第23話 だからお前はど(ここから先の文字は消えてる

 駅でアスナと別れて歩くことしばらく。ポケットの中が振動してるのに気づいた僕は、その発生源を引っ張り出して耳に当てた。


「もう着いたの?」

『まだ』


 短い返答の向こう側でアスファルトを叩く足音が聞こえる。


『って言ってももう見えてるけどね。どこかの誰かさんが電話を取ってくれないせいで。電話なら出るって言ってたじゃん。どういうこと?』


 隣にいたらジトッとした目で睨んできただろう声に僕は苦笑してしまう。


「出やすいかも、とは言ったけど、確実に出るとは言ってないでしょ」

『ふうん?そんなこと言っちゃうんだ?』


 このままアスナの顔色を伺ってると、どんどんドツボにハマっていく予感がしたので、僕は話を逸らすことに。


「もう見えてるって言ってたけど――」

『うん。ってか、もう目の前まで来た』


 って言ってすぐにアスナの足音が変わった。広い空間に反響してるっぽい?


「なんか高そう」

『どっちの意味で?』

「どっち?家賃だけど、ほかにある?」

『建物的に高いとかあるじゃん』

「ああ……」


 そう言われてみれば。


『ちなみにどっちも高いよ。駅チカでオートロック付き、12階でウォークインクローゼット付きの1DKの角部屋だから』

「へえ。12階。ちなみに?」

『家賃?』

「そうそう」


 具体的な金額を聞いた僕は思わず足を止めてしまった。高すぎない?危うくスマホを落っことしそうになったんだけど。


『女の子はみんなこのくらいが普通らしいよ?』


 なんて電話の向こうでアスナが言ってるけど、僕の耳には届くわけもない。なんだよ。その金額。僕の住んでるところの5倍もするんだけど。


『12階です』


 とエレベーターのアナウンスが耳に入る。


『で、さっきの話に戻るけど。』

「さっき?」

『電話。メッセより電話の方がいい?』

「まあ。メッセージよりかは早いかな。程度の問題かもしれないけど」

『ふうん。まあ、その方がいっか。残らないけど、バレたときにやり取りはしてないって言えるし』


 そういう問題?


「あ、でもできれば事前に用件を教えてくれると助かるかな」

『用件?そんなのあるわけないでしょ』


 アスナはバッサリと切り捨てた。


 金属同士が当たる音がして、ガチャンとドアが開く音が続く。


『強いて言うなら話したいからってだけだよ?それを用って言っていいのかわかんないけど』


 アスナは『ん〜』と少し悩んで『アサカがメイド喫茶に行ってるのと同じじゃない?同じかわかんないけどさ』と付け加えた。


『っていうか、月乃だって別にアサカに断ってるわけじゃないでしょ』

「まあ、そうだけど」


 彼女の場合は、いきなり電話をかけてきて「今から行くから」とか、「○○にいるから迎え、よろしく」で切る、だからなぁ。無視すると次会ったときになぜか奢りになるし。そんなわけで僕は渋々だけど毎回駆り出されてるわけ。


「でもアイツの電話に出るのもこのくらいだよ?」

『それはそれ。これはこれ。同じだからいいって理由は認めません。出られるようにして』


 無茶苦茶すぎる……。


「まあ、善処はするよ」

『そうして』


 その一言で話題が途切れた。けど、アスナは電話を切る気はないらしい。


『アサカはまだ着かないの?』


 少しの間をおいてアスナが聞いてきた。


「駅から20分くらい歩くんだよ」

『遠くない?』

「遠い」


 本を大量に買った日とか米を買った日なんかはとにかく重いから遠くてしょうがない。出来るなら駅近に住みたいけど、同じ間取りで家賃が倍以上違ったから泣く泣く諦めたんだよな。


 それでも一応、メリットはある。


「でも駅から遠くすればその分家賃が安くなるんだよ。電車の音も聞こえないから静かだし」

『あー……なるほどねぇ。そっか。そういう手もあるのか』

「駅チカって便利だけど、その分色々あるでしょ」

『ある。主にうるさい。さすがに中に入れば静かになるけど、途中まではマジでイヤ』


 実感のこもった声でアスナが答えた。


「その辺の諸々を考えると歩くだけで解決できるなら安いでしょ」

『便利さと引き換えに』

「そうそう」


 なんて話してるうちに僕が住んでる家が見えてきた。


『月乃もアサカの家知ってるんだよね?』

「知ってる、っていうか、知られた、っていうか」

『知られた?どういうこと?』

「本人に聞いて。僕が知ってるのは結果だけ」


 できればあれは思い出したくない。ぶっちゃけ一種のホラーだったし。


『そこまで言うなら聞かないけど。月乃は知ってるんだね?ならわたしもそっちに行ってもいい?』

「はい?」


 話がつながってないんですけど?


『や。いいや。明後日ヒマだったよね?行くから』

「え?いや、ちょっと待って――」

『ヒマじゃないの?ヒマでしょ。わたしお給仕ないし』

「……」


 いや、そうだけども。ヒマじゃないかもしれないじゃん。


『読書かゲームかわたしに会いに来るだけなんでしょ?なら大丈夫大丈夫』

「いや、ほかのメイドにバレるとか」

『ないない。みんな区民か北の方にちょっと外れたとこだから。わたしだけ。こっちなの』


 くっそ。ことごとく状況が逃げ道を塞いできやがる。


『ん。よし。じゃあ、そういうことだから明後日――の前にまた寝て起きたら電話するから』


 アスナはそう言って電話を切った。


 寝て起きたら……?


 不穏な一言を残して切られた電話にそこはかとない不安を覚えてると、僕が住んでるアパートが見えてきた。


 オートロック完備なアスナが住む部屋とは違い、僕が住んでる家は部屋の前に自動ドアなんてものはない。もちろん、エレベーターもない。


 3階建アパートの3階、3つあるドアの真ん中が僕の家だ。


 出るときはなんでもない階段だけど、帰って来るときは地獄のように長い階段を上がったところで、人影を見つけた。


 というか、誰かが僕の部屋のドアを背もたれに座りこんでる。ふわっとしたスカートに白のシャツなんてどこかのお見合いみたいなイベントから抜け出してきたお嬢様のようだ。


「遅い。何時だと思ってんの?」


 目が合った僕に言った彼女の手にはロング缶。プルタブが起き上がってるから、おそらくすでに出来上がってらっしゃる。


 そんな彼女に半分ため息をつきながら僕は常識を問う。


「連絡は?」

「ドッキリしようと思ってたんだからするわけないじゃん。どこ行ってたの?」

「レポートを書きに」

「はあん?こんな遅くまで?……よっこ……いててて……あし、足がぁ……」


 年寄りか。


 誰か、なんていうまでもないけど、立ちあがろうとしてヨタついた彼女の手を引っ張って無理やり立ち上がらせて、玄関のドアを開ける。


「いつからいたの」

「あ〜……いつだっけ?もうちょっとで暗くなるかなぁってくらい。あ、そだそだ。雲が綺麗だなぁって撮ったんだった」


 ちょっと待って、とスマホを出す彼女を部屋に押し込む。


「これこれ。ほら」

「先に靴を脱いで。狭い」


 1人しか入れないくらい狭い玄関を占拠しようとする彼女に僕はオカンみたいな文句を言うしかない。


「脱ぐから。見てっての」

「はいはい」


 渡されたスマホを見ると、夕焼けの空が映し出されていた。夕焼けが夜に変わるように雲の色がオレンジから赤、紺へと変化していくグラデーションは思わず撮ったってのもわかる気がする。


「綺麗でしょ」


 なんて言いながら段差になってる床に座って靴を履いたままの足を突き出してくる彼女。


 脱がせろ、と。


「綺麗に撮れてる」


 スマホを返して、ブーツの横にあるファスナーを下ろす。


「あ〜……やっと解放……」


 両足の靴を引っこ抜いてやると、彼女はそのまま床に仰向けに倒れた。


「冷たくて気持ち〜……あ〜もう無理。このまま寝たい」

「せめて布団に行け」

「布団の前にお風呂……行きたくねぇ……」

「汗臭くなるだろうが」

「む。そんなこと言う?か弱い乙女に向かって」

「か弱い乙女はそんな劇強なアルコールを摂取しない」


 デカデカと書かれた16.5%の文字を指すと、さすがの彼女も唸るだけだった。


「っていうか、その度数でロング缶っておかしいんじゃないの?ビンでしょ、ビン。なんで缶に入ってんの?」

「なんかの間違いで入れちゃったんじゃない?ま、細かいことは気にしない気にしない」


 僕に缶を渡して彼女は起き上がった。中身はカラ。まあ、夕方からこの時間までだったらおかしくない、か。


「海行ってさぁ。髪キッシキシなんだよね」

「海?今日?」

「そっそ。海。ザザーンって」

「こんのくっそ暑いのに?」

「暑いから行けば涼しくなるかなぁって思ったんだけど、想像以上に温くって、涼しさなんてカケラもなかったよね。砂も肉が焼けるんじゃないのってくらいアッチュンチュンだったし」


 それも溶けるかと思った、と彼女は履いていたブーツを指した。


「この時期に履くもんじゃないでしょ」

「ね。わたしもそう思う。けど、世の中には履かないといけないときがあるんだよ」

「そうした方がカワイイからって?」


 よく彼女が言ってる言葉を口にすると、彼女は肩をすくめた。

 

「それもあるけど、そうじゃないんだよなぁ」


 なんだそれ。


「あ〜……ヤバ。マジで足がもう無理。でも風呂入らないと髪……」


 チラ、と見てきた彼女に釘を刺す。


「手伝わないからね?」

「いや、そこ手伝ってよ。別に見て触っても今さらなんだからさ。しかもタダで」


 なんでだよ。いいからさっさと入れ。


 僕は床で寝っ転がったままの彼女を跨いで部屋の中に入る。


「あれ、ちょっと?お風呂――」


 部屋に入れたの、やっぱミスったかな。

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