第12話

 少し嫌な思いをした一夜が明け、再び野戦病院に配属された自分は。


「南の方の戦線で、また大規模な攻勢があったのよ」

「……」


 物凄いことになっていた患者の数に、呆然と頭を抱えることになりました。


 ここ最近は戦闘がなかったはずなのに、どこから来たのか大量の負傷者の数。


 聞けばどうやら、南部戦線からの転院だそうです。


「早速で悪いけど、トウリちゃん。もう回診始まっちゃってるけど、D病床に向かって頂戴」

「はい、分かりました」


 そう、自分の所属するこの戦線は、複数の医療圏に分かれていたのです。


 100km近くに及ぶ当戦線は3つに分かれ、北部、南部、中央部にそれぞれ医療本部が設置されています。


 野戦病院はその医療本部の補給・支援を受けながら、戦線の後方にテントを用いて建設しているのです。


「ウチも余裕はないんだけど……、南部はもっとキツそうなのよね」


 自分が所属している、中央医療本部は規模としては一番大きいです。ゲール衛生部長が直接統括してます。


 だからこそ、南部や北部で手に余るほどの負傷者が出た場合は、ここに搬送されてくることもあるのです。


「最近、敵の攻勢が強まってる気がするわ。……トウリちゃん、くれぐれも気を付けてね」

「はい、ありがとうございます」


 南部戦線で昨晩、大規模な攻勢が行われかなりの死者が出たそうです。


 結果、我が軍は30~40m程後退を余儀なくされたそうですが、敵の損害は我が軍の倍以上と推定されています。


「トウリちゃん、もう少しだけ頑張って生き延びて頂戴」

「……? ええ、努力いたします」


 終わらない数多くの人間の命を賭け金チップにした、陣取り合戦。


 この場所は、いくら何でも人の命を軽視しすぎている気がします。


 自分を庇い命を落としてしまったサルサ君のためにも、生き延びる努力を欠かすわけにはいきません。


「では、失礼します。ゲール衛生部長」

「ええ、あと少しだから」


 自分は衛生部長に敬礼し、指示されたとおりに病床に向かいました。


 この時の自分は、きっと忙しいだろうその日の業務で頭がいっぱいでした。


「もう少しで、あの気狂いの悪行が暴かれるんだから……」


 だからでしょうか。


 テントの去り際、呟くようなゲール衛生部長の声を、自分は聞き取ることはできませんでした。









「うーわ、最悪ね」

「ま、そうなるよね。前線の奴ら、私ら女を食い物としか見てないもん」


 この日、自分は治療の片手間に、女衛生兵の先輩に相談を行いました。


 相談内容は、男性からのセクハラ対策です。


「触られるだけならまだ我慢できますが、そのまま殺されるのは御免です。昨夜は、本気で殺されかけました」

「正直、私は触られんのも無理。前線の奴ら、くっさいもん」

「あー気持ち悪」

「どうにか、ならないでしょうか」


 昨晩の様な事件は、二度と御免です。自分なりに何か対策が立てられるなら、ぜひ実践したいところです。


「なら、小隊の中に彼氏作るといいよ、彼氏。それも、なるべく地位のある彼氏」

「……彼氏、ですか」

「小隊長さんとか口説いてみたら? 上官の女に手を出すってなると、流石に躊躇うんじゃない」

「えーでも、突撃兵の恋人ってやだなぁ。すぐ死ぬじゃん」

「だからこそ、後腐れないんじゃん」

「……」


 ……一理ありそうですが。


 彼氏を作るの、は抵抗がありますね。これでも前世、男なので。


 まあ確かに、ガーバック小隊長とかを彼氏?にしたら、誰も襲ってこない気はします。


 しかしあの暴力男が恋人とか、まったく想像がつきません。てか怖すぎて嫌です。


 ヴェルディ伍長、は……。暴力とかはなさそうですが、少しアレですし。


「そもそも彼氏作っても、ぶっ壊れた新兵は気にせず襲ってくるんじゃない?」

「そーね、やけくそで寝込み襲われたらどうしようもないもんね。上官に相談して遠ざけて貰ったら?」

「それがちょっと歩く羽目になるけど、トウリちゃんだけ寝る場所を野戦病院にしてもらうとか」

「それを小隊長殿が許してくださるか、ですね」


 野戦病院での寝泊まりとか、絶対許してもらえないでしょうけど。


 だって急な防衛戦の時、野戦病院で寝てたら配置につくまでどれだけ時間かかるか分かりませんし。


「そもそも病院のベッドも絶対安全じゃないし。私寝てたら、患者に襲われたことあるよ」

「……」

「診察中のお触りとか日常茶飯事だよね。わざとらしく胸に手を当てて来るし、バレバレだっての」

「どうせ死にゆく人間だから見逃してあげてるけど……、いい気分じゃないよね」


 どうやら先輩方は、もう兵士からのセクハラ行為に慣れ切っている様子です。


 不思議なことに自分はまだ、そこまでの目に遭ったことはありませんけど。


「そりゃあねぇ。トウリちゃんの年だと、特殊な趣味の人しか手を出してこないでしょ」

「貴方はそりゃ可愛らしいけど、性欲は刺激しなそうな体格だもんね」

「娘とか、妹に欲しくなるタイプね。素直だし」

「は、はぁ」


 ……成程、自分が幼児体型なのが幸いしていたようです。ただでさえ15歳で兵役最低年齢なうえ、自分は年齢より幼く見られますし。


 有難いことに、殆どの方から対象外と見られているのでしょう。


 しかし裏を返せば、数年たって体が成長してしまったら被害を受けやすくなってしまうという事でしょうか。


「とりあえず、襲ってきたロリコン男には要注意よ。絶対に繰り返すわ、そういう奴は」

「当面は守ってくれそうな人の隣で寝るようにしなさい」

「分かりました」


 守ってくれそうな人。


 ……自分の中では、少しチャラいけどグレー先輩か、ベテランで落ち着いているアレン先輩の顔が浮かびます。


 今後はどちらかにお願いして、隣で寝させてもらうようにしましょう。


「ま、安心して。最悪貴女がご懐妊したら、軍規上は臨月までに後方に飛ばして貰えるわ」

「……」

「なので、どうしようもなくなれば無抵抗もアリね」


 言われてみれば、妊娠した女性兵士は後方に転属でしたっけ。


 不本意な妊娠をする代わり、この地獄から逃れられるならアリな気がしてきました。


「そういう方は以前いらっしゃったのですか?」

「いたわよ。ただ衛生業務の過労働で流産して、ショックで自殺しちゃったけど」

「……」


 まぁ、この過酷な勤務状況だと流産しちゃいますよね。


 嫌な話を聞きました。


「てかトウリちゃん、故郷に彼氏とかいるの?」

「経験はある?」

「あ、いえ。自分はその」

「前線所属の人は、いつかマジで襲われる日が来るっぽいから。経験無いなら、良い人作って初めて捨てといた方が」

「衛生部の中なら、お勧めは主任かなー。実家、超金持ち!」


 そしてあまり実のある情報を得られないまま、先輩方は恋話に移行していきました。


 ここは戦争の最前線、趣味品や嗜好品などはほとんど供給されません。


 だもんで衛生部女子の、共通の娯楽はそういう方面しかない様子です。


「実は、お金も儲かる大人な世界もあるんだけど……。トウリちゃんにはちょーっと、早いかなぁ?」

「いや、アレに誘うのはやめときなさいよ。幾つだと思ってるの、この娘」

「……」


 そして、グレー先輩の言っていた例の『衛生兵が売春している』噂は本当っぽいことが分かりました。


 この人、多分ヤっています。


「興味があれば、安全そうな人を紹介するわよー」


 相談する相手を間違えたっぽい。


 自分は、心底そう思いました。















 その日、の夕方ごろでしょうか。


「速報です、前線で攻勢がありました! 各員、警戒態勢に入ってください」

「……」


 野戦病院に、警報が轟きました。


 息もつかせぬ猛攻というべきか、今日も敵国は攻勢をかけてきた様子です。


「また!? もう病床なんて残ってないわよ!?」


 ゲール衛生部長が、悲鳴をあげていました。


 幾らなんでも、3日連続で攻勢をかけてくるとか多すぎです。


 もしかしたら敵は、痺れを切らして一気に押し切るつもりなのでしょうか。


「トウリ2等衛生兵! ガーバック小隊長が部隊に帰還せよって」

「はい、了解しました」


 防衛戦となったので当然、小隊所属の自分は前線に呼び戻される様です。


 分かってましたけど、病院で働いてたら出撃しなくて良いとかは無いんですね。


「トウリちゃん、慌てず入念に装備を点検して出撃なさい。どうせ数時間は、砲撃だけだから」

「分かりました、衛生部長殿」


 この時、既に遠く前線から、爆音が木霊していました。


 有り難いことなのか知りませんが、この砲撃が終わるまで時間の猶予はたっぷりあります。


 野戦病院にいた自分が、前線に駆けつけるくらいの時間は余裕で。


「……」


 敵の攻勢は、徐々に激しさを増してきました。


 もしかしたら、敵も焦っているのかもしれません。


 いつまでも終わらないこの戦争の、決着をつけるため無理をして攻めているのかも。


 だとすれば。もうちょっとしたら『キリの良い場所まで戦線を動かして講和』なんて事も起こりえるのでしょうか。


 終わりの見えない戦争に片足を突っ込んで絶望しかけていた自分はこの時、暢気にそんな事を考えていました。













 当時の自分は知る由もなかったのですが、実は本当に敵は焦っていたそうです。


 連邦では、長期にわたる終わりなき戦争の影響で、民衆の間に不穏な気配が漂っていました。反戦派の過激勢力の動きが活発化していたのです。


 その勢いは日ごとに増しており、続けば国家転覆もありえたといいます。



 なのでこの時、連邦側は予算を絞り出して必死に連続攻勢を行っていたそうです。


 つまりこれは優勢な戦況を演出し、戦争の終結が近いことをアピールする政治的な攻勢だったそうです。


 その実、別に戦線が数十メートル動いたからと言って戦争の終わりが早まるわけではなく、多くの兵士の命を犠牲にした無益な前進ではあったのですが。




 そんな中、とある人物が敵軍の参謀将校として抜擢されていました。


 この戦争の大きな分岐点は、その参謀将校────当時15歳の少女であったシルフ・ノーヴァの参戦でした。



 彼女は、孤児院出身の一兵卒としてこの戦争に参加した自分トウリとは正反対に。


 敵の総司令官の娘で、その類まれな才能を認められ、いきなり参謀将校として抜擢されました。



 彼女の抜擢には、親の欲目もあったのかもしれません。


 実際シルフは優秀な魔導士ですし、軍事学校でも主席を取る素晴らしい頭脳の持ち主でした。


 そのせいで彼女は、何ら前線で経験を積むことなく参謀の地位に就いてしまったのです。





 後世の歴史家からして、戦争の指揮官の評価というのは分かれることが多いです。


 結果だけ見れば何もできずにボコボコにされた敗軍の将であろうと、調べてみれば当時の情勢にあった理知的な作戦を練っていたりして、運がなかっただけで実は優秀だったなんて話はいくらでもあります。


 つまり戦果だけで将の評価をすべきではないのです。現実の戦争なんて多大な運の要素が絡むのですから。



 そんな中、彼女────シルフ・ノーヴァの後世の評価は一定しています。


 自分と同い年で前線指揮官にまで上り詰め、この戦争において多くの功罪を残した彼女に対し、歴史家の皆が口をそろえてこう評します。


 シルフ・ノーヴァは机上の空論だけが得意な、史上最低の『愚将』であったと。



 彼女の参戦により、この戦線の均衡は崩壊する事となります。


 本物の地獄が幕開けるカウントダウンは、音もなく静かに始まっていたのでした。

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