第66話


「■■■……」


 その女性は、ベルン大尉の個人テントのその奥に、座って本を読んでいました。


 それは真っ白な長髪で、雪の妖精のように透き通った肌の、儚げな女性でした。


「■■■■」

「トウリちゃん、この娘がレミだ。……どうだ、何か感じるか」


 その人を見た瞬間、自分は目を離せなくなりました。


 人を引き付ける魅力とでもいうのでしょうか。


 彼女の瞳を見た瞬間、自分はまるで初恋をしたかのように心を奪われ、言葉を失ってしまったのです。


 レミさんは10代であろう幼さが残ってはいますが、傾国の美女と言って差し支えない美貌の持ち主でした。


 ベルン大尉が入れ込むのも、よく分かりました。


「……優しい。彼女は、とても優しい気がします」

「ほう?」

「赤子のように純粋で、素直で、透き通るような優しさを備えた人。……こんなに、綺麗な人を見たのは初めてです」

「そうか」


 ベルン大尉は、自分の言葉を聞いて小さく笑いました。


 人と会っただけで、こんなに心を動かされたのは初めての経験でした。アイドルに会えたかのような、不思議な高揚感を感じました。


 こんな人が敵の村に居たら、そりゃあ取っ捕まるでしょう。


「ベタ褒めだな。俺の時はボロクソにこき下ろしてくれたくせに」

「う、すみません」

「良いよ、気にしてないから。ただ、一つだけ聞きたい」


 自分が熱に浮かされたようにその女性を見つめていたら、オッホンとベルン大尉が咳ばらいをしました。


 あまりにも美人な人に会ったからか、少し我を忘れていたみたいです。


「なぁ、トウリちゃん」

「はい」

「どうして、君は今、後ずさったんだ?」



 愉快そうに唇をひん曲げたベルン大尉にそう言われ、ようやく。


 自分は、


「え?」


 その美人さんに目を吸い込まれながらも、必死で逃げようと体が震えているのに気が付きました。









『初めまして。私は、レミと言います』


 彼女は自分を見て立ち上がると、自己紹介して一礼してくださいました。


『貴女が、話に聞いていた衛生兵さんですか』

「ええ、トウリ・ノエル衛生兵長です」


 自分は会釈を返して息を整え、レミさんの前に座りました。


 ベルンは通訳に徹するようで、会話に入ってくる様子はありません。


『初めまして、トウリ。本当に、軍隊にも私より年下の女の子がいるんですね』

「ええ、オースティンでは15歳から入隊が許可されています」

『貴女みたいに若い女の子は、結構いるのかしら?』

「……ええ、自分の部下にも一人いま・・した・・

『そう。いつか、お話してみたいですね』


 レミさんは小さな笑みを浮かべ、自分を見ていました。


『今日は、私のワガママに付き合ってくれてありがとうございます。話し相手がどうしても欲しかったのです』

「いえ、こちらこそお招きいただいて幸いです」


 彼女は今日、自分が連れて来られる事を知っていた様でした。


 いえ、むしろ彼女の言い分的には、レミさんがベルン大尉に同年代の女性を連れてくるようにねだった風に聞こえました。


『女の身で軍人は、大変ではないですか』

「……まぁ、それなりには」

『ではトウリ、貴女はどうして戦争に参加しているのですか。こんな大勢で殺しあうなんて、馬鹿げていると思いませんか』


 レミさんは、戦争に嫌悪感を持っているようでした。


 オースティン軍に村を焼き払われたのですから、それも当然でしょう。


 彼女が軍人に心を開かないのは、そんな理由もあるのだと推測されます。


「自分も、戦争は嫌いですよ。本当であれば、参加したくありません」

『では、どうして』

「サバトが、戦いをやめてくれないからです」


 自分は彼女の問いに、正直にそう答えました。


 少なくともオースティン側は一度、無条件降伏まで提示したのです。


 それを跳ねのけたサバトと言う国家に、自分は少なからず含みを感じていました。


 嫌味っぽい言葉になってしまいましたが、それが正直な自分の意見です。


『……? この戦いはオースティン側が仕掛け、今も続けているのでしょう』

「……」

『あなた方が戦いをやめれば、我々もやめると思いますよ』


 しかし、それはあくまで自分がオースティン人だから知っていた情報で。


 サバトの領内の人間は、我々が無条件降伏したという話を聞いていない様です。


「数ヵ月前の、我々の降伏宣言を知らないのですか」

『オースティンは、降伏するのですか?』

「いえ、もう降伏したのです。オースティンの首都の放送で降伏が宣言され、サバトがそれを拒否したのです」

『そんな話は、全く聞いていません。デマではないですか』


 お互いの国民は、お互いの国家の言葉を信じます。


 だから、こうやって意見や主張が食い違うのも当然でしょう。


『ではもし、サバトが攻撃をやめればオースティンは戦わないのですか』

「戦うことは無いでしょう。……いえ、我々にはもう戦う力が殆ど残っていないのです」

『私が故郷に戻って、偉い人を説得出来たら戦争は終わりますか』

「きっと、終わります」


 自分は、レミさんの問いにそう答えました。


 そういう軍事的な方針を決めるのは上層部なので正確なことは言えないのですが、状勢的にオースティンが戦争継続を望むとは思えません。


『私はサバトで、ずっと戦争をやめるよう訴えてきました』

「……」

『なのに、誰も話を聞いてくれませんでした。戦争に反対すると、警察が捕まえに来ます』

「それは、恐ろしい事です」

『本当に、恐ろしかった。これ以上、友達が拷問されて死ぬのを見るのは悲しいです』


 彼女はポロポロと涙を流して、自分にそう告げました。


 聞けば彼女は、サバトでずっと戦争反対を訴えていたそうです。


 しかしそんな事をすれば警察が黙っておらず、彼女は危険思想の持ち主として追われることとなりました。


 そして首都を脱出し国境付近まで逃げてきたところで、オースティン軍に捕まり今に至るのだとか。


『私は、ベルンにお願いしました。戦争をやめるよう、戦いを終わるよう』

「はい」

『彼は約束してくれました。もしサバトが戦いをやめたら、そのまま講和の交渉をすると。でも、今のままではどちらも戦いをやめる様子がない』

「……そうでしょう」

『私は、それが悲しい』


 それが、ベルンの庇った女性レミの事情でした。


 彼女には同情できるだけの事情があります。自分がベルン大尉の立場なら、間違いなく庇ったでしょう。


 しかしオースティンが決戦でサバト軍を打ち破るぞと息巻いている時に、こんな非戦論者を自由にしておくわけにはいきません。


 なので彼女は、こうしてこっそり匿われていたのでした。


「根気強く、声を上げ続けるしかないでしょう」

『トウリさん?』


 この世界にも戦争に反対する人間は、居たようです。それを知って、少しだけ自分は安堵しました。


 当然です。誰だって、こんなに悲しい殺し合いを続けたいとは思いません。


「自分達のような、何の権力もない一般人に出来ることは。根気強く、声を上げ続けるしかありません」

『……』

「そして、圧倒的多数の人が戦争を嫌えば、きっと戦争は終わります」


 一度戦争が起これば、その恨みは蓄積していきます。


 その国民が全滅でもしない限り、戦後にずっと根強い戦争の火種がくすぶり続けます。


 国に歴史がある以上、戦争の種を消し去ることは決してできません。


 だから、共通認識として世界中で『戦争は悪であり、忌むべき物』という概念を浸透させなければならないのです。



 前世では当たり前の感覚だった『戦争は忌むべき物』という概念。


 残念ながら今のこのオースティンやサバトには、そんな近代的な概念はありません。


 国家の間で諍いがあれば戦争するのが当たり前で、死者が出るのも当然。


 そんな旧い価値観が、この戦争の引き金でした。


「戦争は民衆に被害を、権力者に利益をもたらします」

『……』

「だから民衆が主体となって、反対せねばならないのです」


 前世で歴史の授業を受けていた時に、自分はその意味をあまり理解していませんでした。


 例えばアメリカ大統領のウッドロウ・ウィルソンが発表した「14か条の平和原則」は、平和を守るため各国が何をすべきかをまとめた原則で、第一次世界大戦中に提唱されたものです。


 当時の自分は、お偉いさんが平和を守りましょうと叫ぶことに何の意味があるんだと思っていました。


 ウッドロウ・ウィルソンが奇麗事を言ったところで、結局第二次大戦は勃発したじゃないかと考えました。



 しかしこの世界に来て、国家首脳の戦争に対する薄い忌避観を知り、自分は彼の偉大さを実感しました。


 様々な国家間で『戦争は避けるべき』という共通認識を持たせるのは、非常に重要なのです。


 この共通認識があるだけで、外交交渉の一環として武力をちらつかせると国際的に孤立するリスクを孕むようになり、戦争の防止に役立つのです。


 戦争に参加する兵士になった今、彼のような奇麗事を堂々と宣言してくれる国家元首が居ればどれだけ素晴らしいだろうかと、思わずにいられません。





 ……少なくとも開戦時は、サバトもオースティンも戦争行為をまだ『外交戦略の一種』と捉えていた節すらありました。


 武力の行使により国力を示威し、交渉を有利に進めようと考えていた気がします。


 しかし銃火器の発展により、戦争の重みは増していました。


 少なくとも以前までの様に、外交戦略として気軽に行えるものではありません。


 その変化に気づいておらず、両国とも未だ戸惑っている状況です。


 お互いに想定外の死者を出してしまい、戦争の止め時を見失っているのでしょう。


 この認識をただす事が、きっと今からの我々に重要なのです。




「それが、自分の持論です」

『……』


 自分は今の内容を、レミさんに持論と言う形で語りました。


 そう簡単に行く話でないことは、理解しています。


 これは2度の世界大戦で数多の犠牲者を出してやっと、前世の人々がたどり着いた結論です。


 大きな被害を出し多くの悲しみを知って、人は学習していくのです。



 裏を返せば人間は、一度痛い目を見ないと学びません。


 その『痛い目』として犠牲になりかかっているのが、現状の我々でありサバト軍なのです。


『本当に、そんな事が出来るのでしょうか』

「……」

『男の人は戦うのが好きです。「兵士に志願して敵を殺しまくるんだ」と語る青年をサバトで何人も見てきました。人を殺すのを、楽しんでいる人もいます』

「そうかも、しれません」


 レミさんは物憂げに、そう話してくれました。


 兵士に志願する前の人ならば、確かにそんな言葉が出てくるかもしれません。


 ですが、


「その勇敢な言葉を吐いたサバト人も、きっと目の前でたくさんの戦友を失えば、戦争なんてものを嫌いになってくれると思います」

『……』

「だからレミさん、貴女は間違っていません。戦争は、忌避すべきものなんです」


 自分はそう、話を続けました。








『ありがとう、トウリ。貴女と話せて本当に良かった』


 その後、しばらく自分はレミさんと話を続けました。


 彼女は少しずつ饒舌に、明るい表情で話してくれるようになりました。


『貴女みたいに優しい人ばかりなら、戦争なんて起こらなかったのに』

「……サバトにも、レミさんの様な人がたくさん居ればよかったのですが」

『私のように、戦争に反対する人は沢山いました。皆、捕まってしまっただけです』


 レミさんは涙を拭きながら、自分に手を差し出しました。


『私、ベルンに頼んで何とかして故郷に帰ります。そして今度こそ、もっと沢山の人に戦争を反対してもらえるよう頑張ります』

「……あまり、無茶はしないでくださいね」

『ええ、ありがとう。親愛なるトウリ』


 自分は彼女の手を握り返し、


「いつか平和な世界になったら、またお茶会をしましょう」

『喜んで』


 そう言って、彼女と別れました。









「……くくく、いや、最高だったよトウリ衛生兵長。君に任せてよかったと、俺は心底思っている」

「それは、どうも」


 レミさんとのお茶会が終わった後、ベルン大尉は自分をテントの外に連れ出しました。


 どうやら、自分を野戦病院があるパッシェンまで送っていってくださるようです。


「見るからに、レミの顔色が良くなった。大分立ち直ってくれたみたいだ」

「ええ、自分にもそう見えました」

「後は俺の仕事だ、立ち直った彼女を何としても無事にサバトに送り届けて見せる。任せておけ」

「お願いします」


 ベルン大尉は胡散臭い笑みを浮かべたまま、そう断言してくれました。


 南の英雄ベルン大尉がそういうなら、きっと上手くレミさんは送り返してもらえるでしょう。


「レミの事、お前はどう感じた?」

「優しく奇麗で、不思議な求心力のある方だと思いました」

「そうか、じゃあお前はもう二度とレミに会うな。今後、彼女への面会は許可しない」

「え?」


 そしてベルン大尉は、自分が今後レミさんに会うことを禁じました。


 自分がパチクリと目を瞬かせると、大尉は曖昧な表情で自分の視線を受け流します。


「……自惚れでなければ、自分はとても彼女を元気づけられたと思うのですが、どうしてでしょうか」

「ああ、期待以上の働きだったよ。今日の君の言葉は、レミに大きな影響を与えた。君があんなにも深く、この戦争の結末について考えてくれてたとは思わなかった」

「それでは、何故?」

「それは、君自身も理解しているだろ?」


 もうレミさんに会えないのは寂しいと感じたのでベルン大尉に聞いてみたら、彼は満面の笑みを浮かべ、


「君は、彼女から逃げようとしたよね。言葉の上では心惹かれていると言っても、内心では怖くて仕方がなかったんだ」

「それは、違います。自分は、その」

「いや、それで良い。それで正解なんだよ、トウリちゃん」


 自分の頭を撫でながら、次のように教えてくれました。


「何せ彼女は無自覚なだけで、俺なんかよりよっぽど極悪人だからな」

「……へ?」










 その後、彼女─────レミさんは、ベルン大尉の手腕で故郷のサバトに帰還する事に成功したそうです。


 しかもベルン大尉は、ただ彼女の帰還を支援するだけではなく『大量の銃火器、支援金』を用意してサバトの拠点に送り届けたそうです。



『私は、オースティン軍で素晴らしいことを聞きました』



 その拠点とは、過激派の反政府組織が隠れ蓑に使用していたもので。


 彼女は、その反政府組織のメンバーでした。



『戦争に反対する人を増やせば、戦争は終わります。オースティンの偉い人が、戦争を止めるために支援をしてくださいました』



 レミさんが国境付近の村に潜伏していたのは、サバト本国の警察の目から逃れるため。


 彼女は、サバト政府が血眼になって探していた危険思想犯の一人であり。


 ─────その求心力の高さから、若くして反政府組織のリーダーに選ばれていたのです。



『戦争を終わらせましょう。私たちの手で、サバトを変えましょう』

『ああ、レミ様』

『最初は小さな一歩から。少しずつ、歩みを進めて行くのです』


 ベルン大尉によりサバトの中に放り投げられた、小さな火種レミ


 それはやがて、平和への狂気を持ってサバトに旋風を巻き起こしていきます。


『戦争に賛成しているのは、政府の高官、貴族、そして商社の富裕層』

『ああ、その通り』

『彼らが権力を握る限り、永遠に平和は来ない。人は平等であるべきです。国は我々の様な民衆が、議会をもって話し合って進めるべきです』


 自分は、一つ大きな勘違いをしていました。


 レミさんは、善意で行動します。だから、自分は彼女を優しい人と形容してしまいました。



『その為に、一人ずつ』

『地道に、富裕層を殺していきましょう』



 しかし、彼女の本性は。


 目標の為なら殺人すら厭わない、壊れた平和狂信者だったのです。



『すべての民衆に、平等な社会を』

『議会による統治を』

『戦争の終結を』



 彼女は自身の善意と優しさで、サバトという国を真っ二つに分断していきました。


 そしてベルン大尉の援助の下、『労働者議会』と呼ばれる革命集団をサバト中に組織していきます。



 ───サバト革命。


 やがて彼女は革命を実行に移し、多くのサバト都市に血の海を作り上げます。


 平和を求め、平等を愛し、戦争を嫌悪した彼女のグループは……相手が『政府側の人間』であれば、テロリズムという悪辣な手法を以て女子供すら躊躇わずに虐殺していきました。


 そんな彼女に多くのサバト市民が賛同し、平和のためという名目の下で略奪・殺人が横行し始め、サバト国内は大混乱に陥ります。


 オースティンから秘密裏な援助を受けたテロ組織『労働者議会』は、こうしてサバトという巨大な国家を内部から崩していくのでした。



 そんな彼女の引き起こした歴史に残る大惨劇の糸を、陰から引いていたのは。


 オースティン救国の英雄、ベルンだったという事はあまり知られておりません。

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