第3話
自分はトウリ・ノエル2等衛生兵です。
西部戦線に所属して、本日で一週間になりました。
自分は幸運にも、死なずに今日も生きております。
頼りない同期、暴力的な上官と苦労することは多いですが、故郷の孤児院のために今日も頑張りたいと思います。
ここで一度、現在の情勢について簡単にご説明いたしましょう。
自分の飛ばされた西部戦線は、東西戦争と言われ10年続いている我が国「オースティン」と敵国「サバト連邦」の戦争の最前線です。
ここ数年の戦況は膠着しており、元々の国境である『タール川』を起点に一進一退の攻防を繰り広げています。
しかし最近はちょっと押し込まれ気味らしく、現時点でタール川は完全に敵占領下となっておりました。
それもその筈。現時点での戦力差は、我が軍の総勢10万人に対し、敵兵力推定は18万人だそうです。そりゃ勝てません。
そんな情勢なので、タール川の再奪還が我が軍の当面の目標となっていました。
3日前の魔導部隊の援護の下で突撃作戦も、タール川奪還が目的だったんですね。
しかしその作戦が敵に漏れていたのか読まれていたのか。砲撃した敵陣はもぬけの殻であり、味方の魔導部隊による渾身の砲撃は空振りに終わりました。
そして、突撃した我々ガーバック小隊含めた歩兵部隊は、奇襲を受け返り討ちにされたのでした。
その結果、我々が放棄した陣地や物資は敵に奪われ、戦線も100m以上後退する羽目になりました。
タール川が、ますます遠退きます。
そして現在、我々は後退したラインを軸に急ピッチで新たな塹壕を構築している最中です。
塹壕は重要です。こうやって戦線が動いた後、歩兵さんは一日ショベルを片手に穴を掘っているらしいです。
命懸けの戦闘1割に対して、命懸けの土木作業9割。
それが、兵士の日常なのです。
「起床時刻です。速やかに、準備してください」
「う、うう……。トウリか、おはよう」
下っ端兵士の朝は早いです。
空も白む午前5時に、小隊の定期ブリーフィングがあります。なので、その時刻までに起床して装備を点検し、いつでも出撃できるように準備を整える必要があります。
アラームなんて便利なものはないので、お寝坊さんは同僚や寝ず番の方に起こしてもらいます。
自分はストレスのせいか眠りが浅く、周囲がザワザワし始めると目が覚めるようになったので寝起きには苦労しませんが。
「自分はもう準備を済ませております。サルサが遅刻をすると自分も連帯責任を負わされるので、速やかに準備を整えてください」
「わ、分かった」
その日の出撃の有無は、ブリーフィングで知らされます。
ブリーフィングに顔を出したら即出撃、なんてケースもあり得るので遅刻するわけにはいきません。
ゲール衛生部長からのオリエンテーションが終わり、正式にガーバック小隊所属の衛生兵となった自分は、小隊長のテント近くの塹壕で寝泊まりすることになっております。
ガーバックには個人用のテントが支給されていますが、下級兵士にそんなものはありません。
長々と掘った穴に、男も女も並んで雑魚寝です。
女性兵士は寝ている間に体をまさぐられたり、襲われたりする事があるらしいです。
しかし強姦行為はもちろん軍紀違反なので、上官に報告したら相当の罰則が課されます。
何なら和姦でも、女性兵士が妊娠すると戦線離脱することになるので重罪です。
「トウリ2等衛生兵、準備整いました」
「サルサ2等兵、準備整いました」
「よし、ブリーフィングを開始する」
ガーバック軍曹は傲慢で暴力的ですが、軍紀に非常に厳しいです。
なので自分がそういう被害にあった場合、間違いなく適正に処分が下してもらえるとゲール衛生部長はおっしゃっていました。
ガーバック軍曹は、軍紀に則れば平気で人を殺します。
そのおかげか、今のところガーバック小隊のメンバーからセクハラ染みた扱いを受けたことがありません。
「トウリ2等衛生兵に令を下す。本日はゲール衛生部長の指揮に従って行動するように」
「了解いたしました。令を復唱します、自分は現時刻から明朝5時までの24時間、ゲール衛生部長の指揮に従って行動を行います」
「よろしい」
本日の指令は、ゲール衛生部長の手伝いでした。
ゲール衛生部長は普段、戦線の最後方────第5防衛ラインより後ろにいくつか簡易の野戦病院を構築し、負傷兵の治療にあたっています。
殆どの衛生兵は、そこで働いています。自分みたいに小隊所属の衛生兵も、戦闘の無い日は野戦病院の手伝いに駆り出されるのです。
この命令は衛生兵としての修行になりますし、最後方なので安全ですし、ゲール衛生部長含め衛生兵の皆さんは優しいので最高です。
ひたすらキツい肉体労働である穴堀りに参加しなくても良いのは、衛生兵の特権と言えましょう。
隣のサルサ君は「今日も穴掘りか……」と、こっそりボヤいていますが。
そして、最近知ったことがあります。
ガーバック小隊長は安全な第5防衛ラインで、しかもテントでの宿泊を許可されているのですが……、それは彼が当戦線の『エース』の一人だからだそうです。
そうなんです。ガーバック小隊は新米とはいえ衛生兵を編成に加えられたり、自分のテントを持っていたりと妙に優遇されていると思いましたが。
それは全て、彼自身の功績によって認められた権利だそうです。
「だからこそ、彼の傍若無人を咎める人がいないのよね。文句があるなら俺以上の戦果を挙げてみろ、と言われたら皆黙ってしまう」
「それは、何というか。直属の上官が優秀なのは、心強いです」
「アイツは馬鹿なだけよ。自分の命や仲間の命を軽視した突撃を繰り返して、運よく生き残ってる」
仲間を囮に、見殺しにしてね。と、ゲール衛生部長は嫌な顔をした。
「死んだ部下の功績も、全部ガーバックに帰順するもの。無謀な突撃を繰り返し、危なくなれば部下を見殺す事で自分の功績を増やす。……突撃兵としては優秀かもしれないけど、指揮官としては最悪よね」
「その。ゲール衛生部長、あまりそう言った発言は」
「ああ、確かに。ごめんなさい」
放っておくといつまでもガーバックの悪口をつづけそうだったので、やんわりと止めておきます。
確かに、自分もガーバックにあまりいい印象を持っていませんが、衛生部長も他の兵士の悪口をその部下に吹聴するのはどうかと思います。
「ちょっと感情的になってしまうの。私、アイツに弟を殺されたから」
「……」
「弟の訃報を聞いたあと。私の弟の命は、我々の15mの前進になったって。だから喜んでくださいって、言いやがったのよガーバック」
「それは、その」
「話を聞けば、単なるアイツのミスの尻拭い。ガーバック小隊だけ突出してしまい、窮地に陥ったんだって。その危機を脱するために、弟を囮に帰還したそうよ」
そう話すゲール衛生部長は、まさに般若の表情でした。
「アイツの小隊に衛生兵を派遣しろって要請を受けた時、私は徹底して反対してたんだけど……。アイツの功績を認めた上層部が承認しちゃってね。ごめん、貴女に貧乏くじを引かせちゃったわ」
「いえ、命令に従うのが軍人です」
「そう。私に出来ることがあれば協力するから、頑張ってね」
成程、そういう背景があったからゲール衛生部長はガーバックに批判的なんですね。
確かに、小隊長殿のミスの尻拭いで死にたくはないです。
ただまぁ現状は、自分よりサルサ2等兵の方が囮要員として優先度が高そうです。貴重な回復魔法の使い手を、そうホイホイ囮にはしないでしょう。
なので彼が生き残ってくれる限り、自分も安全と言えるかもしれません。
がんばれサルサ君。
野戦病院では、負傷者の応急処置や重傷者の管理を行っています。
とはいっても、新米である自分はまだ戦力と言えるほど役に立っておりません。
なので自分は新米の同期と共に、先輩の衛生兵に指導を受けながら手伝いを行います。
「魔力行使が甘いっ! こう、がーっとやってパって感じなのだぁ!」
「先輩、恐縮ですがもう少し具体的な」
「だから、グっとガッツポーズしてな?」
いろんな先輩の指導を受けて、いかにゲール衛生部長の講義が分かりやすかったかと感じました。
回復魔法のコツを、理論的に説明するのは非常に難しい様です。
殆どの先輩は、割とアバウトな助言しかしてくれません。
ただ、ほぼ全ての先輩が共通して言うには、
「回復魔法は、数をこなしたら段々理解できてくる」
と言うことでした。習うより慣れよ、という話みたいですね。
野戦病院では、回復魔法の需要に事欠きません。
自分は比較的軽傷な兵士を振り分けられ、幾度か魔法の行使を行いました。
初めて回復魔法を行使した時より、多少は効果が増している気がします。
数を重ねれば魔法が上達するのは事実のようです。
こうしてスキルアップを実感できるのは、楽しいです。侵攻作戦なんか行わず、ずっとこうしていられたら良いのですが。
「前回取られた陣地を奪還する。ガーバック小隊、出撃だ」
翌日、再び自分達に出撃命令が下されました。
やはり最前線に来ている以上、平和に過ごすことなど夢物語なようです。
「まだ、敵は新たに得た陣地の構築を完了できていないと想定される。おそらく今、急ピッチで物資の整理と塹壕の補強作業を行っているところだろう。そこを砲撃し、その後に我々が突撃、制圧を行う」
「了解しました」
作戦は前回同様、魔術師による砲撃の後に自分達が突撃し制圧する作戦らしいです。
……正直、前は失敗しているので不安がよぎります。
「サルサ2等兵、トウリ2等衛生兵。貴様らは、今回も俺の後ろにつけ」
「はい、小隊長殿」
「次に命令違反を犯した場合は、即座に銃殺する。覚悟して任務に臨め」
「承知しております」
前回やらかした自分に、小隊長はしっかり釘を刺してきました。
自分が命令違反で処刑されたら、孤児院にお金が入りません。
……憂鬱ですが、危険な命令を出されても逆らわず、おとなしく死ぬとしましょう。
「ようし、行くぞ。貴様らに、このガーバック流の突撃を見せてやる!」
これから戦いに行くというのに、小隊長は満面の笑顔でした。人を殺せるのが嬉しくて仕方ないといった表情です。
この人は殺される恐怖より、敵を殺す喜びの方が上回っているのですね。
「異国のクズどもを、汚ぇ泥まみれのミンチにしてやれ」
……長いこと戦場に居たら、人間はこうなってしまうのでしょうか。
この戦争の終わりは、なかなか見えていません。
もう10年もの間、我が国はこの戦線の陣取り合戦を行い続けています。
こんな話を、先輩の衛生兵に聞きました。
タール川付近の地面は、以前はさわやかな草原とフカフカな茶色い大地が広がっていたそうです。
しかし、今のこの場所は殆どが黒土に置き換わってしまっています。
その理由は簡単。
土の鉄分含有量が上がると、色が黒くなるそうです。
この土地では、土の色が変わってしまう程の血液が流され続けたという事です。
「突撃ィ!!!!!」
自分は今日も、真っ黒な土を踏みつけて銃弾の飛び交う平原を駆けます。
この土は、今自分が踏みつけているモノは、誰かの大切な家族の一部だったのかもしれません。
我が国の津々浦々から集められた鉄分が、今日もこの地に撒き散らされます。
この戦場では生きていられるだけで、途方もない幸運なんです。
死にたくない。こんな陰気な場所で、ただ土を濡らす鉄分になりたくない。
その一心で、自分は小隊長殿の背中を必死で追うのでした。
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