第91話
結局のところ、サバトに自分の居場所なんてものはありませんでした。
オースティン人である自分は、サバト人にとって憎き仇でしかありません。
父親を失ったシルフにとっても、そうだったのです。
「言い残すことは」
「セドル君、どうか御達者で。……パパやママの分も、自分の分も、長生きしてください」
「ふん」
彼女に銃口を向けられた瞬間から、撃たれる覚悟は出来ていました。
この人達がサバト連邦軍であるなら、自分を生かしておく理由も義理もないからです。
「トゥーちゃん?」
「……はい、ちょっとあちらを見ててくださいね」
濃密な、逃れ得ぬ死の気配。
自分は死ぬ瞬間をセドル君に見せないよう、彼の顔を明後日の方向に向けさせました。
……せめて彼のトラウマが、少しでも少なくなるように。
「心の準備はいいか、オース豚」
「はい」
そして彼の未来が少しでも、明るいものになる事を祈って、背中越しに抱き締めて。
自分はゆっくりと、瞳を閉じました。
「待って、くださいっ……っ!!」
「……あ?」
しかしその、引き金が引かれる直前。
一人の男が、自分とシルフの間に割って入ってきました。
それは、
「イリ、ゴルさん?」
「この娘を撃つのは、許してやってください指揮官殿!」
先ほど撃たれて、まだ応急処置しか済んでいない元兵士。
帰還兵のイリゴルでした。
「貴様は誰だ?」
「元クローリャ大隊所属、突撃歩兵部隊のイリゴル伍長です。北部決戦の前、負傷により撤退し退役となっておりました」
「……ほう?」
シルフは、イリゴルの名乗りに眉を上げました。
どうやら、聞き覚えのある名前だったようです。
「クローリャの所の兵士か。散々にオースティンに打ち破られたという、あの」
「情けない限りです」
「貴様も、貴様の戦友も、さぞかし無能だったのだろう。ああ、貴様らさえしっかりしていればサバトはこんな苦境に陥らずに済んだ」
「……返す、言葉も、ありません」
イリゴルは何か言葉を呑み込みながらも、必死で傲慢な少女に頭を下げました。
……戦友を侮辱されているというのに、イリゴルは頭を下げたままピクリとも動きませんでした。
「それで。貴様はこのオースの処刑に割り込んで、何といった」
「彼女の処刑を、思い直していただきたい」
「ほう? 貴様、オースティンと繋がっていたのか?」
この時の自分は、疑問符でいっぱいでした。
どうして、イリゴルさんが割って入ってくれているのか。
どうして彼が、自分を庇ってシルフ・ノーヴァに頭を下げているのか。
「彼女は、村に亡命してきたオース人です。……俺も、最初はぶち殺してやろうと思いました」
「で?」
「でもこの娘は、先程の襲撃の際、俺の家族を救おうと命を賭けてくれました。一度はボコボコに殴りかかった、この俺の家族をです」
「それで?」
「オースティンという国家が悪いのであって、この娘が悪いんじゃない。……今、貴女が銃を向けているのは、何の罪もない我が村の仲間だ」
「……」
「どうか、考え直してください。俺は仁義に厚いサバト人の誇りに掛けて、彼女の助命を懇願しています」
ただ分かるのは、彼が本気だという事でした。
一度は自分を殺そうとしたイリゴルが、どういう心境の変化か自分を救うために命懸けで頭を下げてくれているのです。
その彼の態度に、自分は唖然とするのみでした。
「無理だ。オースを、保護する余裕も義理もない」
「ソコを、何とか」
「そもそも、コイツがスパイではない保証がどこにある。この情勢で、サバトの村に亡命してきたオースティン人だぞ? オースティンからの内偵と考えるのが自然だろう」
「こいつはそんなんじゃありません。絶対に違う。俺以外の村の連中にも聞いてみてください」
「はっはっは、お前のような単細胞を騙せる奴がスパイになってんだ。余計なリスクを背負い込む理由は無い」
シルフはそんな、イリゴルの嘆願を切って捨てました。
彼女は侮蔑を表情に残したまま、
「それ以上、その無様な嘆願を続けるなら撃ち殺すぞ」
次はイリゴルに、銃口を向けたのでした。
「イリゴルさん、ありがとうございます。もう結構です」
「オース人……」
「ぶしつけな願いではありますが、どうかセドル君のことをよろしくお願いします」
彼女の言う事は当然です。
スパイの可能性がある敵国民など、殺さない理由がありません。
「そうだ、一応聞いておこう。貴様はどんな経路で、このサバトに
「経路、ですか」
「ああ。先程、当たり前のように『亡命してきた』と言ったな。どんなルートを使えば、オースティンからサバトへ潜りこめるんだ? 正直に話すなら、そこで震えているガキは助けてやっても良いぞ」
イリゴルに銃口を向けたまま、シルフは獰猛な笑みを浮かべて自分を見ました。
そして、そのまま視線を下にずらし、
「嘘を吐けば、その子供は家畜の餌にしてやる」
獲物を見るような目で、自分に抱きついて震えるセドル君を見下しました。
「……お答えします」
……そのシルフの問いに、自分は正直に答えるしかありませんでした。
「自分は、オースティン軍の衛生兵でした」
「ほう?」
自分は、傲慢に見下すシルフの前で、ポツリポツリと今までの話を語ってきました。
孤児院の生まれで、徴兵によりオースティン軍に入隊となり、西部戦線に放り込まれた事。
シルフ攻勢により首都まで撤退し、多くの仲間を失った事。
死ぬような思いで冬に行軍し、北部決戦に臨んだ事。
「自分は北部陣地の後方で、衛生兵として働いていました」
この戦争で、自分は大切な人を失いました。
最初の同期、心優しいサルサ君。
自分やロドリー君に戦場の心構えを教えてくれた、グレー先輩。
優しく自分に衛生兵としての基礎を教えてくれたゲールさん。
とても怖く頼りになった、ガーバック小隊長。
初めての部下で、歳も近かったラキャさん。
「北部決戦の時は、訳も分からないうちに敵に囲まれていました。後方である自分たちは安全だと思っていたのに、全滅するしか無いような大軍に囲まれて」
そして北部決戦でも、沢山の戦友が死んでしまいました。
新兵の頃からずっと自分を導いてくれた、兄貴分のアレンさん。
……ずっと隣にいてくれて、辛いときはいつだって支えてくれた、優しい男の子ロドリー君。
「自分は、ただ、彼と一緒にいられればよかった。戦争なんか、したくなかった」
結局彼の遺髪は、手放せずにずっと家に置いたままでした。
今でも、ずっと考えていることがあります。
自分は、戦場なんかでロドリー君と出会いたくなかった。
もっと平和な場所で、平和な時代に、彼と普通に友人になりたかった。
「初めてのキスは血の味で。想いを交わしたその日から、自分の時間はずっと止まったままで」
気付けば、自分はシルフの前で涙を溢していました。
自分をこの世に縛るものは、殆ど残っていないと気付いたからです。
自分が家族のように思っていた戦友の大半は、死んでしまいました。
心が凍てついた自分を家族の様に迎え入れてくれたゴムージ夫妻は、賊に惨殺されました。
今の自分の心残りは、背中で恐怖に震えているセドル君だけです。
「だからもう、自分を殺すなり好きにしてください。会いたい、彼にもう一度、会いたい────」
どうして、後方の拠点がいきなりサバト軍に囲まれたのか。
どうして、ロドリー君が死なねばならなかったのか。
そんないろんな感情をごちゃまぜにしながら、自分は嗚咽をこぼして号泣しました。
どれだけ平静を保とうとしても、心が言うことを聞きません。
「死んで、あの人に会えるなら────」
やがて自分は落ち着くことを諦め、不細工な泣き顔のまま、いつでも撃ってくださいとばかりに目の前の少女を見上げると……。
「……」
その華美な軍服を着た少女は、顔全体から脂汗を噴き出していました。
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