第60話


 オースティン軍を大きく動揺させた、ファリス准尉の射殺事件。


 その顛末は、犯人射殺で幕を下ろしました。



 この事件の後始末には、レンヴェル少佐も苦心したようでした。


 何せローヴェ2等歩兵は、冤罪で処刑されかけた訳です。


 この事実が明るみになると、兵士の間に不信が広がる危険性がありました。


「貴官は虚偽の報告を行った、それが誤認逮捕の原因となった」

「はい、少佐殿」


 なので、「ローヴェ2等歩兵は、友人を庇って自ら逮捕された」という触れが出されました。


 誤認逮捕になった原因はローヴェのせいで、軍はちゃんと捜査をしていましたとアピールしたのです。


 それと同時に、


「ローヴェに友人を庇う意思はあったが、軍に歯向かう意思はなかった。偽証の罪に関しては終戦まで、一時不問とする」


 と、レンヴェル少佐はローヴェを実質的に無罪放免にしてしまいました。




 そんな裁定の裏には、実はちょっとした司法取引がありました。


 レンヴェル少佐は彼を呼び出し、



「君は十分な尋問を受け、その場で偽の自白を行った。そうだろう?」

「え、いえ、ほぼ有無を言わさず処刑場に連行されたんです、けど」

「なら、そういう事にしておきたまえ。厳しい尋問を受けてなお友を庇ったとあれば、その友情に免じて君の罪を軽くしてやれる」


 とても優しい顔で、彼の肩を抱いて囁いたそうです。


「君はとても見どころのある人間だ、友人を庇って処刑を受け入れる事など出来る人間は少ない」

「は、はい、どうも」

「ヴェルディ中尉の早とちりで君を逮捕してしまってすまなかった。俺は処刑場で起きたことを聞いて、甚く君を気に入ってしまった。是非、君の力になりたいんだ」


 レンヴェル少佐はヴェルディさんに謝罪させた後、優しくローヴェ2等歩兵に茶菓子を用意して語り掛けました。


 その言葉を聞いてローヴェ2等歩兵はレンヴェル少佐を信じ(?)、友を庇う為に犯行を自白したと証言するようになったのでした。




「叔父上。あれじゃ、我々の不手際を誤魔化すのに協力してもらった様なモノでは」

「ローヴェという男も、罪が軽くなって喜んでおっただろう。Win-Winという奴じゃ」


 ローヴェさんが心の底からレンヴェル少佐を信じたのか、はたまた「従っておいた方が良い」と判断したのかは分かりませんが。


 この司法取引の様な何かのお陰で、兵士の間に不信が広がるようなことはありませんでした。


 流石に、何年も軍の権力争いに勝ち抜いてきただけあってレンヴェル少佐は非常に老獪だったようです。










 そして、オースティン軍は射殺された少年兵を埋葬した後、すぐさま進軍を再開しました。


 ただでさえ冬入りが早かった上、ファリス准尉の捜査で時間を取られたので、我々は予定よりかなり遅れていました。


「本当に寒いな、いくら冬でももう少しポカポカした日は無いもんかね」

「おそらく、サバトに近づけば近づくほど寒くなっていくのでしょう」

「やってられないな」


 少しでも暖かな日があれば一気に進軍できるのですが、雪がやむ気配はありません。


 自分が暮らしていたノエルでは、時折ポカポカとした暖かい日が冬でもありました。


 こんなに毎日毎日、飽きもせず雪が降り続けるような気候ではなかったです。


 この寒さは異常気象も原因の一つと思われますが、そもそもこの付近の気候が寒冷なのもあるでしょう。


「昨晩、とうとう凍死が出ましたしね」

「笑えないよ、本当に」


 この地域がいかに極寒であったかは、日々の患者さんの大半が凍傷であったことからも伺えます。


 昨晩には、ついに風邪だった兵士が休養を取らず偵察に出て、フラリと倒れこみ殉職しました。


 体調の悪い人間が極寒の地で意識を失えば、あっさり凍死してしまう危険があるのです。


 これを受け、我々衛生部はレンヴェル少佐に『体調不良者は絶対に休ませてください』と上申しました。


「風邪も流行っているようだし、ますます進軍速度は落ちるんじゃないか?」

「レンヴェル少佐殿は、何とか進軍速度を上げようとしている様子ですが」

「これ以上進軍速度を上げたりなんてしたら、凍死者が増えるぞ」


 この時、オースティン軍ではインフルエンザによく似た風邪が流行っていました。


 勿論、当時のオースティンにはインフルエンザの特効薬なんてありません。


 そして、現代日本のような衛生状態を保てない軍隊では、感染力は凄まじいです。


「抗生剤も、在庫が心もとなくなってきた」

「節約していかないといけませんね」


 流行病は非常に恐ろしい存在です。


 小さな子供であれば罹るだけで命の危険がありますし、大人であってもコンディションが悪ければあっさり病死してしまいます。


「抗生剤の補充は、しばらく先か……」

「本国でも流行しているようで、そもそも不足気味なようです」


 あと、この世界では『風邪には抗生剤が有効である』とされていました。


 現代日本の知識として、ただの風邪に抗生剤は無意味な筈ですが……。


 そんな事を自分が言い切ったところで説得力も何もありません。


 いずれそういう結論に達するのかもしれませんが、現状はこの時代の医療知識に従って、自分も抗生剤を処方していました。



「今後は抗生剤の使用を、重症な人に限定しましょう」

「そうするしかないか」

「歩兵たちに、可能な限り清潔を保つよう触れを出しましょう。また、鼻水や血液などの着いたゴミは穴を掘って埋めるようにしましょう」



 こうして衛生部は、外傷ではなく病魔とも闘う事になりました。


 もし軍に肺炎が流行すれば、かなり大きな被害が出ます。


 それらの流行を食い止めるのも、衛生部の務めです。


 この日からしばらく我々は、高熱と咳や鼻水に苦しむ兵士と悪戦苦闘することになります。









 雪の中を進むこと、1か月。


 我々はやはりノロノロと、スローペースの進軍を続けていました。


「足跡は、無いな。やっぱり、この辺に敵はいなさそうだ」

「敵は、もう遥か先に逃げたんじゃないか?」


 この間、サバト軍は影も形も見せませんでした。


 なので衛生小隊的に、目下最大の敵は寒さと流行病だけです。



「敵影無しなら、前進だ!」



 歩兵たちは偵察のついでに、暖を取るため枯れた木枝を集めるのが日課になっていました。


 平原に降り積もった雪が溶けることは無く、身を切り裂くような冷たい風が吹きすさんでいました。


 幸いにして風邪は軽症な性質のようで、肺炎に至る人はいませんでした。


 しかし軽症な代わりに感染力は強いようで、軍のほぼ全員が一度は体調を崩すくらい流行しました。


「リトルボス、また鼻水が垂れてきているよ」

「ああ、失礼しました」


 自分も例にもれず3日ほど熱を出しましたが、幸いにも自然に治ってくれました。


 まだ咳や鼻水が続いていますが、そのうち治まるでしょう。


「何だか最近、雪が少なくなってきたな」

「冬入りが早かった分、冬が明けるのも早いのでしょうか」

「いや、流石に早すぎるよ」


 1ヶ月もたって流行が治まりを見せてきた折、我々オースティン軍に1つの朗報が届きました。


 それは、


「おお、ヴェルディさんから連絡です。従軍気象部によると、今週だけは非常に温暖となる可能性が高いそうです」

「ほう、それは良い」

「なので本日から進軍速度を上げ、これまでの遅れを取り戻すらしいです。要は、マラソン再開ですね」

「……それはあんまり、嬉しくないお知らせだね」


 冬場だというのに、今週一杯は比較的暖かくなるという予報でした。


 それは青天の霹靂の如く、真冬に穏春が訪れたのです。


 この機を逃すまじと、レンヴェル少佐は嬉々として強行軍を命じました。


「たった1週間だけでも早く進めれば、戦況が大きく変わるそうです。頑張りましょう」

「了解だ、ボス」


 雪はまだ土の上に残っていますが、お日様が暖かければ走りやすさは全然違いました。


 我々は1週間の間だけ、今まで通りの進軍速度を取り戻したのです。


 気候が温暖なうちに、西部戦線の基準線でもあった『タール川』まで進みたい。


 それが、この時の戦略目標でした。




 タール川は、元々サバトとオースティンの国境となっていた川です。


 東西戦争は、このタール川を境に始まりました。


 この川を確保するため、ガーバック小隊長を始めとした西部戦線の勇士達が日々奮闘していたのは懐かしい記憶です。



 現状、おそらくサバト軍は国境であるタール川まで撤退していると予想されます。


 そこで補給線を確保しつつ、我々オースティン軍を迎え撃つ算段を練っている所でしょう。



 そんなサバト軍を我々と南部軍で挟んで、北へと追いやるのが当初の予定です。


 冬入りした今となっては不可能でしょうけど、せめてタール川を挟んだ戦線を構築しておきたい。


 レンヴェル少佐の目標は、そこにありました。




「えっさ、えっさ」

「走れー、新米どもー」




 この頃になると、流石に走らされたくらいでダウンするような新米は少なくなっていました。


 首都から出発して約3ヶ月経ち、新米達に少し体力が付き始めていたのです。


 我々は南部軍が今も北上し続けていることを信じ、無心に合流地点へ向かって走り続けていたのでした。




 当年の冬は数十年ぶりの極寒となりましたが、この1週間だけは温暖な天気となっていました。


 それはまさに、1週間だけ春を前借り出来たような奇跡の瞬間でした。


 この奇跡が無ければ、きっと我々は冬の内にタール川に辿り着くことは出来なかったでしょう。 



 レンヴェル少佐は『北部決戦構想』を諦めず、部下に鞭打って強行軍を続けました。


 他にオースティン国民に生き残る道はない、どんな被害を被ってでも決戦を成し遂げてやるという、気迫を持っての強行軍でした。


 その、オースティンを守るべく決死の行軍を見せたレンヴェル少佐の想いに応えるかのように、霧は少しづつ晴れていきました。



 冬入りしてからずっと我々の視界を奪っていた忌々しい霧でしたが、この1週間だけは露と消えたのです。


 そのお陰で偵察兵の仕事が楽になり、進軍速度は益々上がりました。



 この調子ならば、合流地点であったタール川に到達することも可能でしょう。


 南部軍と合流出来れば、いよいよサバト軍との決戦です。


 それは一度は無条件降伏まで追い込まれたオースティンが、奇跡に奇跡を積み重ねて得た千載一遇の好機なのです。


 この神様からの贈り物と呼べる暖かな1週間を逃さず、レンヴェル少佐達は走り続け───






 ───マラソンの開始から、3日目。


 我々は、絶望を目の当たりにしました。





「……敵が」





 それは晴れた視界に、よく映りました。


 小さな山を越え、とうとう西部戦線を構築していた平原へとたどり着いた我々は。


 数十キロは先に見える合流予定地点に、数えるのもバカらしいほどの大軍───


 我々中央軍の10倍はあろうかというサバト軍が、タール川の手前にうじゃうじゃと進軍している姿を見たのです。


「……あんな数と闘うのは、流石に無謀じゃないか」


 それは先月に我々を奇襲した部隊なんかより、遥かに大勢の敵でした。


 地を這う蟻の群れのように、サバトの大軍が我々の行く手を阻もうと蠢いていました。



 そしてその付近に、オースティン南部軍の姿は見えませんでした。



「……リトルボス、あの敵の数は一体?」

「すみません、分かりません。上層部に、連絡を取らないと」



 南部軍は、もう負けてしまっていたのでしょうか。

 

 我々の必死の強行軍は全くの無駄で、南部軍はもう敗れていて。


 これから自分達は、目の前の狂暴なサバト兵に蹂躙されるしかないのでしょうか。


 そんな、ネガティブな妄想が頭に浮かびました。


「ヴェルディ中尉は、新たな命令が下るまで進軍を続けよと仰いました」

「お、おいおい! あの大軍に向かって直進しろっていうのか」

「それが命令であるならば、自分達は従わなければなりません」


 ヴェルディ中尉も、まだ目の前の光景について何の情報も持っていないようでした。


 もしかしたら南部軍も合流が遅れているだけで、もう少し進めば南部軍の姿も見えてくるのかもしれません。


 ならば、進軍するというのも納得できます。


 あの、膨大な数の敵兵と対峙するのが我々オースティン軍の仕事なのですから。


「……あんな大勢の敵が、ビッチリと平野を覆う光景。流石の私も、気分が悪くなってきたよ」

「アルノマさん、落ち着いてください。きっと、我々まで戦う事にはなりません」

「そうだといいがね」


 霧が晴れてしまったせいで、明確に見えてしまった『恐ろしいほどの敵の大軍』。


 優に数万人は超えていそうな大軍が、行く手を阻んでいるのです。


 それがどれだけ、我々の戦意を挫いたでしょうか。


 あれほどの敵を前にして、たかだか数千人の我々にどれほどの事が出来るでしょうか。


「えートウリ衛生兵長。伝令です、部隊で情報を共有してください」

「は、はい。中尉殿」


 そんな、実際に戦わない衛生兵である自分ですら囚われてしまった絶望は。


「……」


 次にヴェルディさんから聞いた『戦報』に、更にブン殴られました。





「皆さん、落ち着いて聞いてください。敗走しているそうです」

「敗走?」


 流石のレンヴェル少佐も、目の前の状況を把握すべく各方面に通信を試みた結果。


 合流場所近くまで来ていた『オースティン南部軍』と、ついに連絡が取れたようです。


 そのオースティン南部軍からの、情報によると。



「目の前の、優に数万人を数える敵サバト軍は」

「はあ」

「南部軍の攻勢に敗北し、北方向へ敗走して逃げている最中だそうです……」

「……は?」



 目の前で蠢いている数万の敵は隊列も崩れており、北を目指して我先にと逃げ出している真っ最中だという信じがたい報告でした。


 冬に入った後、流石の南部軍も攻勢に出られず、サバトと塹壕越しに睨みあっていたのですが。


 オースティン南部軍に現れた天才、ベルン・ヴァロウ参謀大尉はこの『奇跡の1週間』を活用し、奇襲をかけて散々にサバト兵を撃ち破ったというのです。


「我々中央軍も、追撃に参加するよう要請を受けました。ここからは偵察を行わず、駆け足でサバト兵を奇襲するそうです」

「待て、待て何を言っているリトルボス」

「自分も、信じられません。信じられませんが、どうやら───」


 こうして、本来は頓挫する寸前だったオースティン最後の奇策『北部決戦構想』は。


「我々は、最高の形で合流出来てしまったみたいです」


 思わぬ形で、当初の予定通り進んでいくこととなったのです。


 そして翌年の春。


 サバトとオースティンはお互いの命運をかけ、最終決戦を行う事となりました。





 この『北部決戦』を戦後に振り返ってみると、オースティン側の参戦者が凄まじい顔ぶれであった事が分かります。


 稀代の戦略家ベルンや、老獪な英雄レンヴェルを始め、綺羅星の如く将星が集っていました。


 東西戦争が始まる前から従軍し、オースティンを支え続けてきた当時最高峰のベテランの将兵達だけでなく。


 まだ無名でしたが、後にオースティンを支える次世代の英傑たちも勢揃いしていたのです。


 この決戦に名を連ねた将官の豪華さは、東西戦争におけるオースティン軍のオールスターと呼んでよいでしょう。


 そんな奇跡の様に集った人傑の指揮を執り、その名を轟かせるに至った怪物ベルン・ヴァロウ。


 自分と、その化け物の邂逅は間も無くの事でした。

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