第21話 メイドじゃないメイドと勉強会

 女子会に呼ばれた件について、なんとか不可抗力で話を落ち着けたころには陽が落ちてすっかり暗くなっていた。彼女からの連絡はまだないけど、スズがラストまでやるって話は聞いてないから、そろそろ何かしらの連絡が来るような気がする。


「帰らなくて平気?」


 僕は隣に座る私服姿のアスナに声をかけると、2杯目のフラペチーノをカラにして頷いた。


「うん。まだ平気」


 スマホを見ていた視線を僕に向けてアスナはさらに続けた。


「明日も予定は午後からだし。全然余裕」


 5杯目となった僕のコーヒーと水をアスナは一口ずつ奪って口直し。さっきから何度か僕のコーヒーと水を飲んでるけど間接キスとか気にしないのかな。気にしないか。気にしてたらこんなに何度もやってないし。


「ん〜なんか食べようかな。ついでに課題もやっちゃいたいし」


 伸びをして立ち上がったアスナに僕は「そういえば」と今さらながら疑問に思ったことを聞いてみる。


「なんでここに?」

「……今さら?」


 アスナが僕を見下ろして、そして座った。


「それ、最初に聞くことだったんじゃない?わたしも完全に忘れてたけど」

「僕のこと言えないじゃん」

「うるさい。いいの。わたしは。どこかの誰かさんがメイドと繋がってるってそれどころじゃなかったんだから。ね?」

「すいませんでした」


 不可抗力とは言え、連絡先を交換されてしまったのは完全に僕の落ち度なので、頭を下げる。


「次からは月乃の呼び出しにホイホイ行かないように。わかった?」

「わかった」

「ならよろしい」


 子どもに言い聞かせるような言い方だけど、僕が頷くと満足そうに微笑んで話を戻した。


「ユズから緊急事態だから来てって言われたんだよね」

「緊急事態?」

「そ。ほら」


 スマホを少しイジってユズとのやり取りを見せてきた。


 アスナが指したところに表示されていたのは、「緊急事態!今すぐ貸したレポートを持ってここに来るように!」の文字。ご丁寧に席の位置まで書いてある。


「返そうと思ってたんだけど、なかなか時間が合わないからちょうどいいやって来たんだけど、まさかユズじゃなくてアサカがいるなんてね」

「お互い様でしょ」


 ユズに助けを求めた僕だってユズが来ると思ってたからアスナが来るなんて想定外も想定外。びっくりした、なんてもんじゃなかった。


「しかも大学生――それも同じ大学で同じ学部、同じ学科で同学年って!聞いてないんですけど?」

「お互い様でしょ」

「わたしは教えられないじゃん。まあ、アサカなら別によかったけど」

「ダメでしょ」


 なんでいいんだよ。プライベートをバラすな、って言われてるだろ。


「でも知ったからって行動しないでしょ」

「……まあ」


 行動って学校に行くとか?不法侵入でしょ。いや、今となっては不法侵入でもなんでもないけど。


「そういうところよ。別にいいって言ったのは。ほかの人は絶対教えない」


 なんていうか、そこまで信用されていいのかなぁ?と思ってしまう。


「ま、もうお互い知っちゃったから今さらだけど。でも学生ってくらいは教えてくれてもよかったんじゃないの?」

「聞いてこなかったじゃん」

「そうだけどさ。教えてくれたっていいじゃん」

「聞けば答えたけどね」

「聞かなかったわたしが悪いって?」

「そこまでは言わないけど。別に進んで話すことでもないでしょ」

「むぅ……」


 言われてみれば、今だってお互いが大学生って話題が出るまではほとんどメイドの話だけだった。それもレポートってきっかけがなかったらこんな話になってないんだから、不思議なものだ。


 ほかのメイドならこうはならない。今でも当たり障りのない話で始まるのがほとんどだし、その中で仕事をしてるのか、学生なのかくらいの話は出てくる。


「マジでなんだろね?仕事とか何やってるの、とかさ。そういうプライベートなこと話題にしてないのってアサカだけだよ?最初は――なんだっけ?」

「おはようございます〜!」


 アスナが僕に向けて初めて言った一言を返す。


「あ〜……そだそだ。社員の人と間違えたんだ。よく覚えてるね。忘れていいんだけど。っていうか、忘れろ」

「忘れたくても忘れないって。あんなの。インパクトありすぎ」

「や〜マジでなんでやっちゃったんだろうね?自分でもわかんないんだよね。頭ではお帰りなさいませ〜って言ったつもりだったのに、口は社員の人向けになってたんだよね」


 初めて会ったときも同じようにアスナは言った。


「スーツ着てたわけでもないのにね。完全に私服だったのにどうして」

「ね。わたしもびっくりだわ。まじ、アレからほんと気をつけてる」

「また言わないように?」

「そうそう。社員にもイジられるし。マジで消えたくなる」

「でも、アレがなかったらこうはなってないね」


 頭を抱えるアスナに僕はコーヒーを飲みながら返す。


「そう?」


 顔を上げたアスナに僕は頷いた。


「だってほかのメイドが目的だったし」


 そう。僕とアスナの出会いは最初っからアスナだったわけじゃない。今でこそアスナがメインになってるけど、アスナに会う前は別のメイドと話をするのが目的だった。


「あー……ね。まだそっちも行ってる?」

「たまに。でもアスナほどじゃないよ」

「ふうん」


 自分で聞いたくせに興味なさげなアスナに僕は話を戻した。


「プライベートな話って言われても、あそこに行ってるか、本を読んでるしかないからねえ。聞かれてもって話ではあるんだよね」

「そんなこと言ったらわたしだっておんなじだよ?」

「そう?ラーメンの話とかするじゃん。ニンニクアブラマシマシって」

「あー……ね。あ。聞いてよ。この前のお給仕のあとさ――」

「いや、レポート」


 ラーメン談義に花を咲かせそうな気配を感じた僕は、一言でアスナを本題に引き戻す。


「あ。そだそだ。また忘れるところだった。どのレポート?いつ出すの?」

「感想文。明後日だけど、今日終わらせたいんだよね」

「今日?ほんとに緊急事態じゃん。明日でも良くない?」

「でも終わらせないとやるヒマなくなるし」

「あ〜ね。やらないとすぐに溜まるよね。感想文か。読んで思ったままを書けばいいんだけど、授業聞いてなかった?」

「聞いてはいたけど。思ったまま書いてみたんだよ。けど、感想っていうか、何が書いてあるのかわかんないし、カタカナは英語そのまんまだし、調べるのもめんどくさいし。もう全部が酷すぎてさ。全体的によくわからん。で終わっちゃうんだよね。なんかそれでいいのかわかんなくて消しちゃったんだけど」

「え。」


 アスナはびっくりした顔を僕に向けてきた。 


「思ったままを、忖度なしでそのまま書いていいんだって。忌憚のない純粋な感想を提出するように、って言ってたでしょ」

「そうだっけ?」

「そうだよ」


 なんだ。それでいいのか。じゃあ、消して損したじゃん。これも書いてやろうかな。


「ねえ?ほんとに授業聞いてた?」

「聞いてたよ?」

「ふうん?」


 湿った視線を向けてくるアスナに僕は耐えきれずに視線を逸らす。


「聞いてないでしょ」

「聞いたって」

「じゃあ、なんで目を逸らすの?」

「……」


 いや、かわいい子と目を合わせろ、って無理じゃない?メイド服着てなくてもかわいいとか反則だろ。


 なんて思ってると、アスナがため息を吐いた。


「まあ、わたしも同じように思ったけどさ。ユズが去年やったって言ってたから聞いたら、同じように言われたんだよね。でも、全然信じられなくって。結局見せてもらったんだけど……見てみる?参考になんないよ?酷すぎて」

「そんなに?」

「ほい。見てみ」


 アスナがトートバッグからクリアファイルを出して僕に渡してきた。


 そういえば、ほとんどの先生がオンラインで提出しろ、って言ってるのに、この先生だけは紙で提出しなきゃいけないんだった。


 すっかり忘れてたけど、ひとまずユズのレポートに目を通してみる。


 タイトルは「課題の書籍を読んでの所感」。


 ハッキリ言ってマトモだったのは、このタイトルだけだった。思いの丈をぶちまけろと言われたユズはホントに思いの丈をそのまま文字に起こしたらしい。冒頭からいきなりぶっ飛んでいた。


 ――感想ということでこれから延々書いていくが、全てはこの一言に尽きる。罵倒を狙ってるならそういう店に行け。課題にしてそのまま思ったことを書くように指示したお前。ドMだろ。罵倒されて喜ぶなら――


 そこから先は噴き上げる間欠泉のごとく次から次へと飛び出てくる罵倒と罵詈雑言の数々に僕は読むのをやめた。


「ボロクソじゃん」

「でしょ。だから思ったままを書けばいいんだって」

「それにしたって思ったままを書きすぎじゃない?ブレーキはどうしたの?」


 罵倒の嵐から逃げ切った僕の言葉アスナは涼しい顔で返してきた。


「んなもん、ユズにあるわけないじゃん」


 そういえばそうだった。


 僕はまたレポートに目を移す。


 なんだよ。「日本語が日本語として機能してない」とか「横文字も適切な言葉がないからってカタカナにすればいいと思うな。日本人なんだから日本語をちゃんと使え」とか、僕が書いたレポートより罵倒の嵐で逆に笑っちゃうくらい酷いじゃねえか。


「ちなみにそれで満点」

「ほんとに?」

「褒められたって。『ほかの連中は日和って体裁のいい言葉しか並べなかったのに、この罵倒の数々。感想と呼ぶにふさわしい』って」


 頭イカれてんじゃねえの?なんで罵倒されてんのに褒めてるんだよ。


「わたしもそれに近い雰囲気で気になるところ指摘しまくって出したら満点だった」


 マジか。これで満点なら最初に書いたヤツで良かったじゃん。消さない方がよかった。


「ってか、そっちまだ感想文なの?ウチらそれやったの先月だよ?」

「ん〜何回か休講したからかな」

「あ〜……そういう?いいなあ。休講。わたしんとこも休講にならないかな。火曜日ってそれしかないんだよね」

「ああ。だから火曜日は入れてないのか」

「そっそ。あれ。完全オフの日にしてるって言ったっけ?」

「前言ってたよ?」

「そうだっけ?」


 アスナが首を傾げた。


「まあ、いいや。それよりレポート、さっさとやろ。わたしも自分のやるから」


 アスナはそう言ってトートバッグからノートパソコンを引っ張り出した。

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