第7話
レンヴェル少佐殿────彼は、100km近くに及ぶ当戦線の、中央部から北部にかけて数十kmの範囲の指揮を任された方です。
ガーバック小隊長殿にとって直属の上司と言える立場の人で、オースティンの誇る名将の一人です。
自分の様な下っ端ではまだその顔を見たことすらありませんが、もう結構な老齢であり、開戦する前から軍で指揮をとり続けているベテラン中のベテランなのだと聞いています。
今回我々は、その名将さんの指揮下で戦うことになるのですが……。彼からの指令は全てガーバック小隊長経由で下されるので、結局はいつも通りに戦う感じです。
「少佐からの指令だ、俺達は第3防衛ラインで防衛網を構築する」
「了解です」
基本的に塹壕は、防衛ラインに沿って構築されます。第1防衛ラインは最前線の塹壕、第2防衛ラインはその次の塹壕です。
相手の攻勢が、第1防衛ラインで押し返せたら完全勝利。第2防衛ラインで痛み分けという印象です。
敵の攻勢が始まった後、我々の様な遊兵が周囲から援護に来るので、第3防衛ラインまで奪われることは稀です。
「防衛部隊の連中が頑張ってくれりゃあ、俺たちの出番はないはずだが」
「最近、敵さん数に任せてすごい勢いで突っ込んでくるからなぁ。第2防衛ラインくらいまでは、また割られるんじゃねぇか」
「せっかく俺たちが進んだ距離が……」
この防衛網を構築するにあたって、衛生兵の役割は────はっきり言ってありません。
負傷した兵を最前線で治療出来る、この場所に衛生兵が存在するメリットはこれくらいです。
何せ後方に近いこの防衛ラインで負傷したら、そのまま後方の野戦病院まで担いでいってもらえば済む話なのです。
そうすれば新米の自分より正確な治療が施されるので、我ながら自分の存在意義が分かりません。
無駄に場所をとる分、此処にいて邪魔まであります。
「トウリは俺に万が一が有ったらば、命がけで俺を救助して治療する役目だ。万が一がなければ、ずっと穴の中で縮こまって震えてろ」
「……はい、小隊長殿」
と、小隊長殿の言い草からもはっきり言って何で自分は連れてこられたんだ状態です。
無理矢理に自分の存在意義を見出すなら、ガーバック小隊長殿が死ぬ可能性を僅かに下げる安全装置、それくらいでしょう。
「敵突撃部隊、前進してきます!」
数時間後。
魔導部隊による攻撃が終わり、敵が突撃してきました。
アレンさんの偵察鏡越しに見た感じ、明らかに我が軍より突撃部隊の密度が濃いです。
数に任せて、と言うのはこのことを言っていたのでしょう。
「あー。もう第一防衛ライン、突破されました」
「……ちっ」
突撃開始から1時間もたたないうちに、最前線が突破されたことを報告されました。
つまり、最前線の兵士さんは死んでしまったか捕虜にされたという事になります。
「ったく、ちょっとは粘れや。俺たちの決死の突撃を何だと思ってやがる」
「……」
ガーバック小隊長殿の、表情は険しいです。
分かってはいましたが、小隊長殿に防衛部隊の方を心配する様子はありません。
何なら舌打ちして、文句まで言っています。
「第2防衛ラインも、間もなく突破されそうです。小隊長殿、ご準備を」
「んだと!? かーっ、雨中突撃の癖に早すぎるだろ。うちの防衛部隊は、腑抜けしか残ってないのか」
「……というより、ウチらの正面の部隊がかなり練度が高いっぽいですね。他の敵に先駆けて、凄い勢いで突進してきてます」
自分たちの正面の部隊が、すごい勢いで前進している。
そんなアレンさんの報告を聞いて、ガーバック小隊長殿はピクリと眉を動かしました。
彼の不機嫌そうな顔が一転し、ニヤリと唇をゆがめて笑いだします。
「ほう? 指揮官の風貌は?」
「雷を纏って突進してくる、金色長髪の小槍使いです」
「お、そりゃ良い。大将首じゃねぇか」
ガハハ、と小隊長殿は機嫌よさげな顔になり、アレンさんから偵察鏡を奪い取りました。
そして、自分の目で敵の顔を確認し、ニヤリと笑いました。
「間違いねぇ、
「カミキリ……ですか」
「エースだよ、敵の。運のねぇ野郎だ、ワザワザこの俺が潜んでる防衛網に突っ込んでくるとはな」
ギョロリと、ガーバック小隊長殿の目が獰猛に動きます。
エース。それはつまり、敵の中の『ガーバック小隊長殿』のような存在という事でしょうか。
「雨中だからこそ、奴の雷魔法が映える訳ですね」
「奴は突撃するのも早いが、撤退するも早い。機動力を削がねぇと────、足を狙いてぇな」
「お任せください」
「ようし、総員足狙いだ。出来るだけ引きつけた後、俺が飛び出して戦うから援護しろ。そんで、奴の首を取る」
手柄だ、大将首だ。小隊長殿は、見るから嬉しそうにウズウズしています。
先ほどまでの不機嫌が、嘘の様です。
自分としては、突撃してくる敵の部隊がエースと聞いてゲンナリしているのですが。
「今日はツイてるぜ!」
自分を殺しに来る敵が強いことを喜んでいる小隊長殿は、やはり狂っています。
「トウリは、塹壕から首だけ出して俺の背中から目を離すな。俺に万一のことがあれば、迷わず背後から回復魔法を使え。アレンは周囲を警戒しつつ、俺が負傷した場合は飛び出して塹壕へ救助し保護せよ。マリュー、てめぇはその場合
「「了解です」」
「他の連中は、塹壕内でその他の敵に応戦せよ。一人たりとも塹壕内に踏み入らせるな」
小隊長殿の指令で、自分はちょこんと塹壕から顔を出すことになりました。
偵察兵であればニュッと上に伸びる偵察用の鏡を持っているのですが、自分には支給されていません。
無防備に頭だけ、塹壕の上に出して撃たれないでしょうか。
「安心しろ、俺の後ろへ銃弾なんぞ飛んでこねーよ」
「はい、よろしくお願いします」
正直怖いですが、小隊長殿の命令なら仕方ありません。
命令違反で銃殺されるくらいなら命令通り死ぬ方がマシ、という悲しい現実がありますので。
「小隊長殿! 敵、間もなく突撃してきます」
「よっしゃああ!!」
アレンさんの合図とともに、勢いよくガーバック小隊長殿は塹壕を駆け上がりました。
「雨の中、わざわざ殺されにご苦労様ァ!!」
自分は指示通り、ガーバック小隊長殿の背中越しに見守ります。彼は黒い泥をまき散らし、飛び交う銃弾を切り伏せながら、最短距離で敵将へと肉薄していきました。
「────!」
完全に不意を食らったのか、敵の槍使いは体勢を崩して小隊長殿の突撃をやり過ごします。
その隙を逃すものかと、抜刀したガーバック小隊長殿は槍使いに深く切り込みました。
激しい打ち合いが生じる中、小隊メンバーの援護で槍使いが足を負傷したのが見えました。
あのまま押せば、ガーバック小隊長殿が勝てそうに見えます。
────見えます、が。
ちらり、と視界の端に気になるモノが映りました。
それは、切り合ってるガーバック小隊長殿よりずっと先で、誰かが何かを銃で打ち上げる姿です。
真正面の敵に集中しつつ、視界の端の動きを見逃さない。それは、FPSにおける必須の技能でした。
それが、自分の
……擲榴兵。
今、擲榴兵が間違いなく、自分達の潜む塹壕に向けて何かを打ち込みました。
「あっ────!!」
思考が混乱の渦に巻き込まれました。
敵の打ち出した何かは、もう1秒もしないうちに我々小隊のど真ん中に落ちてきます。
そうなれば、皆、死────
「どうしたトウリ、撃たれたか!?」
「……【盾】!」
隊長に無許可ですが、自分は咄嗟に防御魔法を行使しました。
と言うか、許可をとってる時間なんぞ有りません。
「へ? ちょ、トウリ────」
「伏せてください!」
この時の自分の行動は、完全に無我夢中と言って差し支えないものでした。思い返しても、愚かとしか言いようがありません。
何と自分は榴弾を防ごうと夢中で、薄っぺらいガラス板ほどの強度しかない不完全な【盾】の魔法を自分の真上に形成したのです。
もし降ってきたのが信管式────いわゆる、衝撃に反応して爆発するタイプの手榴弾であれば、自分は黒焦げだったでしょう。
しかし幸いにも、自分たちに投擲された手榴弾は衝撃により起爆するタイプではなく、時限式で爆発するタイプのようでした。
後で教えてもらったのですが、自らの手で投擲するタイプの手榴弾は衝撃に反応するタイプが多く、専用銃で射出する手榴弾は誤爆しないよう時限式が多いそうです。
「げ、手榴弾!?」
「伏せろぉ!」
数秒間しか持たない魔法の【盾】に当たって跳ねた手榴弾は、シューという不気味な音を立てながら、自分たちから僅かに離れた塹壕内に転がっていきました。
しかし、まだ我々は爆風の圏内。このままであれば、重傷は免れません。
「間に合え、【盾】……っ!」
間髪入れず、自分は転がった手榴弾と小隊メンバーを遮るように防御魔法を使用しました。
至近距離の爆風なんぞ耐えれるはずもない脆弱な盾ですが、何もしないよりは遥かにマシです。
「トウリちゃん、それは危ないっ!!」
盾の呪文を完成させた直後、自分は誰かに押し倒されました。おそらく、隣にいたサルサ君かと思われます。
塹壕の床に叩きつけられる形で、自分はサルサ君にのしかかられ頭を打ちました。
その直後、耳が割れそうなほどの爆音と、視界が真っ白になるほどの閃光が立ち上がり、
「……あ?」
燃えるように熱い空気を吸い込んで、凄まじい衝撃と共に全身が痛み出します。
数秒遅れて、自分とサルサは炎に巻き込まれたのだと気付きました。
「この死にぞこないがぁ!!」
激しい耳鳴りと頭痛で意識が朦朧とする中で、遠くにガーバック小隊長の怒声が響いたのが聞こえました。
「逃げんなカス! ボケ!!」
ゆっくり目を開けると、自分は泥まみれになって塹壕の淵に仰向けに倒れていました。
ヒンヤリとした雨が、針のように痛みを伴って降り注いでいます。
「生きてるか、トウリ2等兵!」
「おい、しっかりしろ!」
どうやら自分は爆風により、数メートル吹っ飛ばされ転がったようです。
幸いにも、雨で抜かるんだ土がクッションになって致命傷だけは避けられたようですが……。
自分の両足に、灼熱の様な痛みを感じます。
「酷い火傷だ、こりゃもう立てねぇな。おい、意識はあるか」
「はい、その、自分はどうなったのでしょう、か」
「足が真っ赤に腫れあがってるが、他に特に傷はねぇ。まだ死なねぇから、気をしっかり持て」
徐々に、周囲の景色がしっかりしてきます。口の中に、泥と鼻水が入り込んでいるのがわかり、思わずむせ込んでしまいます。
「くそったれ!! 逃げやがった、あの臆病モン!」
少しずつ意識を立て直しているうちに、怒り心頭といった顔の小隊長殿が塹壕に戻ってきました。
どうやら、敵のエースを討ち取ることはできなかった様です。
「しかも、結構な被害じゃねぇか。手傷負った雑魚はとっとと後退しろ、後退!」
「あ、う……」
その小隊長殿の指令で、
「ほら、力抜いてトウリちゃん。大丈夫だ、俺が運ぶから」
「ありがとう、ございま、す」
自分はほぼ無傷だったグレー先輩に担がれました。
そうしてようやく、周囲の状況を見渡すことができました。
身体の左半分に大火傷を負ってフラついている人、まだ塹壕に倒れてピクピクしている人など、ガーバック小隊は満身創痍というにふさわしい状況でした。
「ま、待ってくだ、さい。あの人の、治療が必要────」
その中で、自分は塹壕でうつ伏せになって痙攣している人は、もう死にかけであると気付きました。
彼は背中を黒焦げにして、小刻みにけいれんし、息が荒くなってきています。
「今ここで治療しないと、彼は────」
「……ああ。彼はもう遅いよ、トウリちゃん」
だというのに、グレー先輩は自分を抱えて歩き出しました。
まだ遅くなんかありません、呼吸をしている限り生きる希望はあります。適切に応急処置をすれば、まだ、
「アレン先輩、ソイツの顔見せてやってくださいよ」
「……ああ」
そしてゆっくりと、アレン先輩はうつ伏せに寝ている人の顔をこちらに向けてくれました。
わざわざ見やすいように、体を起こして。
「────サルサ君?」
その兵士は、サルサでした。
先ほど爆発の際、自分を庇って押し倒し、至近距離で爆風を浴びてしまったサルサ君でした。
「……手榴弾の破片で、顔が半分なくなってる。助かりっこない」
「もう寝かせといてやれ、こいつはよくやったよ」
そんな彼の顔は、右目から後頭部にかけて大きな亀裂が入っていました。顔をあげると同時にどろり、と赤黒い脳漿が地べたに零れ落ちました。
「……さ、る……」
呆然と、自分が彼の名を呼び終わるより前に。
サルサ君はビクンと大きく体を跳ねて、二度と動かなくなりました。
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