第19話 わずかばかりの安寧の時間もこうして崩れるわけで

 彼女と関わるようになってからというもの、僕には安寧の時間というのはほぼなくなった。飲み会があれば迎えに呼ばれるし、そうでなくても呼び出されることば多々ある。それでもメイド喫茶だけは、僕はアスナがいる日にしか行かないし、彼女もスズがいる日しか行かない。


 知り合ったのはメイド喫茶だけど、僕らがメイド喫茶に一緒に行くってのはお互いが目的があるときだけ。アスナが色々ケチをつけてる常連の中には常連同士のよくわからない付き合いみたいなもので推しでも仲がいいわけでもないのに行ってるヤツもいるけど、僕らの中にはそういった「馴れ合い」みたいなモノは存在しない。特に示し合わせたとか、宣言した、とかそういうのはない。最初っからこのまま。なんていうか、「そういうの言わなくてもわかるから」みたいな暗黙の了解になっている。


 そんなわけで、スズがいる日は当然彼女もメイド喫茶に行ってるので、アスナがいなければその時間だけが唯一静かな時間となる。


 彼女がメイド喫茶に行ってる間は連絡は一切ない。1時間とかそんなレベルではなく、スズがメイド喫茶にいる間であれば何時間でも連絡が来ることはない。理由はカンタンで、僕がいようがいまいが、お構いなしでスズがいる時間いっぱいまでメイド喫茶に居座り続けるから。その間彼女がなにをしてるかは知らないけど、とにかくこの時間は僕には連絡が一切来ない。


 今日もそんな日で朝から静かな時間をいつもの喫茶店で過ごしている。手元にはチーズケーキとコーヒー。集中して作業をするときには欠かせないお供だけど、朝から作業をしてるせいもあって半分ほどなくなってる。半分もなくなってるのに、目の前の画面に表示されているレポート用紙は漂白されたように真っ白だった。


「ん〜……」


 伸びをしてみる。けど、アイデアが簡単に降ってくるわけもなく。ただただ時間だけが無情に過ぎていく。


 こう言ってしまっては言い訳だけど、つい数分前までは一面にびっしりと文字が埋め尽くされていた。既定の文字数にも達してたし、妥協すればなんとなくでも終わっていた。ただ、仮にも提出して、読まれるって考えたときにふと、「なんか違うなぁ」と思ったのが数分前。


 跡形もなく消し去って真っ白にしてしまったので、正確には2000歩進んで2000歩戻った、というのが正しい。


 まあ、結局真っ白だから「進んでないじゃん」って言われれば何も言い返せないんだけど。


 もう一度身体を伸ばす。


 2時間居座って凝り固まった腹筋が伸びるのを感じていると、隣にコーヒーとホットドックが乗ったプレートが置かれた。


「わ。本当にいるじゃん」


 なんとなく、どこかで聞いた覚えのある声に隣を見てみると、ユズの顔があった。


「話しかけていいの?」


 どこのメイド喫茶でもそうだけど、店の外で会うのはNG。もちろん外で見かけたからって話しかけるのだってダメ。もちろん、向こうだって同じはずである。


 けど、ユズは笑って否定した。


「いいって。今は月乃の友達ってことで。どうせここならアイツらだって見てこないし」

「ふうん」


 僕がいる席は電源席の中でも一番奥。ちょっと気分転換で定位置ではなく、あえてこの場所にしてみたんだけど、まさか知り合いに見つかるとは。


「なにやってんの?」


 ユズが僕のタブレットの画面を覗き込んできた。


「レポート」

「レポート?」

「読書感想文とも言う」


 と、僕は手元にある本を叩いた。


「読んで思ったことを書けってさ」

「ふうん。真っ白けじゃん。読んだの?」

「一応。ってか、小難しく書き過ぎてて目が滑る」

「ちょっと見せて」


 手を出してきたので、本を渡す。


「あ〜……これか〜」


 パラパラ数ページめくったユズが知ったふうな声を出した。


「教えてるの、高崎先生じゃない?モッサモサの」

「知ってるの?」

「去年やったから。あの先生、見た目と話し方のインパクトがやば過ぎない?」


 たしかにユズの言う通り、見た目は髭も髪も伸ばしっぱなしでモッサモサ、話し方は武士みたいで一人称が「吾輩」で、魔法使いみたいな長い杖をついてウロウロしてる先生に教わってる。


「去年?」

「うん。去年。ってか、同じ大学に行ってんだね。全然見かけたことないけど」

「それはお互い様でしょ」


 僕が返すと、ユズは「たしかに」とクスクス笑った。


「ちなみに、ここだけの話だけど」


 と言ってユズが肩を寄せてきた。


「アスナも同じだよ。1個下。つまり、アサカと一緒」

「え」


 思わぬ情報に、僕は思わずユズの顔を見た。


「見たことない?」

「ないけど」

「ありゃ。じゃあ、学部か学科が違うのかな」


 そう言ってユズはホットドックを口に突っ込んだ。


「その様子だとアスナもアサカが同じ大学にいるって知らなそうだよね」

「知らないんじゃないかな。聞かれてないし、言ってもないし。っていうか、そもそも僕が大学生ってこと自体知らないかも」

「マジ?」

「少なくとも僕からは言ったことはない」


 仲良くなる前段階みたいなので、話題に上がる内容かもしれないけど、僕とアスナは出会い方がちょっと特殊過ぎて、最初の方から割と今とそう変わらない話をしてる。最も、最近はほとんど彼女か日常の出来事の話しかしてないけど。


「マジか〜。ええ……?」


 そんなにビックリすることかな。


「じゃあ、月乃は?なにしてるか知ってる?」

「知らないし、知りたいとも思わない」

「辛辣」


 この前のメイドが集まった謎の飲み会に行ったときにもチラッと仕事やら合コンやら聞こえてきたけど、僕は彼女がどうやって生きてるのか全く知らない。仮に知ったとしても、別に何かあるわけじゃないし、むしろ「だから?」って言って終わるような話だから僕も、そして彼女も聞かないし、知ろうともしない。


 というか、あんな酔っ払いのプライベートを知ってなんの価値があるんだろうね?


「……あれ?もしかして月乃もアサカが大学生ってこと知らないってことある?」


 そんなことを考えてると、ユズが首を傾げた。


「あるんじゃない?聞かれてないし、言ってもない。もちろん僕から聞いてもない」

「……マジか」


 なんでそんなに衝撃を受けるんだろ。別に普通だと思うんだけど。


 ホットドックを食べ終わったユズは手を叩いてコーヒーを一口。


「なんにせよ、少なくとも月乃の方がなんだかんだ有利なわけか」

「有利?」

「こっちの話」


 そう言ってユズは席を立った。そのままカウンターの方に歩いていってケーキを受け取って戻ってきた。


「うぇっへっへっへ。これを待ってたんだよ」


 気持ち悪い笑いを浮かべてユズは季節限定のレモンレアチーズケーキをパクリ。


「ん〜!!」

「これが目的?」


 美味そうに顔を綻ばせてるユズに聞いてみた。


「そっそ!ちょっと前に近くにあるって聞いてさ。なら帰りに寄ろうかなって」

「帰りって、今日シフトなの?」

「や、大学の方。ウチの方になくってさ〜」


 あっという間に食べ終わり、ユズはコーヒーを飲んで伸びをした。


「ん〜!美味しかったー!」


 もう1つ食べられそうな勢いで食べてたけど、これで打ち止めらしい。


「そだ。せっかくだからスマホ、借りるね」

「は?」


 タイマーとして使っていたスマホをひょい、と取ったユズは何回かスマホをタップしてすぐ返してきた。


「この前、起こしてくれたお礼ってことで」

「は?」


 と、固まった瞬間、腕を引っ張られてカシャっと音がした。


「お。思ったより盛れた」

「なにやって――」


 と、スマホに振動。


 画面に目を向けると、見知らぬ名前と「画像が送信されました」の文字が表示されてる。


「それ、あたしだから。また付き合って」

「は?なに言って――」

「あ、スタッフにはちゃんと言っとくから。安心して。まあ、3階だから来ないと思うけど」


 いや、安心とかそういう問題じゃないんだけど。


 何かを言ってやりたいけど、あまりの展開の速さに頭がついていかない。


「んじゃ。レポート頑張って」


 それだけ言い残してユズは店を出ていった。

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