第35話 シラフ

「気になったんだけどさ」


 ロイヤルミルクティーが飲めるまで、ということで用意された砂時計の砂が落ちるのを見ていると、ドリンクのおかわりを買ってきたユズの一言でそれははじまった。


「シラフの月乃を見るのって今まであった?」

「シラフ……?」


 酒を飲んでいない状態の彼女、か。


「う〜ん……」


 あったっけ?なんて思ってると、腕を叩かれた。


「あったでしょ」

「いつ?」

「いつ?いつ?う〜ん……いつだっけ?」

「はぁ……」


 唸る僕らにユズは頭を抱えて「ないのね」と結論づけた。が、彼女はすぐにそれを否定。


「や。ある!あるって!」

「じゃあ、いつよ?」

「それはちょっと……思い出せないけど」


 言い淀む彼女に僕も頭を抱える。


「じゃあ、聞き方を変えよう。前日に飲まないで会った日ってある?」


 そう聞かれると、僕としては答えやすかった。


「ないね」

「あるよ!?」

「アルコール臭かった日しかないんだけど」

「え!?そんなバカな……」


 打ちひしがれてる彼女にユズが溜息。


「やっぱりないんじゃん」

「そりゃそうでしょ。どこの誰が酒も飲まずに人ん家で下着姿になるわけ?完全に酔っ払いの過ちでしょ」

「たしかに。言われてみれば」


 ユズが大きく頷いた。


「や。ちょっと待って」

「待たない。っていうか、月乃。アンタ、アサカん家でも脱いでるの?」

「だってラクなんだもん」


 もん、じゃねえんだよ。もん、じゃ。


 と、ユズの言葉に何かが引っ掛かった。


「でも?」

「わたしん家でも脱ぐんだよ。コイツ。ばいんばいんのこれ見せつけてさぁ。ケンカ売ってんのかって思うよね」

「へえ」


 どっちかって言うと貧者なユズが自分の胸を持ち上げるような仕草をした。たしかにでっかい側の彼女が脱げば差は圧倒的だから見せつけてるようにしか見えない。


「見せつけてないってば。っていうか、ユズだって隙あらば触ってくるじゃん」

「当てつけに決まってんでしょ。バカ。見せつけやがって」

「バカ!?バカってどういうこと!?見せつけてなんかないってば!」


 あの……うるさいんで静かにしてくれませんかね?


 僕とユズの2人が黙って彼女を睨むと口を尖らせながら静かになった。


「話がズレたわ。ふうん。シラフの月乃って見たことないんだ?」

「今のこれがシラフだってなら初めてかも。メイド喫茶行く前だっていつもここで沈没してるし」

「いつも?」

「いつも」

「つ~き~の~?」

「や。だってしょうがないじゃん。飲み会に参加しろってうるさいんだもん」

「タダ飯タダ飲みができるから行ってるだけでしょ」

「ぐっ!」


 痛いところを突かれた、と彼女が胸を押さえた。


「アンタさ。わたしがメイド喫茶に来るときは止めろって言ったの忘れてない?」

「覚えてるってば。だからちゃんと酔い覚まししてから行ってるし!」

「前の日から飲むなつってんの!」


 それから押し問答が続くことしばらく。ちびちび飲んでいた彼女のロイヤルミルクティーがなくなった。


「はあ……まあ、いいや。よくないけど」

「ホントに」


 そう返した彼女を思いっきりユズが睨んだ。


「そんな余裕ぶっかましてて後で取られた~!なんて泣き叫んでも知らないよ?」

「大丈夫だって!」

「……まあ、月乃がいいならそれでいいけど」


 ユズはそう言って席を立った。僕らもそろそろ行かないと2人がキレる。スズは怖くないけど、アスナは視線だけで死ぬんじゃないかってくらい睨む上にツンツンだからできればキレる前にたどり着いておきたい。


 まとめて食器を返却棚に返して一緒に店を出ると、すぐの信号でユズの足が止まった。


「お、ちょうどいいや。んじゃ。今日は帰るからここで」


 いいタイミングで信号が青に変わり、ユズは手を振って大通りの向こう側に行ってしまった。


 向こう側にたどり着いたユズが僕らに向かって手を上げたのが見えて、僕も軽く手を上げる。横で彼女も手を振っていた。


 ユズは2、3回手を振るとそのまま人の流れの中に消えていく。


 2人に話してなんとなく気持ち的には軽くなった気がする。あとでお礼のメッセージを送っておこう。


「言っておくけど」


 と、ユズを見送った彼女が僕に体を向けた。


「まったく飲んでない日はちゃんとあったから」

「いつ?」


 僕の問いに彼女はふっと笑って「それは言えないなぁ」とだけ返してきた。いや、だからそれが重要なんだけど?


「ほら。そんなことより行くよ」


 彼女に引っ張られて大通りの歩道を2人で歩く。休日とは違い、人通りは少なくて横並びになっても歩きやすい。


「いつからいたの?」


 少し歩いたところで彼女が見上げてきた。


「あ~……何時だろ?3時くらい?ああ、うん。やっぱそうだ」


 レシートを財布から出して確認すると、3時をちょっと過ぎたくらい。レシートにはいつも僕が頼むモノが書かれていて、その下にもう一つ、別のドリンクが2つ並んでいた。僕は一切頼まないメニューなだけに、誰かと一緒にいたという何よりの証拠がしっかりと刻まれていた。


「わたしが来たのは……あれ?何時だっけ?」

「僕に聞くなよ」


 自分のことなのになんで把握できないのか、これがホントにわからない。


「まあ、いいや。たぶん1時間くらいしかいなかったと思うから……ん?2時間も話してたってこと?ユズと?」

「そんなに?」


 ぜんぜんそんな感覚なかった僕は驚いてしまった。


「だって今6時前でしょ?わたしが来たのが5時くらいだから――ほら」


 こうして言われてみるとたしかに。あの場で2時間も話していたらしい。あのときはどうしようかと思ってたからそこまで気が回ってなかったけど、スズも一緒にいたってことはどこかに遊びに行ってたのかもしれない。


 なんだか悪いことをしちゃったな。


 そんなことを思ってるうちにメイド喫茶の建物の前まで来てしまった。徒歩5分はやっぱり近い。


「今日は空いてそう」


 彼女はエレベーターの位置を見てすぐに戻ってきた。


「遅いからこっち」

「はいはい」


 ってことで引っ張られて僕らは階段へ。


 階段を上がってる間に気づいたけど、今日はどこのフロアも混んでないらしい。こういう日はメイドさんにとってはヒマで退屈だと思うんだけど、客側の僕らからすればラッキーデー。暇すぎるが故に話しかけてきてくれるからいつも以上にメイドさんと話せる時間が増えて満足感が高い。


 5階でドア越しに店内を見てみる。やっぱり予想通り空席が目立つ。3階、4階と続いて5階もコレってことは6階もたぶん同じだろう。まあ、アスナはいつでも忙しいと思うけど。


「遅い!」


 様子を見ながら階段を上がってると上から声が落ちてきた。見上げると彼女が手すりから身を乗り出してふくれっ面をしてる。


「なーに油売ってんの!早く行くよ!」

「早いって!ちょっと待って!」


 様子を見ながら彼女のペースについていったら5階の踊り場で完全に息が切れてしまった。


「なんでこんなペース早いの……」

「ふつうだけど!?アサカが遅いんだよ!引きこもってばっかで運動してないから!」


 ヒイヒイ言いながら上がる僕に彼女がぐうの音も出ないド正論をぶっかましてくる。


「ほらほら!ユズに付き合って入るの遅くなったんだから早く!」

「ええ……」


 そんなに遅くなってないと思うんだけど。


 彼女はせっかく上った階段を下りて僕の背中に周って、後ろから押してきた。


「ちょっ!?」

「まったく、世話がかかる。ほら!さっさと行く!」

「いや、待って!もうちょっと休憩させて!」

「ダメ!休憩なら入ってからにして!」


 結局僕は彼女に押し込まれるようにして6階にたどり着いた。

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