第31話 ドアの向こうに響いたのは絶叫でした

 外が明るい……。


 シャッターの雨戸で光なんか一切入ってこない部屋だけど、なんとなく外が明るくなっている気がして目が覚めた。


 身体を起こしてマウスを振る。暗くなっていたモニターに光が灯り、時間を知らせてくれた。


「10時……か」


 何時に寝たのかなんてわからない。最後に時計を見たのが日付が変わったときだったから――いや、考えるのはやめよう。


 テーブルの上には散乱したほろよいの空き缶と突っ伏して丸くなってる黒い塊。そのほかにもハイボールやらビールやら、どっから湧いてきたんだってくらいの数の空き缶が転がっていた。


「はあ……」


 ため息が出た。いや、ため息しか出なかった。


 誰が片付けるんだよ……。


 そう言いたくなるくらいの惨状が目の前に広がっていた。


 ぴんぽーん


 インターホンの音が家中に響き渡った。


「ん〜?なに〜?こんな朝っぱらから……」


 テーブルに突っ伏していた黒い塊がむくり、と身体を起こした。


 ぴんぽーん


 2度目のインターホン。


「うっさいなぁ〜」


 寝起きを叩き起こされて黒い塊――もとい、アスナのご機嫌はナナメを通り越して垂直になりそう。


 あれ?なんでアスナがここに?飲んだくれは?


 ぴんぽーん


 そんなことを考えていると3度目のインターホンが鳴った。無視してるんだから帰ればいいのに。


 4度目。いい加減うるさいな。


 テーブルを潜ってインターホンのモニターを見る。スーツを着た男性が立っていた。


「営業なら不要です。帰ってください」


 インターホン越しに声を出すと、向こうは驚いたように身体を震わせた。


『いや!営業じゃない!用があって来たんだ!!』

「何も聞いていませんけど」

「だれ?」


 ぽん、と肩を叩かれた。ビックリして声が出そうになったけど、なんとか飲み込む。


「ねっむ……いま何時?」

「10時だけど」

「ふうん……ふぁ」


 あくびをしたアスナはそのまま僕の肩にアゴを置いた。


「あ〜……これラクだわ〜」

「いや、そうじゃなくて。この人、知ってる?」


 画面を叩くと、アスナの視線がようやくインターホンに向かった。


「ん〜……しらない」


 どっかで見た気がするけど思い出せない、とアスナは言った。


「用件は?」

『そこに居候してる女の子に用がある』

「居候なんてここにはいませんが」


 自分が思っていた以上にさらりと言葉が出てきた。ウソは言ってない。ここにいるのはルールぶっちぎりの不良メイドと他称お嬢様でお嬢様な姿をした万年酔っ払いだけ。スーツを着て朝っぱらから突撃してくる輩が知り合いにいるわけがない。


『あれ……おかしいな。たしかにここにいるはずなんだけど――』


 男性が画面の向こうでスマホをペシペシ叩く。


「いや。どう聞かれてもいないもんはいないですよ」

『いやいや。そんなはずないって。とにかくその子と話がしたいんだ』

「だからってここに来られても」


 と、アスナが僕の背中を突っついてきた。


「思い出したわ。昨日アサカに話しかけてきた人だわ」

「よく覚えてんね」

「まあ……このくらいは、ね。メイドですから」


 と、寝室の方から足音が聞こえてきた。


「おは〜……」


 アルコールでカスッカスになるまで焼かれた声の彼女が眠い目を擦りながらやってきた。色褪せてゴムがびろびろに伸びたシャツの中に手を突っ込んでボリボリ掻いていて女子力なんてカケラもない。限界女子ってこういうのを言うんじゃなかったっけ?


「壁に向かってなにやってんの?」

「来客じゃないけど、来客」

「来客?誰?」

「知らないんだよね。知ってる?」

「アサカの来客なんて知るわけないでしょ」


 定位置の椅子に飛び乗って腹へった〜!と彼女が叫んだ。


「いや、僕じゃないんだって」

「はあ?なにそれ?そんなの追い返しちゃいなよ。鬱陶しい」


 そもそもなんでそんなのに付き合ってんの?とまで言う始末。ごもっともだけど、向こうも引き下がってくれないんだよなぁ。


「昨日もアサカに声かけてきた人なんだよね。すっごい目で睨んでた」

「ふうん。え?もしかしてナンパ?ストーカー的な?」

「人の話聞いてた?睨んでた、って言ってんでしょ。アンタの知り合いじゃないの?女の子に用があるって言ってたし」

「わたしも用なんてないけど。しょうがない」


 よっこいしょ、と立ち上がって僕の前に。


「こいつ?」

「そいつ」

「ふうん?」


 彼女は咳払いをしてインターホンの通話ボタンを押した。


「話があるみたいだけど?これでいいなら聞きましょう」


 枯れた声はどこへやら。聞いたことがないほど綺麗なよそ行きの声に僕とアスナは顔を見合わせた。


 彼女がインターホン越しに男性と話している間、僕とアスナは朝食を作ろう、ってことでキッチンに向かう。


「許嫁とか結婚とか思いっきり聞こえてるけど、絶対ここでしちゃいけない話だよね」

「ごもっともで」


 レタスを毟りながら言ったアスナに僕は頷く。


 許嫁のくせにほかの男と寝るとはどういう了見だ!とか、結婚まで日がないのになにやってんだ!とか、ものすごい剣幕で張り上げている声に目を向ける。


「玄関ドア、貫通してるし。もういっそインターホンなんていらないんじゃないの?一方的に叫んでるだけじゃん。見てよ、月乃のカッコ。アレで聞いてますってどの口が言ってるんだろね?」


 バランスボールに腰を下ろした彼女はロフトにつながるハシゴに足を乗っけて手にはマンガ。ペラペラめくりながらうんうん頷いてる。


「オンとオフを使い分けてんじゃないの?」

「見た目オンで実態はオフって?器用すぎない?」

「だって聞いてもつまんないんだからしょうがないでしょ」


 向こう側から彼女の声が聞こえてきた。男性に向けたよそ行きの声ではなく、アルコールで枯れた声で。


「ってか、録音中だから話しかけないでってば。このご高説、後で聴かせるんだから」


 なんかスピーカーにスマホをくっつけてるなと思ったら、そんなことやってたのか。


「聴かせるって誰に?」

「自称許嫁を筆頭にわたしに結婚を迫るバカども」


 感情を煮詰めたようなその声に僕は震えるような恐怖を感じた。


「こっちが聞いてればふざけたこといいやがって。女10人も囲って子供作ってんの知ってんだぞ!――ってね」


 噴き上げる火山のような怒りを感じたのは一瞬。でも、その圧は僕が言葉を発せなくなるには十分だった。


 一方でアスナはケロッとした顔でトマトを切ってる。


「子供作ってんのはヤバいね」

「でしょ。そんなのと許嫁でしかも結婚だよ?ないわ」


 ポイ、と何かを捨てるように彼女は言った。


「え。許嫁はガチなの?」

「ガチもガチ。なんかがないとぶち壊せないレベルのガチ」

「なんかあるじゃん。思いっきり。イヤなんだけど。朝からこんなの聞かされんの」


 アスナがインターホンを指した。


「朝だからいいんじゃん。そんなこと言ったらわたしなんかお呼ばれの度にこれだよ?勘弁してほしいわ」

「あ。それで昨日あんなカッコだったの?」

「そっそ。窮屈だったわ〜。いろんな意味で」


 バランスボールの上でぐりぐり腰を回す彼女にアスナはジト目を向けてる。


「ウソ言え。隠れてかわいい子の乳揉んだだろ」

「……バレてる?」

「アンタがしないわけないでしょ」

「昨日は豊作でした。ありがとうございました」


 手を合わせた彼女にアスナはキッチンにあった菜箸をぶん投げた。


 こんなことをしてる間も玄関前のご高説は続いていた。正直、よくそんなに喋れるなって感心してしまうけど、それはあくまでも僕が第三者でしかもドア越しだから言える。ドアもなにもない、至近距離でこんなふうに喋られたら感心から呆れに変わって悟りまで開けそう。


「いっつもこんななの?」


 アスナも同じように思ったようで、彼女に聞いた。


「こんな。聞いてらんないでしょ」

「ムリ。金が出るとしてもムリ。」


 メイド喫茶で慣れてるだろうアスナも心底イヤそうに舌を出した。


「こんなのと話すとかムリだわ。そもそも話してもないけどさ」

「常連にいるでしょ」

「いるけどさ。時間で切れ――」


 と、アスナの言葉が途切れた。


「あ、あ〜……そうだわ。なんだかんだ毎回話してるわ。鳥肌が出そうなのギリッギリで耐えてんの褒めてほしいくらい」

「えらいわ〜」

「いや、棒読み。もうちょっと感情を込めてよ」

「えらいでちゅね〜」

「舐めてんの?」


 2人はケラケラ笑った。


『おい!聞いてんのか!?』


 インターホンの向こう側から大声が響いた。彼女はすぐにインターホンに向かって立った。


「聞いてますよ。ちゃんと」


 聞いた内容をつらつらと口にする彼女に男性は黙り込んでしまった。


「あら?どうかしましたか?そんな、聞いてなかったんじゃなかったのか!?みたいな顔して」

『みたいなじゃない!聞いてたのか!?』

「話してるんですよ?聞いてないわけないじゃないですか」


 なに言ってるんですか?と言い放つ彼女に男子は唸った。


『いいから出てこい!いつまでそこにいるんだ!』


 ドン!と玄関のドアが叩かれた音が響く。


「少なくとも貴方がそこからいなくなるまではここから出るつもりはありませんね。なにされるかわかりませんし……あ――。」


 と、彼女がなぜか僕に目を向けてきた。ニィ――っと気持ち悪い笑みを向けられた僕の背筋に冷たいものが走る。


『つべこべ言わずにいいから出てこい!』


 ドンドン叩く玄関を無視して彼女は僕のところへ。


「な、なに?」

「アスナ」

「しょうがないなぁ……貸し5だからね。トイチで」


 たったこれだけ。これだけのやり取りで僕はアスナに捕まってしまった。


「あれ?ちょっと?アスナさん?」

「まあまあ、いいから。包丁は置いてね。危ないから」


 いや、いいならいいんだけど。


 背中に当たる柔らかいものに意識を引っ張られていると、両頬を手で挟まれた。


 目の前には彼女の顔。なんかだんだん近づいてくるんですけど――?


「え?ちょっと?なに?なになに!?ねえ!?」

『おい!なにやって――!!』


 ドアの向こうから聞こえてきた絶叫を耳に僕は意識を失った。

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