第83話


 あの暴行事件から半月ほど。


「トゥーちゃん、トゥーちゃん。これあげる!」

「まぁ、ありがとうございます」


 あれ以降は大きなトラブルもなく、自分は平穏な日々を過ごしておりました。


 今日もセドル君の子守りを任され、彼がせっせと作る泥団子を受け取って並べる仕事をしています。


「これ、トクベツなお団子! おいしいから」

「それは素敵ですね」


 戦場帰りの兵士に囲まれた時は、どうなる事かと思いましたが……。


 それぞれゴルスキィさんや家族に説得され、思い直してくれたみたいです。


 自分と彼らはすれ違うと顔をしかめられる、そんな程度の関係に落ち着きました。


「白砂をのっけるの」

「へぇ、綺麗ですね」


 ですがあれから念のため、自分とセドル君は家の敷地内で遊ぶようにしました。


 何かあった時に最低限、セドル君だけでも家の中に逃がす事が出来るようにです。


 彼らの憎悪対象は自分なので、セドル君が家に籠ったら追ってまで暴行しないでしょう。


「ほんま、エラい好かれとるなぁトウリちゃん」

「おや、クーシャさん。こんにちは、店番はよろしいのですか」

「売り物は大体捌けたし、ちょっと店じまいや。亭主の仕入れ待ち」


 そんな訳で、ゴムージ邸の近くの地面を掘りセドル君を遊ばせていたらクーシャさんがやってきました。


 彼女は機嫌よさそうに、売り上げが入っているだろうカバンを持っていました。


「ママもお団子、いる?」

「おお、ありがとなセド。……今日もよく遊んでもらったか」

「うん。トゥーちゃん好き」


 ここは戦場ではないので、診療所も常に大入り満員ではありません。


 なのでこうして、セドル君と遊ぶ時間も十分に貰えました。


 前線では想像もつかないのどかな日々が、この村では流れていました。


「ほんま、セドによう好かれとるなー。ママちょっと妬けるわぁ」

「ははは……」


 自分が小柄なせいか、セドル君にかなり親近感を持たれている気がします。


 彼にとって、年の近い友人になっているのでしょう。


「トウリちゃん、ちょっと私に付き合えへんか?」

「付き合う、ですか?」


 クーシャさんはそんな自分達二人を見て、意味深に笑いました。


 ……どこかに連れていってもらえるのでしょうか。


「何処に行かれるのですか?」

「すぐ近所や。一遍、アンタを村の連中に紹介しとこうと思ってな。前みたいな危ない事にならんよう」

「ああ、成程」


 彼女はちょっと眉をひそめ、自分にそう告げました。


 確かに、今までの自分の交友範囲はオースティン語が通じる範囲に限定されていました。


 すなわちゴムージ夫妻とゴルスキィ氏、そして診療所の癒者アニータさんのみです。


 サバト語が分かるようになってきた今、他の村人さんともコミュニケーションを取っていくべきでしょう。


「是非お願いします、クーシャさん」

「ほんならセドルは私が着替えさせるから、トウリちゃんは出かける準備しといてー」

「はい、分かりました」


 クーシャさんやゴムージは、よく村に溶け込んでいました。


 この二人が村に馴染んでくれていたから、自分も村で受け入れられていたのでしょう。


 狭い村コミュニティにおいて、円滑な人付き合いは身を守ってくれます。


 今までゴムージ夫妻に任せていたその努力を、いよいよ自分も始めるべきなのです。


「自分は口下手ですが、幾つか宴会芸は用意しています。人形劇とか受けますかね?」

「……ちょっと、人形の持ち込みとかはやめた方がええな。普通に話をするだけでええと思うよ」


 自分の特技でもある宴会芸の出番だと気合を入れたら、クーシャさんにたしなめられました。


 サバトの文化は、そういう感じではないっぽいです。


「分かりました、では何かしら菓子折りヴォック酒などを買っていく感じですか?」

「まぁ飲む人はおるけど……今は危ないから持っていかんでええやろ」

「そうですね」


 確かに。あのお酒、濃すぎて危ないんですよね。


 アルコールが濃ければ旨いと勘違いしてる人じゃないと、あんなの飲まないです。


「とりあえず、着替えとタオルだけ持ってくればええわ。今、生理中じゃないんよね?」

「はい」


 クーシャさんは、自分にそう助言し家に戻っていきました。


 ……着替えと、タオル?


「あ、男の人に裸見られるから、下の毛の処理もしとき」

「……?」


 ……下の毛?








「クーシャさん、自分は一応パートナーが居てですね。古風な考えではありますが、先立たれたとはいえ操を立てるべきと考えており……」

「何を面白い顔してんねん、トウリちゃん」


 自分はサバトの文化を舐めていたようです。


 この国の性風俗は、そんなにユルユルな感じだったのですか。


 挨拶で裸を見せねばならぬ程、爛れた国とは思いませんでした。


「変な誤解しとるようやけど、多分想像してるのとは違うで」

「誤解、でしょうか」


 自分が未知の文化に恐れおののいていると、クーシャさんはニヤニヤしたまま自分の頭を撫でました。


 完全にからかっている時の顔です。


「裸の付き合いって言ってな。他人と仲良くなるなら、全てを見せ合って語り合うべきなんや」

「……えぇ」

「そのために今から向かうのが……」


 クーシャさんはそういうと、悪戯っぽく笑って、


「ヴァーニャっていう、要は蒸し風呂やな」







 そのまま彼女に連れられ、自分は大きな木造の建物に案内されました。


 結構な人でにぎわう建物内で服を脱ぎ、自分はクーシャさんとサウナのような蒸し風呂に入りました。


「トゥーちゃん! あそこ燃えてる、ボーボー燃えてる!!」

「あれは炉ですね、触ったら火傷しますよセド君」

「うん!」


 蒸し風呂は20人ほどが入れる大部屋になっていて、中心の炉から熱い水蒸気が吹き上がり、大きな枝箒を持った人がそれを掻きまわして熱風を振りまいていました。


 部屋の中では既に年配の男性や女性から、小学生のような子供までワイワイと雑談をしていました。


 一糸纏わぬ、全裸で。


「ここが、この村の社交会場なんや。恥ずかしがって布で体を隠すと、からかわれて引っぺがされるから注意し」

「はぁ」


 クーシャさんもすっぽんぽんで、色っぽい体躯を隠そうともせず仁王立ちしています。


 どうやら、体を隠すのはマナー違反になるみたいです。


「この風呂、美容やお肌にもええらしいで」

「……」


 ヴァーニャというのは、日本で言うところの銭湯のような場所でした。


 サバトに昔から根強く人気のある娯楽施設で、男女混浴のルールになっています。


 見た目はサウナですが温度はサウナほど熱くはなく、ちょっと暑い日程度の温度でした。


「暑くなったら外に出て、体を冷やして瓶から水を飲むとええ」

「はい、分かりました」


 子供をサウナに連れ込むのは大変危険ですが、この気温なら問題ないでしょう。


 セドル君はテンション高めに、クーシャさんの太ももをペチペチ叩いています。


 念のため熱中症にならないよう、自分が注意して見ておきましょう。


「……お、オース人の娘だ。彼女も来たのかね」

「せやで、紹介も兼ねて連れてきたわ。私らも話に交ぜてや」


 クーシャさんは慣れたもので、いろいろ隠そうとせず知り合いであろう年配のご夫婦に声を掛けに行きました。


 自分も彼女に追従して、ぺこりと頭を下げます。


「このご夫婦は村の生き字引で、村長さんみたいな人らや。トウリちゃん、こっち来て」

「は、はい、よろしくお願いします」


 裸を隠さない文化は結構面喰らいましたが、ヴァーニャの中の村人が余りに堂々としているのでだんだん気にならなくなりました。


 そういうもの、と受け入れるべきなのでしょう。こういう場では恥ずかしがる方が、逆に恥ずかしいのです。


「どうだいトウリっ娘、ヴァーニャは良いだろう。10歳は若返る気がするな」

「は、はい。とても気持ちの良い空間です」

「そうだろうそうだろう、オース人にも分かるかこの良さが。心が洗われる気持ちになる」


 サバト人にとってこの場所は、神聖なところみたいです。


 休日はヴァーニャで疲れや罪を洗い流し、また仕事を元気に頑張るのだそうです。


「男女とも裸になっても、イヤらしい事にはならないんですか?」

「ああ、そういうのは絶対禁止だ。もしこの神聖な場所でそんな真似をしたら、村から叩き出してやる」


 だから、男女ともに裸でもヴァーニャの中でそんなことをしてはいけないのだとか。


 変な匂いが籠って汚れるので、絶対のタブーだそうです。


「相手の居ない男女にとって、出会いの場的な意味はあるみたいやけどね」

「まぁ、そうですよね」


 ただそういう行為がタブーなだけで、ヴァーニャで知り合った女性と恋仲になるというのは、よくある事だそうです。


「トウリっ娘、前はひどい目に遭ったな。まだ、オースに対する憎い感情が癒えん人も多い」

「はい、理解しています」

「だが一緒にヴァーニャに入れば、それはもう仲間だ。あの乱暴者たちとも一度、ここで語り合ってみるといい。酒を飲んだ後の状態ではなくシラフのまま、冷静にな」


 その年配の男性は、大股開きでブツを隠そうともしないまま、


「ここは何の隠し事もなく話ができる、世界で唯一の場所だ」


 そういってダンディに笑いました。







「どうやった、トウリちゃん」

「とても、良い時間でした」


 結論から申しますと、自分はこの蒸し風呂をとても気に入りました。


 ヴァーニャはきっと、前世日本でも心地よいスパ体験として通じたでしょう。


 要はここは、気軽にコミュニケーションの取れる健康ランドでした。


 サウナほど熱くなくずっと籠っていられるので、村の人とたくさん話ができました。


 ヴァーニャの中では、村人がみな気安く話をしてくれます。ここは、そういう場所なのです。


 そして風呂上がり、汗をたっぷり流して喉が渇いてから、コップ一杯の水を飲み干すのはまさに至福でした。


 体の老廃物を根こそぎ洗い流しリフレッシュできる感覚を、この世界で味わえるとは思いませんでした。


 今世で、最も気に入った施設かもしれません。


「男女共に裸なのに、男の人はみな紳士的でした」

「ま、たまにスケベも来るけどな。夕方過ぎて、仕事終わりの時間は特に多いわ」

「……なるほど」

「真っ昼間なら時間のある老夫婦か、うちらみたいに主婦が子供連れて来る事が多いな。ヴァーニャに行くなら昼にしとき」

「分かりました」


 これからは休日は、しばしばヴァーニャに顔を出すことにしましょう。


 知り合いも増え気持ちよくて、一石二鳥です。


「ヴァーニャでヴォック酒飲みながら語り合ったら、親友になれるらしいで。年の近い女の子とかおったら、誘ってみ」

「……同世代の友人、ですか」


 クーシャさんは、自分にそんな助言をしてくれました。


 そういえば孤児院を離れてから、同世代の女友達は一人も出来ていません。


 ここで交遊範囲を増やし、少しでも村に溶け込めるよう努力しましょう。


 前みたいな窮地に、割って入ってくれる様な友人が出来れば最高です。


「分かりました、頑張ります」

「ま、気張らずに適当にな」









 こうして、自分はしばしば蒸し風呂へ足を運ぶようになりました。


 ヴァーニャは村の殆どの人が利用しているようで、


「げっ」

「おお、貴様も来ていたか」

「どうも、ゴルスキィさん」


 ある日、帰還兵と一緒にヴァーニャに入っているゴルスキィ氏にも出くわしました。


 この蒸し風呂の中で会話を交わせば、仲間になれるといいます。


 自分はオースティン軍人で彼らはサバト兵。


 分かり合えないにしろ、最低限の関係は構築するべきだろうと挨拶に行きました。


「先日はご指導を頂きありがとうございました」

「気にするな」


 ゴルスキィさんは非常に器が大きい人で、自分を見て露骨に不快感を示したりしません。


 帰還兵3人は居心地悪そうに自分から顔を背けていますが、まぁそれは良いでしょう。


「イリゴル、貴様も軍人なら会釈くらいしろ」

「……よう、小娘」

「ええ、こんにちは」


 自分だって、その3人とは積極的に仲良くする気はありません。


 ただ、もうあんなことが起こらないよう釘を刺したかっただけです。


「にしても貴様、堂々としたものだな」

「何がでしょうか、ゴルスキィさん」


 とりあえず、帰還兵イリゴルと会釈を交わしただけで今日は成功としましょう。


 これからもこの土地で生きていく以上、折り合いはつけねばなりません。



「貴様の年頃の娘は気恥ずかしがって、普通は体を隠すものだが」

「オースは裸を気にしない文化なんじゃないのですか、ゴルスキィさん」

「何とまぁ豪胆な」



 ……隠してよかったんですか。

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