第8話
サルサ2等兵はろくな訓練も受けないまま歩兵として駆り出され、西部戦線に参加して10日で殉職しました。
彼はまだ18歳であり、ハイスクールを卒業したばかりの若者でした。
少し前まで平和な学園生活を送っていた青年が前線に駆り出されて命を落とす……、それはどれほどの悲劇でしょうか。
結論から言えば、そんな悲劇は前線ではありふれています。
一度の攻勢、防衛戦で平均して敵味方合わせて千人弱が命を落としますし、そのうちの大半は前線送りされたばかりの新米兵士なのです。
新米が突撃兵士になった場合は、半年以内に殆ど死ぬといいます。残った優秀な突撃兵だけが暫く生き残って、地獄の様な日々を送る権利を得るのです。
どちらが幸せなのかは、正直分かりません。
サルサは、自分にとって決して友人と言える立場の存在ではありませんでした。
付き合いも浅いですし、別段仲良く会話していた事もありません。
初日に死んでしまった、同じ孤児院出身のバーニー・ノエルの方がよほど親しかったです。
迂闊で間抜けなサルサが、この戦場で生き残れないことはわかっていました。
なので自分は、あまり彼と親しくならないよう心の壁も作っておきました。
────だというのに、どうしてでしょう。
彼の死に際の欠けた顔が、頭にこびりついて離れません。
ただ無表情に、痙攣するサルサの体躯が頭に瞼の裏に浮かんで消えません。
少しでも気を抜くと、大声をあげて泣き出してしまいそうです。
その理由はおそらく、自分が彼に命を救われたからでしょう。
サルサ君が自分を庇ったりしなければ、きっと自分の顔が半分に欠けていたと思われます。
他人に庇われて生き延びるのが、こんなに辛いとは思いませんでした。
自分は、自分自身で思っていたよりはるかに、心の弱い人間だったようです。
「足が治癒したようだな、トウリ衛生兵」
呆然としたまま、野戦病院に運び込まれた自分は、衛生兵の先輩から治療を受けました。
そして看護兵(衛生兵の補助や、点滴などの薬剤を管理する人)の方に案内され、小さな布切れの上で静かに寝かされていました。
「……ガーバック小隊長殿」
「貴様に問いたださねばならぬことがあるので、至急俺のテントに顔を出せ」
野戦病院で治療を受け終わった後、小隊長殿が自分の床の前に来てそう命じました。
ガーバック小隊長は、険しい顔で自分を見下ろしていました。
その彼の怒りに、思い当たる節はいくつかあります。
「了解しました」
「ちょっと! 軍人さん、その娘はまだ安静を……」
「黙れ、上官命令だ」
正直、何故かその時の自分は、怒ってもらえるのであればありがたいと感じました。
自分がもう少し、何かをうまくやっていれば、サルサは死なずに済んでいた様な気がしたからです。
きっと、そうに違いありません。
「おら立て、歩けトウリ」
「……はい」
半ば幽鬼になったような感覚で、自分は促されるままに立ち上がりました。
そして、先輩に丁寧に火傷を治していただいた両足で、しっかり小隊長殿の背中についていきました。
「なあトウリ、俺は学習能力のない奴がこの世で一番嫌いなんだ」
「……はい、小隊長殿」
「ついこの間だ。貴様は自分が魔法を使う時は、何が必要と聞いた?」
「小隊長殿の、許可を求めるように、と」
案の定というか。
ガーバック小隊長殿についていった自分を待っていたのは、激しい叱責と暴行でした。
無許可での【盾】の魔法の行使。それが、今回の自分の叱責理由でした。
「覚えていたのに、何故それを怠った?」
「自分が、無能だからです」
返答の直後。自分の顔面を、胸を、腹を、小隊長殿の激しい鉄拳が襲います。
それは以前、サルサ君に自己判断で回復魔法を使った時より、遥かに激しい暴行でした。
「なぁ、俺は言わなかったか? 命令違反を2度繰り返したら、どうするって」
「……処刑を、行うと仰っていました」
「俺様からのありがたい指導を、覚えておく頭はあったわけだ。じゃあつまり、お前は自分の意志で、この俺に歯向かったという事になるな」
「弁明のしようもございません」
「死ねこのクソガキ!!」
このままでは、死ぬ。ガーバック小隊長殿に殴り殺されてしまう。
しかし、自分には抵抗する気力も、命乞いする気概も残っていませんでした。
「死ね、死ね、死ね、この能無し! そんなに俺の命令を聞くのがイヤだってなら、次の任務で二度と命令聞かなくていいよう殉職させてやるよ!」
強く握りしめられた拳で、何度も何度も殴打されました。
その間、自分は一言も発さずただ殴られ続けました。
「テメェの代わりなんざいくらでもいるんだ!」
やがて、自分は全身がクタクタの塩辛のようになるまで暴行は続きました。
手も、足も、目に見える範囲全ては痣だらけ。何度か血反吐も吐きましたし、そこらの骨が軋んで腫れあがっています。
「今日は一日、食事抜き。あと、直立姿勢を崩さず俺のテントの前で立ってろ」
「……了解しました」
「治療行為は許さん。そのまま死んでろ、ゴミ」
その小隊長殿の命令を受けて。
自分は、ヨロヨロと折れた足を引きずりながら、言われた通りにテントの外で起立することになったのでした。
「派手にやられたな、トウリ2等衛生兵」
「……」
「ったく小隊長殿も……。苛立つのはわかるけど、こりゃやり過ぎだ」
1時間近くに及ぶ小隊長殿の『指導』が終わり、外に立たされた自分を待っていたのは偵察兵のアレン先輩でした。
彼はボロ切れのようになった自分の身体を見て、申し訳なさそうにしていました。
「……あの、先輩」
「どうしたトウリ」
「その。先輩の、そのお姿は一体」
そんなアレン先輩の顔を見て、自分はギョっとしてしまいました。
何せ、
「ああ、俺もボコられたよ。痛てーよな、まったく」
「……」
アレン先輩も、自分と同じくらい苛烈な傷を負っていたからです。
そして自分より先に殴られ、かなりの時間を立たされていた様子でした。
「ぶしつけで申し訳ありませんが、その。先輩も何か、命令違反などやらかしたのでしょうか」
「いや? 俺は何もやってないよ」
「では、小隊長殿の機嫌を損ねてしまったとか」
「ま、それは間違いねぇや」
その時、やはりガーバック小隊長殿の暴行は度を越していると感じました。
罰で起立させられているアレン先輩は、普通に野戦病院で寝てないといけないレベルの重傷を負っています。
いくら機嫌を損ねたからと言って、これほど暴力を振るわれるのは非効率的すぎます。
「……俺は、殴られて当然なんさ。何せ、何もしなかったからな」
「え?」
「小隊長殿が出撃した後の周囲警戒は、偵察兵の俺の仕事だ。あの榴弾に気づくべきは、俺だった」
アレン先輩は、悔しそうに唇を噛みました。
彼の下あごに、小さな血の雫が垂れて行きます。
「俺が擲榴兵に気付いてたら、魔法で対空するなり避難誘導するなり出来た。なのに、俺はトウリが防御呪文使ったその瞬間まで、榴弾に気づけなかった」
「……かなり、遠距離からの射出でした。もしかしたら、アレン先輩の位置からは死角になっていたかも」
「だとしても、音で察知しろって話だ。俺はガーバック小隊長殿と
「……」
「そんで、ド新人のトウリが気付けた敵の榴弾を見逃し、部隊を危機に陥らせた。何でベテランの俺が気付かなかったんだって、小隊長殿に怒鳴られてこの始末」
自分はアレン先輩に、兵科ごとの役割分担を教えてもらいました。
榴弾を撃ち込まれた場合はソレに気付いた歩兵が、即座に撃ち落とすか避難指示をするのが正解だそうです。
時限式の榴弾は、着地してから数秒ほど爆発まで猶予があります。
致命傷となる爆風の範囲はおおよそ4~5mほどなので、即座に走って落下地点から距離を取って伏せれば生存は不可能ではないのだとか。
「……小隊長殿のおっしゃる通りさ。俺はヘマで、未来ある有望な新人を、殺しちまったんだ」
「そ、それは。違います、サルサ君は自分を庇ったんです。自分が、伏せるのが遅かったから」
「周囲の警戒は衛生兵の仕事じゃねぇ、それはお前の罪じゃない。そもそも配属され10日の、15歳の娘にそんなこと言わせてる自分が情けなくて仕方ねぇ」
もっと理想を言えば、偵察兵は周囲の警戒を仕事にしているので、擲榴兵に弾を撃ちこまれる前に気づいて銃撃しなければならないそうです。
銃弾が飛び交う中で、擲榴兵が正確に塹壕を狙うのは困難です。だから、当たらなくとも撃つだけで牽制になるんですね。
「俺がしっかりしてりゃ、サルサは死ななかったしトウリがボコボコにされることはなかった。トウリ、小隊長殿を恨むなら、代わりに俺を恨んどけ」
「……自分は、恨んだりは」
「あの人はキチガイだし、頭おかしい人格破綻者だけど、今回の件の責任は間違いなく俺にある。小隊長殿がブチ切れるのも道理だし、俺に怒り過ぎてトウリへの指導もやりすぎただけだ」
それは自嘲しているような口調でした。
今回の責任は全て自分にある、と。アレン先輩はそう感じている様子でした。
「胸を張れトウリ。確かに命令違反はしたかもしれねぇけど、お前が咄嗟に榴弾の軌道を変えてなきゃ死傷者はもっと増えてただろう。ストライクコースの擲榴弾だった、何なら小隊の半分は死んでた」
「……そう、でしょうか」
「間違いねぇよ。お前の盾が榴弾をはじく瞬間はしっかり見たからな。お前の命令違反は、間違いなく人の命を救った」
アレン先輩はそこで、始めて優しく笑い、
「だからさ、お前は自分を責めるな」
そう言ってくれました。
「……日が暮れたか。よしアレン、お前は治療を許可する」
「ありがとうございます」
自分とアレン先輩は、1日間飲まず食わずで立ちっぱなしでした。
折れた脚が赤黒く腫れ、ずっとズキズキ痛んでいます。
「ただしトウリ、てめぇはまだダメだ。これから俺様が直々に、たっぷりしごいてやる」
「……ありがとうございます」
「しょ、小隊長!?」
しかし、小隊長殿はまだ自分を許してくれない様でした。
2度の命令違反が、よほど腹に据えかねたのでしょう。
「こ、これ以上何かやるなら俺にしてください。今回の責任は、俺にあります!」
「やかましいアレン、殺すぞ。おらトウリ、こっち来い」
自分は動かぬ足を引きずりながら、フラフラと小隊長殿について行きます。
それが命令だからです。
「小隊長! 待ってください!」
「うるせぇ! お前は明日に備えてとっとと治療しに行け!」
アレン先輩は転倒してまで、自分を追いかけようとしてくれていました。
しかし、やはり満足に動けないのか倒れ込んだままおきあがれません。
そんなアレン先輩を無視して小隊長殿は、テントから後方へ離れた場所まで数分歩くと、そこで自分に直立不動を命じました。
「さて、指導だクソガキ」
小隊長は無造作に、その辺に落ちていた小石を拾いあげました。
「おら!!」
「……ぐっ!!」
そして勢い良く、自分に向かって投げつけました。
石はわき腹にあたり、肉を抉って大きな傷になりました。
「避けるなよ。これは指導だからな」
「……はい」
もう自分は満身創痍なのに、まだ苛烈に暴行を加える様です。
本気で、ガーバック小隊長は自分を殺すつもりみたいです。
命令違反に対する処刑、という事なのでしょうか。
「なあトウリ。お前、何で盾の呪文なんか覚えてたんだ? 誰に習った?」
「それは、ゲール衛生部長殿に習得しておくよう指導されたからです」
「ああ。成程合点がいった」
ガーバック小隊長殿は不機嫌そうな顔で、再び小石を拾い上げました。
また、石をぶつけられる様です。
「で? あんなゴミみたいな呪文、何の意味がある?」
「それは、その、防御としての」
「あんな脆弱な呪文に魔力消費する意味を聞いてるんだ。ようし、じゃあ」
ガーバック小隊長殿は、まるで敵にでも向けるような獰猛な目つきになって、自分にこう言いました。
「【盾】の呪文の使用を許可する。防御とやらをやってみろ」
「っ!」
その言葉と同時に、小隊長殿は思いっきり石を投げつけてきました。
「【盾】っ!! ……あぐっ!」
「オラどうした。防御するんじゃなかったのか」
────自分の盾の呪文は、まだ不完全です。ゲール衛生部長のような、十分な硬さと厚さを確保できません。
小隊長殿の投げた小石は自分の盾を突き破り、まっすぐ折れた脚にぶつかりました。
「どうした、防いでみろや。その自慢の防御の術で!」
「た、【盾】! 痛っ!」
「全部当たってんじゃねぇかゴミカス! そんなカス術に魔力消費する馬鹿がどこにいる!!」
どれだけ盾を行使しても、小隊長殿が投げた石は一つも防げませんでした。
「いい加減自分の無能を理解したか、この雑魚!」
とうとう立っていることも出来ず、自分は地面に伏せました。
痛みと絶望で、満足に力も入りません。
ああ、グレー先輩の言っていたことが理解できてきました。これは確かに、死んだ方がマシです。
サルサ君に庇われて生き延びたことも、こうして上官からの暴行に晒されることも、辛くて仕方がありません。
「は、い……。自分は、無能、です」
「この無能、何を寝てやがる! とっとと起きろ、そんで【盾】を構えろ!!」
戦争に駆り出された時点で、自分の不幸は確定していたのでしょう。
ここで殺してもらえるなら、それも良いかもしれません────
「斜状防御だ。【盾】は斜めに出すもんだこの間抜け!」
やがて、小隊長殿は石をぶつけるのをやめると。
自分に見えるように分かりやすく、大きな【盾】を三角形に展開しました。
「……へ?」
「ゲール衛生部長は医療のプロかもしれないが、前線の戦い方に関しては素人だ。【盾】が使えたなら何故、俺に習いに来なかったトウリ」
ガーバック小隊長殿は、無言で【盾】を維持し続けます。
自分の正面に頂点を置き、くの字に折れるよう展開されたその盾の形状を見せつけるように。
「この形で出してみろ、トウリ」
「あ、えっと、その。た、【盾】!」
「違う、出来ていない」
くの字になるよう盾を出せ。
いきなりそんなこと言われても、イメージが上手くいかず失敗してしまいました。
いつも通りの、平らな板が自分の前に形成されます。
「慣れていないうちは、掌の先に板を突き出すイメージをしろ」
「掌の、先に」
「そして、掌で形成したい【盾】の形を作るんだ」
ガーバック小隊長殿はそういうと、両掌を外向きに三角形に組んで見せました。
自分もそれを真似して、掌の前に【盾】を形成してみます。
「た、【盾】! ……あっ」
「そうだ、それでいい」
そうすれば自分も小隊長殿のように────、薄いですが三角形の【盾】を形成することができました。
……そうか、この形は。
「そら」
間髪入れずに、小隊長殿が自分に小石を投擲しました。
先ほどと同じように、本気の投擲です。
しかし斜めに形成された【盾】に石がぶつかると。
【盾】は砕け散りましたが、石は弾かれてあらぬ方向へと飛んでいきました。
「分かったか、敵の攻撃ってのは逸らすもんだ。正面から受け止めるもんじゃない」
「……」
「もし爆風を前にその斜状防御で【盾】を形成できてさえいれば、破片の幾つかは逸れ、被害状況は大きく変わっただろうな」
厳しい口調で、ガーバック小隊長殿はそう言いました。
自分が、この技術を習得していれば、被害は減ったと。
「では、サルサ君は」
「運が良ければ、助かっただろう」
グラリ、と眩暈に襲われます。
こんな簡単な事だったのです。小隊長殿に一度、軽く手解きしてもらえただけで【盾】はより強固になったのです。
自分がこの、斜めに盾を出す技術を習得してさえいれば、あの人の好いサルサ君は────
「前もって貴様が、咄嗟の際に【盾】を使う許可を求めてさえいれば。俺は無論、この技術を伝授しただろう」
「……」
「お前がボコボコに指導を受けた理由、理解できたか」
目の前が真っ暗になっていくのを感じました。
そうです、自分が怠っていたのです。
まだゲール衛生部長に習っている最中だからと、【盾】の術について小隊長殿に情報共有しなかったのです。
そのせいで、彼は。
「指導は終わりだ。野戦病院で治療を受ける許可をやる」
「は、は、い……」
「あと今後、非常時に限り【盾】の呪文の使用を2回まで許可する。土壇場で俺に許可とる時間なんぞ無いだろうからな」
殴られて当然でした。
自分は以前、上官命令の重要さを指導されておきながら、ソレを疎かにして同期の命を奪ったのです。
「……次はないぞ、トウリ」
ガーバックはそう言うと、一人でテントに戻っていきました。
「と、トウリちゃん!?」
そして自分は、吐きそうになりながらフラフラと野戦病院に戻りました。
全身の痛みと、自分のしでかした罪の重さで、頭が変になりそうでした。
「……ガーバックの奴ね!! 重傷の少女兵相手になんてことしでかすのよ!」
もう何も考えられず、激怒して叫ぶゲール衛生部長の金切り声を子守唄に、
「もう我慢の限界だわ! 衛生部長として抗議を出すんだから! 治療した先から重傷負わすって、何考えてんのよあのキチガイ!」
自分はゆっくりと、意識を手放しました。
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