


「……」


 今は夏なので暖かいですが、これが冬になったらどうなるでしょう。


 雨の日なんかは恐ろしいことになると思います。凍死者が出ても不思議じゃない、劣悪な環境と言えました。


 自分とセドル君のテント布は、ただのベッドシーツです。現状ですら、雨の日はとても寒い思いをしています。




「塹壕を掘ろう」

「……イリゴルさん」

「穴を掘って、その上に何枚もシーツをかぶせ防水性のある屋根を作るんだ。冬までに作らないと、死人が出る」


 そんな状況を憂いたイリゴルさんは、自分達オセロ村住人を集めてそんな提案をしました。


「塹壕内は、安全と防水と保温の最低限がそろった居住区になる。本当に最低限だがな」

「火源も確保したい。土でかまども作っておきたいな」

「司令部に行って借りれないか交渉してくれ。軍の施設にスコップが置いてないわけがない」


 と、イリゴル氏の提案を受けオセロ村の住人はグルリと円形の塹壕を作ることにしました。


 幸いにも、キャンプに必要だと申請したらスコップは借りる事が出来ました。


「トウリ、お前は体重が無いから他の事をしろ。そうだな、水を運び続けてくれ」

「……ええ」


 スコップの仕事は、体重が無ければ効率が上がりません。


 小柄で軽い自分は、残念ながら土木作業の適性は低めでした。


「えっほ、えっほ」


 その代わり体力があった自分は、ひたすら川とキャンプを往復する羽目になりました。


 塹壕堀りは体力を使うので、水の消費量も多めです。普段以上に多くの水が必要になったので、自分はほぼひっきりなしに走り通しでした。


 1日中バケツを両手に走り続け、夜には自分で運んだ水を使い汗を流す生活が続きました。


 ……これも適材適所、という話です。塹壕の掘り方、興味があったんですけどね。












 自分たちがキャンプで生活を始めて、1か月ほどが経ちました。


「トウリ。トウリ・ロウはいるか」

「エライアさん」


 帰還兵イリゴルの指揮で塹壕が形になりつつあったころ、エライアさんが自分を呼びに来ました。


 自分は民間協力者の手当てを貰っている以上、断ることは出来ません。


「召集だ。概要は、ブリーフィングで発表する」

「了解しました」


 どうやら、シルフ中隊が出撃する事になったようでした。


 新しい賊の情報が入ってきたのかもしれません。


「トゥーちゃん、どうしたの?」

「自分はお仕事で、少しお泊りしに行ってきますね」

「……いつ帰ってくる? すぐ?」

「暫く時間がかかるかな、と」

「じゃあダメ」


 オースティン人である自分が見逃されているのは、この徴役があるからです。


 なので出動には応じねばなりませんが、残念ながらセドル君の許可が下りませんでした。


 自分はなるべく笑顔を作って、彼の頭を撫でてやります。


「大丈夫、ちょっとの間アニータさんの言う事を聞いていてくださいね」

「いや」

「……お願いです」

「いや、いや、だめ!」









「随分と引っかかれたな」

「拗ねられてしまいましたね」


 結局セドル君はアニータさんに捕まえてもらいました。


 絶対に帰ってきますと何度も伝えた後に、大泣きするセドル君を置いて出動に応じました。


「……また、賊の討伐だ。だが安心しろ、我々は後方支援部隊。前線には配属されんさ」


 道中に、自分は簡素な今回の仕事内容の説明を受けました。


「後方支援、と言いますが前線の援護は行わないのですか」

「ああ。我々は支援とは名ばかりの、様々な兵科が混在するお試し部隊だからな」

「お試し部隊?」

「シルフ様は何かしら新しい構想を練ることが多い。その有用性を確かめるため、前もって試験するための部隊なんだ。例えば特殊な指揮系統を試したり、補給ドクトリンを弄ったり、見張りのタイムスケジュールを変えたりと」

「……試用部隊、という事ですか」

「そのお試し部隊に、衛生兵や工作兵など前線に配置しない兵科を編入し、護衛させている形だ」


 そんな頻繁にドクトリンを調整すると、部下が混乱しそうなもんですが。


 だからこその、お試し部隊と言う事でしょうか。


「良かった構想は採用して、いまいちだったものは練り直す。気付いたことが有ったら、小官にフィードバックしてくれ」

「はあ」


 それはシルフなりに、精一杯頑張っているという事でしょう。


 少し、空回りしていそうですけど……物事の改善点を模索すること自体は、決して悪くはありません。


「まぁ、我々には変な命令は出されないだろう。衛生兵だからな」

「分かりました」


 民間協力者として成果を挙げれば、サバト内の通貨で褒賞を貰えるらしいです。


 気になった事柄や意見があれば、積極的にフィードバックしてみても良いかもしれません。


 それで褒賞が出たら、少しでも栄養のあるものをセドル君に提供してあげましょう。


「さて、集合に遅れたら大目玉を食らう。少し足を速めるぞ」

「了解です」


 今のセドル君の保護者は、自分です。いつも通りに後方部隊の所属といえ、戦場で油断したらいつ死んでも不思議ではありません。


 何としても絶対に、生きて戻って来なければ────









「トウリ・ロウ」

「はい」


 等と、生き抜く決意を固めていたら。


「貴様は次の戦い、ゴルスキィの突撃部隊に混じって衛生兵をやってくれ」

「……はい?」


 エライアさんと共に出頭した司令部で、意地の悪い笑みを浮かべたシルフ・ノーヴァから、とんでもない命令を受け取ったのでした。


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