第62話
「寒いわね~、こういう日はワインを飲んで温まりましょう!」
南軍の衛生部と合流してから、数日ほど経ちました。
吹雪が強まってからは戦闘が起こらなくなり、衛生部に来る患者さんの数はどんどん減ってきていました。
「異常気象って、サイコーね! こんなに患者さんが少ないのはいつ以来かしら~」
野戦病院とは思えないほど、衛生部は平和でした。
患者さんと言えば時折、風邪を引いた人が抗生剤を求めてやってくる程度です。
「新米さんは今のうちに、しっかりお勉強しましょうね。レィリィ塾の始まりよ~」
レィターリュ衛生准尉は手持無沙汰になるや、毎日のようにアルノマさんやケイルさんの尻を追いかけ始めました。
新米への指導────、と言う名目の逆ナンです。
レィターリュさんは暇な時にいつも、ちょっと近めの距離感で我々に指導をしてくれました。
ケイルさんはともかく、戦争外傷の治療経験が少ない新米にとって、レィターリュさんという凄腕衛生兵の直接指導はとてもありがたいでしょう。
「……ねぇ、アルノマ君。今夜、空いてたりしない?」
「あ、あははははは!!」
だから彼らは、新米は彼女からのセクハラに耐えつつも話を聞くしかないのです。
結構タメになるので、自分も積極的に聞きに行きました。
話のオチがいつも夜這いの誘いや下ネタなのは、ご愛敬でしょう。
……とまぁ、これが南軍の衛生部に合流してからの日常です。
自分もいろいろとご指導を頂きましたが、患者さんが来ないのであまり勉強になりませんでした。
習うより慣れよ。回数を重ねるごとに上達していく回復魔法は、やはり実戦が一番の修行です。
患者が減って上達しない自らの技術にやきもきしながら、先輩方から伝え聞いた座学などを吸収しつつ、レィターリュさんのセクハラを眺める日々を過ごしていました。
南軍と合流してから1週間ほどは、戦争中に似つかわしくない平穏な日々となりました。
────そしてこの平穏こそが、自分にとっては恐怖でした。
自分は、まだ小隊長としては未熟です。なのに、こんなにノンビリとして良いのでしょうか。
今この瞬間、何か努力しておくべき事柄があるのではないでしょうか。
初めて部下を失ったあの日から。
自分はラキャさんみたいな防げる犠牲を防ぎたいと、ずっとそう考えていました。
確かに自分はまだ小娘と言える年齢ですが、前世の事を考えると成人済みと言えます。
何なら、ガーバック小隊長より年上です。信じられませんが、前世を換算するとあの男は年下男性なのです。
だから、自分はもっとしっかりしていて然るべきなんです。
ラキャさんの反省を生かし、南軍と合流してからは飲み会の席で自分の失敗談を語るようにしました。
あの鬼軍曹にボコボコに指導を受けた経験は数知れず、中々に話が尽きることはありません。
宴席で自分語りをするなど部下からしたら鬱陶しいだけでしょうが、とても大事なことなので我慢して聞いていただいています。
かつてガーバック小隊長に申し付けられた訓練メニューも、時間が出来てから再開しました。体力は、いくらあっても困りません。
自分は南軍と合流してから、衛生兵として勉強をしつつ体力鍛錬も怠りませんでした。
しかし、それだけでは何かが足りない。いつか目の前の誰かが命を落として、もっと自分が努力していればと後悔するかもしれません。
そんな焦りが、自分の中に確かにあったのです。
そんな折、自分はある話を聞きました。
今、我々を護衛してくださっている中隊の長は【盾】魔法のスペシャリストで─────オースティン軍の誇るエースの一人である、と。
「皆、注目せよ。彼女は本日より、訓練に参加するトウリ衛生兵長だ」
「よろしくお願いします」
自分はレィターリュさんに話を通し、防衛部隊の隊長……ザーフクァ曹長に訓練の参加許可を頂きました。
せっかく、近くに熟練の歩兵が居るのです。指導してもらえるなら、それに越したことは有りません。
当初は、「君では無理だ。きちんと【盾】が扱えないと、訓練にならないだろう」とザーフクァ曹長は、衛生兵の小娘が訓練に参加することに難色を示しました。
しかし自分がガーバック軍曹に教わった【盾】を使って見せると、一転して参加許可を貰えました。
自分の【盾】は、ザーフクァさんのお眼鏡にかなった様です。
「ご紹介に与りました、トウリ衛生兵長です」
「彼女は衛生兵だが、遠慮はいらん。【盾】は1等歩兵レベルだ、存分に教えて鍛えてやれ」
自分は、ザーフクァ曹長の紹介を受けゴツゴツとした軍服を着こんだ兵士たちの前に立ちました。
彼らは所謂、『防衛部隊』と言われる兵士達です。
それはガーバック小隊のような突撃部隊と異なり、防御向きな兵科が多く編成されている部隊です。
西部戦線で彼らは長い時間塹壕に籠り、敵を迎え撃つ役目についていました。
装甲兵は厚い防具で身を固めて、爆風の中で生き延びられるようになった兵科です。
元々は白兵戦で、騎馬突撃を受け止める役割だったようです。
かつては重い鎧を身に着け、馬を切れる大刀を装備する必要があったので、筋骨隆々の巨漢が配置されることが多かったそうです。
しかし現在の戦場において、騎馬兵なんて愉快な銃の的でしかありません。
なので現在の装甲兵は、被弾面積が小さく長時間の任務に耐えられるよう『小柄な兵士』がよく選ばれるそうです。
ザーフクァ曹長も例にもれず、少し小柄な男性でした。
「彼女は衛生兵だ、怪我しても自分で治せる。見た目に惑わされ容赦をするな、好きなだけ痛めつけろ」
「「はい、曹長殿」」
そして装甲兵に必須なのが、【盾】の素養です。
【盾】は結構ポピュラーな魔法で、適性を持っている方は多いそうです。そして適性があれば、高確率で装甲兵に配置されてしまうそうです。
適性持ちは多くても、ポンポン殉職していくので需要は高い兵科なのです。
自分が男で回復魔法の素養がなかった場合、100%装甲兵として配属されたでしょう。
ゲールさんは自分に【盾】を教えてくださいましたが、その素養が有ることを徴兵検査で確認していたのかもしれません。
ザーフクァ隊の訓練は、ウォーミングアップから始まりました。
流石エース部隊だけあって、ウォームアップだけでも大変な運動量です。
兵士たちはストレッチ、ランニング、筋力トレーニングをテキパキとこなしていきました。
日ごろ鍛えていたはずの自分も、ついていくのが大変でした。
「トウリ衛生兵長、小銃を貸し出す。OST-3型の撃ち方はわかるか」
「はい、中隊長殿。恥ずかしながら、まだ学んでおりません」
「そうか、ならゴスペル1等歩兵。簡単に手ほどきしてやれ」
ウォームアップを終えると、自分はいきなり銃を貸し出されました。
衛生兵なのに武器を持っていいのでしょうか。
いえ、これは【盾】の訓練です。
訓練は戦闘行為に分類されないので軍規上問題ない……と、いう事でしょうか。
「これがボルトだ。ここを回転させて後ろに引いた後、排莢して───」
「……はい、了解です」
ゴスペル1等歩兵は30代くらいのおじさんで、懇切丁寧に銃の使い方を教えてくれました。
ゲームではリロードなんてワンボタンでやってくれるので意識していませんでしたが、実際に銃の使用法を聞くと結構時間がかかりそうですね。
……ところで、自分が銃の扱いを学ぶのって、本当にセーフなんでしょうか。
「安心しろ、訓練用のゴム弾だ。当たっても、死にはしない」
「はい、中隊長殿」
「そしてゴム弾による訓練は、銃の使用に該当しない。衛生兵である貴官が扱おうと、何の問題も無い」
自分の心配を見越したようで、ザーフクァ曹長は顔色一つ変えず自ら背負っていた小銃を自分に手渡しました。
軍規上問題がないならば、有難く練習させていただきましょう。
「当たれば、すこぶる痛い。だが兵士という職業は、痛みと共に成長していく。泣き言を言うなよ」
「……はい」
初めて手渡された銃にほんのり高揚していたら、ザーフクァ曹長は真面目な顔で忠告をしてくださいました。
いけません、FPS関連でテンションが上がってしまうのは悪い癖です。自分の感情と、しっかり折り合いがつけられるようにならねば。
「では、撃ち方用意。射撃と同時に【盾】を展開せよ」
「了解です」
兵士達はザーフクァ曹長の掛け声で、迷わず銃を正面の兵士に構えました。
自分も先ほど教わった通りに、対面兵士の腹をめがけて銃口を構えます。
小銃を構えたのは初めてですが、結構重くて銃口が細かく震えますね。
「撃てっ!!」
そのザーフクァ曹長の、雷鳴の様な号令の直後。
鈍く激しい腹の痛みと貫かれるような衝撃で、自分は大きくのけぞって倒れてしまいました。
銃口を向けられる恐怖と、銃で敵を狙うことを意識しすぎて、【盾】の展開が間に合わなかった様です。
「自分が発砲したのと同時に銃撃を受けたという想定の訓練だ。攻撃と同時に【盾】を展開する事が出来れば、死亡率はぐっと減る」
「成程」
「貴官にとっては、射撃の良い練習にもなるだろう。さぁ、次は頑張って弾を防いで見せろ」
訓練の内容は、非常に実戦に即したものでした。
銃を撃った瞬間に相手からも撃たれるケースは、防衛部隊だと多いでしょう。
【盾】を展開したままだと、こちらも発砲出来ません。だから敵を撃った直後に【盾】を展開し、身を守る。
これが、防衛部隊の戦い方なのです。
「訓練用のゴム弾は、ぐにゃぐにゃで当たっても人体を貫通しない。ただ、眼や肋骨など急所にあたれば致命傷になりうる」
「はい」
「だからしっかり、【盾】を出すことを意識しろ。あと治療は、訓練終了まで行うな。実戦で治療する余裕なんて無い、敵はお前が治るまで待ってくれん」
自分は銃を撃つ機会は多くないと思われますが、それでも何か作業をしながら【盾】を展開する機会は訪れると思われます。
たとえば以前、マシュデールでレンヴェル少佐の治療を行い負傷した時。自分の【盾】の練度が高ければ、あんな命がけの撤退をせずに済んだかもしれません。
咄嗟に【盾】を出す訓練は、どれだけやっても損はないでしょう。
「休憩終了、各員構え!」
そう言うと、ザーフクァさんは再び兵士に向かい合うよう号令しました。
自分も、痛む腹を無視して立ち上がります。
確かにザーフクァ曹長の言う通り、敵は治療を待ってくれません。
「では、訓練再開!」
自分は再び気合を入れなおし、痛む腹を庇いながら銃を構えました。
この訓練は厳しいですが、とても有用だと感じました。
「衛生兵長。本日の訓練はどうだった」
「はい、大変勉強になりました」
「明日も来るか」
「よろしければ、是非」
銃の扱いに四苦八苦すること5時間、やっと訓練は終わりました。
結局、この日は一度も治療を許可してもらえなかったので、自分は全身アザだらけになっていました。
他の兵士は、自分よりもっと軽傷な人ばかり。
自分の負傷が多いのは、練度が低いからでしょう。
「それはよかった。せっかく傷だらけになったなら、明日も続けるべきだからな」
「それは、どういう意味でしょうか」
「痛みと言うのは学習の為に存在するからだ。人は痛い思いをしたくないがため、どうすれば良いか考えて、努力する」
ザーフクァ曹長は、全身ボロボロになった自分を嗤ったり心配したりしませんでした。
彼はただ、真面目な顔で自分の赤く腫れ上がった肩を見つめていました。
「今逃げ出したなら、ただ貴官は痛い思いをしただけだ。痛みを訓練に換えるには、継続が必要だ」
「はい、曹長殿」
「筋は悪くなかった。後は、反復と継続だ」
そう言うと、彼は自分に背を向けて。
「我が隊の訓練は、戦場で生き延びるために役立つ。少なくとも、損をすることはないだろう」
「はい」
「……貴官が何に焦って訓練に参加したかは知らんが、自分を見返す良いきっかけになるだろう。励め、少女よ」
訓練を終えたばかりだと言うのに、兵士を集めて哨戒任務へと移ったのでした。
今思えばザーフクァ曹長は、当時の自分の悩みを見透かしていたみたいでした。
経験若くして指揮官の立場になった兵士には、気負いすぎて病むタイプの人も居たようです。
自分は間違いなくそのタイプであり、周囲から見れば危なげに見えた事でしょう。
そんなタイプの人がすべきは、自信を持つ事です。
自らの能力に自信が持てるようになれば、自然と心に余裕が生まれ気負いも減っていくそうです。
ザーフクァ曹長は自分のそんな未熟さを見抜き、自信をつけさせるために訓練に参加を許可したのだと思います。
防衛部隊として身を守る訓練は、少なくとも身に着けて損をする技術ではありません。
事実、彼に教わったことはこの後何度も自分の身を助けることになりました。
自分にとってこのザーフクァ曹長との出会いは、ガーバック小隊長との出会いに次ぐ2度目の幸運と言えました。
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