第34話

 死んだフリで、敵の哨戒をやり過ごした後。


「……」


 それから暫く、自分達は敵に発見されることなく路地を進み続けられました。


 時おり敵の気配を感じましたが、そういう場合はゴムージを誘導して道を変えました。


「おい先輩、ここなら……」

「ええ、今なら通過できそうです」


 大通りを大きく迂回して、やがて道も狭くなってきたころ。


 自分達は敵兵が殆ど居ないタイミングを狙って、マシュデールのメインストリートを突破することに成功したのでした。


 これで後は、細い路地を伝って最後方まで移動できると思われます。


「俺らは、東門から首都目指して撤退するんだったな」

「ええ、あと少しです」


 これで自分達の生還の目は、かなり大きくなりました。


 鬼門だった町の中央───敵に占領された大通りを通過出来たのであれば、敵の哨戒数はぐっと減るでしょう。


 この先はサバトは地形を確保している段階のはずなので、ウヨウヨ敵が歩いている可能性は低いのです。


 このまま、うまく交戦していない友軍陣地を見つけさえすれば、保護してもらうのも夢ではありません。


「……お、おい。この先で誰か撃ちあってるぞ?」

「そうですね、迂回しましょうか」


 前へ歩むごとにだんだんと、激しい銃撃音が近づいてきていました。これは決して悪い情報ではありません。


 何故なら、それはつまりオースティンとサバトの撤退戦線、つまり味方の陣地が近付いてきている事を意味するからです。


「この先はどんな感じだ、先輩?」

「……シッ。敵兵の気配です、隠れましょう」

「お、おお。先輩、本当に鋭いな。俺には全然わからねぇや」


 逆に言えば、ここらをうろついている敵兵は殺る気マンマンの戦意の高い連中です。


 今まで以上に慎重に、対処せねばなりません。死んだふりなどもきっと、通用しないでしょう。


「先輩さえいれば、楽勝だぜ。いやぁ、あんたの背中で戦えて光栄だよトウリ1等衛生兵殿!」

「……お前、何かしましたっけ」


 一方でゴムージは、もう撤退成功したかのような気楽な雰囲気を出していました。


 まだ油断はしてほしくないのですが……。実はこの時、大通りを越えられたことで自分にも心に余裕が出てきてしまっていました。


 そんな自分の気の緩みが、伝わってしまっていたのかもしれません。


「生きて帰れたら、ウチにきて息子をファックしていいぜ先輩!」

「お前、そんな良い歳の子供がいたのですか?」

「今年で3歳だ。先輩にはお似合いだろ?」


 このまま先に進めば、十分に撤退できる可能性がある。


 後は最後のヤマ……、敵と味方がバンバン撃ちあっている最前線を突破して味方と合流する、それさえクリアできれば作戦目標達成です。


「待て」

「お、おお」


 進んだ路地の先に人の気配を感じ、激しい銃撃音が聴こえたので立ち止まりました。


 耳をすませば、この先で正面の敵と戦闘している敵がいるのが分かりました。


「……敵だ」


 敵の陣地の、裏取りに成功です。ゲームなら迷わず突っ込む場面、ですけど……。


 それは敵チームと味方チームが、同じ人数であるのが前提です。


 銃の狙いも定まらない衛生兵と、新米歩兵が背後を取って奇襲した所で撃ち殺されるのがオチでしょう。


 ここは大きく迂回してでも、戦闘をしていない場所からオースティン側に逃げるのが堅実です。


「この先の突破は現実的ではないですね、迂回しましょう」

「おう、なら分岐路まで戻ろう」


 ここまで来れた幸運を、逃してはいけません。


 今、自分は曲がりなりにも指揮官です。


 ゴムージという他人の命も、この手に預かっているのです。


 詰めの判断を誤らず、最善手を取り続けなければなりません。


「……お?」


 路地を引き返して分岐路の方を進むと、その先に敵はいませんでした。


 不思議なことに先には敵も味方も陣取っておらず、狭い小道がまっすぐ奥に続いていました。


 人気の無い、一本道。その先に見えるのは、東門へ真っ直ぐ続く、安全な撤退路。


 ここを進めば間違いなく、オースティン側の防衛線の内側まで、撤退できるでしょう。


「おおおっ! すげぇ、何てラッキーだ。生き残っちまったぜ俺達、オイ」

「……」

「ガキだなんて言って悪かったよ、先輩は最高だ!」


 不思議なこともあるものです。


 この小道は、敵にも味方にも発見されていなかったのでしょうか。


 そうでないと、この道に敵も味方も配置されていない説明がつきません。


「これは……」


 きっと敵は大通りでバンバン撃ちあうのに夢中で、こういう小道を探索するのを怠っていたのでしょう。


 これは、凄まじい僥倖です。


 今回の撤退作戦の一番のキモだった『防衛線突破』を、こうも容易く達成できるとは思ってもいませんでした。


「よっしゃ、じゃあまた念のため先輩が先行してくれ。トウリ1等衛生兵殿は、敵の気配に随分敏感だからな」

「……」

「まぁ大丈夫だとは思うけど。この細い道のどこに敵が隠れるって話!」


 神様はどれだけ、自分達をひいきしてくれたというのでしょうか。


 早く逃げようぜ、とゴムージはウインクして自分の背を押しました。


 どうやらその場においても、自分に先行させるつもりらしいです。


「はい、では────」


 最後までゴムージは、自分の背に隠れて危険を犯そうとしませんでした。


 まあそれは、自分の指示通りなんで別に良いんですけど。


 彼は姑息な男でしたが、これでこの男との付き合いも終わりです。


 彼の今回のアレコレは上に報告して、たっぷり小隊長殿に教育をお願いしましょう。


 正直ゴムージのことは嫌いですが、仮にも命を預かった身です。


 小隊長から治療許可が出た際には、きちんと治してやりましょう。


 そんな、浮ついたことを考えて一歩踏み出した瞬間でした。




「────っ!!」

「先輩?」




 全身の臓腑が、氷点下に冷え込みました。


 そして同時に、『この先に絶対進むな』と直感が凄まじい警告アラートを発していたのに気が付きました。


 この先に生はない、自分の撤退すべき道は最初の道。敵がドンパチ撃ち合っている最前線こそ、唯一の活路だ。


 そう、自分の中の誰かが声高に叫んでいました。


「……ダメですゴムージ、ここは退きます」

「……は?」

「先ほどの道を通って、敵の背後を突きましょう。そして敵の銃撃拠点を確保した後に、銃弾の雨の中を突っ切ります」

「おい、何を言っている?」


 この感覚を、自分はよく知っています。


 一見は安全そうに見えるのに、進んだ先に破滅が待っている地獄への入り口。


 悪逆なプレイヤー達が自分を殺すために仕組んだ、罠。


「正気か? どうして此処を突っ切っていかない?」

「直感です。この道を進むのはやめた方がいい、そんな気がします」

「……馬鹿かお前」


 ゴムージはゲンナリした顔で、自分の方へ向き直りました。


 ええ、自分だっておかしなことを言っている自覚はありますとも。


 しかしかつてゲームにおいて、この感覚が間違っていたためしがありません。


 この心臓を握り潰されるような、濃厚な破滅の予感の先にあるのは、きっと惨めな敗北です。


「寝ぼけたことを言うな、さっさと先に進め。ガキの遊びに付き合っている時間なんざねぇんだ」

「そちらこそ、お忘れですか。最初に自分が言ったことを」


 この感覚はきっと、他の人にはどう説明しても通じないでしょう。


 だから、自分は常にゲーム開始前にこう言うのです。


「自分が退けと言ったら退く、と。そういう約束でしょう?」


 殆どのプレイヤーは、勝てそうな美味しい盤面でまず撤退しません。


 その先に破滅があるかもしれなくても、目の前の旨そうな餌に釣られついつい突っ込んでしまいます。


 なので、前もって世界覇者である自分がそう宣言しておかないと、殆どの仲間は撤退を受け入れてくれないのです。


「……そうかい。要はテメェ、土壇場で怖気づいたって事かよ」


 しかしこの世界において、私は世界覇者ではありません。何処にでもいる、衛生兵の小娘です。


 案の定、くだらねぇとゴムージは呟いて、その小道を歩き始めました。


「良いよ良いよ、じゃあここは俺が先に行ってやるよ」

「駄目です、許可できません。ゴムージには、自分と共に敵の背後を強襲していただきます。貴方の様な新米でも、居るといないとでは防衛線の突破確率に大きく響きます────」

「アホか! 敵を迂回して進もうって話はどこに行ったんだよ!」


 彼は、先へ進むのを押し留める自分にそう恫喝すると、怒気をはらみながらテクテク歩いて行ってしまいました。


 自分が先ほど感じたデッドライン、死線のその先に。


「……あっ」


もう駄目です。自分が彼を助けられるラインを、彼は自身の足で踏み越えていきました。


 それと同時に、自分は先ほどから感じていた違和感の正体にようやく気付きます。


 良く見ると、所々石造りの路地が焦げている────


「足元に、気をつけなさい、ゴムージ!」

「えっ?」


 直後、彼の歩んでいた路地から魔法陣が浮き上がり、業火が舞い上がりました。


 ゴムージの顔が、恐怖に歪みます。


「あ────」


 設置式魔法陣。おそらくこれを仕掛けたのは、味方側オースティンです。


 一見、防衛線の背後に回り込めるような小道を用意しておいて、そこで罠に嵌める味方の策略だったのです。


「熱い、熱い、ぐああぁあ!」


 下半身を火に包まれた彼は、その場に倒れこみのたうち回りました。


 このままでは近くに設置してあるだろう他の罠魔法を起動してしまい、全身黒焦げになってしまいます。


「ゴムージ、手を出してください!」

「あぃ~ぃ!!」


 自分は咄嗟に一歩踏み出して、彼へ手を伸ばします。


「あちゅぃい!!」

「暴れないでください!」


 鼻息も荒く、必死の形相で彼は自分に手を掴みました。


 体重差が大きいですが、これでも自分は半年間、ずっと体力トレーニングを重ねてきたのです。


「……このっ!」


 思い切り腹に力を込め、自分はゴムージを引っ張り出しました。


 フル装備の兵士は、100㎏を超える重量です。


 いくら自分が鍛えていようと、簡単に引きずり出すことは難しいのですが、


「わっ!?」


 何故か勢いよく、ゴムージは自分に引っ張られて死地を脱出することに成功しました。


 彼は勢いのまま自分に伸し掛かり、若干自分まで火傷を負ってしまいました。


「ひぃ、ひぃー……」

「ぐ、大丈夫ですか、ゴムージ……」


 どうやら小路が濡れていたらしく、彼はヌルリと滑って来れたようです。


 この男は、いったいどこまで幸運なのでしょうか。


「足が、足がぁぁぁ……」


 普通なら死んでもおかしくない状況で、都合よく道がぬかるんでいるなんて───




 ───彼の滑った軌跡には、大量の血液がベットリと付いていました。



「……」

「足の感覚が、ねぇよぉ……。どうなったんだ、俺ぇ……?」


 ああ、なるほど。そういう罠も、ありましたね。


 一撃で兵士の行動を封じるべく、足を爆発で吹き飛ばしてしまう凶悪な罠魔法。



「足はぁぁ……?」



 ゴムージの両足は吹き飛んでいて、今もなおダクダクと血を零し続けていました。


 それで彼の体重も軽くなって、こんなにあっさり引っ張り出せたんですね。



 今、自分の背に、リュックはありません。


 彼の足の傷口を焼くバーナーも、止血をするための包帯も、何もないのです。



 そして、唯一彼を助ける方法があるとすれば。



「痛い、痛い、痛い! 治療をしてくれぇ、先輩ぃ」



 自分の残り1回の魔力を使った、回復魔法による止血。


 医療資源を失ってしまった、自分にとって最後の『切り札』である【癒】の魔法。





 ───だが、しかし。自分の命令を無視して進み、両足を失った彼を治す価値はあるのでしょうか?


 ───そもそも。ゴムージを治したとしても、彼を背負ったまま敵の最前線を突破するなんて可能なんでしょうか?





「嫌だ、死にたくねぇ……。なんでボーっと見てるんだ、まさか見捨てるつもりなのか、ちくしょォ……」

「……」

「俺が悪かった、何でもする、助けて、治療してくれぇ」


 今なお足の動脈から血液を垂れ流しながら、男は懇願するように自分の足元へすり寄ってきます。


「子供が生まれたばっかりなんだぁ……、俺は何としてもこんな場所で死ぬわけにはいかねぇんだ」

「……」

「クソッタレ、警らに所属してただけで徴兵とか聞いてねぇんだよ! 俺は市民のために懸ける命なんか持ってねぇ、俺の命は女房と子供だけの為にあるんだ」

「……あ、その」

「そもそも前線兵のお前らが、ちゃんと戦っていりゃ俺はこんな目に遭わずに済んだんだ! 恨むぞ、死んだら一生恨んでやる! 俺を治療しろ、それがお前らの義務だろうがこのヘッポコクズ兵士ども!」


 もう殆ど体力も残っていないだろうに、ゴムージは目を血走らせて自分のワンピースの裾を掴み、恨み節をぶつけてきます。


 そんな彼に、自分はどう言葉をかけたものか全く分かりません。


 ただ一つ言えることは、自分には彼を治療する理由も義理も、何もないのです。


「家内が俺の帰りを待ってるんだ! 息子を食わせなきゃならねぇんだ!」

「……」

「お前らが勝手にやってた戦争だろ! 無様に負けてマシュデールに逃げ込んできた臆病者が!」


 自分は今、この世でただ一人ゴムージの命を救うことが出来ます。


 そして、きっと彼が生還すると信じている家族がこの世の何処かに居るのでしょう。


「お前らが負けた尻拭いを、市民にさせてんじゃねーよバーカ!!」


 どう考えても見捨てるしかない、味方の兵士。


 そんな彼を見下ろして固まってしまった自分に、黒焦げの男は力を振り絞って絶叫したのでした。

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