#12

「もしもし?」


 待たされた事が不満だったのか、高圧的に語尾を上げて僕の様子を窺う父の声をスピーカー越しに聞く。前回会ったのがお盆の時だから、だいたい1ヶ月ぶりぐらいになるだろうか?


 まるで世界を代表した正義みたいな面が僕の脳裏に浮かぶたび、相変わらずお元気な様子に色々な意味で頭が下がる。


「……はい」

「寝てたのか?」


 そうそう、このやり取り。初めから相手の都合も考えずに、暇だと決めつけるような上から目線の口振り。これも昔から変わってない。


「違うよ」


 嬉しくない懐かしさに苦笑いしつつ返事をした僕は、子供みたいに足を地面擦れ擦れで揺らしながら「どうしたの?」と態とらしく父に尋ねる。


「何が『どうしたの?』だ!……散々人に心配を掛けておいて、第一声がそれとは本当に……」


 感情任せに怒る父の気持ちが分からないわけじゃない。いや、父の考えが分からない日なんて、今までの人生で一度もなかった。


 堅実で真っ直ぐ、偽りや無駄を嫌う折り目正しい彼は、きっと子供である僕にも恥ずかしくないような、いつも人間としての『お手本』を見せているのだろう。だからこそ自信を持って自分が持つ信条を当たり前のように押し付けるし、僕の気持ちや考えを理解しようともしない。


 ──父さんは、いつもそうやって僕を閉じ込めるんだよ。


 僕が小学校に上がる前から、父は口癖のように『反抗期なんて許さない』と繰り返していた。当時はソレを戯言と馬鹿にしていたが、この歳になっても人の顔色を伺う癖が抜けない僕は、父が吐いた言霊がこの身に染み込んでしまっているのを理解するしかない。


「おい、聞いているのか?」


 反応のない僕に痺れを切らした、舌打ち混じりの声が響く。父にバレないように携帯を耳から離して溜息を零し、ゆっくりと膝を抱いて体操座りをする。


 子供の頃、揉め事があるたびに家を締め出されると、決まって僕は玄関の段差に座ってこの体勢でほとぼりが冷めるのを待つ。無力な自分を慰める術もなく、ただひたすら自由を持て余した外の世界を眺めては首筋を掻き毟る──。


 滲む視界の雨垂れを拭うように顔を膝に埋めた僕は、引き寄せた足に引っ掛かるような違和感と痛み感じた。父の怒鳴り声が一段と大きくなるが、耳に当てていなければ轟音に近いノイズに他ならない。携帯をベットの上へ投げ出して、ゆっくりとズボンを裾からたくし上げる。


「コレは……アレだよな……」


 驚きのあまり逃げ出した語彙力の一欠片に、纏めるのもやっとな感情を託す。遠い何処かの御伽噺でしかなかった虚像が、今、鈍い質量を持って僕に詰め寄る。


 脛を疎らに覆うソレはプラスチックみたいに硬く、白色の蛍光灯の光を受けて虹色の輝きを自慢気に滑らせた。大きさは小振りな眼鏡のレンズぐらい、磨り硝子のような半透明の鱗片は、沈み切った僕の心を照らす灯台。


『仮に自分の結末が選べるのなら、幸せの向こう側に見える衰退を味わうハッピーエンドより、酷いぐらいの身勝手でも構わないから、『誰かの為に』散れる未来が良い──。』


 いつの日か願ったその全てが、極彩色の絵の具で描いたように未来を色付ける。


 僕は投げ出した携帯に手を伸ばし、晴れやかな気持ちでまだ文句を並べる父の声に耳に当てた。


「……ごめんなさい、少し電波が悪くって。色々と迷惑かけた事も、本当に申し訳ないと思ってる」

「たくっ……お前と言う奴は。母さんや妹にも心配を掛けて、申し訳ないじゃ済まないだろう」


 人が素直に詫びているのだから、わざわざあげつらって言い直さなくてもいいのに──喉まで迫り上がった不満を飲み込み、僕は「本当にごめん」と口先だけで謝る。


「ふん……で、退院後はどうするつもりなんだ?母さんはお前に甘いから、『後で考えましょう』なんて言ってたが……こうやって勝手に倒れられては困るし、まだ自律もしきれてないお前が一人暮らしなんて……」

「帰るよ、実家に」


 父の小言を遮った僕の答えに、一瞬の間が空く。予想だにもしてなかった返答に息を詰まらせたのか、先程の威勢は蝋燭の火を消したように静まった。


「今の会社も辞めて、実家の近くで働けそうなところに就職する。家族には今まで以上に迷惑を掛けるけど、それでどうかな?」


 父や母、はたまた妹が望んだ模範解答を述べた僕は、清々しいぐらいの優等生。もう何も望まないし、何も必要としない。


「そう……か……。それがお前の意思なら文句はないが……」


 顔を見合わせなくても鳩が豆鉄砲を食ったような父の表情が瞼に浮かび、至って性格の悪い僕の口角は自然と捻り上がった。


 うっとりと歯型の付いた肘窩を眺める僕は、「ただ、一つお願いがあるんだ」と彼岸花のように赤い彼女の標に頬をすり寄せる。


「……退院したら海へ行きたい。息がしやすそうな、透き通った海へ」


 病室のカーテンを巻き上げるほどの秋風は薄っすらと潮の香りを乗せて窓から迷い込み、僕という微細な泡沫を優しく飲み込んだ。



 ─fin─

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マーメイド・シンドローム 山田 @nanasiyamada

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