第67話
自分が何やら、ベルンに恐ろしい謀略の片棒を担がされてから数日が経った頃。
「雪中の行軍訓練ですか」
今度は南軍の司令アンリ中佐から、衛生部にとある告知がありました。
「冬明けから作戦の準備がとれるよう、今のうちに寒さに慣れておこうって魂胆みたいね」
「成程」
それは、歩兵訓練の補助要請でした。
冬入りしてから身動きが取れず、前線の兵士は暇を持て余していました。
そのせいで士気が高かった筈のオースティン兵に、緩んだ空気が流れ始めていたそうです。
そんな気配を察した司令部が、気を引き締める意味で大規模な訓練作戦を企画したのだとか。
「小隊規模で代わる代わる、合計3日間の訓練を実施するそうよ」
「はい」
「そして、兵士さんは訓練の最終日にパッシェンに寄るわ」
「訓練終了後のメディカルチェックですね」
「ええ。だからこれから、仕事が増えるわね」
衛生兵である我々まで訓練しろと言われませんが、その代わり訓練を手伝えという話だそうです。
行軍訓練は3日かけて行われ、その最終日にパッシェンに到達します。
我々は訓練を終えた兵士を出迎え、清潔なタオルや温かいスープを渡し、健康診断を行い、彼らが去ったら後片付けを行うように申し付けられました。
「訓練中に雪山で遭難なんて事にならなければ良いのですが」
「あ、今回は新米も多いから山に入らないそうよ」
それなら、大丈夫でしょうか。
「到着予定時刻には、たっぷりお湯を用意しておきなさい。雪の中だから熱中症にはならないけど、低体温と脱水症は起こしうるわよ」
この訓練作戦は、実に妙案でした。
レンヴェル軍の大半は、中央で緊急募兵された新兵ばかりです。
彼らが少しでも経験を積めるのは、素晴らしい事です。
「レイターリュさん、薪の消費量を予測しますと全く足りません」
「大丈夫、訓練の過程で兵士が木材を切り出して運んでくれる手筈よ」
「成程」
「ただし持ち込まれた薪は乾いてないから、すぐに使えないわ。空き小屋に運び込んで乾かしなさい」
訓練の準備には力仕事が多く、ケイルさんやアルノマさんなど男手が重宝されました。
ザーフクァさんの部隊のメンバーにも手伝ってもらいつつ、自分たちはパッシェンに簡易の集会所を設営しました。
そして一週間かけて広場に焚火、給食所、診療所などを設営していき、やがて百人ほど収容できる会場が完成しました。
「さあて、明日から本番よ。各員、それぞれに割り振られている役目を確認したわね?」
「はい」
「じゃあ、解散。明日は頑張りましょう!」
レイターリュさんは人員をそれぞれ運営本部、調理班、医療班、資材班、運搬班に分けました。
運搬や資材などの力仕事は、輜重兵の筋肉質な方々が担当してくれるそうで。
衛生部の拠点だけあって医療班の人員は余っており、自分は調理班に組み込まれました。
「調理って言っても、私達で用意するのは温かいスープだけよ。あんなもん、レシピ通りに鍋に放り込んどけば難しくないわ」
「はい」
「でも、それを兵士に配っていくのは大変よ。数も多いし、結構な力仕事になるでしょう」
自分はよく体力訓練に参加しているので、比較的力仕事になるだろう場所に配置されたみたいです。
それと、
「それにムサ苦しい男より、トウリちゃんにスープ持ってきてもらった方が兵士も嬉しいんじゃないかしら」
「はぁ」
どうやらマスコット的な働きも期待されている様です。
「はぁい、訓練ご苦労様。温かいスープを用意しているわ、温まっていきなさい」
訓練初日は、朝から大忙しでした。
午前に大鍋でスープを作り、食器とお盆を準備しておき。
メディカルチェックを受けた兵士を会場へ誘導して、スープを手渡しします。
そこで兵士さんに一息入れてもらい、前線に帰還してもらう手筈です。
「おうい、スープのお代わりをくれないか」
「申し訳ありません、人数分しか用意していないのです」
この訓練は合計1か月かけて、全軍に施されるそうです。
気を引き締める目的だったからか過酷な訓練だったようで、何人かは脱水で入院になりました。
「おう、どうせなら可愛いボインが接待してくれや! 何で料理運びが男ばっかりなんだ」
「これ、結構な力仕事だからね。レディに任せるのは躊躇われるのさ」
「俺は定期的に女の尻を撫でないと死んじまうんだ。寒すぎて売春嬢が前線に来なくなってるんだぞ」
時折、困った兵士さんが暴れたりもしました。
この世界にセクシャルハラスメントなんて概念は浸透しておらず、粗暴な兵士は平気で女性に悪戯してきます。
ですが、
「ハァイ、お望みの美女が来たわよ!」
「げ、戦場の死神!」
そういったセクハラに対しては、最終兵器レイターリュ衛生部長が駆けつけて解決してくださいました。
「どう、私の尻でも撫でていく? 部下の為なら私は、犠牲になっても本望よ!」
「やかましい、テメェのケツに触れたらいつ爆弾が降ってきてもおかしくねぇだろ。俺は逃げさせてもら……あ痛ぁ!」
「流石レイリィだ、軽く声をかけただけでスッ転ばせて負傷させたぞ」
というか、逆にセクハラを返します。
あのバイタリティは、見習っていきたいですね。
「あ、頭から血が出てるわね。入院よ、その男を確保して」
「あー、小石に頭ぶつけたね。これは、経過観察しないとマズい」
「うわあああああ、この俺に近づくな!」
こうしてセクハラ男は無事に入院となり、レイリィ部長に手厚く
「ちっと年食って好みから外れてるケド……たまには枯れたモン食べてみますか」
「誰か、た、助けっ────」
翌日、彼女が妙に肌ツヤが良かったのですが、気づかない事にしました。
南軍の衛生部のセクハラ対策は万全のようです。
もしかしたら過酷なセクハラを受けた末が、今のレイターリュ部長の性格なのかもしれません。
「どうぞ、スープをお持ちしました」
「お?」
そして、全体訓練が始まって半月ほど経った頃。
「すまない衛生兵さん、ちょっとこっち来てくれ」
「はい」
自分は、スープを手渡した見知らぬ兵士に呼び止められました。
「どうかしましたか」
「……本当に居たのか」
「はい?」
彼は自分を意外そうに見た後、右手を差し出して、
「会えて光栄だ、トウリ衛生兵長殿。俺と握手してくれないか?」
「え」
いきなり、握手をせがんできたのです。
「ありがとう、変な事を頼んで悪かったな」
「い、いえ。これくらいでよろしければ」
特に断る理由もなかったので握手に応じると、兵士はとても嬉しそうにお礼を言って立ち去りました。
セクハラ……にも思えませんし、何が目的だったのでしょう。
まぁ、別に嫌な思いはしていないので気にしないことにしました。
「おお、そこの衛生兵殿! 少し時間を頂けないか」
「は、はあ……」
その日から、ちょくちょく似たような事が起こる様になりました。
自分を見て拝んだり、頭を撫でさせてくれと言ったりと、妙に見知らぬ兵士に絡まれるのです。
「……これは、どうしたことでしょう」
「リトルボスは可愛いからね」
「そういう話なんでしょうか」
お尻や胸を触られたりするわけではないので、そういう目的とは思えません。
ですがいちいち兵士に声を掛けられるのは、仕事をする上で非効率的です。
一度、レイターリュ衛生部長に相談するべきでしょうか。
「誰か事情を知りませんか?」
「さあ。でも、本当にそんなノリだと思うんだけどね僕は」
自分の相談を聞いたケイルさんは、曖昧な笑みを浮かべて、
「衛生部にリトルボスみたいなカワイイ娘がいるって南軍で広まれば、名物みたいな扱いを受けても不思議じゃない」
「名物……」
「特にボスはかなり若く見えるからね、兵士の間で噂になっても仕方ないんじゃないか?」
「……そういうものでしょうか」
彼は自分が『珍獣』扱いされているという説を、悪びれもなく語ったのでした。
この、自分が珍獣扱いされているという説は当たらずも遠からずで。
「おお、トウリ。聞いたぞ、お前なんか最近『
「何ですかソレ」
アレンさんが訓練を終えてパッシェンに到着した際に、ようやく詳しい事情を聴く事が出来ました。
どうやらスープ運びをしている自分を見た兵士が、「衛生部で、小さな女の子が頑張ってる」という噂を流したそうで。
最初は「珍しいなぁ」という話だったのですが、自分がスープを持って行った兵士がカードで馬鹿勝ちしたり恋人が出来たりと、妙に幸運に恵まれたそうで。
レイリィ部長の悪名を十分に知っていた南軍の兵士は、逆に「その小さい女の子は、幸運を呼ぶ衛生兵じゃないか」という噂を立て始めたのです。
同時期に、ヴェルディ中尉が活躍した撤退作戦で「自分が一緒に撤退していた」という情報も広がり、自分が
そのご利益を求めた兵士に、しばしば絡まれるようになったという話だそうです。
「その『幸運運び』様はお人形みたいに可愛い、表情乏しめの女の子衛生兵って話だって聞いてな。俺とロドリーはもう、大爆笑したんだ」
「……」
「俺もそのご利益にあやからせてくれよ、クッククク」
久々に会ったアレンさんは、大層機嫌よく自分の頭を撫でました。
何がそんなに面白かったのか、二人を小一時間ほど問い詰めたいところです。
「お前も頑張ってんだなって。あの、塹壕の中で顔を青くして震えてたトウリがこんなに立派になぁ」
「アレンさん……」
「もう、一端の軍人の顔をしてるよお前は」
しかしアレンさんにそう頭を撫でて貰えるのは、少しだけ嬉しい気分にもなりました。
なんだかんだ、先輩に誉めてもらえるのは嬉しいです。
「自分なんて、まだまだです」
「んなことはねぇよ。少なくとも
「それは、自分の功績ではありません」
まぁ、そういう事であれば珍獣扱いも気にしないようにしましょう。
自分が拝まれるだけで兵士の士気が上がるなら、好きにしてくれと言うものです。
「そういえば、ロドリー君はどうしたんですか?」
「あいつか? ロドリーは間抜けにも、訓練中に熱出してな。今、治療班に並ばせてる」
「え、大丈夫なんですか?」
「熱出てるだけで平常運転だ。いつも通りに生意気で口の悪いロドリーだ」
そしてロドリー君がいない理由を聞いてみたら、なんと彼は風邪を引いたみたいでした。
時間があれば、お見舞いに行きたいところですが。
「会いに行かねぇのか」
「……自分は、調理班なので」
「ま、顔を見に行くくらいは良いんじゃないの」
傷病者のケアは医療部の仕事です。自分の仕事ではありません。
本当はロドリー君と少しお話をしたかったのですが、仕方ありませんね。
「では、スープを飲んだら気を付けてお帰りください。帰り路に怪我をして、引き返すなんてことの無いように」
「おう、じゃあまたなトウリ」
少し後ろ髪をひかれますが、まだ調理班の仕事は一杯残っています。
ロドリー君は心配ですが、ちらりと医療部の方を覗いて顔を見るだけにしておきましょう。
「あらー、少年兵。良いわ、新兵かしら!?」
「お、おゥ……。何か威圧感のある衛生兵だなァ」
「どうしたのボク? お熱? どこかにばい菌が入っていないか、隅々まで全身をチェックしてあげるわ!」
「あ、おい、おい」
「少年兵1名ご案内~! さ、私の診察室に……」
医療部を覗いたら、鼻息を荒くした
……。
「痛いわ! 何、何でいきなり私、チョップされたの?」
「……彼は自分の知り合いなので、自分が診察しますね」
「あ、トウリちゃん! その男子に先に目を付けたのは私よ!」
他の兵士であれば百歩譲って見逃していましたが、流石にロドリー君はダメです。
うっかりレイリィさんに関わって、戦死されたらたまりません。
「あ? どうした、おチビ?」
「ロドリー君も、自分に診てもらいたいですよね」
「え? でも俺その人けっこう好み────」
「そうですか、じゃあ自分が診ますね」
「おいィ!?」
自分は目を吊り上げて不審者を威嚇しながら、ロドリー君を引きはがしました。
ロドリー君は、レイリィさんの噂を知らないんでしょうか。
「おい、分かった、お前について行くから手を放せって」
「駄目です」
確かにレイリィ部長は美人で、ナイスバディです。自分も男だったらクラッと行く自信があります。
しかしその色香に惑った兵士は皆、今まで悲しい結末を迎えているのです。
「あー、衛生部長、少し耳を」
「……あ、そうなの。トウリちゃんの先約かぁ、それはしょうがないか」
背後でケイルさんが何か部長に耳打ちしていました。
その内容は、推測したくもありません。
「そっかー、青臭くて良いなぁ」
「あれは邪魔しちゃいけません」
……。
成程、この行動を端から見れば自分がロドリー君に片思いしているように見えるのですか。
そうですね、誤解されても仕方がない動きに見えますね。
「……おチビ、お前さぁ。もしかして本当に」
「ロドリー君。どうか変な誤解をして、自分の心労を増やさないでください」
「お、おう」
やはり世の中は不条理です。
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