第25話 あの女の匂いがする

 ――午後行くから駅に集合ね


 アスナからのメッセージを見たのは、起きてすぐのことだった。


 まともにベッドで寝たのはいつ以来だろう?そのくらい久しぶりにベッドで寝た気がする。僕がベッドで寝れたってことで察しはついてるだろうけど、この部屋に彼女の姿はない。2日連続で泊まろうとしてた彼女をなんとか説得して、家まで送り届け、ぶ〜ぶ〜言いながら飲みまくる彼女に付き合い、この家に戻ってきたのは日付を跨いで2時間後のこと。それから寝る支度をしたり、なんやかんやで布団に入った時には3時を過ぎていた。


 夏の猛暑を前にしっかり睡眠が取れるようにって思って買った冷感仕様のマットレスはそのほとんどの時間を彼女に取られてるせいでこれで寝れたのは――3回目くらい?前に寝たのがいつだったかも思い出せないくらい前過ぎて思い出すのもめんどくさい。もはや彼女専用になってるからいっそ部屋に持ち込んでやろうかとも思ったけど、この前行ったときに同じものが置いてあったから泣く泣くこのままにしてある。


 身体を起こして時計を見る。時刻は昼の12時過ぎ。


 アスナからのメッセージには具体的な時間が書いてなかったから、ひとまずで今起きたことと、何時に集合するのかだけ返信しておく。と思ったら、もう返信が来た。


『今起きたの?じゃあ、2時に駅ね。お昼はこっちで一緒にってことで』

「2時か……早くない?」


 別に何かしてたわけじゃないけど、気付けば12時半を回ってる。駅まで行く時間を考えると、もう準備をしないと間に合わない。


「はあ……しょうがない。準備するか」


 了解の返信だけして僕はベッドから這い出た。



 駅に着くと、女の子に声をかけてる男が――なんてのはラノベやマンガでよくある話。都心のど真ん中の駅ならそんなこともないこともないけど、現実でそんなことは滅多にない。まして都心から外れた駅ならほとんどの人が立ち止まることなく通り過ぎていく。そもそも待ち合わせしてる人は落ち合う前からやり取りをしていてスマホに視線も意識も向けられてて話しかけられたところで聞いちゃいない。


 そんな人が行き交う駅前の雑踏の中でアスナの姿はすぐにわかった。この前一緒にレポートをやったときの喫茶店で見た服よりもどこかよそ行きっぽい服で、横に並ぶのにちょっと躊躇いが出てしまいそうなくらいかわいい。手鏡を出してなにやら前髪をいじってるけど、それさえも絵になる。アスナの視線を人に紛れながら掻い潜って、1人ぶんくらい間を空けて横に立つ。待ち合わせの時間まではあと5分。急いでは来てないけど、それなりに早く出たのに結構ギリギリだった。


 と、隣でアスナがスマホを出して画面を両手の親指でタップ。しばらくして僕のスマホが震えた。見るとアスナからの「月乃は?追い出した?」のメッセージ。


「言い方。人聞き悪過ぎなんだけど」

「重要なことでしょ」


 独り言だったのに、言葉が返ってきてビックリした僕は思わず顔を上げてしまった。


「いつ声をかけてくれるのか待ってたんだけど」


 ぶんむくれたアスナの顔が目の前にあった。


「気づいてた?」

「わざわざぐるーっとすっごい遠回りしてるところからね」

「最初からじゃん」

「そ。恥ずかしい」


 そう言ってアスナは一歩引いて腰に手を当てた。見せつけるようなドヤ顔で。


「どう?」

「結構かわいい」

「ふ。でしょ。気に入ってるんだよね。これ」


 白のスカートを叩きながらアスナは言う。シャツはワインみたいな赤でメイド服のときとは真逆な色だけど、よく似合ってる。


「アサカは……いつも通りって感じだね」

「まあ。ほかに持ってる服ないし」

「服を買うお金があったら本を買うし?」

「そうそう。よくわかってらっしゃる」

「いつも言ってるじゃん」


 とん、とアスナが肩をぶつけてきた。


「で、お昼だけど」

「なんも決めてないよ。っていうか、この辺あんま知らないし」


 駅は最寄りだからよく使うけど、駅周辺のお店はほとんどと言っていいほど行ったことがない。なんせ外食は高いし、思ってるより量少ないし。それに彼女がひたすら飲むから使うのはもっぱらすぐ目の前にあるデパートに入ってるスーパーだけ。食材を調達してあとは家で作るのが基本だったりする。


「だと思った。わたしもあんま知らないからお互い様ってことで。なに系にするところから決めよっか」


 ということで、僕らは駅ビルの中に入ることに。


「……なんかあんまピンとこないね」

「ね」


 駅ビルの中を一通り歩いて回っての感想は、なんとも寂しいものだった。けど、惣菜屋だったり、パン屋だったり、小さい意識高い系のスーパーがほとんどでランチメニューを出してる店もチェーン店ばかりだからそうなるのも無理はない。


「アサカって作れるんだっけ?」


 メニューを見ていたアスナが僕の方に顔を向けた。


「まあ、それなりに、って言っていいのか微妙だけど一応?」

「食材買って作る方にする?」

「ん〜どっちでもいいけど。ちなみにアスナは作れるの?」

「……ご飯を炊くくらい?」


 それは作れるって言わないんじゃないかな。


「や、ほら。賄いがあるでしょ。で、夜なんかラストまでいれば帰ってきてお風呂に入ったらそのまま寝ちゃうじゃん」

「まあ、そうね」


 なんだか言い訳が始まった気がするけど、あえて聞いてあげる。


「でさ。朝っていうか昼?は学食でしょ?ほら。別に作らなくても――」

「生きてはいけるね」

「だからセーフ」

「卒業したらアウトだね」

「や、アサカんとこに行くから大丈夫」


 どこが?


「転がり込む前提って、断られるとは思わないわけ?」

「アサカは断んないでしょ」

「そんな確信を持って言わなくても」

「や、そこは絶対大丈夫って思ってるから安心してるんだけど。なに?断るの?」

「断らないけど」

「ならいいじゃん」

「少しは作る努力くらいはしてみるってのは?」

「時間があればね〜」


 まったくやる気を感じないアスナの言葉に唸ってると、手を引かれてデパートの中に入ってしまった。


「あ。そういえばここって100均入ってるんだっけ?」

「入ってる。4階だっけな」

「じゃ、先にそっちに行こ。欲しいのがあるんだよね」


 ってことで、100均に少し寄ってから地下のスーパーで買い物をして僕のアパートに向かう。


「ボロってほどじゃないけど、そこまでキレイじゃないから」


 1食分の食材と大量のお菓子が入った袋を2人で持ち、歩道のない道の端っこを並んで歩く。


「わかってるって。そのくらい」


 ホントかなぁ。


 前を歩くアスナの足は見てるこっちが不安になるくらい軽い。


 一番の不安要素である彼女は昨日しこたま飲んだから今頃二日酔いで沈没してるはず。濃いめのつまみを用意していつも以上に飲んでたから少なくとも今日突撃してくるってことはない。アスナの手に持ってる荷物もそこまで多くないから来ていきなり泊まるなんてこともないだろう。


 階段を上がり、真ん中のドアの前で止まって鍵を出す。


「ここ?」

「そう」

「ふうん。思ったより近いね」

「……」


 なんだろう。そこはかとなく感じる不穏な予感は。


 兎にも角にも鍵を開けて玄関のドアを開ける。開けっぱなしにしていた向こうの窓から吹き抜けてきた風がアスナの長い髪を靡かせる。


「ふうん。いきなり宣戦布告って?いい度胸してんじゃん」


 髪を抑えながらアスナが呟いた。


「えっと、なにかあった?」


 いきなりピリついた空気を纏い出したアスナに恐る恐る聞いてみる。


「や、別に。大丈夫。アサカは気にしないで」


 アスナはそれだけを言い残して玄関を跨いだ。

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