第36話 アサカだし
「はい。じゃあ、えっと……このドリンクに萌えと愛情を込めてください?」
メイドさんが両手でハートマークを作り、僕らに視線を恐る恐る送ってくる。同じようにハートマークを作ると、ぱあっと表情を明るくさせて「萌え萌え」と左右に振って僕のオレンジジュース、彼女のコーラに向けて「きゅーん」。
「ありがとうございます~!」
飽きるほど何度もやって完全にやる気のない僕に対してメイドさんと同じように手を叩いて妙にテンションが高い彼女。温度差がありすぎてメイドさんの顔に戸惑いが浮かんでる。
「いや、アサカさぁ。そこはちゃんとやってあげなよ。みおんちゃん困ってんじゃん」
メイドさんの後ろで仁王立ちしてるスズにツッコミを入れられて僕は唸る。
「いや、でもそう言われても、ねぇ?」
新人メイドのみおんちゃんに振ると苦笑いを浮かべている。
「新人さんなんだよ?テンション高くして」
「そうそう。メイドさんの初めてなんだから優しくしてあげて」
「いや、まあ……そうなんだけど、もうちょっと表現どうにかなんない?メイド喫茶だよ?わかってる?」
初めてのところをなんの意味もなく強調してニヤついてる彼女に文句を言ってると、スズが深いため息をついた。
「はぁ……まあ、いいや。だいたいこんな感じ。あとはいろいろやってみてってことで」
「はい」
2人にガン詰されてる僕に目を向けつつメイドさんはクスクス笑いながらスズの言葉に頷いた。
「どう?できそ?」
と、僕の後ろから聞きなれた声が聞こえた、と思ったら横からにゅっとアスナの顔が出てきた。
「ん~なんとなく?雰囲気はわかったような……?って感じですかね」
「まあ、あと2回くらいは後ろで付いてるし、最初はオプションも入んないから慣れるまでやってみればいいよ」
首を傾げてる新人メイドさんにスズがフォローしてると、ドアが開いてご主人が入ってきた。
「ほい。じゃあ、もう1回やってみよ」
スズと新人メイドさんは僕らから離れてご主人の案内に向かっていった。
事前に妖精がご主人に断りを入れてやってるけど、頻繁に通って妖精さんと顔見知りになるとこういうレアイベントに遭遇できる。逆に顔見知りくらいでないとそういうことはできないから新人メイドの初めてのご案内をされるのは選ばれし常連として認められた証拠でもある。
いや、そこいらのちゃんとした喫茶店ならまだしも、メイド喫茶で選ばれし常連なんて呼ばれてもまったく嬉しくないんだけど。
それはともかく。やっぱり平日は面白い。特にこういうのは人が少ない平日じゃないとできないイベントに遭遇するとその後も気になってしまう。
メイドさんを目で追ってると、メイド服の胸元に視線を遮られた。
「ちょっと?いつまで見てんの?」
不機嫌そうな声に顔を上げる。
「いや、なかなかないから」
「ふうん?まあ、そう言われればそうかも。ここに一日目から来る子ってあんまいないし」
僕がそう返すと、アスナも新人メイドの方に目を向けた。
「元お嬢様、じゃないよね?」
「1回だけ来たことがあるんだって。ここに」
「へぇ。いつ?」
「さあ?スズは知ってるんじゃない?さっきそんな話してたし」
「ふうん」
よくまあ、こんな魔窟にねえ……。
「また身内だったりしない?」
結構な数の身内をメイドとして送り込んでる誰かさんにも聞いてみたけど、「今回は違う」と首を振った。
なんだ。誰も知らないのか。
「気になる?」
と、聞いてきたのは彼女。
「いや、まったく」
前のめりで聞いてきた彼女を否定すると、「は?」と目を見開いた。
「いやいや。あそこまでガン見しておいて気にならないっておかしいでしょ。ねえ?」
「それ。そこまで聞いておいて気にならないってなに?思いっきり気にしてんじゃん」
なぜかアスナも加わって責めてきた。
「別に。物珍しいだけだよ」
「ふうん?物珍しい、ねえ?だって。どう思う?」
「有罪」
「なんでだよ」
楽しそうに話してるご主人様を見て僕は身体を彼女の方に戻す。
「にしても、今回『は』ね」
まあ、前科なんか死ぬほどある彼女にこんなこと言ったところで意味なんかないんだけど。でも言いたくなってしまう。
「別に今さら気にすることでもないでしょ」
「『ちょっと飲みに行こう』って言って友達を誘ったらメイドの大宴会クラスになるのは気にするレベルだと思うけど?」
この前呼ばれたときビックリしたわ。店に入ったら彼女を筆頭に20人近くいてそのほとんどがメイドかお嬢様だったんだから。
「なに?また呼んだの?アンタはいいけどアサカは止めろって言わなかった?」
アスナが眉をひそめた。
「だってしょうがないじゃん。みんな話したいって言ってたし、ここじゃアスナがいないと話すらできないって嘆かれてさぁ。断るに断れなくなっちゃって。ね?」
「ふうん?呼ばれてノコノコ行ったわけ?聞いてないんだけど?」
ニッと笑う彼女にアスナの視線が今度は僕に向いた。
「いや、言ったって。この前の――」
射殺せるんじゃないか、ってくらい鋭い視線に何とか耐えて言葉を絞り出すと、「ああ、それのこと?早く言ってよ」と僕に肩をぶつけてきた。
「あ、そうだ。それで思い出した。あの話のあとは?ユズ以外の誰かとやり取りとかしてんの?」
尋問地味てるけど、この程度はいつものこと。隠すこともないから正直に話す。
「何人かは挨拶みたいなのが来たけど、それっきり。あとはあの場だけかな。そもそも僕から何かしようって思って交換したわけじゃないし。話すって言ってもメイド喫茶のことくらいしか話すことないし」
「ふうん。じゃあ、それっきり?」
「向こうの既読がついて終わり。なんなんだろうね?向こうから話振ってきておいてさ」
「それ、フラれてんだよ。ダッサ」
「フラれた?」
いきなりフラれた、なんて言われて僕は思わず聞いてしまった。
「え?なんで?向こうから話を振ってきたんだよ?なんでフラれてんの?ヒドくない?」
「ひどくない。向こうはアサカの方から何かしてくれないかなぁ〜ってアピールしてたのに無視されてんだよ?そんなの無いでしょ」
「アピール?そんなのされた覚えないけど」
「してるって。絶対。まあ、アサカにそんな女心わかるわけないだろうけど」
なんだその女心。そんなの察しろなんて難しすぎるだろ。
「でしょうね。まあ、アサカだし。気づく方に期待してる方がそもそもの間違いだよね」
「ね。アサカだよ?そんな繊細なモノに気づくんだったら最初っからそんなとこ行かないよね。ノコノコ行った時点で察しろよ」
話の意図はわからないけど、確実にディスられてるのはわかった。
「ふうん。まあ、それならいいや。っと、呼ばれたからまた後で来るわ」
と、アスナは妖精さんに呼ばれてほかのご主人のところに行ってしまった。
「ふ。愛されてるねぇ」
「愛されてるは言い過ぎじゃない?」
ニヤニヤ気持ち悪い笑みを浮かべてる彼女を睨んだけど、効果はなし。
「愛されてるでしょ。あんな風に言ってんの、そうはないよ?」
「いやいや。ンなわけないでしょ」
メイドだよ?推してくれてる人なら誰にでも言ってると思うけどな。
「ンなわけあるっての。まったく……。アスナも素直に言えばいいのにねぇ。口に出せないからって態度に出しちゃって。かわいいでやんの」
この酔っぱらい、他人事だからって楽しんでやがる。
「そう言ってる自分はどうなわけ?」
「どうって?」
「好きだの、愛してるだの。素直に言えるかどうか、って話」
「あ〜……」
僕にとっては素朴な疑問。けれども、彼女はなぜか目を逸らした。
「ん〜……どうだろね?昔は言えたかもしれないけど、今はどうだろ?わかんないや」
それっきり彼女は何も言わなくなってしまった。
彼女が何も言わなくなったのはこれまで何度もあったけど、返す言葉がなくなったのか、何かを考えてるのか、よくわからなくなってしまったのは、一緒にメイド喫茶に来るようになってから初めてのことだった。
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