第26話 上書きという名のマーキング
家の中に入ったアスナはキョロキョロ見渡しながら奥へと入っていく。
「ふうん。思ったよりキレイにしてるじゃん。男子の部屋ってもっと汚いイメージがあったけど」
「まあ、床は見えるようにしておかないと掃除機が通ってくれないし」
「ああ。アレ?」
と、リビングの端っこでおとなしくしてる円盤型の自動掃除機を指した。
「そうそう。買おうと思ってたんだけど、どう?便利?」
「少なくとも床掃除の手間はだいぶ減ったかな。たまに水拭きシートで拭くけど」
「たまに?」
「2ヶ月に1回くらい。それもやる気があるときだけだけど」
「ほぼしてないじゃん」
そう言われると返す言葉がない。
「ふうん。なんもしなくてもこれか。やっぱ買おうかな」
「ゴミ捨てはするんだよ?」
「そのくらいするってば」
キッチンからマグカップを2つテーブルへ持っていく。
「椅子が2つ……?」
「使ってイマイチだったのと現役のだね。捨てるに捨てらんなくて」
思い出が〜とかそういうのじゃなくて単に大きすぎて玄関を通すのもやっとってだけの理由なんだけど、これが意外なことに彼女には評判がいい。ヘッドレストも、腰のクッションみたいなのもない、リクライニングすらもできないゴチゴチの椅子なんだけど、彼女は非常に気に入ってるらしい。
「ってことはイマイチな方を月乃が使ってるってわけね。上書きしとかないと」
上書き?
「って、メイク道具も置いてんの?マジで入り浸ってんじゃん」
イマイチな方の椅子に座ったアスナが置きっぱなしのメイクに手を伸ばす。
「持って帰れって言ってるんだけど、聞かないんだよ。むしろ増えてるし」
「なにやってんの……」
それ、僕が言いたいんだけど。言ってるけど改善しないんだからそのうち捨ててやろうかな。どうやって捨てればいいのかわかんないけど。
「ふうん。ま、このくらいは想定の範囲内だったけど」
アスナはそう言って100均で買ってきた収納ボックスに彼女のメイク道具を入れていく。
コの字の長い棒の1つを占領していた彼女のメイク道具はひとまとめにされてロフトに続くはしごの下にポン置きされた。
「っし。これでわたしのが置ける」
「いや、そうじゃないでしょ」
やっと本来の使い方ができると思ったのに、なんでメイク道具を置くかな。ちなみにメイク道具は片付けられたけど、鏡だけは片付けの対象外で、そのまま伏せて置かれたままになってる。
「なに?メイク置き場じゃないの?」
「違うっての。そもそも化粧なんてしないから。ご飯をこっちで食べるつもりだったの」
「あ〜……まあ、それは反対側でいいでしょ。ってか、そろそろ作ってよ。お腹減った」
「いやだから……はいはい」
作ってよ、なんだ。と思いつつ、僕はキッチンへ。食材だけ出してお菓子が入った袋をテーブルの方に持っていく。
「できるまでどのくらい?」
「わかんないけど、20分くらい?」
「20分か……まあ、そのくらいならできそうかな」
「なにを?」
「こっちの話。気にしないで」
気にするな、って言われてもね。逆に怖いんだけど。
「いいから、ほら!さっさと作る!」
アスナに背中を押されて僕はキッチンへ追い出されてしまった。
簡単な野菜炒めと卵焼きを作ってテーブルに戻ると、彼女が置きっぱなしにしてる大部分がはしごの下に追いやられていた。
「服も置いてるっておかしくない?なんで置いてあるわけ?」
開けっぱなしのクローゼットの下でアスナが引き出しを開けていた。中には彼女がここに来て着る服が数着入っていて、アスナが開けてる引き出しからはTシャツがこちらを覗いている。
「それに関しても僕も聞きたい。どーせ泊まるんだからいいでしょって言ってさ。置いてくんだよ」
「どーせ泊まるってどういうこと?そこからおかしいんだけど。都心よりこっちの方が遠いじゃん」
「そうなんだよなぁ……」
彼女の言い訳だと乗り過ごすと家に帰るより早いって話らしいんだけど、何度か彼女の家に行ってみた感じ、そこまで違うってほどでもないんだよな。遠いっちゃ遠いけど、駅からそこまで歩くわけでもないんだよな。というか、どちらかといえば駅チカの部類のはず。
「まあいいや。それより、これを入れてまだ余裕があるんだからもう1個入れてもいいよね」
「いや、そこ僕の服――」
ぐぅううううう〜〜〜……
なんだけど、という僕の言葉はバイクのエンジン音みたいな音にかき消された。発生源はもちろん僕じゃない。ついでに言えばバイクが近くを通ったわけでもない。
「はあ。とりあえず、それ。食べよっか」
ため息を一つついてアスナは何事もなかったように椅子に戻った。僕も音の発生源には触れず、テーブルの空いたスペースに野菜炒めを置く。続いて卵焼き。あ、しまった。切るの忘れた。まあいいか。
「取り皿はこれ。ご飯も炊いてあるけど」
「食べるに決まってんでしょ。いい匂いさせやがって。どこが一応できる?ちゃんとってか、わたしの家より色々あるんだけど」
ぶちぶち言いながらアスナは箸を手に取った。
腹の虫を満足させたらしいアスナは、僕の部屋のあっちこっちに行って「ふうん」とよくわからない声を出してる。
そして、アスナは地雷原に踏み込んできた。
「泊まるときってどうしてんの?」
「どうしてるって?」
「どこで寝てるの?って話」
「どこってロフトだけど」
「この上の?」
「そうそう」
「ふうん」
実際は別の部屋で寝てるけど、そこまで行く気力がないときだけ使うのがロフト。彼女もここの存在は知ってるけど、上がるのがめんどくさいのと寝起きで3回ほど落っこちて痛い目を見てるのもあって、基本的には別の部屋で寝てる。基本的には、ってしてるのは床で限界を迎えてたり、椅子で寝落ちしてたりするから。
そんな事情を知る由もないアスナがはしごに手をかけようとしたので、僕は釘を刺す。
「その格好で登ったら見えるよ?」
「いいよ別に。減るもんじゃなし。見る?」
「見ないから。スカート持ち上げるな」
彼女といい、アスナといい、なんで見せようとしてくるかな。見たってどうなるわけでもないのに。
なんて思ってる間にアスナはロフトに上がってしまった。
「おお!やば……こんな感じなんだ。へえ!」
上からアスナの声が聞こえてくる。姿が見えなくなって改めて感じるけど、毎回通ってるメイドが私服で、しかも家にいるってのは不思議でしょうがない。
「いいな〜!ここで寝れるんだ!」
「ほかに寝る場所がないってのもあるけど」
「いいじゃん。わたしは好きだよ!」
ドン!と天井にすごい音が響いた。
「いったぁ〜……」
アスナが天井に頭をぶつけたらしい。僕もロフトの掃除をするときによくやるけど、これが地味に痛い。
「天井低すぎ……」
「それは思う。僕もよくやるし」
僕がそう返すと、アスナがクスッと笑った。
「アサカがやるんじゃわたしがやってもしょうがないね」
「ずっとそこにいると腰痛くなるんだよね。で伸ばそうとして――」
「あ〜わかる。ずっと屈んでるもんね。ちょっと休憩」
んしょ、の声と衣擦れの音が上から響いてくる。
「ここ、月乃来ないでしょ」
確信を持った冷たい声に僕は思わず上を見上げた。
「え?そんなことないけど」
「アサカの匂いだけしかしないんだけど?おかしいな。椅子ですらプンプンしてたのに。寝るところで全くしないんだよ?おかしくない?ね、アイツはどこで寝てんの?椅子で寝るわけないよね?」
トン、トン、とアスナがはしごから降りてきた。スカートの中にグレーの三角が見えたけど、そんなの気にしてる余裕はない。
「今後のために正直に言った方がいいよ?どこで寝てるの?」
未だかつて見たことがないくらいハイライトが消え失せたアスナの目の怖さに怯んだ僕は何も返すことなく、彼女が使う寝室へと案内した。
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